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小春の狐(こはるのきつね)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 13:29:56  点击:  切换到繁體中文


 やがて、世のさまとて、絶えてその人のおもかげを見る事の出来ずなってから、心も魂もただ憧憬あこがれに、家さえ、町さえ、霧の中を、夢のように※(「彳+尚」、第3水準1-84-33)※(「彳+羊」、第3水準1-84-32)さまよった。――故郷ふるさとの大通りの辻に、老舗しにせの書店の軒に、土地の新聞を、日ごとに額面にはさんで掲げた。おもて三の面上段に、絵入りの続きもののあるのを、ぼんやりとたたずんで見ると、さきの運びは分らないが、ちょうど思合った若い男女が、山に茸狩たけがりをする場面である。私は一目見て顔がほてり、胸が躍った。――題も忘れた、いまは朧気おぼろげであるから何も言うまい。……その恋人同士の、人目のあるため、左右の谷へ、わかれわかれに狩入ったのが、ものに隔てられ、いわに遮られ、樹に包まれ、兇漢くせものに襲われ、獣に脅かされ、魔に誘われなどして、日は暗し、……次第に路を隔てつつ、かくて両方でいのちの限り名を呼び合うのである。一句、一句、会話に、声に――がある……がある……! が重る。――私はも寝られないまで、翌日の日を待ちあぐみ、日ごとにその新聞の前に立って読みふけった。が、三日、五日、六日、七日になっても、まだその二人は谷と谷を隔てている。!……も、――も、丶も、邪魔なようでじれったい。が、しかしその一つ一つが、峨々ががたるいわおしんとした樹立こだちに見えた。くとうさえ深く刻んだ谷に見えた。……赤新聞と言うのは唯今ただいまでもどこかにある……土地の、その新聞は紙が青かった。それが澄渡った秋深き空のようで、文字はひとつずつもみじであった。作中の娘は、わが恋人で、そして、とぼんと立って読むものは小さなきのこのように思われた。――石になった恋がある。少年は茸になった。「関弥。」ああ、勿体ない。……余りの様子を、案じ案じ捜しに出た父に、どんと背中をたたかれて、ハッと思った私は、新聞の中から、天狗てんぐはねをこぼれたようにぽかんと落ちて、世に返って、往来ゆききの人を見、車を見、且つ屋根越に遠く我が家の町を見た。――
 なつかしき茸狩よ。
 二十年あまり、かくてその後、茸狩らしい真似をさえする機会がなかったのであった。
「……おともしますわ。でも、大勢で取りますから、きのこがあればいいんですけど……」
 湯の町の女は、先に立って導いた。……
 湖のなぐれに道をめぐると、松山へ続くなわてらしいのは、ほかほかと土が白い。草のもみじを、嫁菜のおくれ咲が彩って、枯蘆かれあしに陽が透通る。……その中を、飛交うのは、※(「王+干」、第3水準1-87-83)ろうかんのようないなごであった。
 一つ、別に、この畷を挟んで、大なる潟がいたように、刈田を沈め、かいつぶりを浮かせたのは一昨日のの暴風雨の余残なごりと聞いた。蘆の穂に、橋がかかると渡ったのは、横に流るる川筋を、一つらに渺々びょうびょうしおが満ちたのである。水は光る。
 橋のたもとにも、蘆の上にも、随所に、米つき虫は陽炎かげろうのごとくに舞って、むらむらむらと下へ巻きくだっては、トンと上って、むらむらとまた舞いさがる。
 一筋の道は、湖の只中ただなかを霞の渡るように思われた。
 汽車に乗って、がたがた来て、一泊幾干いくらの浦島に取って見よ、この姫君さえ僭越せんえつである。
「ほんとうに太郎と言います、太郎ですよ。――姉さんの名は?……」
「…………」
「姉さんの名は?……」
 女は幾度も口籠りながら、手拭てぬぐいの端を俯目ふしめくわえて、
浪路なみじ。……」
 と言った。
 ――と言うのである。……読者諸君みなさん、女の名は浪路だそうです。

