一昨日来るぜい、おさらばだいと、高慢な毒口を利いて、ふいと小さなものが威張って出る。見え隠れにあとを跟けて、その夜金竜山の奥山で、滝さん餞別をしようと言って、お兼が無名指からすっと抜いて、滝太郎に与えたのが今も身を離さず、勇美子が顔を赤らめてまで迫ったのを、頑として肯かなかった指環なのである。
その時、奥山で餞した時、時ならぬ深夜の人影を吠える黒犬があった。滝さんちょいとつかまえて御覧とお兼がいうから、もとより俵町界隈の犬は、声を聞いて逃げた程の悪戯小憎。御意は可しで、飛鳥のごとく、逃げるのを追懸けて、引捕え、手もなく頸の斑を掴んで、いつか継父が児を縊り殺した死骸の紫色の頬が附着いていた処だといって今でも人は寄附かない、ロハ台の際まで引摺って来ると、お兼は心得て粋な浴衣に半纏を引かけた姿でちょいと屈み、掌で黒斑を撫でた、指環が閃いたと見ると、犬の耳が片一方、お兼の掌の上へ血だらけになって乗ったのである。人間でもわけなしだよ、と目前奇特を見せ、仕方を教え、針のごとく細く、しかも爪ほどの大さの恐るべき鋭利な匕首を仕懸けた、純金の指環を取って、これを滝太郎の手に置くと、かつて少年の喜ぶべき品、食物なり、何等のものを与えてもついぞ嬉しがった験のない、一つはそれも長屋中に憎まれる基であった滝太郎が、さも嬉しげに見て、じっと瞶めた、星のような一双の眼の異様な輝は、お兼が黒い目で睨んでおいた。滝太郎は生れながらにして賊性を亨けたのである。諸君は渠がモウセンゴケに見惚れた勇美子の黒髪から、その薔薇の薫のある蝦茶のリボン飾を掏取って、総曲輪の横町の黄昏に、これを掌中に弄んだのを記憶せらるるであろう。
三十二
「滝さん、滝さん、おい、おい。」
「私かい、」と滝太歩を停めて振返ると、木蔭を径へずッと出たのは、先刻から様子を伺っていた婦人である。透かして見るより懐しげに、
「おう来たのか、おいら約束の処へ行ってお前の来るのを待ってたんだけれども、ちょいと係合で歩に取られて出て来たんだ。路は一筋だから大丈夫だとは思ったが、逢い違わなければ可いと思っての。」
「そう、私実は先刻からここに居たんだよ。路先を切って何か始まったから、田舎は田舎だけに古風なことをすると思ってね、旅稼の積でぐッとお安く真中へ入ってやろうかと思ってる処へ、お前さんがお出だから見ていたの。あい、おかしくッて可うござんした。ここいらじゃあ尾鰭を振って、肩肱を怒らしそうな年上なのを二人まで、手もなく追帰したなあ大出来だ、ちょいと煽いでやりたいわねえ、滝さんお手柄。」
「馬鹿なことを謂ってらあ、何もこっちが豪いんじゃあねえ。島野ッてね、あのひょろ長え奴が意気地なしで、知事を恐がっていやあがるから、そこが附目よ。俺に何か言われちゃあ、後で始末が悪いもんだから、同類の芋虫まで、自分で宥めて連れて行ったまでのこッた。敵が使ってる道具を反対にこっちで使われたんだね、別なこたあねえ、知事様がお豪いのでござりますだ。」といって事も無げに笑った。
「それじゃあ滝さん、毒をもって毒を制するとやらいうのかい。」
「姉や、お前学者だなあ、」
「旦那、御串戯もんですよ。」と斉しく笑った。
身装は構わず、絞のなえたので見すぼらしいが、鼻筋の通った、眦の上った、意気の壮なることその眉宇の間に溢れて、ちっともめげぬ立振舞。わざと身を窶してさるもののように見らるるのは、前の日総曲輪の化榎の下で、銀流しを売っていた婦人であって――且つ少かりし時、浅草で滝太郎に指環を与えた女賊白魚のお兼である。もとより掏賊の用に供するために、自分の持物だった風変りな指環であるから、銀流を懸けろといって滝太が差出したのを、お兼は何条見免すべき。
