短篇小説名作選 |
現代企画室 |
1982(昭和57)年4月15日 |
1984(昭和59)年3月15日第2刷 |
1984(昭和59)年3月15日第2刷 |
第一
愉快いな、愉快いな、お天気が悪くつて外へ出て遊べなくつても可や、笠を着て蓑を着て、雨の降るなかをびしよ/″\濡れながら、橋の上を渡つて行くのは猪だ。
菅笠を目深に冠つて※[#「さんずい+散」、39-4]に濡れまいと思つて向風に俯向いてるから顔も見えない、着て居る蓑の裾が引摺つて長いから脚も見えないで歩行いて行く、背の高さは五尺ばかりあらうかな、猪子して は大なものよ、大方猪ン中の王様が彼様三角形の冠を被て、市へ出て来て、而して、私の母様の橋の上を通るのであらう。
トかう思つて見て居ると愉快い、愉快い、愉快い。
寒い日の朝、雨の降つてる時、私の小さな時分、何日でしたつけ、窓から顔を出して見て居ました。
「母様、愉快いものが歩行いて行くよ。」
爾時母様は私の手袋を拵えて居て下すつて、
「さうかい、何が通りました。」
「あのウ猪。」
「さう。」といつて笑つて居らしやる。
「ありや猪だねえ、猪の王様だねえ。
母様。だつて、大いんだもの、そして三角形の冠を被て居ました。さうだけれども、王様だけれども、雨が降るからねえ、びしよぬれになつて、可哀想だつたよ。」
母様は顔をあげて、此方をお向きで、
「吹込みますから、お前も此方へおいで、そんなにして居ると衣服が濡れますよ。」
「戸を閉めやう、母様、ね、こゝん処の。」
「いゝえ、さうしてあけて置かないと、お客様が通つても橋銭を置いて行つてくれません。づるい[#「づるい」はママ]からね、引籠つて誰も見て居ないと、そゝくさ通抜けてしまひますもの。」
私は其時分は何にも知らないで居たけれども、母様と二人ぐらしは、この橋銭で立つて行つたので、一人前幾于宛取つて渡しました。
橋のあつたのは、市を少し離れた処で、堤防に松の木が並むで植はつて居て、橋の袂に榎の樹が一本、時雨榎とかいふのであつた。
此榎の下に箱のやうな、小さな、番小屋を建てゝ、其処に母様と二人で住んで居たので、橋は粗造な、宛然、間に合はせといつたやうな拵え方、杭の上へ板を渡して竹を欄干にしたばかりのもので、それでも五人や十人ぐらゐ一時に渡つたからツて、少し揺れはしやうけれど、折れて落つるやうな憂慮はないのであつた。
ちやうど市の場末に住むでる日傭取、土方、人足、それから、三味線を弾いたり、太鼓を鳴らして飴を売つたりする者、越後獅子やら、猿廻やら、附木を売る者だの、唄を謡ふものだの、元結よりだの、早附木の箱を内職にするものなんぞが、目貫の市へ出て行く往帰りには、是非母様の橋を通らなければならないので、百人と二百人づゝ朝晩賑な[#「賑な」はママ]人通りがある。
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