       四

 あれに、おきなが一人見える。
 白砂の小山の畦道あぜみちに、菜畑の菜よりも暖かそうな、おのが影法師を、われと慰むように、太いつえに片手づきしては、腰を休め休め近づいたのを、見ると、大黒頭巾だいこくずきんに似た、饅頭形まんじゅうがたの黄なる帽子を頂き、袖なしの羽織を、ほかりと着込んで、腰に毛巾着けぎんちゃくのぞかせた……片手に網のついたびくを下げ、じんじん端折ばしょりの古足袋に、藁草履わらぞうり穿いている。
「少々、ものを伺います。」
 ゆるい、はけ水の小流こながれの、一段ちょろちょろと落口を差覗いて、その翁の、また一息やすろうた杖に寄って、私は言った。
 翁は、なりに黄帽子を仰向あおむけ、ひげのない円顔の、鼻のしわ深く、すぐにむぐむぐと、日向ひなたに白い唇を動かして、
「このの、わしがいま来た、この縦筋を真直まっすぐに、ずいずいと行かっしゃると、松原について畑を横に曲る処があるでの。……それをどこまでも行かせると、沼があっての。その、すぼんだ処に、土橋が一つかかっているわい。――それそれ、この見当じゃ。」
 と、引立てるように、片手で杖を上げて、釣竿つりざおめるがごとく松のこずえをさした。
「じゃがの。」
 とかぶりを緩く横にって、
「それをば渡ってはなりませぬぞ。(と強く言って)……渡らずと、橋のつめをの、ちとあとへ戻るようなれど、左へ取って、小高い処をあがらっしゃれ。そこが尋ねる実盛塚さねもりづかじゃわいやい。」
 と杖を直す。
 安宅あたかの関の古蹟とともに、実盛塚は名所と聞く。……が、私は今それをたずねるのではなかった。道すがら、既に路傍みちばたの松山を二処ふたとこばかり探したが、浪路がいじらしいほど気をむばかりで、茸も松露も、似た形さえなかったので、獲ものを人に問うもおかしいが、かつは所在なさに、つれをさし置いて、いきなり声を掛けたのであったが。
「いいえ、実盛塚へは――行こうかどうしようかと思っているので、……実はおたずね申しましたのは。」
「ほん、ほん、それでは、これじゃろうの。」
 と片手の畚を動かすと、ひたひたと音がして、ひらりと腹をかえしたうお金色こんじきうろこが光った。
「見事なこいですね。」
「いやいや、これはふなじゃわい。さて鮒じゃがの……あねさんと連立たっせえた、こなたの様子で見ればや。」
 と鼻の下をのばして、にやりとした。
 思わず、そのことばに連れて振返ると、つれの浪路は、尾花で姿を隠すように、私の外套で顔を横におおいながら、髪をうつむけになっていた。湖の小波さざなみが誘うように、雪なす足の指の、ぶるぶると震えるのが見えて、肩も袖も、その尾花になびく。……手につまさぐるのは、真紅のいばらの実で、そのつらな紅玉ルビィが、手首に珊瑚さんご珠数じゅずに見えた。
「ほん、ほん。こなたは、これ。(や、じじい……その鮒をば俺に譲れ。)と、ねえさんと二人して、潟に放いて、放生会ほうじょうえをさっしゃりたそうな人相じゃがいの、ほん、ほん。おはは。」
 と笑いながら、ちょろちょろ滝に、畚をぼちゃんとつけると、背を黒く鮒が躍って、水音とともにひれが鳴った。
憂慮きづかいをさっしゃるな。いてじいの口にくらおうではない。――これは稲荷殿いなりでんへお供物に献ずるじゃ。お目に掛けましての上は、水に放すわいやい。」
 と寄せた杖が肩をいて、背を円くながれを覗いた。
「このうおは強いぞ。……心配をさっしゃるな。」
「お爺さん、失礼ですが、水と山と違いました。」
 私も笑った。
「茸だの、松露だのをちっとばかり取りたいのですが、霜こしなんぞは、どの辺にあるでしょう。御存じはありませんか。」
「ほん、ほん。」
 と黄饅頭を、点頭のままに動かして、
「茸――松露――それなら探さねば爺にかて分らぬがいやい。おはは、姉さんは土地の人じゃ。若いぱっちりとした目は、爺などよりあきらかじゃ。よう探いてもらわっしゃい。」
「これはおひまづいえ、失礼しました。」
「いや、何の嵩高かさだかな……」
「御免。」
しずかにござれい。――よう遊べ。」
「どうかしたか、――姉さん、どうした。」
「ああ、可恐こわい。……勿体ないようで、ありがたいようで、ああ、可恐こおうございましたわ。」
「…………」
「いまのは、山のお稲荷様か、潟の竜神様でおいでなさいましょう。風のない、うららかな、こんな時にはな、よくこの辺をおあるきなさいますそうですから。」
 いま畚を引上げた、水の音はまだ響くのに、翁は、太郎虫、米搗虫のもやのあなたに、影になって、のびあがると、日南ひなたせなも、もう見えぬ。
「しかし、様子は、霜こしの黄茸きだけが化けて出たようだったぜ。」
「あれ、もったいない。……旦那さん、あなた……」

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