泉鏡花集成5 |
ちくま文庫、筑摩書房 |
1996(平成8)年2月22日 |
1996(平成8)年2月22日第1刷 |
1996(平成8)年2月22日第1刷 |
鏡花全集 第十一卷 |
岩波書店 |
1941(昭和16)年8月15日 |
向うの小沢に蛇が立って、
八幡長者の、おと娘、
よくも立ったり、巧んだり。
手には二本の珠を持ち、
足には黄金の靴を穿き、
ああよべ、こうよべと云いながら、
山くれ野くれ行ったれば…………
一
三浦の大崩壊を、魔所だと云う。
葉山一帯の海岸を屏風で劃った、桜山の裾が、見も馴れぬ獣のごとく、洋へ躍込んだ、一方は長者園の浜で、逗子から森戸、葉山をかけて、夏向き海水浴の時分、人死のあるのは、この辺ではここが多い。
一夏激い暑さに、雲の峰も焼いた霰のように小さく焦げて、ぱちぱちと音がして、火の粉になって覆れそうな日盛に、これから湧いて出て人間になろうと思われる裸体の男女が、入交りに波に浮んでいると、赫とただ金銀銅鉄、真白に溶けた霄の、どこに亀裂が入ったか、破鐘のようなる声して、
「泳ぐもの、帰れ。」と叫んだ。
この呪詛のために、浮べる輩はぶくりと沈んで、四辺は白泡となったと聞く。
また十七ばかり少年の、肋膜炎を病んだ挙句が、保養にとて来ていたが、可恐く身体を気にして、自分で病理学まで研究して、0,[#「,」は天地左右中央]などと調合する、朝夕検温気で度を料る、三度の食事も度量衡で食べるのが、秋の暮方、誰も居ない浪打際を、生白い痩脛の高端折、跣足でちょびちょび横歩行きで、日課のごとき運動をしながら、つくづく不平らしく、海に向って、高慢な舌打して、
「ああ、退屈だ。」
と呟くと、頭上の崖の胴中から、異声を放って、
「親孝行でもしろ――」と喚いた。
ために、その少年は太く煩い附いたと云う。
そんなこんなで、そこが魔所だの風説は、近頃一層甚しくなって、知らずに大崩壊へ上るのを、土地の者が見着けると、百姓は鍬を杖支き、船頭は舳に立って、下りろ、危い、と声を懸ける。
実際魔所でなくとも、大崩壊の絶頂は薬研を俯向けに伏せたようで、跨ぐと鐙の無いばかり。馬の背に立つ巌、狭く鋭く、踵から、爪先から、ずかり中窪に削った断崖の、見下ろす麓の白浪に、揺落さるる思がある。
さて一方は長者園の渚へは、浦の波が、静に展いて、忙しくしかも長閑に、鶏の羽たたく音がするのに、ただ切立ての巌一枚、一方は太平洋の大濤が、牛の吼ゆるがごとき声して、緩かにしかも凄じく、うう、おお、と呻って、三崎街道の外浜に大畝りを打つのである。
右から左へ、わずかに瞳を動かすさえ、杜若咲く八ツ橋と、月の武蔵野ほどに趣が激変して、浦には白帆の鴎が舞い、沖を黒煙の竜が奔る。
これだけでも眩くばかりなるに、蹈む足許は、岩のその剣の刃を渡るよう。取縋る松の枝の、海を分けて、種々の波の調べの懸るのも、人が縋れば根が揺れて、攀上った喘ぎも留まぬに、汗を冷うする風が絶えぬ。
さればとて、これがためにその景勝を傷けてはならぬ。大崩壊の巌の膚は、春は紫に、夏は緑、秋紅に、冬は黄に、藤を編み、蔦を絡い、鼓子花も咲き、竜胆も咲き、尾花が靡けば月も射す。いで、紺青の波を蹈んで、水天の間に糸のごとき大島山に飛ばんず姿。巨匠が鑿を施した、青銅の獅子の俤あり。その美しき花の衣は、彼が威霊を称えたる牡丹花の飾に似て、根に寄る潮の玉を砕くは、日に黄金、月に白銀、あるいは怒り、あるいは殺す、鋭き大自在の爪かと見ゆる。
二
修業中の小次郎法師が、諸国一見の途次、相州三崎まわりをして、秋谷の海岸を通った時の事である。
件の大崩壊の海に突出でた、獅子王の腹を、太平洋の方から一町ばかり前途に見渡す、街道端の――直ぐ崖の下へ白浪が打寄せる――江の島と富士とを、簾に透かして描いたような、ちょっとした葭簀張の茶店に休むと、媼が口の長い鉄葉の湯沸から、渋茶を注いで、人皇何代の御時かの箱根細工の木地盆に、装溢れるばかりなのを差出した。
床几の在処も狭いから、今注いだので、引傾いた、湯沸の口を吹出す湯気は、むらむらと、法師の胸に靡いたが、それさえ颯と涼しい風で、冷い霧のかかるような、法衣の袖は葭簀を擦って、外の小松へ飜る。