はじめは怪み、中は驚いて、果はその顔を見定めると、幼立に覚えのある、裏長屋の悪戯小憎、かつてその黒い目で睨んでおいた少年の懐しさに、取った手を放さないでいたのであったが。十年ばかりも前のこと、場所も意外なり、境遇も変っているから、滝太郎の方では見忘れて、何とも覚えず、底気味が悪かった。
横町の小児が足搦の縄を切払うごときは愚なこと、引外して逃るはずみに、指が切れて血が流れたのを、立合の衆が怪んで目を着けるから、場所を心得て声も懸けなかったほど、思慮の深い女賊は、滝太郎の秘密を守るために、仰いでその怪みを化榎に帰して、即時人の目を瞞めたので。
越えて明くる夜、宵のほどさえ、分けて初更を過ぎて、商人の灯がまばらになる頃は、人の気勢も近寄らない榎の下、お兼が店を片附ける所へ、突然と顕れ出で、いま巻納めようとする茣蓙の上へ、一束の紙幣を投げて、黙っててくんねえ、人に言っちゃ悪いぜとばかり、たちまち暗澹たる夜色は黒い布の中へ、機敏迅速な姿を隠そうとしたのは昨夜の少年。四辺に人がないから、滝さんといって呼留めて、お兼は久ぶりでめぐりあったが、いずれも世を憚って心置のない湯の谷で、今夜の会合をあらかじめ約したのであった。
三十三
二人は語らい合って、湯の谷の媼が方へ歩き出した。
お兼は四辺をして、
「そりゃそうと、酷い目に逢いそうだった姉さんはどうしたの。なんだかお前さんと、あの肥った、」
「芋虫か、」
「え、じゃあ細長い方は蚯蚓かい。おほほほほ、おかしいねえ、まあ、その芋虫と、蚯蚓とお前さんと。」
「厭だぜ、おいら虫じゃあねえよ。」と円に目をってわざと真顔になる。
「御免なさいまし、三人巴になってごたごたしてるので、つい見はぐしたよ、どうしたろう。」
「何か、あの花売の別嬪か。」
「高慢なことをいうねえ、花売だか何だか。」
「うむ、ありゃもう疾くに帰った。俺ら可いてことよと受合って来たけれども、不安心だと見えてあとからついて来たそうで、老人は苦労性だ。挨拶だの、礼だの、誰方だのと、面倒臭えから、ちょうど可い、連立たして、さっさと帰しちまった。」
「何しろ可かったねえ。喧嘩になって、また指環でも揮廻しはしないかと、私ははらはらして見ていたんだよ。ほんとにお前さん、あれを滅多に使っちゃあ悪うござんす。」
「蝮の針だ、大事なものだ。人に見せて堪るもんか、そんなどじなこたあしやしないよ。」
「いかがですか、こないだ店前へ突出したお手際では怪しいもんだよ。多勢居る処じゃあないかね。」
「誰がまた姉や、お前だと思うもんか。あの時はどきりとした、ほんとうだ、縛られるかと思った。」
「だからさ、私に限らず、どこにどんな者が居ないとも限らないからね、うっかりしちゃあ危険だよ。」
「あい、いいえ、それが何だ、知事のお嬢さんがね、いやに目をつけて指環を取換えようなんて言うんだ。何だか機関を見られるようで、気がさすから、目立たないのが可かろう、銀流でもかけておけと、訳はありゃしねえ、出来心で遣ったんだ、相済みません。」といって、莞爾として戯にその頭を下げた。
「沢山お辞儀をなさい、お前さん怪しからないねえ。そりゃ惚れてるんだろう、恐入った?」
「おお、惚れたんだか何だか知らねえが、姫様の野郎が血道を上げて騒いでるなあ、黒百合というもんです。」
「何だとえ。」
「百合の花の黒いんだッさ、そいつを欲しいって騒ぐんだな。」
「へい、欲しければ買ったら可さそうなもんじゃあないか。」
