やっと一人、これは、県の学校の校長さんの処へ縁づいているという。まず可し、と早速訪ねて参りましたが、町はずれの侍町、小流があって板塀続きの、邸ごとに、むかし植えた紅梅が沢山あります。まだその古樹がちらほら残って、真盛りの、朧月夜の事でした。
今貴僧がここへいらっしゃる玄関前で、紫雲英の草を潜る兎を見たとおっしゃいました、」
「いや、肝心のお話の中へ、お交ぜ下すっては困ります。そうは見えましたものの、まさかかような処へ。あるいはその……猫であったかも知れません。」
「背後が直ぐ山ですから、ちょいちょい見えますそうです、兎でしょう。
が、似た事のありますものです――その時は小狗でした。鈴がついておりましたっけ。白垢の真白なのが、ころころと仰向けに手をじゃれながら足許を転がって行きます。夢のようにそのあとへついて、やがて門札を見ると指した家で。
まさか奥様に、とも言えませんから、主人に逢って、――意中を話しますと――
(夜中何事です。人を馬鹿にした。奥は病気だからお目には懸れません。)
と云って厭な顔をしました。夫人が評判の美人だけに、校長さんは大した嫉妬深いという事で。」
三十
「叔母がつくづく意見をしました。(はじめから彼家へ行くと聞いたら遣るのじゃなかった――黙っておいでだから何にも知らずに悪い事をしたよ。さきじゃ幼馴染だと思います、手毬唄を聞くなぞ、となおよくない、そんな事が世間へ通るかい、)とこうです。
母親の友達を尋ねるに、色気の嫌疑はおかしい、と聞いて見ると、何、女の児はませています、それに紅い手絡で、美しい髪なぞ結って、容づくっているから可い姉さんだ、と幼心に思ったのが、二つ違い、一つ上、亡くなったのが二つ上で、その奥さんは一ツ上のだそうで、行方の知れないのは、分らないそうでした。
事が面倒になりましてね、その夫人の親里から、叔母の家へ使が来て、娘御は何も唄なんか御存じないそうで、ええ、世間体がございますから以来は、と苦り切って帰りました。
勿論病気でも何でもなかったそうです。
一月ばかり経って、細かに、いろいろと手毬唄、子守唄、童唄なんぞ、百幾つというもの、綺麗に美しく、細々とかいた、文が来ました。
しまいへ、紅で、
――嫁入りの果敢なさを唄いしが唄の中にも沢山におわしまし候――
と、だけ記してありました。……
唯今も大切にして持ってはいますが、勿論、その中に、私の望みの、母の声のはありません。
さあ、もう一人……行方の知れない方ですが……
またこれが貴僧、家を越したとか、遠国へ行ったとかいうのなら、いくらか手懸りもあるし、何の不思議もないのですが、俗に申します、神がくしに逢ったんで、叔母はじめ固くそう信じております。
名は菖蒲と言いました。
一体その娘の家は、母娘二人、どっちの乳母か、媼さんが一人、と母子だけのしもた屋で、しかし立派な住居でした。その母親というのは、私は小児心に、ただ歯を染めていたのと、鼻筋の通った、こう面長な、そして帯の結目を長く、下襲か、蹴出しか、褄をぞろりと着崩して、日の暮方には、時々薄暗い門に立って、町から見えます、山の方を視めては悄然彳んでいたのだけ幽に覚えているんですが、人の妾だとも云うし、本妻だとも云う、どこかの藩候の落胤だとも云って、ちっとも素性が分りません。
娘は、別に異ったこともありませんが、容色は三人の中で一番佳かった――そう思うと、今でも目前に見えますが。
その娘です、余所へは遊びに来ましたけれど、誰も友達を、自分の内へ連れて行った事はありませんでした。
寄合って、遊事を。これからおもしろくなろうという時、不意に母さんがお呼びだ、とその媼さんが出て来て引張って帰ることが度々で、急に居なくなる、跡の寂しさと云ったらありません。――先の内は、自分でもいやいや引立てられるようにして帰り帰りしたものですが、一ツは人の許へ自分は来て、我が家へ誰も呼ばない、という遠慮か、妙な時ふと立っちゃ、独で帰ってしまうことがいくらもあったんです。
ですから何だかその娘ばかりは、思うように遊べない、勝手に誘われない、自由にはならない処から、遠いが花の香とか云います。余計に私なんざ懐くって、(菖ちゃんお遊びな)が言えないから、合図の石をかちかち叩いては、その家の前を通ったもんでした。
それが一晩、真夜中に、十畳の座敷を閉め切ったままで、どこかへ姿をかくしたそうで。
