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草迷宮(くさめいきゅう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 13:07:19  点击:  切换到繁體中文



       三十四

 その夜に限って何事もなく、静かに。……寝ようという時、初夜過ぎた。
 宰八が手燭てしょくに送られて、広縁を折曲って、はるかに廻廊を通った僧は、雨戸の並木を越えたようで、故郷ふるさとには蚊帳を釣って、一人寂しく友が待つおもいがある。
「ここかい。」
「それを左へ開けさっせえまし、入口の板敷から二ツ目のが、男が立ってるのでがす。行抜けに北の縁側へも出られますで、お前様めえさま帰りがけに取違えてはなんねえだよ。
 二三年この方、向うへは誰も通抜けた事がねえで、当節柄じゃ、迷込んではどこへ行くか、ハイ方角が着きましねえ。」
「もう分りましたよ。」
かあねえ、わし、ここに待っとるで、あかりをたよりに出て来さっせえ。
 私も、この障子のいかいこと続いたのに、めらめら破れのある工合ぐあいが、ハイ一ツ一ツ白髑髏しゃれかうべのようで、一人で立ってる気はしねえけんど、お前様が坊様だけに気丈夫だ。えら茶話がもてて、何度も土瓶をかわかしたで、いれかわって私もやらかしますべいに、待ってるだよ。」
 僧は戸を開けながら、と、声をかけて、
「御免下さい。」
 と、ぴたりと閉めた。
「あ、あ、気味の悪い。誰に挨拶あいさつさっせるだ。南無阿弥陀仏なむあみだぶ、南無阿弥陀仏。はて、急に変なことを考えたぞ[#「考えたぞ」は底本では「考えだぞ」]。そこさ一面の障子の破れのぞいたら何が見えべい――南無阿弥陀仏なんまいだ、ああ、南無阿弥陀仏、……やあ、蝋燭ろうそくがひらひらする、どこから風が吹いて来るだ。これえ消したが最後、立処たちどころに六道の辻に迷うだて。南無阿弥陀仏なんまいだ、御坊様、まだかね。」
「ちょいと、」
「ひゃあ、」
 僧は半ば開いて、中に鼠の法衣ころもで立ちつつ、
「ちょいとあかりを見せておくれ。」
「ええ、お前様、さきへ戸を開けておいてから何か言わっしゃればい。板戸が音声おんじょうを発したか、と吃驚びっくりしただ、はあ、何だね。」
「入口の、この出窓の下に、手水ちょうず鉢があったのを、入りしなに見ておいたが、広いので暗くて分らなくなりました。」
「ああ、手、洗わっしゃるのかね、」
 と手燭ばかりを、ずいと出して、
「鉢前にゃ、が明けたら見さっせえまし、大した唐銅からかねの手水鉢の、この邸さいて来る時分に牛一頭かかった、見事なのがあるけんど、今開ける気はしましねえ。……」
 ええ、そよら、そよらと風だ。
 そ、その鉢にゃ水があればいがね、無くば座敷まで我慢さっせえまし、土瓶ののこりけて進ぜる。」
「あります、あります。」
 ざっと音をさして、
「冷い美しい水が、満々なみなみとありますよ。」
「嘘をくもんでェねえ。なにうつくしい水があんべい。井戸の水は真蒼まっさおで、小川の水は白濁りだ。」
「じゃああかりで見るせいだろうか、」
「そして、はあ、何なみなみとあるもんだ。」
「いいえ、縁切ふちきりこぼれるようだよ。ああ、葉越さんは綺麗好きだと見える。真白まっしろ手拭てぬぐいが、」
 と言いかけてしばらく黙った。

今年より卯月うづき八日は吉日よ
    尾長おなが蛆虫うじむし成敗ぞする

「ここにさかさまにはってあるのは、これは誰方どなたがお書きなすった、」
「……南無阿弥陀仏なまいだ、南無阿弥陀仏……」
「ああ、いおてだ。」
 と大和尚のように落着いて、おおきく言ったが、やがてちとあわただしげに小さな坊さまになって急いで出た。
「ええ、はやく出さっせえ、わしもう押堪おっこらえて、座敷から庭へ出て用たすべい。」
「ほんとに誰が書いたんだね、女の手だが、」
 と掛手拭をめた癖に、薄汚れた畳んだのを自分のたもとから出している。
南無阿弥陀仏なんまいだぶ、ソ、それは、それ、この次の、次の、小座敷で亡くならしっけえ、どっかの嬢様が書いてっただとよ、きそこだ、今ソンな事あどうでもえ。頭から、慄然ぞっとするだに、」
「そうかい、ああ私も今、手をこうとすると、真新しい切立きりたての掛手拭が、冷く濡れていたのでヒヤリとした。」
「や、」と横飛びにどたりと踏んだが、その跫音あしおとを忍びたそうに、腰を浮かせて、同一おなじ処を蹌踉蹌踉うろうろする。

