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黒百合(くろゆり)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 13:13:48  点击:  切换到繁體中文


 一昨日おととい来るぜい、おさらばだいと、高慢な毒口を利いて、ふいと小さなものが威張って出る。見え隠れにあとをけて、その金竜山の奥山で、滝さん餞別せんべつをしようと言って、お兼が無名指べにさしからすっと抜いて、滝太郎に与えたのが今も身を離さず、勇美子が顔を赤らめてまで迫ったのを、頑としてかなかった指環ゆびわなのである。
 その時、奥山ではなむけした時、時ならぬ深夜の人影をえる黒犬があった。滝さんちょいとつかまえて御覧とお兼がいうから、もとより俵町界隈かいわいの犬は、声を聞いて逃げた程の悪戯いたずら小憎。御意は可しで、飛鳥のごとく、逃げるのを追懸おッかけて、引捕ひッとらえ、手もなくうなじぶちつかんで、いつか継父がくびり殺した死骸しがいの紫色の頬が附着くッついていた処だといって今でも人は寄附かない、ロハ台の際まで引摺ひきずって来ると、お兼は心得ていきな浴衣に半纏をひっかけた姿でちょいとかがみ、てのひらで黒斑をでた、指環がひらめいたと見ると、犬の耳が片一方、お兼のてのひらの上へ血だらけになって乗ったのである。人間でもわけなしだよ、と目前奇特を見せ、仕方を教え、針のごとく細く、しかも爪ほどのおおきさの恐るべき鋭利な匕首ナイフを仕懸けた、純金の指環を取って、これを滝太郎の手に置くと、かつて少年の喜ぶべき品、食物なり、何等のものを与えてもついぞ嬉しがったためしのない、一つはそれも長屋うちに憎まれるもといであった滝太郎が、さも嬉しげに見て、じっとみつめた、星のような一双のまなこの異様なかがやきは、お兼が黒い目でにらんでおいた。滝太郎は生れながらにして賊性をけたのである。諸君はかれがモウセンゴケに見惚みとれた勇美子の黒髪から、その薔薇ばらかおりのある蝦茶えびちゃのリボン飾を掏取すりとって、総曲輪の横町の黄昏たそがれに、これを掌中にもてあそんだのを記憶せらるるであろう。

       三十二

「滝さん、滝さん、おい、おい。」
わっちかい、」と滝太歩をとどめて振返ると、木蔭をこみちへずッと出たのは、先刻さっきから様子を伺っていた婦人おんなである。透かして見るより懐しげに、
「おう来たのか、おいら約束の処へ行っておめえの来るのを待ってたんだけれども、ちょいと係合かかりあいに取られて出て来たんだ。みちは一筋だから大丈夫だとは思ったが、逢い違わなければ可いと思っての。」
「そう、私実は先刻さっきからここに居たんだよ。路先を切って何か始まったから、田舎は田舎だけに古風なことをすると思ってね、旅稼たびかせぎつもりでぐッとお安く真中まんなかへ入ってやろうかと思ってる処へ、お前さんがおいでだから見ていたの。あい、おかしくッてうござんした。ここいらじゃあ尾鰭おひれを振って、肩肱かたひじいからしそうな年上なのを二人まで、手もなく追帰おッかえしたなあ大出来だ、ちょいとあおいでやりたいわねえ、滝さんお手柄。」
「馬鹿なことを謂ってらあ、何もこっちがえらいんじゃあねえ。島野ッてね、あのひょろ長え奴が意気地なしで、知事をこわがっていやあがるから、そこが附目つけめよ。おいらに何か言われちゃあ、後で始末が悪いもんだから、同類の芋虫まで、自分でなだめて連れて行ったまでのこッた。むこうが使ってる道具を反対あべこべにこっちで使われたんだね、別なこたあねえ、知事様がお豪いのでござりますだ。」といって事も無げに笑った。
「それじゃあ滝さん、毒をもって毒を制するとやらいうのかい。」
ねえや、おめえ学者だなあ、」
「旦那、御串戯ごじょうだんもんですよ。」とひとしく笑った。
 身装みなりは構わず、しぼりのなえたので見すぼらしいが、鼻筋の通った、めじりの上った、意気のさかんなることその眉宇びうの間にあふれて、ちっともめげぬ立振舞。わざと身をやつしてさるもののように見らるるのは、さきの日総曲輪の化榎ばけえのきの下で、銀流しを売っていた婦人おんなであって――且つわかかりし時、浅草で滝太郎に指環を与えた女賊白魚のお兼である。もとより掏賊すりの用に供するために、自分の持物だった風変りな指環であるから、銀流を懸けろといって滝太が差出したのを、お兼は何条見免みのがすべき。
 はじめはあやしみ、なかばは驚いて、はてはその顔を見定めると、幼立おさなだちに覚えのある、裏長屋の悪戯いたずら小憎、かつてその黒い目でにらんでおいた少年の懐しさに、取った手を放さないでいたのであったが。十年ばかりも前のこと、場所も意外なり、境遇も変っているから、滝太郎の方では見忘れて、何とも覚えず、底気味が悪かった。
 横町の小児こども足搦あしがらみの縄を切払うごときはおろかなこと、引外してにげるはずみに、指が切れて血が流れたのを、立合のひとあやしんで目を着けるから、場所を心得て声も懸けなかったほど、思慮の深い女賊は、滝太郎の秘密を守るために、仰いでその怪みを化榎に帰して、即時人の目をくるめたので。
 越えて明くる、宵のほどさえ、分けて初更しょこうを過ぎて、商人あきんどの灯がまばらになる頃は、人の気勢けはいも近寄らない榎の下、お兼が店を片附ける所へ、突然とあらわで、いま巻納めようとする茣蓙ござの上へ、一束の紙幣を投げて、黙っててくんねえ、人に言っちゃ悪いぜとばかり、たちまち暗澹あんたんたる夜色は黒い布の中へ、機敏迅速な姿を隠そうとしたのは昨夜の少年。四辺あたりに人がないから、滝さんといって呼留めて、お兼はひさしぶりでめぐりあったが、いずれも世をはばかって心置のない湯の谷で、今夜の会合をあらかじめ約したのであった。

