鏡花全集 第四巻 |
岩波書店 |
1941(昭和16)年3月15日 |
1986(昭和61)年12月3日第3刷 |
1986(昭和61)年12月3日第3刷 |
一
「…………」
山には木樵唄、水には船唄、驛路には馬子の唄、渠等はこれを以て心を慰め、勞を休め、我が身を忘れて屈託なく其業に服するので、恰も時計が動く毎にセコンドが鳴るやうなものであらう。また其がために勢を増し、力を得ることは、戰に鯨波を擧げるに齊しい、曳々!と一齊に聲を合はせるトタンに、故郷も、妻子も、死も、時間も、慾も、未練も忘れるのである。
同じ道理で、坂は照る/\鈴鹿は曇る=といひ、袷遣りたや足袋添へて=と唱へる場合には、いづれも疲を休めるのである、無益なものおもひを消すのである、寧ろ苦勞を紛らさうとするのである、憂を散じよう、戀を忘れよう、泣音を忍ばうとするのである。
それだから追分が何時でもあはれに感じらるゝ。つまる處、卑怯な、臆病な老人が念佛を唱へるのと大差はないので、語を換へて言へば、不殘、節をつけた不平の獨言である。
船頭、馬方、木樵、機業場の女工など、あるが中に、此の木挽は唄を謠はなかつた。其の木挽の與吉は、朝から晩まで、同じことをして木を挽いて居る、默つて大鋸を以て巨材の許に跪いて、そして仰いで禮拜する如く、上から挽きおろし、挽きおろす。此度のは、一昨日の朝から懸つた仕事で、ハヤ其半を挽いた。丈四間半、小口三尺まはり四角な樟を眞二つに割らうとするので、與吉は十七の小腕だけれども、此業には長けて居た。
目鼻立の愛くるしい、罪の無い丸顏、五分刈に向顱卷、三尺帶を前で結んで、南の字を大く染拔いた半被を着て居る、これは此處の大家の仕着で、挽いてる樟も其の持分。
未だ暑いから股引は穿かず、跣足で木屑の中についた膝、股、胸のあたりは色が白い。大柄だけれども肥つては居らぬ、ならば袴でも穿かして見たい。與吉が身體を入れようといふ家は、直間近で、一町ばかり行くと、袂に一本暴風雨で根返して横樣になつたまゝ、半ば枯れて、半ば青々とした、あはれな銀杏の矮樹がある、橋が一個。其の澁色の橋を渡ると、岸から板を渡した船がある、板を渡つて、苫の中へ出入をするので、此船が與吉の住居。で干潮の時は見るも哀で、宛然洪水のあとの如く、何時棄てた世帶道具やら、缺擂鉢が黒く沈むで、蓬のやうな水草は波の隨意靡いて居る。この水草はまた年久しく、船の底、舷に搦み附いて、恰も巖に苔蒸したかのやう、與吉の家をしつかりと結へて放しさうにもしないが、大川から汐がさして來れば、岸に茂つた柳の枝が水に潛り、泥だらけな笹の葉がぴた/\と洗はれて、底が見えなくなり、水草の隱れるに從うて、船が浮上ると、堤防の遠方にすく/\立つて白い煙を吐く此處彼處の富家の煙突が低くなつて、水底の其の缺擂鉢、塵芥、襤褸切、釘の折などは不殘形を消して、蒼い潮を滿々と湛へた溜池の小波の上なる家は、掃除をするでもなしに美しい。
爾時は船から陸へ渡した板が眞直になる。これを渡つて、今朝は殆ど滿潮だつたから、與吉は柳の中で※[#「火+發」、692-5]と旭がさす、黄金のやうな光線に、其罪のない顏を照らされて仕事に出た。
二
其から日一日おなじことをして働いて、黄昏かゝると日が舂き、柳の葉が力なく低れて水が暗うなると汐が退く、船が沈むで、板が斜めになるのを渡つて家に歸るので。
留守には、年寄つた腰の立たない與吉の爺々が一人で寢て居るが、老後の病で次第に弱るのであるから、急に容體の變るといふ憂慮はないけれども、與吉は雇はれ先で晝飯をまかなはれては、小休の間に毎日一度づつ、見舞に歸るのが例であつた。
「ぢやあ行つて來るぜ、父爺。」
與平といふ親仁は、涅槃に入つたやうな形で、胴の間に寢ながら、佛造つた額を上げて、汗だらけだけれども目の涼しい、息子が地藏眉の、愛くるしい、若い顏を見て、嬉しさうに頷いて、
「晩にや又柳屋の豆腐にしてくんねえよ。」
「あい、」といつて苫を潛つて這ふやうにして船から出た、與吉はづツと立つて板を渡つた。向うて筋違、角から二軒目に小さな柳の樹が一本、其の低い枝のしなやかに垂れた葉隱れに、一間口二枚の腰障子があつて、一枚には假名、一枚には眞名で豆腐と書いてある。柳の葉の翠を透かして、障子の紙は新らしく白いが、秋が近いから、破れて煤けたのを貼替へたので、新規に出來た店ではない。柳屋は土地で老鋪だけれども、手廣く商をするのではなく、八九十軒もあらう百軒足らずの此の部落だけを花主にして、今代は喜藏といふ若い亭主が、自分で賣りに
