七月
灼熱の天、塵紅し、巷に印度更紗の影を敷く。赫耀たる草や木や、孔雀の尾を宇宙に翳し、羅に尚ほ玉蟲の光を鏤むれば、松葉牡丹に青蜥蜴の潛むも、刺繍の帶にして、驕れる貴女の裝を見る。盛なる哉、炎暑の色。蜘蛛の圍の幻は、却て鄙下る蚊帳を凌ぎ、青簾の裡なる黒猫も、兒女が掌中のものならず、髯に蚊柱を號令して、夕立の雲を呼ばむとす。さもあらばあれ、夕顏の薄化粧、筧の水に玉を含むで、露臺の星に、雪の面を映す、姿また爰にあり、姿また爰にあり。
八月
向日葵、向日葵、百日紅の昨日も今日も、暑さは蟻の數を算へて、麻野、萱原、青薄、刈萱の芽に秋の近きにも、草いきれ尚ほ曇るまで、立蔽ふ旱雲恐しく、一里塚に鬼はあらずや、並木の小笠如何ならむ。否、炎天、情あり。常夏、花咲けり。優しさよ、松蔭の清水、柳の井、音に雫に聲ありて、旅人に露を分てば、細瀧の心太、忽ち酢に浮かれて、饂飩、蒟蒻を嘲ける時、冷奴豆腐の蓼はじめて涼しく、爪紅なる蟹の群、納涼の水を打つて出づ。やがてさら/\と渡る山風や、月の影に瓜が踊る。踊子は何々ぞ。南瓜、冬瓜、青瓢、白瓜、淺瓜、眞桑瓜。
九月
殘の暑さ幾日ぞ、又幾日ぞ。然も刈萱の蓑いつしかに露繁く、芭蕉に灌ぐ夜半の雨、やがて晴れて雲白く、芙蓉に晝の蛬鳴く時、散るとしもあらず柳の葉、斜に簾を驚かせば、夏痩せに尚ほ美しきが、轉寢の夢より覺めて、裳を曳く濡縁に、瑠璃の空か、二三輪、朝顏の小く淡く、其の色白き人の脇明を覗きて、帶に新涼の藍を描く。ゆるき扱帶も身に入むや、遠き山、近き水。待人來れ、初雁の渡るなり。
十月
雲往き雲來り、やがて水の如く晴れぬ。白雲の行衞に紛ふ、蘆間に船あり。粟、蕎麥の色紙畠、小田、棚田、案山子も遠く夕越えて、宵暗きに舷白し。白銀の柄もて汲めりてふ、月の光を湛ふるかと見れば、冷き露の流るゝ也。凝つては薄き霜とならむ。見よ、朝凪の浦の渚、潔き素絹を敷きて、山姫の來り描くを待つ處――枝すきたる柳の中より、松の蔦の梢より、染め出す秀嶽の第一峯。其の山颪里に來れば、色鳥群れて瀧を渡る。うつくしきかな、羽、翼、霧を拂つて錦葉に似たり。
十一月
青碧澄明の天、雲端に古城あり、天守聳立てり。濠の水、菱黒く、石垣に蔦、紅を流す。木の葉落ち落ちて森寂に、風留むで肅殺の氣の充つる處、枝は朱槍を横へ、薄は白劍を伏せ、徑は漆弓を潛め、霜は鏃を研ぐ。峻峰皆將軍、磊嚴盡く貔貅たり。然りとは雖も、雁金の可懷を射ず、牡鹿の可哀を刺さず。兜は愛憐を籠め、鎧は情懷を抱く。明星と、太白星と、すなはち其の意氣を照らす時、何事ぞ、徒に銃聲あり。拙き哉、驕奢の獵、一鳥高く逸して、谺笑ふこと三度。
十二月
大根の時雨、干菜の風、鳶も烏も忙しき空を、行く雲のまゝに見つゝ行けば、霜林一寺を抱きて峯靜に立てるあり。鐘あれども撞かず、經あれども僧なく、柴あれども人を見ず、師走の市へ走りけむ。聲あるはひとり筧にして、巖を刻み、石を削りて、冷き枝の影に光る。誰がための白き珊瑚ぞ。あの山越えて、谷越えて、春の來る階なるべし。されば水筋の緩むあたり、水仙の葉寒く、花暖に薫りしか。刈あとの粟畑に山鳥の姿あらはに、引棄てし豆の殼さら/\と鳴るを見れば、一抹の紅塵、手鞠に似て、輕く巷の上に飛べり。
大正九年一月―十二月
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
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