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黒百合(くろゆり)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 13:13:48  点击:  切换到繁體中文

底本: 泉鏡花集成2
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1996(平成8)年4月24日
入力に使用: 1996(平成8)年4月24日第1刷
校正に使用: 1996(平成8)年4月24日第1刷


底本の親本: 鏡花全集 第四巻
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1941(昭和16)年12月25日

 

  序

 越中の国立山たてやまなる、石滝いわたきの奥深く、黒百合となんいうものありと、語るもおどろおどろしや。姫百合、白百合こそなつかしけれ、鬼と呼ぶさえ、分けてこのすさまじきを、雄々しきは打笑い、さらぬは袖几帳そでぎちょうしたまうらむ。富山の町の花売は、山賤やまがつたぐいにあらず、あわれに美しき女なり。その名の雪の白きに愛でて[#「愛でて」は底本では「愛でで」]、百合の名の黒きをも、濃い紫と見たまえかし。
    明治三十五年寅壬[#「寅壬」は縦中横]三月


[#改ページ]



       一

「島野か。」
 ひる少し過ぐる頃、富山県知事なにがしの君が、四十物町あえものちょうやしきの門で、活溌に若い声で呼んだ。
 呼ばれたのは、知事の君が遠縁の法学生、この邸に奇寓きぐうする食客しょっかくであるが、立寄れば大樹おおきの蔭で、涼しい服装みなり、身軽な夏服を着けて、帽を目深まぶかに、洋杖ステッキも細いので、猟犬ジャム、のほうずに耳のおおきいのをうしろに従え、得々として出懸けるところ、澄ましていたのが唐突だしぬけに、しかも呼棄よびずてにされたので。
 およそ市中において、自分を呼棄てにするは、何等なにらの者であろうと、且つあやしみ、且つ憤って、目をとがらして顔を上げる。
「島野。」
「へい、」と思わず恐入って、紳士はむことを得ずかしらを下げた。
勇美ゆみさんは居るかい。」と言いさまれ違い、門を入ろうとして振向いて言ったのは、十八九の美少年である。絹セルの単衣ひとえ、水色縮緬ちりめんの帯を背後うしろに結んだ、中背の、見るから蒲柳ほりゅうの姿に似ないで、眉もまなじりもきりりとした、その癖口許くちもとの愛くるしいのが、パナマの帽子を無造作に頂いて、絹の手巾ハンケチの雪のような白いのを、泥に染めて、何か包んだものを提げている。
 成程これならば、この食客的紳士が、因ってもって身の金箔きんぱくとする処の知事の君をも呼棄てにしかねはせぬ。一国の門閥もんばつ、先代があまねく徳をいた上に、経済の道よろしきを得たので、今も内福の聞えの高い、子爵千破矢ちはや家の当主、すなわち若君滝太郎たきたろうである。
「お宅でございます、」と島野紳士は渋々ながらうやうやしい。
「学校はやすみかしら。」
「いえ、土曜日はんどんなんで、」
「そうか、」とい棄てて少年はずッと入った。
「ちょッ。」
 その後を見送って、島野はつくづく舌打をした。この紳士の不平たるや、単に呼棄てにされて、その威厳の幾分をがれたばかりではない。たれも誰も一見して直ちにやかたの飼犬だということを知って、これを従えた者は、知事の君と別懇の者であるということを示す、きた手形のようなジャムのやつが、連れて出たおのれを棄てて、滝太郎の後から尾を振りながら、ちょろちょろと入ったのであった。
「恐れるな。小天狗こてんぐめ、」とさも悔しげに口の内につぶやいて、洋杖ステッキをちょいとついて、小刻こきざみに二ツ三ツつちの上をつついたが、ものうげに帽の前を俯向うつむけて、射る日をさえぎり、さみしそうに、一人で歩き出した。
「ジャム、」
 真先まっさきけて入った猟犬をまず見着けたのは、当やかた姫様ひいさま勇美ゆみ子という。襟は藤色で、白地にお納戸で薩摩縞さつまじま単衣ひとえ、目のぱッちりと大きい、色のくッきりした、油気の無い、さらさらした癖の無い髪をせなへ下げて、蝦茶えびちゃのリボンかざりかざしは挿さず、花畠はなばたけ日向ひなたに出ている。

       二

 この花畠は――門を入ると一面の芝生、植込のない押開おっぴらいた突当つきあたりが玄関、その左の方が西洋づくりで、右の方がまわり廊下で、そこが前栽になっている。一体昔の大名の別邸を取払った幾分の造作が残ったのに、くだんの洋風の室数まかずを建て増したもので、桃色の窓懸まどかけを半ば絞った玄関わきの応接所から、金々として綺羅きらびやかな飾附の、呼鈴よびりん巻莨入まきたばこいれ、灰皿、額縁などがれて見える――あたかもその前にわざとひなめいたあつらえで。
 日車ひぐるまつぼみを持っていまだ咲かず、牡丹ぼたんは既に散果てたが、姫芥子ひめげし真紅まっかの花は、ちらちらと咲いて、姫がものを言う唇のように、芝生から畠をかぎって一面に咲いていた三色菫さんしきすみれの、紫と、白と、くれないが、勇美子のその衣紋えもんと、そのきぬとの姿に似て綺麗である。
「どうして、」
 体はおおきいが、小児こどものように飛着いてまつわる猟犬のあたまをおさえた時、傍目わきめらないで玄関の方へ一文字にこうとする滝太郎を見着けた。
「おや、」
 同時に少年も振返って、それと見ると、芝生を横截よこぎって、つかつかと間近に寄って、
「ちょいとちょいと、今日はね、うんと礼を言わすんだ、拝んでいな。」と莞爾々々にこにこしながら、いきおいよく、棒を突出したようなものいいで、係構かけかまいなしに、何か嬉しそう。
 言葉つきなら、仕打なら、人の息女とも思わぬを、これがまた気に懸けるような娘でないから、そのまま重たげに猟犬のかしらうしろ押遣おしやり、顔を見て笑って、
「何?」
「何だって、大変だ、きてるんだからね。お姫様なんざあ学者の先生だけれども、こいつあ分らない。」とくだん手巾ハンケチの包を目の前へつまんでぶら下げた。その泥がにじんでいる純白まっしろなのを見て、傾いて、
「何です。」
「見ると驚くぜ、吃驚びっくりすらあ、草だね、こりゃ草なんだけれど活きてるよ。」
「は、それは活きていましょうとも。草でも樹でも花でも、みんな活きてるではありませんか。」という時、姫芥子の花は心ありげにたもとに触れてひらめいた。が、滝太郎はねたような顔色かおつきで、
「また始めたい、理窟をいったってはじまらねえ。可いからまあ難有ありがとうと、そういってみねえな、よ、いやならせ。」
「乱暴ねえ、」
「そっちアまた強情だな、可いじゃあないか難有う……と。」
「じゃアまああっちへ参りましょう。」
 と言いかけて勇美子は身を返した。塀の外をちらほらと人の通るのが、小さな節穴をすかしてはるかに昼の影燈籠かげどうろうのように見えるのを、じっみまもって、忘れたように跪居ついいる犬を、勇美子はてのひらではたと打って、
「ほら、」
 ジャムは二三尺飛退とびすさって、こちらを向いて、けろりとしたが、駈出かけだして見えなくなった。
「活きてるんだな。やっぱり。」といって滝太郎一笑す。
 振向いて見たばかり、さすがこれには答えないで、勇美子は先に立って鷹揚おうようである。

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