泉鏡花集成7 |
ちくま文庫、筑摩書房 |
1995(平成7)年12月4日 |
1995(平成7)年12月4日第1刷 |
鏡花全集 第二十六巻 |
岩波書店 |
1942(昭和17)年10月15日 |
時。
現代、初冬。
場所。
府下郊外の原野。
人物。
画工。侍女。(烏の仮装したる)
貴夫人。老紳士。少紳士。小児五人。
――別に、三羽の烏。(侍女と同じ扮装)
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小児一 やあ、停車場の方の、遠くの方から、あんなものが遣って来たぜ。
小児二 何だい何だい。
小児三 ああ、大なものを背負って、蹌踉々々来るねえ。
小児四 影法師まで、ぶらぶらしているよ。
小児五 重いんだろうか。
小児一 何だ、引越かなあ。
小児二 構うもんか、何だって。
小児三 御覧よ、脊よりか高い、障子見たようなものを背負ってるから、凧が歩行いて来るようだ。
小児四 糸をつけて揚げる真似エしてやろう。
小児五 遣れ遣れ、おもしろい。
凧を持ったのは凧を上げ、独楽を持ちたるは独楽を廻す。手にものなき一人、一方に向い、凧の糸を手繰る真似して笑う。
画工 (枠張のまま、絹地の画を、やけに紐からげにして、薄汚れたる背広の背に負い、初冬、枯野の夕日影にて、あかあかと且つ寂しき顔。酔える足どりにて登場)……落第々々、大落第。(ぶらつく体を杖に突掛くる状、疲切ったる樵夫のごとし。しばらくして、叫ぶ)畜生、状を見やがれ。
声に驚き、且つ
活ける
玩具の、
手許に近づきたるを見て、糸を手繰りたる
小児、
衝と開いて素知らぬ顔す。
画工、その事には心付かず、
立停まりて
嬉戯する
小児等を

す。
よく遊んでるな、ああ、羨しい。どうだ。皆、面白いか。
小児等、彼の様子を見て忍笑す。中に、糸を手繰りたる一人。
小児三 ああ、面白かったの。
画工 (管をまく口吻)何、面白かった。面白かったは不可んな。今の若さに。……小児をつかまえて、今の若さも変だ。(笑う)はははは、面白かったは心細い。過去った事のようで情ない。面白いと云え、面白がれ、面白がれ。なおその上に面白くなれ。むむ、どうだ。
小児三 だって、兄さん怒るだろう。
画工 (解し得ず)俺が怒る、何を……何を俺が怒るんだ。生命がけで、描いて文部省の展覧会で、平つくばって、可いか、洋服の膝を膨らまして膝行ってな、いい図じゃないぜ、審査所のお玄関で頓首再拝と仕った奴を、紙鉄砲で、ポンと撥ねられて、ぎゃふんとまいった。それでさえ怒り得ないで、悄々と杖に縋って背負って帰る男じゃないか。景気よく馬肉で呷った酒なら、跳ねも、いきりもしようけれど、胃のわるい処へ、げっそり空腹と来て、蕎麦ともいかない。停車場前で饂飩で飲んだ、臓府がさながら蚯蚓のような、しッこしのない江戸児擬が、どうして腹なんぞ立て得るものかい。ふん、だらしやない。
他の小児はきょろきょろ見ている。
小児三 何だか知らないけれどね、今、向うから来る兄さんに、糸目をつけて手繰っていたんだぜ。
画工 何だ、糸を着けて……手繰ったか。いや、怒りやしない。何の真似だい。
小児一 兄さんがね、そうやってね、ぶらぶら来た処がね。
小児二 遠くから、まるでもって、凧の形に見えたんだもの。
画工 ははあ、凧か。(背負ってる絵を見る)むむ、そこで、(仕形しつつ)とやって面白がっていたんだな。処で、俺がこう近くに来たから、怒られやしないかと思って、その悪戯を止めたんだ。だから、面白かったと云うのか。……かったは寂しい、つまらない。壮に面白がれ、もっと面白がれ。さあ、糸を手繰れ、上げろ、引張れ。俺が、凧になって、上ってやろう。上って、高い空から、上野の展覧会を見てやる。京、大阪を見よう。日本中を、いや世界を見よう。……さあ、あの児来て煽れ、それ、お前は向うで上げるんだ。さあ、遣れ、遣れ。(笑う)ははは、面白い。
小児等しばらく逡巡す。画工の機嫌よげなるを見るより、一人は、画工の背を抱いて、凧を煽る真似す。一人は駈出して距離を取る。その一人。
小児三 やあ、大凧だい、一人じゃ重い。
小児四 うん、手伝ってやら。(と独楽を懐にして、立並ぶ)――風吹け、や、吹け。山の風吹いて来い。――(同音に囃す。)
画工 (あおりたる児の手を離るると同時に、大手を開いて)こうなりゃ凧絵だ、提灯屋だ。そりゃ、しゃくるぞ、水汲むぞ、べっかっこだ。
小児等の糸を引いて
駈るがままに、ふらふらと舞台を飛廻り、やがて、
樹根に