「それがね、不可ねえんだ、銭金ずくじゃないんだってよ。何でも石滝って処を奥へ蹈込むと、ちょうど今時分咲いてる花で、きっとあるんだそうだけれど、そこがまた大変な処でね、天窓が石のような猿の神様が住んでるの、恐い大な鷲が居るの、それから何だって、山ン中だというに、おかしいじゃあねえか、水掻のある牛が居るの、種々なことをいって、まだ昔から誰も入ったことがないそうで、どうして取って来られるもんだとも思やしないんだってこッた。弱虫ばかり、喧嘩の対手にするほどのものも居ねえ処だから、そン中へ蹈込んで、骨のある妖物にでも、たんかを切ってやろうと、おいら何するけれども、つい忙いもんだから思ったばかし。」
「まあ、大層お前さん、むずかしいのね、忙いって何の事だい。」
「だから待ちねえ、見せるてこッた、うんと一番喜ばせるものがあるんだぜ。」
「ああ、その滝さんが見せるというものは、何だか知らないが見たいものだよ。」
三十四
滝太郎はかつて勇美子に、微細なるモウセンゴケの不思議な作用を発見した視力を誉えられて、そのどこで採獲たかの土地を聞かれた時、言葉を濁して顔の色を変えたことを――前回に言った。
いでそのモウセンゴケを渠が採集したのは、湯の谷なる山の裾の日当に、雨の後ともなく常にじとじと、濡れた草が所々にある中においてした。しかもお雪が宿の庭続、竹藪で住居を隔てた空地、直ちに山の裾が迫る処、その昔は温泉が湧出たという、洞穴のあたりであった。人は知らず、この温泉の口の奥は驚くべき秘密を有して、滝太郎が富山において、随処その病的の賊心を恣にした盗品を順序よく並べてある。されば、お雪が情人に貢ぐために行商する四季折々の花、美しく薫のあるのを、露も溢さず、日ごとにこの洞穴の口浅く貯えておくのは、かえって、滝太郎が盗利品に向って投げた、花束であることを、あらかじめここに断っておかねばならぬ。
さて、滝太郎がその可恐しい罪を隠蔽しておく、温泉の口の辺で、精細式のごときモウセンゴケを見着けた目は、やがてまた自分がそこに出没する時、人目のありやなしやを熟と見定める眼であるから、己の視線の及ぶ限は、樹も草も、雲の形も、日の色も、従うて蟻の動くのも、露のこぼるるのも知らねばならないので、地平線上に異状を呈した、モウセンゴケの作用は、むしろ渠がいまだかつて見も聞きもしなかったほど一層心着くに容易いのであった。あたかも可し、さる必用を要する渠が眼は、世に有数の異相と称せらるる重瞳である。ただし一双ともにそうではない、左一つ瞳が重っている。
そのせいであったろう。浅草で母親が病んで歿る時、手を着いて枕許に、衣帯を解かず看護した、滝太郎の頸を抱いて、(お前は何でもしたいことをおしよ、どんなことでもお前にはきっと出来るのだから、)といったッきり、もう咽喉がすうすうとなった。
その上また母親はあらかじめ一封の書を認めておいて、不断滝太郎から聞き取って、その自分の信用を失うてまで、人の忌嫌う我児を愛育した先生に滝太郎の手から託さするように遺言して、(私が亡くなった後で、もしも富山からだといって人が尋ねて来たら、この手紙を渡して下さい。開けちゃあ不可ません、来なかったらばそのままで破って下さい、きっとお見懸け申してお頼み申します。)と言わせたのである。
やや一月ばかり経つと、その言違わず果して富山からだといって尋ねて来たのが、すなわち当時の家令で、先代に託されて、その卒去の後、血統というものが絶えて無いので、三年間千破矢家を預っていて今も滝太郎を守立ててる竜川守膳という漢学者。