るばかりであるから、商に出た留守の、晝過は森として、柳の蔭に腰障子が閉まつて居る、樹の下、店の前から入口へ懸けて、地の窪むだ、泥濘を埋めるため、一面に貝殼が敷いてある、白いの、半分黒いの、薄紅、赤いのも交つて堆い。
隣屋は此邊に棟を並ぶる木屋の大家で、軒、廂、屋根の上まで、犇と木材を積揃へた、眞中を分けて、空高い長方形の透間から凡そ三十疊も敷けようといふ店の片端が見える、其の木材の蔭になつて、日の光もあからさまには射さず、薄暗い、冷々とした店前に、帳場格子を控へて、年配の番頭が唯一人帳合をしてゐる。これが角屋敷で、折曲ると灰色をした道が一筋、電柱の著しく傾いたのが、前と後へ、別々に頭を掉つて奧深う立つて居る、鋼線が又半だるみをして、廂よりも低い處を、弱々と、斜めに、さも/\衰へた形で、永代の方から長く續いて居るが、圖に描いて線を引くと、文明の程度が段々此方へ來るに從うて、屋根越に鈍ることが分るであらう。
單に電柱ばかりでない、鋼線ばかりでなく、橋の袂の銀杏の樹も、岸の柳も、豆腐屋の軒も、角家の塀も、それ等に限らず、あたりに見ゆるものは、門の柱も、石垣も、皆傾いて居る、傾いて居る、傾いて居るが盡く一樣な向にではなく、或ものは南の方へ、或ものは北の方へ、また西の方へ、東の方へ、てん/″\ばら/\になつて、此風のない、天の晴れた、曇のない、水面のそよ/\とした、靜かな、穩かな日中に處して、猶且つ暴風に揉まれ、搖らるゝ、其の瞬間の趣あり。ものの色もすべて褪せて、其灰色に鼠をさした濕地も、草も、樹も、一部落を蔽包むだ夥多しい材木も、材木の中を見え透く溜池の水の色も、一切、喪服を着けたやうで、果敢なく哀である。
三
界隈の景色がそんなに沈鬱で、濕々として居るに從うて、住む者もまた高聲ではものをいはない。歩行にも内端で、俯向き勝で、豆腐屋も、八百屋も默つて通る。風俗も派手でない、女の好も濃厚ではない、髮の飾も赤いものは少なく、皆心するともなく、風土の喪に服して居るのであらう。
元來岸の柳の根は、家々の根太よりも高いのであるから、破風の上で、切々に、蛙が鳴くのも、欄干の壞れた、板のはなれ/″\な、杭の拔けた三角形の橋の上に蘆が茂つて、蟲がすだくのも、船蟲が群がつて往來を驅けまはるのも、工場の煙突の烟が遙かに見えるのも、洲崎へ通ふ車の音がかたまつて響くのも、二日おき三日置きに思出したやうに巡査が入るのも、けたゝましく郵便脚夫が走込むのも、烏が鳴くのも、皆何となく土地の末路を示す、滅亡の兆であるらしい。
けれども、滅びるといつて、敢て此の部落が無くなるといふ意味ではない、衰へるといふ意味ではない、人と家とは榮えるので、進歩するので、繁昌するので、やがて其電柱は眞直になり、鋼線は張を持ち、橋がペンキ塗になつて、黒塀が煉瓦に換ると、蛙、船蟲、そんなものは、不殘石灰で殺されよう。即ち人と家とは、榮えるので、恁る景色の俤がなくならうとする、其の末路を示して、滅亡の兆を表はすので、詮ずるに、蛇は進んで衣を脱ぎ、蝉は榮えて殼を棄てる、人と家とが、皆他の光榮あり、便利あり、利益ある方面に向つて脱出した跡には、此地のかゝる俤が、空蝉になり脱殼になつて了ふのである。
敢て未來のことはいはず、現在既に其の姿になつて居るのではないか、脱け出した或者は、鳴き、且つ飛び、或者は、走り、且つ食ふ、けれども衣を脱いで出た蛇は、殘した殼より、必ずしも美しいものとはいはれない。
あゝ、まぼろしのなつかしい、空蝉のかやうな風土は、却つてうつくしいものを産するのか、柳屋に艶麗な姿が見える。
與吉は父親に命ぜられて、心に留めて出たから、岸に上ると、思ふともなしに豆腐屋に目を注いだ。
柳屋は淺間な住居、上框を背後にして、見通の四疊半の片端に、隣家で帳合をする番頭と同一あたりの、柱に凭れ、袖をば胸のあたりで引き合はせて、浴衣の袂を折返して、寢床の上に坐つた膝に掻卷を懸けて居る。背には綿の厚い、ふつくりした、竪縞のちやん/\を着た、鬱金木綿の裏が見えて襟脚が雪のやう、艶氣のない、赤熊のやうな、ばさ/\した、餘るほどあるのを天神に結つて、淺黄の角絞の手絡を弛う大きくかけたが、病氣であらう、弱々とした後姿。
見透の裏は小庭もなく、すぐ隣屋の物置で、此處にも犇々と材木が建重ねてあるから、薄暗い中に、鮮麗な其淺黄の手絡と片頬の白いのとが、拭込むだ柱に映つて、ト見ると露草が咲いたやうで、果敢なくも綺麗である。
與吉はよくも見ず、通りがかりに、
「今日は、」と、聲を掛けたが、フト引戻さるゝやうにして覗いて見た、心着くと、自分が挨拶したつもりの婦人はこの人ではない。
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