       三十三

 二人は語らい合って、湯の谷のばばかたへ歩き出した。
 お兼は四辺あたり※(「目+句」、第4水準2-81-91)みまわして、
「そりゃそうと、ひどい目に逢いそうだった姉さんはどうしたの。なんだかお前さんと、あのふとった、」
「芋虫か、」
「え、じゃあ細長い方は蚯蚓みみずかい。おほほほほ、おかしいねえ、まあ、その芋虫と、蚯蚓とお前さんと。」
いやだぜ、おいら虫じゃあねえよ。」とつぶらに目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはってわざと真顔になる。
「御免なさいまし、三人ともえになってごたごたしてるので、つい見はぐしたよ、どうしたろう。」
「何か、あの花売の別嬪べっぴんか。」
「高慢なことをいうねえ、花売だか何だか。」
「うむ、ありゃもうとっくに帰った。おいいてことよと受合って来たけれども、不安心だと見えてあとからついて来たそうで、老人としよりは苦労性だ。挨拶あいさつだの、礼だの、誰方どなただのと、面倒くせえから、ちょうど可い、連立つれだたして、さっさと帰しちまった。」
「何しろかったねえ。喧嘩になって、また指環でも揮廻ふりまわしはしないかと、私ははらはらして見ていたんだよ。ほんとにお前さん、あれを滅多に使っちゃあ悪うござんす。」
まむしの針だ、大事なものだ。人に見せてたまるもんか、そんなどじなこたあしやしないよ。」
「いかがですか、こないだ店前みせさきへ突出したお手際では怪しいもんだよ。多勢居る処じゃあないかね。」
「誰がまた姉や、おめえだと思うもんか。あの時はどきりとした、ほんとうだ、縛られるかと思った。」
「だからさ、私に限らず、どこにどんな者が居ないとも限らないからね、うっかりしちゃあ危険けんのんだよ。」
「あい、いいえ、それが何だ、知事のお嬢さんがね、いやに目をつけて指環を取換とッかえようなんて言うんだ。何だか機関からくりを見られるようで、気がさすから、目立たないのが可かろう、銀流でもかけておけと、訳はありゃしねえ、出来心で遣ったんだ、相済みません。」といって、莞爾かんじとしてたわむれにそのつむりを下げた。
沢山たんとお辞儀をなさい、お前さんしからないねえ。そりゃれてるんだろう、恐入った?」
「おお、惚れたんだか何だか知らねえが、姫様ひいさまの野郎が血道を上げて騒いでるなあ、黒百合というもんです。」
「何だとえ。」
「百合の花の黒いんだッさ、そいつを欲しいって騒ぐんだな。」
「へい、欲しければ買ったら可さそうなもんじゃあないか。」
「それがね、不可いけねえんだ、銭金ぜにかねずくじゃないんだってよ。何でも石滝って処を奥へ蹈込ふみこむと、ちょうど今時分咲いてる花で、きっとあるんだそうだけれど、そこがまた大変な処でね、天窓あたまが石のような猿の神様が住んでるの、おそろしおおきわしが居るの、それから何だって、山ン中だというに、おかしいじゃあねえか、水掻みずかきのある牛が居るの、種々いろいろなことをいって、まだ昔から誰も入ったことがないそうで、どうして取って来られるもんだとも思やしないんだってこッた。弱虫ばかり、喧嘩の対手あいてにするほどのものも居ねえ処だから、そン中へ蹈込んで、骨のある妖物ばけものにでも、たんかを切ってやろうと、おいらなんするけれども、ついせわしいもんだから思ったばかし。」
「まあ、大層お前さん、むずかしいのね、忙いって何の事だい。」
「だから待ちねえ、見せるてこッた、うんと一番ひとつ喜ばせるものがあるんだぜ。」
「ああ、その滝さんが見せるというものは、何だか知らないが見たいものだよ。」