丑年の事だから、と私が唄を聞きたさに、尋ねた時分……今から何年前だろう、と叔母が指を折りましたっけ……多年になりますが。」
三十一
「故郷では、未婚の女が、丑年の丑の日に、衣を清め、身を清め……」
唾をのんで聞いた客僧が、
「成程、」
と腕組みして、
「精進潔斎。」
「そんな大した、」
と言消したが、また打頷き
「どうせ娘の子のする事です。そうまでも行きますまいが、髪を洗って、湯に入って、そしてその洗髪を櫛巻きに結んで、笄なしに、紅ばかり薄くつけるのだそうです。
それから、十畳敷を閉込んで、床の間をうしろに、どこか、壁へ向いて、そこへ婦の魂を据える、鏡です。
丑童子、斑の御神、と、一心に念じて、傍目も触らないで、瞻めていると、その丑の年丑の月丑の日の……丑時になると、その鏡に、……前世から定まった縁の人の姿が見える、という伝説があります。
娘は、誰も勝手を知らない、その家で、その丑待を独でして、何かに誘われてふらふらと出たんですって。……それっきりになっているんですもの。
手のつけようがありますまい。
いよいよとなると、なお聞きたい、それさえ聞いたら、亡くなった母親の顔も見えよう、とあせり出して、山寺にありました、母の墓を揺ぶって、記の松に耳をあてて聞きました、松風の声ばかり。
その山寺の森をくぐって、里に落ちます清水の、麓に玉散る石を噛んで、この歯音せよ、この舌歌へ、と念じても、戦くばかりで声が出ない。
うわの空で居たせいか、一日、山路で怪我をして、足を挫いて寝ることになりました。ざっとこれがために、半月悩んで、ようよう杖を突いて散歩が出来るようになりますと、籠を出た鳥のように、町を、山の方へ、ひょいひょいと杖で飛んで、いや不恰好な蛙です――両側は家続きで、ちょうど大崩壊の、あの街道を見るように、なぞえに前途へ高くなる――突当りが撞木形になって、そこがまた通街なんです。私が貴僧、自分の町をやがてその九分ぐらいな処まで参った時に、向うの縦通りを、向って左の方から来て、こちらへ曲りそうにしたが、白地の浴衣を着てそこに立った私の姿を見ると、フト立停った美人があります。
扮装なぞは気がつかず、洋傘は持っていたようでしたっけ、それを翳していたか、畳んだのを支いていたか、判然しないが、ああ似たような、と思ったのは、その行方が分らんという一人。
トむこうでも莞爾しました……
そこへ笠を深くかぶった、草鞋穿きの、猟人体の大漢が、鉄砲の銃先へ浅葱の小旗を結えつけたのを肩にして、鉄の鎖をずらりと曳いたのに、大熊を一頭、のさのさと曳いて出ました。
山を上に見て、正的に町と町が附ついた三辻の、その附根の処を、横に切って、左角の土蔵の前から、右の角が、菓子屋の、その葦簀の張出まで、わずか二間ばかりの間を通ったんですから、のさりと行くのも、ほんのしばらく。
熊の背が、彳んだ婦人の乳のあたりへ、黒雲のようにかかると、それにつれて、一所に横向きになって歩行き出しました。あとへぞろぞろ大勢小児が……国では珍らしい獣だからでしょう。
右の方へかくれたから、角へ出て見ようと、急足に出よう、とすると、馴れない跛ですから、腕へ台についた杖を忘れて、躓いて、のめったので、生爪をはがしたのです。
しばらく立てませんでした。
かれこれして、出て見ると、もうどこへ行ったか影も形もない。
その後、旅行をして諸国を歩行くのに、越前の木の芽峠の麓で見かけた、炭を背負った女だの、碓氷を越す時汽車の窓からちらりと見ました、隧道を出て、衝と隧道を入る間の茶店に、うしろ向きの女だの、都では矢のように行過ぎる馬車の中などに、それか、と思うのは幾たびも見かけたんですが……その熊の時のほど、印象のよく明瞭に今まで残ってるのは無いのです。
内へ帰って、
(美しき君の姿は、
熊に取られた。
町の角で、町の角で――
跛ひきひき追えど及ばぬ。)
もしや手毬唄の中に、こういうのは無かったでしょうか、と叔母にその話をすると、真日中にそんなものを視て、そんなことを云う貴下は、身体が弱いのです。当分外へは出てはなりません、と外出禁制。
以前は、その形で、正真正銘の熊の胆、と海を渡って売りに来たものがあるそうだけれど、今時はついぞ見懸けぬ、と後での話。……」
三十二
「日が経ってから、叔母が私の枕許で、さまでに思詰めたものなら、保養かたがた、思う処へ旅行して、その唄を誰かに聞け。
(妹の声は私も聞きたい。)
と、手函の金子を授けました。今もって叔母が貢いでくれるんです。
国を出て、足かけ五年!