       三十五

「そうふらふらさしちゃあかりが消えます。貸しなさい、私がその手燭てしょくを持とうで。」
「頼んます、はい、どうぞお前様めえさま持たっせえて、ついでにその法衣ころも着さっせえ姿から、光明赫燿かくやくと願えてえだ。」
 僧は燭を取って一足出たが、
「お爺さん、」
 と呼んだのが、驚破すわや事ありげに聞えたので、手んぼうならぬ手を引込ひっこめ、不具かたわの方と同一おなじ処で、てのひらをあけながら、据腰すえごしで顔を見上げる、と皺面しわづらばかりが燭の影に真赤まっかになった。――この赤親仁と、青坊主が、廊下はずれに物言うさまは、鬼がささやくに異ならず。
「ええ、」
「どこか呻吟うめくような声がするよ。」
「芸もねえ、おどかしてどうさっせる。」
「聞きなさい、それ……」
「う、う、う、」
 といやな声。
「爺さん、お前が呻吟くのかい。」
「いんね、」
 と変な顔色で、鼻をしかめ、
「ふん、難産の呻吟声うめきごえだ。はあ、御新姐ごしんぞうならしっけえ、姑獲鳥うぶめになって鳴くだあよ。もの、奥の小座敷の方で聞えべいがね。」
「奥も小座敷も私は知らんが、障子の方ではないようだ、便所かな、」
「ひええ、今、お前様がらっしたばかりでねえかね、」
「されば、」
 と斜めに聞澄まして、
「おお、庭だ、庭だ、雨戸の外だ。」
「はあ、」
 と宰八も、聞定めて、ほっと息して、
「まず構外かめえそとだ、この雨戸がハイ鉄壁だぞ。」と、ぐいとおさえてまた蹈張ふんばり、
「野郎、へえってみやがれ、野郎、活仏いきぼとけさまが附いてござるだ。」
「仏ではなお打棄うっちゃってはかれない、人の声じゃ、お爺さん、明けて見よう、誰かくるしんでいるようだよ。」
「これ、静かにさっせえ、だ、術だてね。ものその術で、背負引しょびき出して、お前様天窓あたまから塩よ。わしは手足い引捩ひんもいで、月夜蟹でがねえ、とろうとするだ。ほってもない、開けさっしゃるな。早く座敷へ行きますべい。」
「あれ、聞きなさい、助けてくれ……と云うではないか。」
「へ、はやいもんだ。人の気を引きくさる、坊様と知って慈悲で釣るだね、開けまいぞ。」
 と云う時……判然はっきり聞えたが、しわがれた声であった。
「助けてくれ……」
「…………」
「…………」
「宰八よう、」――
 と、むぐらがくれに虫の声。
 てんぼうがにふるえ上って、
「ひゃあ、苦虫が呼ぶ。」
「何、虫が呼ぶ?」
「ええ、仁右衛門にえむの声だ。南無阿弥陀仏なんまいだ、ソ、ソレ見さっせえ。宵に門前もんまえから遁帰にげかえった親仁めが、今時分何しにここへ来るもんだ。見ろ、畜生、さ、さすが畜生の浅間しさに、そこまでは心着かねえ。へい、人間様だぞ。おのれ、荒神様がついてござる、猿智慧さるぢえだね、打棄うっちゃっておかっせえまし。」
 と雨戸を離れて、肩を一つゆすってこうとする。広縁のはずれと覚しき彼方かなたへ、板敷を離るること二尺ばかり、消え残った燈籠とうろうのような白紙しらかみがふらりと出て、真四角まっしかくに、ともしび歩行あるき出した。
「はッあ、」
 と退すさって、僧にせな摺寄すりよせながら、
「経文を唱えて下せえ、入って来たわ、南無なんまいだ、なんまいだ。」
 僧も爪立つまだって、浮腰うきごしに透かして見たが、
行燈あんどうだよ、余り手間が取れるから、座敷から葉越さんが見においでだ。さあ、三人となると私も大きに心強い――ここはくかい。」
「ええ、これ、開けてはなんねえちゅうに、」
「だって、あれ、あれ、助けてくれ、と云うものを。鬼神に横道なし、と云う、なさけ抵抗てむかやいばはないはず、」
 くるるをかたかた、ぐっと、さるを上げて、ずずん、かたりと開ける、袖を絞っておおい果さず、あかりさっと夜風に消えた。が、吉野紙を蔽えるごとき、薄曇りの月の影を、くまある暗きむぐらの中、底を分け出でて、打傾いて、その光を宿している、目の前の飛石の上を、つに這廻はいまわるは、そもいかなるものぞ。