守膳は学校の先生から滝太郎の母親の遺書を受取ったが、その時は早や滝太郎が俵町を去って二月ばかり過ぎた後であったので、泰山のごとく動かず、風采、千破矢家の傳たるに足る竜川守膳が、顔の色を変えて血眼になって、その捜索を、府下における区々の警察に頼み聞えると、両国回向院のかの鼠小憎の墓前に、居眠をしていた小憎があった。巡行の巡査が怪んで引立て、最寄の警察で取調べたのが、俵町の裏長屋に居たそれだと謂って引渡された。
田舎は厭だと駄々を捏ねるのを、守膳が老功で宥め賺し、道中土を蹈まさず、動殿のお湯殿子調姫という扱いで、中仙道は近道だが、船でも陸でも親不知を越さねばならぬからと、大事を取って、大廻に東海道、敦賀、福井、金沢、高岡、それから富山。
三十五
湯の谷の神の使だという白烏は、朝月夜にばかり稀に見るものがあると伝えたり。
ものの音はそれではないか。時ならず、花屋が庭続の藪の際に、かさこそ、かさこそと響を伝えて、ややありて一面に広々として草まばらな赤土の山の裾へ、残月の影に照らし出されたのは、小さい白い塊である。
その描けるがごとき人の姿は、薄りと影を引いて、地の上へ黒い線が流るるごとく、一文字に広場を横切って、竹藪を離れたと思うと、やがて吹流しに手拭を被った婦人の姿が顕れて立ったが、先へ行く者のあとを拾うて、足早に歩行いて、一所になると、影は草の間に隠れて、二人は山腹に面した件の温泉の口の処で立停った。夏の夜はまだ明けやらず、森として、樹の枝に鳥が塒を蹈替える音もしない。
「跟いておいで、この中だ。」と低声でいった滝太郎の声も、四辺の寂莫に包まれて、異様に聞える。
そのまま腰を屈めて、横穴の中へ消えるよう。
お兼は抱着くがごとくにして、山腹の土に手をかけながら、体を横たえ、顔を斜にして差覗いて猶予った。
「滝さん、暗いじゃあないか。」
途端に紫の光一点、※[#「火+發」、308-13]と響いて、早附木を摺った。洞の中は広く、滝太郎はかえって寛いで立っている。ほとんどその半身を蔽うまで、堆い草の葉活々として冷たそうに露を溢さぬ浅翠の中に、萌葱、紅、薄黄色、幻のような早咲の秋草が、色も鮮麗に映って、今踏込むべき黒々とした土の色も見えたのである。
「花室かい、綺麗だね。」
「入口は花室だ、まだずっと奥があるよ。これからつき当って曲るんだ、待っといで、暗いからな。」
燃え尽して赤い棒になった早附木を棄てて、お兼を草花の中に残して、滝太郎は暗中に放れて去る。
お兼は気を鎮めて洞の口に立っていたが、たちまち慌しく呼んだ。
「ちょいと……ちょいと、ちょいと。」
音も聞えず。お兼は尋常ならず声を揚げて、
「滝さん、おい、ちょいと、滝さん。」
「おう、」と応えて、洞穴の隅の一方に少年の顔は顕れた。早く既に一個角燈に類した、あらかじめそこに用意をしてあるらしい灯を手にしている。
お兼は走り寄って、附着いて、
「恐しい音がする、何だい、大変な響だね。地面を抉り取るような音が聞えるじゃあないか。」
いかにも洞の中は、ただこれ一条の大瀑布あって地の下に漲るがごとき、凄じい音が聞えるのである。
滝太郎は事もなげに、
「ああ、こりゃね、神通川の音と、立山の地獄谷の音が一所になって聞えるんだって言うんだ。地底がそこらまで続いているんだって、何でもないよ。」
神通は富山市の北端を流るる北陸七大川の随一なるものである。立山の地獄谷はまた世に響いたもので、ここにその恐るべき山川大叫喚の声を聞くのは、さすがに一個婦人の身に何でもない事ではない。
お兼は顔の色も沈んで、滝太郎にひしと摺寄りながら、
「そうかい、川の音は可いけれど地獄が聞えるなんざ気障だねえ。ちょいと、これから奥へ入ってどうするのさ、お前さんやりやしないか。私ゃ殺されそうな気がするよ、不気味だねえ。」
「馬鹿なことを!」