津々浦々、都、村、里、どこを聞いても、あこがれる唄はない。似たのはあっても、その後か、その前か、中途か、あるいはその空間か、どこかに望みの声がありそうだな……と思うばかり。また小児たちも、手毬が下手になったので、終まで突き得ないから、自然長いのは半分ほどで消えています。
とても尋常ではいかん、と思って、もうただ、その一人行方の知れない、稚ともだちばかり、矢も楯も堪らず逢いたくなって来たんですが、魔にとられたと言うんですもの。高峰へかかる雲を見ては、蔦をたよりに縋りたし、湖を渡る霧を見ては、落葉に乗っても、追いつきたい。巌穴の底も極めたければ、滝の裏も覗きたし、何か前世の因縁で、めぐり逢う事もあろうか、と奥山の庚申塚に一人立って、二十六夜の月の出を待った事さえあるんです。
トこの間――名も嬉しい常夏の咲いた霞川と云う秋谷の小川で、綺麗な手毬を拾いました。
宰八に聞いた、あの、嘉吉とか云う男に、緑色の珠を与えて、月明の村雨の中を山路へかかって、
(ここはどこの細道じゃ、
細道じゃ。
天神様の細道じゃ、
細道じゃ。)
と童謡を口吟んで通ったと云うだけで、早やその声が聞こえるようで、」
僧は魅入られたごとくに見えたが、溜息を吻と吐き、
「まずおめでたい、ではその唄が知れましたか。」
「どうして唄は知れませんが、声だけは、どうやらその人……いいえ、……そのものであるらしい。この手毬を弄ぶのは、確にその婦人であろう。その婦人は何となく、この空邸に姿が見えるように思われます。……むしろ私はそう信じています。
爺さんに強請って、ここを一室借りましたが、借りた日にはもう其の手毬を取返され――私は取返されたと思うんですね――美しく気高い、その婦人の心では、私のようなものに拾わせるのではなかったでしょう。
あるいはこれを、小川の裾の秋谷明神へ届けるのであったかも分らない。そうすると、名所だ、と云う、浦の、あの、子産石をこぼれる石は、以来手毬の糸が染まって、五彩燦爛として迸る。この色が、紫に、緑に、紺青に、藍碧に波を射て、太平洋へ月夜の虹を敷いたのであろうも計られません、」
とまた恍惚となったが、頸を垂れて、
「その祟、その罪です。このすべての怪異は。――自分の慾のために、自分の恋のために、途中でその手毬を拾った罰だろう、と思う、思うんです。
祟らば祟れ!飽くまでも初一念を貫いて、その唄を聞かねば置かない。
心の迷か知れませんが。目のあたり見ます、怪しさも、凄さも、もしや、それが望みの唄を、何人かが暗示するのであろうも知れん、と思って、こうその口ずさんで見るんです――行燈が宙へ浮きましょう。
(美しき君の姿は、
萌黄の蚊帳を、
蚊帳のまわりを、姿はなしに、
通る行燈の俤や。)……
勿論、こんなのではありません。または、
(美しき君の庵は、[#底本では冒頭に「(」なし]
前の畑に影さして、
棟の草も露に濡れつつ、
月の桂が茅屋にかかる。)……
ちっとも似てはおらんのです。屋根で鵝鳥が鳴く時は、波に攫われるのであろうと思い、板戸に馬の影がさせば、修羅道に堕ちるか、と驚きながらも、
(屋根で鵝鳥の鳴き叫ぶ、
板戸に駒の影がさす。)
と、現にも、絶えず耳に聞きますけれど、それだと心は頷きません。
いかなる事も堪忍んで、どうぞその唄を聞きたい、とこうして参籠をしているんですが、祟ならばよし罪は厭わん、」
と激しく言いつつ、心づいて、悄然として僧を見た。
「ただその、手毬を取返したのは、唄は教えない、という宣告じゃあなかろうか、とそう思うと情ない。
ああ、お話が八岐になって、手毬は……そうです。天井から猫が落ちます以前、私が縁側へ一人で坐っています処へ、あの白粉の花の蔭から、芋※[#「くさかんむり/更」、221-3]の葉を顔に当てた小児が三人、ちょろちょろと出て来て、不思議そうに私を見ながら、犬ころがなつくように傍へ寄ると、縁側から覗込んで、手毬を見つけて、三人でうなずき合って、
(それをおくれ。)と言います。
(お前たちのか。)
と聞くと、頭を掉るから、
(じゃ、小父さんのだ。)と言うと、男が毬を、という調子に、