となりて、切なき
呼吸つく。
暮色到る。
小児三 凧は切れちゃった。
小児一 暗くなった。――ちょうど可い。
小児二 また、……あの事をしよう。
その他 遣ろうよ、遣ろうよ。――(一同、手はつながず、少しずつ間をおき、ぐるりと輪になりて唄う。)
青山、葉山、羽黒の権現さん
あとさき言わずに、中はくぼんだ、おかまの神さん
唄いつつ、廻りつつ、繰り返す。
画工 (茫然として黙想したるが、吐息して立ってこれを視む。)おい、おい、それは何の唄だ。
小児一 ああ、何の唄だか知らないけれどね、こうやって唄っていると、誰か一人踊出すんだよ。
画工 踊る? 誰が踊る。
小児二 誰が踊るって、このね、環の中へ入って踞んでるものが踊るんだって。
画工 誰も、入ってはおらんじゃないか。
小児三 でもね、気味が悪いんだもの。
画工 気味が悪いと?
小児四 ああ、あの、それがね、踊ろうと思って踊るんじゃないんだよ。ひとりでにね、踊るの。踊るまいと思っても。だもの、気味が悪いんだ。
画工 遣ってみよう、俺を入れろ。
一同 やあ、兄さん、入るかい。
画工 俺が入る、待て、(画を取って大樹の幹によせかく)さあ、可いか。
小児三 目を塞いでいるんだぜ。
画工 可、この世間を、酔って踊りゃ本望だ。
青山、葉山、羽黒の権現さん
小児等唄いながら画工の身の周囲を廻る。環の脈を打って伸び且つ縮むに連れて、画工、ほとんど、無意識なるがごとく、片手また片足を異様に動かす。唄う声、いよいよ冴えて、次第に暗くなる。
時に、樹の蔭より、顔黒く、嘴黒く、烏の頭して真黒なるマント様の衣を裾まで被りたる異体のもの一個顕れ出で、小児と小児の間に交りて斉しく廻る。
地に踞りたる画工、この時、中腰に身を起して、半身を左右に振って踊る真似す。
続いて、初の黒きものと同じ姿したる三個、人の形の烏。樹蔭より顕れ、同じく小児等の間に交って、画工の周囲を繞る。
小児等は絶えず唄う。いずれもその怪き物の姿を見ざる趣なり。あとの三羽の烏出でて輪に加わる頃より、画工全く立上り、我を忘れたる状して踊り出す。初手の烏もともに、就中、後なる三羽の烏は、足も地に着かざるまで跳梁す。
彼等の踊狂う時、小児等は唄を留む。
一同 (手に手に石を二ツ取り、カチカチと打鳴らして)魔が来た、でんでん。影がさいた、もんもん。(四五度口々に寂しく囃す)ほんとに来た。そりゃ来た。
小児のうちに一人、誰とも知らずかく叫ぶとともに、ばらばらと、左右に分れて逃げ入る。
木の葉落つ。
木の葉落つる中に、一人の画工と四個の黒き姿と頻に踊る。画工は靴を穿いたり、後の三羽の烏皆爪尖まで黒し。初の烏ひとり、裾をこぼるる褄紅に、足白し。
画工 (疲果てたる
状、

と
仰様に倒る)水だ、水をくれい。
いずれも踊り留む。後の烏三羽、身を開いて一方に翼を交わしたるごとく、腕を組合せつつ立ちて視む。
初の烏 (うら若き女の声にて)寝たよ。まあ……だらしのない事。人間、こうはなりたくないものだわね。――そのうちに目が覚めたら行くだろう――別にお座敷の邪魔にもなるまいから。……どれ、(樹の蔭に一むら生茂りたる薄の中より、組立てに交叉したる三脚の竹を取出して据え、次に、その上の円き板を置き、卓子のごとくす。)
後の烏、この時、三羽とも無言にて近づき、手伝う状にて、二脚のズック製、おなじ組立ての床几を卓子の差向いに置く。
初の烏、また、旅行用手提げの中より、葡萄酒の瓶を取出だし卓子の上に置く。後の烏等、青き酒、赤き酒の瓶、続いてコップを取出だして並べ揃う。
やがて、初の烏、一挺の蝋燭を取って、これに火を点ず。
舞台明くなる。