       三十六

 声を聞いたより形を見れば、なお確実たしかに、飛石を這ってうめいていたのは、苦虫の仁右衛門であった。
 月明つきあかりに、まさしくそれと認めが着くと、同一おなじうたがいうちにもいくらか与易くみしやすく思った処へ、明が行燈あんどうを提げて来たので、ますます力づいた宰八は、二人の指図に、思切って庭へ出たが、もうそれまでにぎ着ければ、露に濡れる分はいとわぬ親仁。
 さやさやとむぐらを分けて、おじいどうした、と摺寄すりよると、ああ、宰八か助けてくれ。この手を引張ひっぱって、と拝むがごとく指出した。左のかいなを、ぐい、とつかんで、けものにしては毛が少ねえ、おおおお正真しょうじん正銘の仁右衛門だ、よく化けた、とまだそんな事を云いながら、肩にかけて引立ひったてると、飛石から離れるのが泥田どろだを踏むような足取りで、せいせい呼吸いきを切って、しがみつくので、咽喉のどがしまる、とつぶやきながら、宰八もはやらちを明けたさに、委細構わずずるずる引摺ひきずって縁側に来る間に、明はもう一枚、雨戸を開けて待構えて、気分はどう?まあ、こちらへ、と手伝って引入れた、仁右衛門の右の手は、竹槍たけやりを握っていたのである。
 これは、と驚くと、仔細しさいござります。水を一口、と云う舌もこわばり、唇は土気色。手首も冷たく只戦ひたわななきに戦くので、ともかく座敷へ連れよう……何しろ危いから、こういうものはと、竹槍は明が預る。
 ひっそいだ切尖きっさきするどいのが、法衣ころもの袖をかすったから、背後うしろに立った僧は慌てて身を開いて、行燈は手前が、とこれが先へ立つ。
 さあおぶされ、と蟹の甲を押向けると、いや、それには及ばぬ、と云った仁右衛門が、僧のすそくわえたていに、膝でって縁側へ這上はいあがった。
 あとへ、竹槍の青光りに艶のあるのを、柄長に取って、明が続く。
 背後うしろで雨戸を閉めかけて、おじい、腰が抜けたか、弱い男だ、とどうやら風向かざむきさそうなので、宰八があざけると、うんにゃ足の裏が血だらけじゃ、歩行あるくあとがつく、と這いながら云ったので――イヤその音のおびただしさ。がらりと閉め棄てに、明のせな飛縋とびすがった。――真先まっさきへ行燈が、坊さまの裾[#「裾」は底本では「据」]あたり宙を歩行あるいて、血だらけだ、と云う苦虫が馬の這身はいみ、竹槍がしりえおさえて、暗がりを蟹が通る。……広縁をこのていは、さてさて尋常事ただごとではない。
 やがて座敷で介抱して、ようよう正気づくと、仁右衛門は四辺あたり※(「目+句」、第4水準2-81-91)みまわし、あまたたび口籠くちごもりながら、相済みましねえ、お客様、御出家、宰八此方こなたにはなおの事、四十年来の知己ちかづきが、余り気心を知らんようで、面目もない次第じゃ。
 御主人鶴谷様のこの別宅、近頃の怪しさ不思議さ。余りの事に、これはひと分別ある処と、三日二夜ふたよる、口も利かずにまじまじと勘考した。はてたくんだり!てっきりこいつ大詐欺おおかたりに極まった。汝等うぬらはかって、見事に妖物邸ばけものやしきにしおおせる。棄て置けば狐狸こり棲処すみか、さもないまでも乞食の宿、焚火たきびの火沙汰ざたも不用心、給金出しても人は住まず、持余しものになるのを見済まし、立腐れの柱を根こぎに、瓦屋根を踏倒して、股倉またぐら掻込かいこむ算段、図星図星。しゃ!明神様の託宣おつげ――と眼玉まなこだまにらんで見れば、どうやら近頃から逗留とうりゅうした渡りものの書生坊しょせっぽう、悪く優しげな顔色つらつきも、絵草子で見た自来也じらいやだぞ、盗賊の張本ござんなれ。晩方せた旅僧めも、その同類、茶店のばばも怪しいわ。手引した宰八も抱込まれたに相違ない。道理こそ化物沙汰に輪をかける。待て待て狂人きちがいの真似何でもない事、嘉吉も一升飲まされた――巫山戯ふざけ奴等やつら、どこだと思う。秋谷村には甘え柿と、苦虫あるを知んねえか、とわざと臆病に見せかけて、宵にげたは真田幸村さなだゆきむら、やがてもり返して盗賊どろぼうの巣を乗取のっと了簡りょうけん
 いつものように黄昏たそがれの軒をうろつく、嘉吉引捉ひっとらえ、しかと親元へ預け置いたは、屋根から天蚕糸てぐすはりをかけて、行燈を釣らせぬ分別。
 かねて謀計はかりごと喋合しめしあわせた、同じく晩方げる、と見せた、学校の訓導と、その筋の諜者ちょうじゃを勤むる、狐店きつねみせの親方を誘うて、この三人、十分に支度をした。
 二人は表門へ立向い、仁右衛門はただ一人、怪しきものは突殺そう。狸に化けた人間を打殺ぶちころすに仔細はない、と竹槍をひっそばめて、木戸口から庭づたいに、月あかりを辿たどり辿り、雨戸をあてに近づいて、何か、手品の種がありはせぬか、と透かして屋根の周囲まわりをぐるりと見ると。……

