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高野聖(こうやひじり)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 13:25:57  点击:  切换到繁體中文



     二十六

 上人はうなずきながらつぶやいて、
「いや、まず聞かっしゃい、かの孤家ひとつや婦人おんなというは、もとな、これもわしには何かのえんがあった、あの恐しい魔処ましょへ入ろうという岐道そばみちの水があふれた往来で、百姓が教えて、あすこはその以前医者の家であったというたが、その家の嬢様じゃ。
 何でも飛騨ひだ一円当時変ったことも珍らしいこともなかったが、ただ取りでていう不思議はこの医者のむすめで、生まれると玉のよう。
 母親殿おふくろどの頬板ほおっぺたのふくれた、めじりの下った、鼻の低い、俗にさしぢちというあの毒々しい左右の胸の房を含んで、どうしてあれほど美しく育ったものだろうという。
 昔から物語の本にもある、屋のむねへ白羽の征矢そやが立つか、さもなければ狩倉かりくらの時貴人あでびとのお目にとまって御殿ごてん召出めしだされるのは、あんなのじゃとうわさが高かった。
 父親てておやの医者というのは、頬骨ほおぼねのとがったひげの生えた、見得坊みえぼう傲慢ごうまん、そのくせでもじゃ、もちろん田舎いなかには刈入かりいれの時よくいねが目に入ると、それからわずらう、脂目やにめ赤目あかめ流行目はやりめが多いから、先生眼病の方は少しったが、内科と来てはからッぺた。外科なんと来た日にゃあ、鬢附びんつけへ水を垂らしてひやりときずにつけるくらいなところ。
 いわし天窓あたまも信心から、それでも命数のきぬやからは本復するから、ほか竹庵ちくあん養仙ようせん木斎もくさいの居ない土地、相応に繁盛はんじょうした。
 ことに娘が十六七、女盛おんなざかりとなって来た時分には、薬師様が人助けに先生様のうちへ生れてござったというて、信心渇仰しんじんかつごう善男善女ぜんなんぜんにょ? 病男病女が我も我もとける。
 それというのが、はじまりはかの嬢様が、それ、馴染なじみの病人には毎日顔を合せるところから愛想あいその一つも、あなたお手が痛みますかい、どんなでございます、といって手先へ柔かなてのひらさわると第一番に次作兄じさくあにいという若いのの(りょうまちす)が全快、お苦しそうなといって腹をさすってやると水あたりの差込さしこみまったのがある、初手しょては若い男ばかりに利いたが、だんだん老人としよりにも及ぼして、後には婦人おんなの病人もこれでなおる、復らぬまでも苦痛いたみが薄らぐ、根太ねぶとうみを切って出すさえ、びた小刀で引裂ひっさく医者殿が腕前じゃ、病人は七顛八倒しちてんはっとうして悲鳴を上げるのが、娘が来て背中へぴったりと胸をあてて肩を押えていると、我慢がまんが出来るといったようなわけであったそうな。
 ひとしきりあのやぶの前にある枇杷びわの古木へ熊蜂くまんばちが来ておそろしい大きな巣をかけた。
 すると医者の内弟子うちでしで薬局、拭掃除ふきそうじもすれば総菜畠そうざいばたけいもる、近い所へは車夫も勤めた、下男兼帯げなんけんたいの熊蔵という、そのころ二十四五さい稀塩散きえんさん単舎利別たんしゃりべつを混ぜたのをびんに盗んで、うち吝嗇けちじゃから見附かるとしかられる、これを股引ももひきはかま一所いっしょに戸棚の上にせておいて、ひまさえあればちびりちびり飲んでた男が、庭掃除そうじをするといって、くだんの蜂の巣を見つけたっけ。
 縁側えんがわへやって来て、お嬢様面白いことをしてお目にけましょう、無躾ぶしつけでござりますが、わたしのこの手をにぎって下さりますと、あの蜂の中へ突込つッこんで、蜂をつかんで見せましょう。お手が障った所だけはしましても痛みませぬ、竹箒たけぼうき引払ひっぱたいては八方へ散らばって体中にたかられてはそれはしのげませぬ即死そくしでございますがと、微笑ほほえんで控える手で無理に握ってもらい、つかつかと行くと、すさまじい虫のうなり、やがて取って返した左の手に熊蜂が七ツ八ツ、羽ばたきをするのがある、あしを振うのがある、中には掴んだ指のまた這出はいだしているのがあった。
 さあ、あの神様の手が障れば鉄砲玉でも通るまいと、蜘蛛くもの巣のように評判が八方へ。