       三十四

 滝太郎はかつて勇美子に、微細なるモウセンゴケの不思議な作用を発見した視力をたたえられて、そのどこで採獲とりえたかの土地を聞かれた時、言葉を濁して顔の色を変えたことを――前回に言った。
 いでそのモウセンゴケをかれが採集したのは、湯の谷なる山の裾の日当ひあたりに、雨の後ともなく常にじとじと、濡れた草が所々にある中においてした。しかもお雪が宿の庭つづき竹藪たけやぶ住居すまいを隔てた空地、直ちに山の裾が迫る処、その昔は温泉湧出わきでたという、洞穴ほらあなのあたりであった。人は知らず、この温泉の口の奥は驚くべき秘密を有して、滝太郎が富山において、随処その病的の賊心をほしいままにした盗品を順序よく並べてある。されば、お雪が情人に貢ぐために行商する四季折々の花、美しくかおりのあるのを、露もこぼさず、日ごとにこの洞穴の口浅く貯えておくのは、かえって、滝太郎が盗利品に向って投げた、花束であることを、あらかじめここに断っておかねばならぬ。
 さて、滝太郎がその可恐おそろしい罪を隠蔽いんぺいしておく、温泉の口のあたりで、精細かたのごときモウセンゴケを見着けた目は、やがてまた自分がそこに出没する時、人目のありやなしやをじっと見定めるまなこであるから、おのれの視線の及ぶかぎりは、樹も草も、雲の形も、日の色も、従うて蟻の動くのも、露のこぼるるのも知らねばならないので、地平線上に異状を呈した、モウセンゴケの作用は、むしろ渠がいまだかつて見も聞きもしなかったほど一層心着くに容易たやすいのであった。あたかも可し、さる必用を要する渠がまなこは、世に有数の異相と称せらるる重瞳ちょうどうである。ただし一双ともにそうではない、左一つひとみかさなっている。
 そのせいであったろう。浅草で母親が病んで歿みまかる時、手を着いて枕許まくらもとに、衣帯を解かず看護した、滝太郎のうなじを抱いて、(お前は何でもしたいことをおしよ、どんなことでもお前にはきっと出来るのだから、)といったッきり、もう咽喉のどがすうすうとなった。
 その上また母親はあらかじめ一封の書をしたためておいて、不断滝太郎から聞き取って、その自分の信用を失うてまで、人の忌嫌う我児を愛育した先生に滝太郎の手から託さするように遺言して、(私が亡くなった後で、もしも富山からだといって人が尋ねて来たら、この手紙を渡して下さい。開けちゃあ不可いけません、来なかったらばそのままで破って下さい、きっとお見懸け申してお頼み申します。)と言わせたのである。
 やや一月ばかりつと、その言違ことたがわず果して富山からだといって尋ねて来たのが、すなわち当時の家令で、先代に託されて、その卒去ののち、血統というものが絶えて無いので、三年間千破矢家をあずかっていて今も滝太郎を守立ててる竜川守膳たつかわしゅぜんという漢学者。
 守膳は学校の先生から滝太郎の母親の遺書を受取ったが、その時は早や滝太郎が俵町を去って二月ばかり過ぎた後であったので、泰山のごとく動かず、風采ふうさい、千破矢家のたるに足る竜川守膳が、顔の色を変えて血眼になって、その捜索を、府下における区々の警察に頼み聞えると、両国回向院えこういんのかの鼠小憎の墓前はかのまえに、居眠いねむりをしていた小憎があった。巡行の巡査があやしんで引立ひったて、最寄の警察で取調べたのが、俵町の裏長屋に居たそれだと謂って引渡された。
 田舎はいやだと駄々をねるのを、守膳が老功でなだすかし、道中土をまさず、ゆるぎ殿のお湯殿子ゆどのこ調姫しらべひめという扱いで、中仙道は近道だが、船でもおかでも親不知おやしらずを越さねばならぬからと、大事を取って、大廻おおまわりに東海道、敦賀、福井、金沢、高岡、それから富山。