       三十七

 烏が一羽歴然ありありと屋根に見えた。ああ、あの下あたりで、産婦が二人――定命とは思われぬ無残な死にようをしたと思うと、屋根の上に、姿が何やら。
 この姿は、むぐらを分けて忍び寄ったはじめから、目前めさき朦朧もうろうと映ったのであったが、立って丈長き葉に添うようでもあり、寝て根をくぐるようでもあるし、浮き上って葉尖はさきを渡るようでもあった。で、大方仁右衛門自分の身体からだと、竹槍との組合せで、月明つきあかりには、そんな影が出来たのだろう、と怪しまなかったが、その姿が、ふと屋根の上に移ったので。
 ト見ると、肩のあたりの、すらすらとやさしいのが、いかに月に描き直されたればとて、くわを担いだ骨組にしては余りにしおらしい、と心着くと柳の腰。
 その細腰を此方こなたへ、背をななめにしたすそが、はぎのあたりへかわらを敷いて、細くしなやかに掻込かいこんで、蹴出けだしたような褄先つまさきが、中空なれば遮るものなく、便たよりなさそうに、しかしかろく、軒の蜘蛛くもの大きなのに、はらりと乗って、水車みずぐるまに霧がかかった風情に見える。背筋のなびく、頸許えりもとのほの白さは、月に預けて際立たぬ。その月影はおぼろながら、濃い黒髪は緑をつかねて、森の影が雲かと落ちて、そのおもかげをうらから包んだ、向うむきの、やや中空を仰いださまで、二の腕の腹を此方こなたへ、雪のごとく白く見せて、しずかびんの毛をでていた。
 白魚しらおの指のさきの、ちらちらと髪をくぐって動いたのも、思えば見えよう道理はないのに、てっきり耳が動いたようで。
 驚破すわけだものか、人間か。いずれこの邸を踏倒そう屋根住居ずまいしてござる。おのれ、見ろ、と一足退すさって竹槍を引扱ひきしごき、鳥を差いた覚えのこつで、スーッ!突出つきだした得物のさきが、右の袖下をくぐるや否や、踏占めた足の裏で、ぐ、ぐ、ぐ、と声を出したものがある。
 つちが急に柔かく、ほんのりと暖かに、ふっくりと綿を踏んで、下へ沈みそうな心持。他愛たわいなく膝節の崩れるのに驚いて、足を見る、と白粉おしろいの花の上。

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