 そのころからいつとなく感得したものとみえて、仔細しさいあって、あの白痴ばかに身を任せて山にこもってからは神変不思議、年をるに従うて神通じんつう自在じゃ。はじめは体を押つけたのが、足ばかりとなり、手さきとなり、はては間をへだてていても、道を迷うた旅人は嬢様が思うままはッという呼吸いきで変ずるわ。
 と親仁おやじがその時物語って、ご坊は、孤家ひとつや周囲ぐるりで、猿を見たろう、ひきを見たろう、蝙蝠こうもりを見たであろう、うさぎも蛇も皆嬢様に谷川の水を浴びせられて畜生ちくしょうにされたるやから
 あわれあの時あの婦人おんなが、蟇にまつわられたのも、猿に抱かれたのも、蝙蝠に吸われたのも、夜中に魑魅魍魎ちみもうりょうおそわれたのも、思い出して、わしはひしひしと胸に当った。
 なお親仁おやじのいうよう。
 今の白痴ばかも、くだんの評判の高かった頃、医者のうちへ来た病人、その頃はまだ子供、朴訥ぼくとつな父親が附添つきそい、髪の長い、兄貴がおぶって山から出て来た。脚に難渋なんじゅう腫物はれものがあった、その療治りょうじを頼んだので。
 もとより一室ひとまを借受けて、逗留とうりゅうをしておったが、かほどのなやみ大事おおごとじゃ、血も大分だいぶんに出さねばならぬ、ことに子供、手をおろすには体に精分をつけてからと、まず一日に三ツずつ鶏卵たまごを飲まして、気休めに膏薬こうやくっておく。
 その膏薬をがすにも親や兄、またそばのものが手を懸けると、かたくなってこわばったのが、めりめりと肉にくッついて取れる、ひいひいと泣くのじゃが、娘が手をかけてやればだまってこらえた。
 一体は医者殿、手のつけようがなくって身のおとろえをいい立てに一日延ばしにしたのじゃが三日つと、兄を残して、克明こくめい父親てておやは股引のひざでずって、あとさがりに玄関から土間へ、草鞋わらじ穿いてまたつちに手をついて、次男坊の生命いのちたすかりまするように、ねえねえ、というて山へ帰った。
 それでもなかなか捗取はかどらず、七日なぬかも経ったので、あとに残って附添っていた兄者人あにじゃびとが、ちょうど刈入で、この節は手が八本も欲しいほどいそがしい、お天気模様も雨のよう、長雨にでもなりますと、山畠やまばたけにかけがえのない、稲がくさっては、餓死うえじにでござりまする、総領のわしは、一番の働手はたらきて、こうしてはおられませぬから、とことわりをいって、やれ泣くでねえぞ、としんみり子供にいい聞かせて病人を置いて行った。
 後には子供一人、その時が、戸長様こちょうさまの帳面前年紀とし六ツ、親六十で二十はたちなら徴兵ちょうへいはお目こぼしと何を間違えたか届が五年遅うして本当は十一、それでも奥山で育ったから村の言葉もろくには知らぬが、怜悧りこうな生れで聞分ききわけがあるから、三ツずつあいかわらず鶏卵たまごを吸わせられるつゆも、今に療治の時残らず血になって出ることと推量して、べそをいても、兄者が泣くなといわしったと、耐えていた心の内。
 娘のなさけで内と一所にぜんを並べて食事をさせると、沢庵たくあんきれをくわえてすみの方へ引込ひきこむいじらしさ。
 いよいよ明日あすが手術という夜は、みんな寐静ねしずまってから、しくしくのように泣いているのを、手水ちょうずに起きた娘が見つけてあまり不便ふびんさに抱いて寝てやった。
 さて治療りょうじとなると例のごとく娘が背後うしろから抱いていたから、脂汗あぶらあせを流しながら切れものが入るのを、感心にじっと耐えたのに、どこを切違えたか、それから流れ出した血が留まらず、見る見る内に色が変って、あぶなくなった。
 医者もあおくなって、騒いだが、神のたすけかようよう生命いのち取留とりとまり、三日ばかりで血も留ったが、とうとう腰が抜けた、もとより不具かたわ
 これが引摺ひきずって、足を見ながら情なそうな顔をする。蟋蟀きりぎりす※(「怨」の「心」に代えて「手」、第4水準2-13-4)がれたあしを口にくわえて泣くのを見るよう、目もあてられたものではない。
 しまいには泣出すと、外聞もあり、少焦すこじれで、医者はおそろしい顔をしてにらみつけると、あわれがって抱きあげる娘の胸に顔をかくしてすがるさまに、年来としごろ随分ずいぶんと人を手にかけた医者もを折って腕組うでぐみをして、はッという溜息ためいき
 やがて父親てておやむかえにござった、因果いんが断念あきらめて、別に不足はいわなんだが、何分小児こどもが娘の手を放れようといわぬので、医者もさいわい言訳いいわけかたがた、親兄おやあにの心をなだめるため、そこで娘に小児こどもうちまで送らせることにした。
 送って来たのが孤家ひとつやで。