       三十五

 湯の谷の神の使だという白烏しろからすは、朝月夜にばかりまれに見るものがあると伝えたり。
 ものの音はそれではないか。時ならず、花屋が庭つづきやぶの際に、かさこそ、かさこそとひびきを伝えて、ややありて一面に広々として草まばらな赤土の山のすそへ、残月の影に照らし出されたのは、小さい白い塊である。
 その描けるがごとき人の姿は、うッすりと影を引いて、地の上へ黒い線が流るるごとく、一文字に広場を横切って、竹藪を離れたと思うと、やがて吹流しに手拭をかぶった婦人おんなの姿があらわれて立ったが、先へく者のあとを拾うて、足早に歩行あるいて、一所になると、影は草の間に隠れて、二人は山腹に面したくだん温泉の口の処で立停たちどまった。夏の夜はまだ明けやらず、しんとして、樹の枝に鳥がねぐら蹈替ふみかえる音もしない。
いておいで、この中だ。」と低声こごえでいった滝太郎の声も、四辺あたり寂莫せきばくに包まれて、異様に聞える。
 そのまま腰をかがめて、横穴の中へ消えるよう。
 お兼は抱着くがごとくにして、山腹の土に手をかけながら、体を横たえ、顔をななめにして差覗さしのぞいて猶予ためらった。
「滝さん、暗いじゃあないか。」
 途端に紫の光一点、ぱっ[#「火+發」、308-13]と響いて、早附木マッチった。ほらの中は広く、滝太郎はかえってくつろいで立っている。ほとんどその半身をおおうまで、うずだかい草の葉活々いきいきとして冷たそうに露をこぼさぬ浅翠あさみどりの中に、萌葱もえぎあか、薄黄色、幻のような早咲の秋草が、色も鮮麗あざやかに映って、今踏込むべき黒々とした土の色も見えたのである。
花室はなむろかい、綺麗だね。」
「入口は花室だ、まだずっと奥があるよ。これからつき当って曲るんだ、待っといで、暗いからな。」
 燃え尽して赤い棒になった早附木マッチを棄てて、お兼を草花の中に残して、滝太郎は暗中に放れて去る。
 お兼は気を鎮めてほらの口に立っていたが、たちまちあわただしく呼んだ。
「ちょいと……ちょいと、ちょいと。」
 音も聞えず。お兼は尋常ただならず声を揚げて、
「滝さん、おい、ちょいと、滝さん。」
「おう、」とこたえて、洞穴の隅の一方に少年の顔は顕れた。早く既に一個角燈に類した、あらかじめそこに用意をしてあるらしいともしを手にしている。
 お兼は走り寄って、附着くッついて、
「恐しい音がする、何だい、大変な響だね。地面をえぐり取るような音が聞えるじゃあないか。」
 いかにも洞の中は、ただこれ一条の大瀑布ばくふあって地の下にみなぎるがごとき、すさまじい音が聞えるのである。
 滝太郎は事もなげに、
「ああ、こりゃね、神通川の音と、立山の地獄谷の音が一所になって聞えるんだって言うんだ。地底じぞこがそこらまで続いているんだって、何でもないよ。」
 神通は富山市の北端を流るる北陸ほくろく七大川の随一なるものである。立山の地獄谷はまた世に響いたもので、ここにその恐るべき山川さんせん大叫喚の声を聞くのは、さすがに一個婦人の身に何でもない事ではない。
 お兼は顔の色も沈んで、滝太郎にひしと摺寄すりよりながら、
「そうかい、川の音はいけれど地獄が聞えるなんざ気障きざだねえ。ちょいと、これから奥へ入ってどうするのさ、お前さんやりやしないか。私ゃ殺されそうな気がするよ、不気味だねえ。」
「馬鹿なことを!」