三十六
「いいえ、お前さん、何だか一通じゃあないようだ、人殺もしかねない様子じゃあないか。」さすがの姉御も洞中の闇に処して轟々たる音の凄じさに、奥へ導かれるのを逡巡して言ったが、尋常ならぬ光景に感ずる余り、半ばは滝太郎に戯れたので。
「おいで、さあ、夜が明けると人が見るぜ。出後れた日にゃあ一日逗留だ、」と言いながら、片手に燈を釣って片手で袖を引くようにして連込んだ。お兼は身を任せて引かれ進むと、言うがごとく洞穴の突当りから左へ曲る真暗な処を通って、身を細うして行くとたちまち広し。
「まだまだ深いのかい。」
「もう可い、ここはね、おい、誰も来る処じゃあねえよ。おいらだって、余程の工面で見着け出したんだ。」
滝太郎はこう言いながら、手なる燈を上げて四辺を照らした。
と見ると、処々に筵を敷き、藁を束ね、あるいは紙を伸べ、布を拡げて仕切った上へ、四角、三角、菱形のもの、丸いもの。紙入がある、莨入がある、時計がある。あるいは銀色の蒼く光るものあり、また銅の錆たるものあり、両手に抱えて余るほどな品は、一個も見えないが、水晶の彫刻物、宝玉の飾、錦の切、雛、香炉の類から、印のごときもの数えても尽されず、並べてあった。その列の最も端の方に据えたのが、蝦茶のリボン飾、かつて勇美子が頭に頂いたのが、色もあせないで燈の影に黒ずんで見えた。傍には早附木の燃さしが散ばっていたのである。
地獄谷の響、神通の流の音は、ひとしきりひとしきり脈を打って鳴り轟いて、堆いばかりの贓品は一個々々心あって物を語らんとするがごとく、響に触れ、燈に映って不残動くように見えて、一種言うべからざる陰惨の趣がある。お兼はじっと見て物をも言わぬ、その一言も発しないのを、感に耐えたからだとも思ったろう。滝太郎は極めて得意な様子でお兼の顔を見遣りながら、件のリボン飾を指して、
「これがね、一番新しいんだぜ。ほら、こないだ総曲輪で、姉やに掴まった時ね、あの昼間だ、あの阿魔、知事の娘のせいでもあるまいが、何だか取難かったよ、夜店をぶらついてる奴等の簪を抜くたあなぜか勝手が違うんだ。でもとうとう遣ッつけた、可い心持だった、それから、」
と言って飜って向うへ廻って、一個の煙草入を照らして見せ、
「これが最初だ、富山へ来てから一番前に遣ったのよ。それからね、見ねえ。」
甚しいかな、古色を帯びた観世音の仏像一体。
「これには弱ったんだ、清全寺ッて言う巨寺の秘仏だっさ。去年の夏頃開帳があって、これを何だ、本堂の真中へ持出して大変な騒ぎを遣るんだ。加賀からも、越後からもね、おい、泊懸の参詣で、旅籠町の宿屋はみんな泊を断るというじゃあねえか。二十一日の間拝ませた。二十一日目だったかな、おいらも人出に浮かされて見に行ったっけ。寺の近所は八町ばかり往来の留まる程だったが、何が難有えか、まるで狂人だ。人の中を這出して、片息になってお前、本尊の前へにじり出て、台に乗っけて小さな堂を据えてよ、錦の帳を棒の尖で上げたり下げたりして、その度にわッと唸らせちゃあ、うんと御賽銭をせしめてやがる。そのお前、前へ伸上って、帳の中を覗こうとした媼があったさ。汝血迷ったかといって、役僧め、媼を取って突飛ばすと、人の天窓の上へ尻餅を搗いた。あれ引摺出せと講中、肩衣で三方にお捻を積んで、ずらりと並んでいやがったが、七八人一時に立上がる。忌々しい、可哀そうに老人をと思って癪に障ったから、おいらあな、」
活気は少年の満面に溢れて、蒼然たる暗がりの可恐しい響の中に、灯はやや一条の光を放つ。
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