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高野聖(こうやひじり)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 13:25:57  点击:  切换到繁體中文



     二十四

「翌日また正午頃ひるごろ、里近く、滝のある処で、昨日きのう馬を売りに行った親仁おやじの帰りにうた。
 ちょうどわしが修行に出るのをして孤家ひとつやに引返して、婦人おんな一所いっしょ生涯しょうがいを送ろうと思っていたところで。
 実を申すとここへ来る途中でもその事ばかり考える、蛇の橋もさいわいになし、ひるの林もなかったが、道が難渋なんじゅうなにつけても、汗が流れて心持が悪いにつけても、今更いまさら行脚あんぎゃもつまらない。むらさき袈裟けさをかけて、七堂伽藍しちどうがらんに住んだところで何ほどのこともあるまい、活仏様いきぼとけさまじゃというて、わあわあ拝まれれば人いきれで胸が悪くなるばかりか。
 ちとお話もいかがじゃから、さっきはことを分けていいませなんだが、昨夜ゆうべ白痴ばかかしつけると、婦人おんながまた炉のある処へやって来て、世の中へ苦労をしに出ようより、夏は涼しく、冬は暖い、このながれに一所にわたしそばにおいでなさいというてくれるし、まだまだそればかりでは自分に魔がしたようじゃけれども、ここに我身で我身に言訳いいわけが出来るというのは、しきりに婦人おんな不便ふびんでならぬ、深山みやま孤家ひとつや白痴ばかとぎをして言葉も通ぜず、日をるに従うてものをいうことさえ忘れるような気がするというは何たる事!
 こと今朝けさ東雲しののめたもとを振り切って別れようとすると、お名残惜なごりおしや、かような処にこうやって老朽おいくちる身の、再びお目にはかかられまい、いささ小川の水になりとも、どこぞで白桃しろももの花が流れるのをご覧になったら、私の体が谷川に沈んで、ちぎれちぎれになったことと思え、といってしおれながら、なお深切しんせつに、道はただこの谷川の流れに沿うて行きさえすれば、どれほど遠くても里に出らるる、目の下近く水がおどって、滝になって落つるのを見たら、人家が近づいたと心を安んずるように、と気をつけて、孤家ひとつやの見えなくなったあたりで、ゆびさしをしてくれた。
 その手と手を取交とりかわすには及ばずとも、そばにつきって、朝夕の話対手はなしあいてきのこの汁でごぜんを食べたり、わしほだいて、婦人おんななべをかけて、わしを拾って、婦人おんなが皮をいて、それから障子しょうじの内と外で、話をしたり、笑ったり、それから谷川で二人して、その時の婦人おんな裸体はだかになってわしが背中へ呼吸いきかよって、微妙びみょうかおりの花びらにあたたかに包まれたら、そのまま命が失せてもいい!
 滝の水を見るにつけてもがたいのはその事であった、いや、冷汗ひやあせが流れますて。
 その上、もう気がたるみ、すじゆるんで、歩行あるくのにきが来て、喜ばねばならぬ人家が近づいたのも、たかがよくされて口のくさばあさんに渋茶を振舞ふるまわれるのが関の山と、里へ入るのもいやになったから、石の上へひざけた、ちょうど目の下にある滝じゃった、これがさ、のちに聞くと女夫滝めおとだきと言うそうで。
 真中にまず鰐鮫わにざめが口をあいたような先のとがった黒い大巌おおいわ突出つきでていると、上から流れて来るさっとの早い谷川が、これに当ってふたつわかれて、およそ四丈ばかりの滝になってどっと落ちて、また暗碧あんぺき白布しろぬのを織って矢を射るように里へ出るのじゃが、その巌にせかれた方は六尺ばかり、これは川の一幅ひとはばいて糸も乱れず、一方は幅が狭い、三尺くらい、この下には雑多な岩が並ぶとみえて、ちらちらちらちらと玉のすだれを百千にくだいたよう、くだん鰐鮫わにざめの巌に、すれつ、もつれつ。」