       三十六

「いいえ、お前さん、何だか一通ひととおりじゃあないようだ、人殺ひとごろしもしかねない様子じゃあないか。」さすがの姉御あねご洞中ほらなかやみに処して轟々ごうごうたる音のすさまじさに、奥へ導かれるのを逡巡しりごみして言ったが、尋常ただならぬ光景に感ずる余り、半ばは滝太郎に戯れたので。
「おいで、さあ、夜が明けると人が見るぜ。出後でおくれた日にゃあ一日逗留とうりゅうだ、」と言いながら、片手にともしを釣って片手で袖を引くようにして連込んだ。お兼は身を任せて引かれ進むと、言うがごとく洞穴の突当りから左へ曲る真暗まっくらな処を通って、身を細うして行くとたちまち広し。
「まだまだ深いのかい。」
「もうい、ここはね、おい、誰も来る処じゃあねえよ。おいらだって、余程の工面で見着け出したんだ。」
 滝太郎はこう言いながら、手なるともしを上げて四辺あたりを照らした。
 と見ると、処々ところどころむしろを敷き、わらつかね、あるいは紙を伸べ、布を拡げて仕切った上へ、四角、三角、菱形ひしがたのもの、丸いもの。紙入がある、莨入たばこいれがある、時計がある。あるいは銀色のあおく光るものあり、またあかがねさびたるものあり、両手に抱えて余るほどな品は、一個ひとつも見えないが、水晶の彫刻物、宝玉のかざりにしききれひいな香炉こうろの類から、印のごときもの数えても尽されず、並べてあった。その列の最も端の方に据えたのが、蝦茶えびちゃのリボンかざり、かつて勇美子がかしらに頂いたのが、色もあせないでの影に黒ずんで見えた。かたわらには早附木マッチもえさしがちらばっていたのである。
 地獄谷のひびき、神通のながれの音は、ひとしきりひとしきり脈を打って鳴りとどろいて、うずたかいばかりの贓品ぞうひん一個々々ひとつびとつ心あって物を語らんとするがごとく、響に触れ、ともしに映って不残のこらず動くように見えて、一種言うべからざる陰惨の趣がある。お兼はじっと見て物をも言わぬ、その一言も発しないのを、感に耐えたからだとも思ったろう。滝太郎は極めて得意な様子でお兼の顔を見遣りながら、くだんのリボンかざりゆびさして、
「これがね、一番新しいんだぜ。ほら、こないだ総曲輪で、姉やにつかまった時ね、あの昼間だ、あの阿魔、知事の娘のせいでもあるまいが、何だか取難とりにくかったよ、夜店をぶらついてる奴等のかんざしを抜くたあなぜか勝手が違うんだ。でもとうとう遣ッつけた、可い心持だった、それから、」
 と言ってひるがえって向うへ廻って、一個ひとつの煙草入を照らして見せ、
「これが最初はじめてだ、富山へ来てから一番さきに遣ったのよ。それからね、見ねえ。」
 甚しいかな、古色を帯びた観世音の仏像一体。
「これには弱ったんだ、清全寺ッて言う巨寺おおでらの秘仏だっさ。去年の夏頃開帳があって、これを何だ、本堂の真中まんなかへ持出して大変な騒ぎを遣るんだ。加賀からも、越後からもね、おい、泊懸とまりがけ参詣さんけいで、旅籠町の宿屋はみんなとまりを断るというじゃあねえか。二十一日の間拝ませた。二十一日目だったかな、おいらも人出に浮かされて見に行ったっけ。寺の近所は八町ばかり往来の留まる程だったが、何が難有ありがてえか、まるで狂人きちがいだ。人の中を這出はいだして、片息になっておめえ、本尊の前へにじり出て、台に乗っけて小さな堂を据えてよ、にしきとばりを棒のさきで上げたり下げたりして、その度にわッとうならせちゃあ、うんと御賽銭おさいせんをせしめてやがる。そのお前、前へ伸上って、帳の中をのぞこうとしたばばあがあったさ。うぬ血迷ったかといって、役僧め、媼を取って突飛ばすと、人の天窓あたまの上へ尻餅をいた。あれ引摺出ひきずりだせと講中こうじゅう肩衣かたぎぬで三方におひねりを積んで、ずらりと並んでいやがったが、七八人一時いっときに立上がる。忌々いまいましい、可哀そうに老人としよりをと思ってしゃくに障ったから、おいらあな、」
 活気は少年の満面にあふれて、蒼然そうぜんたる暗がりの可恐おそろしいひびきの中に、灯はやや一条ひとすじの光を放つ。

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