 その時分はまだ一個のそう、家も二十軒あったのが、娘が来て一日二日、ついほだされて逗留とうりゅうした五日目から大雨が降出ふりだした。滝をくつがえすようで小歇おやみもなく家に居ながらみんな簑笠みのかさしのいだくらい、茅葺かやぶきつくろいをすることはさて置いて、表の戸もあけられず、内から内、となり同士、おうおうと声をかけ合ってわずかにまだ人種ひとだねの世にきぬのを知るばかり、八日を八百年と雨の中にこもると九日目の真夜中から大風が吹出してその風の勢ここがとうげというところでたちまち泥海どろうみ
 この洪水こうずいで生残ったのは、不思議にも娘と小児こどもとそれにその時村から供をしたこの親仁おやじばかり。
 おなじ水で医者の内も死絶しにたえた、さればかような美女が片田舎かたいなかに生れたのも国が世がわり、だいがわりの前兆であろうと、土地のものは言い伝えた。
 嬢様は帰るに家なく、世にただ一人となって小児こどもと一所に山にとどまったのはご坊が見らるる通り、またあの白痴ばかにつきそって行届ゆきとどいた世話も見らるる通り、洪水の時から十三年、いまになるまで一日もかわりはない。
 といい果てて親仁おやじはまた気味の悪い北叟笑ほくそえみ
(こう身の上を話したら、嬢様を不便ふびんがって、まきを折ったり水をむ手助けでもしてやりたいと、情がかかろう。本来の好心すきごころ、いい加減な慈悲じひじゃとか、情じゃとかいう名につけて、いっそ山へ帰りたかんべい、はてかっしゃい。あの白痴殿ばかどのの女房になって世の中へは目もやらぬかわりにゃあ、嬢様は如意にょい自在、男はより取って、けば、息をかけてけものにするわ、殊にその洪水以来、山を穿うがったこの流は天道様てんとうさまがお授けの、男をいざなあやしの水、生命いのちを取られぬものはないのじゃ。
 天狗道てんぐどうにも三熱の苦悩くのう、髪が乱れ、色が蒼ざめ、胸がせて手足が細れば、谷川を浴びるともとの通り、それこそ水が垂るばかり、招けばきたうおも来る、にらめば美しいも落つる、そでかざせば雨も降るなり、まゆを開けば風も吹くぞよ。
 しかもうまれつきの色好み、殊にまた若いのがすきじゃで、何かご坊にいうたであろうが、それをまこととしたところで、やがてかれると尾が出来る、耳が動く、足がのびる、たちまち形が変ずるばかりじゃ。
 いややがて、この鯉を料理して、大胡坐おおあぐらで飲む時の魔神の姿が見せたいな。
 妄念もうねんは起さずに早うここを退かっしゃい、助けられたが不思議なくらい、嬢様別してのお情じゃわ、生命冥加いのちみょうがな、お若いの、きっと修行をさっしゃりませ。)とまた一ツ背中をたたいた、親仁おやじは鯉をげたまま見向きもしないで、山路やまじかみの方。
 見送ると小さくなって、一座の大山おおやま背後うしろへかくれたと思うと、油旱あぶらひでりの焼けるような空に、その山のいただきから、すくすくと雲が出た、滝の音も静まるばかり殷々いんいんとしてらいひびき
 藻抜もぬけのように立っていた、わしたましいは身に戻った、そなたを拝むとひとしく、つえをかい込み、小笠おがさを傾け、くびすを返すとあわただしく一散にけ下りたが、里に着いた時分に山は驟雨ゆうだち親仁おやじ婦人おんなもたらした鯉もこのために活きて孤家ひとつやに着いたろうと思う大雨であった。」
 高野聖こうやひじりはこのことについて、あえて別にちゅうしておしえあたえはしなかったが、翌朝たもとを分って、雪中山越せっちゅうやまごえにかかるのを、名残惜なごりおしく見送ると、ちらちらと雪の降るなかを次第しだいに高く坂道をのぼる聖の姿、あたかも雲にして行くように見えたのである。

(明治三十三年)




 



底本:「ちくま日本文学全集 泉鏡花」筑摩書房
   1991(平成3)年10月20日 第1刷
   1995(平成7)年8月15日 第2刷
親本:「現代日本文学大系5」筑摩書房
入力:真先芳秋
校正:林めぐみ
1999年1月30日公開
2005年11月25日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
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  • この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。

    「さんずい+散」    140-10

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