     二十五

「ただ一筋ひとすじでも巌を越して男滝おだきすがりつこうとする形、それでも中をへだてられて末まではしずくも通わぬので、まれ、揺られてつぶさに辛苦しんくめるという風情ふぜい、この方は姿もやつかたちも細って、流るる音さえ別様に、泣くか、うらむかとも思われるが、あわれにも優しい女滝めだきじゃ。
 男滝の方はうらはらで、石を砕き、地をつらぬいきおい、堂々たる有様ありさまじゃ、これが二つくだんの巌に当って左右に分れて二筋となって落ちるのが身にみて、女滝の心を砕く姿は、男の膝に取ついて美女が泣いて身をふるわすようで、岸に居てさえ体がわななく、肉がおどる。ましてこの水上みなかみは、昨日きのう孤家ひとつや婦人おんなと水を浴びた処と思うと、気のせいかその女滝の中に絵のようなかの婦人おんなの姿が歴々ありあり、と浮いて出ると巻込まれて、沈んだと思うとまた浮いて、千筋ちすじに乱るる水とともにそのはだえに砕けて、花片はなびらが散込むような。あなやと思うと更に、もとの顔も、胸も、乳も、手足もまったき姿となって、浮いつ沈みつ、ぱッと刻まれ、あッと見る間にまたあらわれる。わしたまらず真逆まっさかさまに滝の中へ飛込んで、女滝をしかと抱いたとまで思った。気がつくと男滝の方はどうどうと地響じひびき打たせて。山彦やまびこを呼んでとどろいて流れている。ああその力をもってなぜ救わぬ、ままよ!
 滝に身を投げて死のうより、もと孤家ひとつやへ引返せ。けがらわしい欲のあればこそこうなった上に躊躇ちゅうちょするわ、その顔を見て声を聞けば、かれら夫婦が同衾ひとつねするのにまくらを並べて差支さしつかえぬ、それでも汗になって修行をして、坊主で果てるよりはよほどのましじゃと、思切おもいきって戻ろうとして、石を放れて身を起した、背後うしろから一ツ背中をたたいて、
(やあ、ご坊様ぼうさま。)といわれたから、時が時なり、心も心、後暗うしろぐらいので喫驚びっくりして見ると、閻王えんおう使つかいではない、これが親仁おやじ
 馬は売ったか、身軽になって、小さな包みを肩にかけて、手に一こいの、うろこ金色こんじきなる、溌剌はつらつとして尾の動きそうな、あたらしい、そのたけ三尺ばかりなのを、あぎとわらを通して、ぶらりと提げていた。何んにも言わず急にものもいわれないでみまもると、親仁おやじはじっと顔を見たよ。そうしてにやにやと、また一通りの笑い方ではないて、薄気味うすきみの悪い北叟笑ほくそえみをして、
(何をしてござる、ご修行の身が、このくらいのあつさで、岸に休んでいさっしゃる分ではあんめえ、一生懸命いっしょうけんめい歩行あるかっしゃりや、昨夜ゆうべとまりからここまではたった五里、もう里へ行って地蔵様を拝まっしゃる時刻じゃ。
 何じゃの、おらが嬢様におもいかかって煩悩ぼんのうが起きたのじゃの。うんにゃ、かくさっしゃるな、おらが目は赤くッても、白いか黒いかはちゃんと見える。
 地体じたいなみのものならば、嬢様の手がさわってあの水を振舞ふるまわれて、今まで人間でいようはずがない。
 牛か馬か、猿か、ひきか、蝙蝠こうもりか、何にせい飛んだかねたかせねばならぬ。谷川から上って来さしった時、手足も顔も人じゃから、おらあ魂消たまげたくらい、お前様それでも感心にこころざし堅固けんごじゃから助かったようなものよ。
 何と、おらがいて行った馬を見さしったろう。それで、孤家ひとつやへ来さっしゃる山路やまみち富山とやま反魂丹売はんごんたんうりわしったというではないか、それみさっせい、あの助平野郎すけべいやろう、とうに馬になって、それ馬市でおあしになって、おあしが、そうらこの鯉に化けた。大好物で晩飯の菜になさる、お嬢様を一体何じゃと思わっしゃるの)。」[#「)。」」はママ]
 わたしは思わずさえぎった。
「お上人しょうにん?」

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