(わはは)と笑って、それなりに、ちらちらとどこかへ取って行ったんでした。」――
三十三
「何、私がうわさしていさっせえた処だって……はあ、お前様二人でかね。」
どッこいしょ、と立ったまま、広縁が高いから、背負って来た風呂敷包は、腰ぎりにちょうど乗る。
「だら、可いけんども、」
と結目を解下ろして、
「天井裏でうわさべいされちゃ堪んねえだ。」
と声を密めたが、宰八は直ぐ高調子、
「いんね、私一人じゃござりましねえ。喜十郎様が許の仁右衛門の苦虫と、学校の先生ちゅが、同士にはい、門前まで来っけえがの。
あの、樹の下の、暗え中へ頭突込んだと思わっせえまし、お前様、苦虫の親仁が年効もねえ、新造子が抱着かれたように、キャアと云うだ。」
「どうしたんです。」
「何かまた、」
と、僧も夜具包の上から伸上って顔を出した。
宰八紅顱巻をかなぐって、
「こりゃ、はい、御坊様御免なせえまし。御本家からも宜しくでござりやす。いずれ喜十郎様お目に懸りますだが、まず緩りと休まっしゃりましとよ。
私こういうぞんざいもんだで、お辞儀の仕様もねえ。婆様がよッくハイ御挨拶しろと云うてね、お前様旨がらしっけえ、団子をことづけて寄越しやした。茶受にさっしゃりやし。あとで私が蚊いぶしを才覚しながら、ぶつぶつ渋茶を煮立てますべい。
それよりか、お前様、腹アすかっしゃったろうと思うで、御本家からまた重詰めにして寄越さしった、そいつをぶら下げながら苦虫が、右のお前様、キャアでけつかる。
門外の草原を、まるで川の瀬さ渡るように、三人がふらふらよちよち、モノ小半時かかったが、芸もねえ、えら遅くなって済まんしねえ。」
「何とも御苦労、」
と僧は慇懃に頭をさげる。
「その人たちは、どうしたのかね。」
と明が尋ねた。
「はい、それさ、そのキャアだから、お前様、どうした仁右衛門と、云うと、苦虫が、面さ渋くして、(ああ、厭なものを見た。おらが鼻の尖を、ひいらひいら、あの生白けた芋の葉の長面が、ニタニタ笑えながら横に飛んだ。精霊棚の瓢箪が、ひとりでにぽたりと落ちても、御先祖の戒とは思わねえで、酒も留めねえ己だけんど、それにゃ蔓が枯れたちゅう道理がある。風もねえに芋の葉が宙を歩行くわけはねえ。ああ、厭だ、総毛立つ、内へ帰って夜具を被って、ずッしり汗でも取らねえでは、煩いそうに頭も重い。)
と縮むだね。
例の小児が駆出したろう、とそう言うと、なお悪い。あの声を聞くと堪らねえ。あれ、あれ、石を鳴らすのが、谷戸に響く。時刻も七ツじゃ、と蒼くなって、風呂敷包打置いて、ひょろひょろ帰るだ。
先生様、ではお前様、その重箱を提げてくれさっせえ、と私が頼むとね。
(厭だ、)と云っけい。
(はてね、なぜでがす。)
ここさ、お客様の前だけんど、気にかけて下せえますなよ。
(軍歌でもやるならまだの事、子守や手毬唄なんかひねくる様な奴の、弁当持って堪るものか。)
と吐くでねえか。
奴は朋友に聞いた、と云うだが、いずれ怪物退治に来た連中からだんべい。
お客様何でがすか、お前様、子守唄拵えさっしゃるかね。袋戸棚の障子へ、書いたもの貼っとかっしゃるのは、もの、それかね。」
明は恥じたる色があった。
「こしらえるのじゃない、聞いたのを書き留めて置くんです。数があって忘れるから、」
「はあ、私はまた、こんな恐怖え処に落着いていさっしゃるお前様だ。
怨敵退散の貼御符かと思ったが。
何か、ハイ、わけは分ンねえがね、悪く言ったのがグッと癪に障ったで、
(なら可うがす、客人のものは持ってもれえますめえ、が、お前様、学校の先生様だ。可し、私あハイ、何も教えちゃもらわねえだで、師匠じゃねえ、同士に歩行くだら朋達だっぺい。蟹の宰八が手ンぼうの助力さっせえ。)
と極めつけたさ。
帽子の下で目を据えたよ。
(貴様のような友達は持たん、失敬な。)と云って引返したわ。何か託け、根は臆病で遁げただよ。見さっせえ、韋駄天のように木の下を駆出し、川べりの遠くへ行く仁右衛門親仁を、
(おおい、おおい、)
と茶番の定九郎を極めやあがる。」
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