爽な心持に、道中の里程を書いた、名古屋扇も開くに及ばず、畳んだなり、肩をはずした振分けの小さな荷物の、白木綿の繋ぎめを、押遣って、
「千両、」とがぶりと呑み、
「ああ、旨い、これは結構。」と莞爾して、
「おいしいついでに、何と、それも甘そうだね、二ツ三ツ取って下さい。」
「はいはい、この団子でござりますか。これは貴方、田舎出来で、沢山甘くはござりませぬが、そのかわり、皮も餡子も、小米と小豆の生一本でござります。」
と小さな丸髷を、ほくほくもの、折敷の上へ小綺麗に取ってくれる。
扇子だけ床几に置いて、渋茶茶碗を持ったまま、一ツ撮もうとした時であった。
「ヒイ、ヒイヒイ!」と唐突に奇声を放った、濁声の蜩一匹。
法師が入った口とは対向い、大崩壊の方の床几のはずれに、竹柱に留まって前刻から――胸をはだけた、手織縞の汚れた単衣に、弛んだ帯、煮染めたような手拭をわがねた首から、頸へかけて、耳を蔽うまで髪の伸びた、色の黒い、巌乗造りの、身の丈抜群なる和郎一人。目の光の晃々と冴えたに似ず、あんぐりと口を開けて、厚い下唇を垂れたのが、別に見るものもない茶店の世帯を、きょろきょろとしていたのがあって――お百姓に、船頭殿は稼ぎ時、土方人足も働き盛り、日脚の八ツさがりをその体は、いずれ界隈の怠惰ものと見たばかり。小次郎法師は、別に心にも留めなかったが、不意の笑声に一驚を吃して、和郎の顔と、折敷の団子を見較べた。
「串戯ではない、お婆さん、お前は見懸けに寄らぬ剽軽ものだね。」
「何でござりますえ。」
「いいえさ、この団子は、こりゃ泥か埴土で製えたのじゃないのかい。」
「滅相なことをおっしゃりまし。」
と年寄は真顔になり、見上げ皺を沢山寄せて、
「何を貴方、勿体もない。私もはい法然様拝みますものでござります。吝嗇坊の柿の種が、小判小粒になればと云うて、御出家に土の団子を差上げまして済むものでござりますかよ。」
真正直に言訳されて、小次郎法師はちと気の毒。
「何々、そう真に受けられては困ります。この涼しさに元気づいて、半分は冗戯だが、旅をすれば色々の事がある。駿州の阿部川餅は、そっくり正のものに木で拵えたのを、盆にのせて、看板に出してあると云います。今これを食べようとするのを見てその人が、」
と其方を見た、和郎はきょとんと仰向いて、烏も居らぬに何じゃやら、頻に空を仰いでござる。
「唐突に笑うから、ははあ、この団子も看板を取違えたのかと思ったんだよ。」
「ええ、ええ、いいえ、お前様、」
とこざっぱりした前かけの膝を拍き、近寄って声を密め、
「これは、もし気ちがいでござりますよ。はい、」
と云って、独りで媼は頷いた。問わせたまわば、その仔細の儀は承知の趣。
三
小次郎法師は、掛茶屋の庇から、天へ蝙蝠を吹出しそうに仰向いた、和郎の面を斜に見遣って、
「そう、気違いかい。私はまた唖ででもあろうかと思った、立派な若い人が気の毒な。」
「お前様ね、一ツは心柄でござりますよ。」
媼は、罪と報を、且つ悟り且つあきらめたようなものいい。
「何か憑物でもしたというのか、暮し向きの屈託とでもいう事か。」
と言い懸けて、渋茶にまた舌打しながら、円い茶の子を口の端へ持って行くと、さあらぬ方を見ていながら天眼通でもある事か、逸疾くぎろりと見附けて、
「やあ、石を噛りゃあがる。」
小次郎再び化転して、
「あんな事を云うよ、お婆さん。」
「悪い餓鬼じゃ。嘉吉や、主あ、もうあっちへ行かっしゃいよ。」
その本体はかえって差措き、砂地に這った、朦朧とした影に向って、窘めるように言った。
潮は光るが、空は折から薄曇りである。
法師もこれあるがために暗いような、和郎の影法師を伏目に見て、
「一ツ分けてやりましょうかね。団子が欲しいのかも知れん、それだと思いが可恐しい。ほんとうに石にでもなると大変。」
「食気の狂人ではござりませんに、御無用になさりまし。
石じゃ、と申しましたのは、これでもいくらか、不断の事を、覚えていると見えまして、私がいつでもお客様に差上げますのを知っておりまして、今のように云うたのでござりましょ。
また埴土の団子じゃ、とおっしゃってはなりません。このお前様。」
と、法師の脱いで立てかけた、檜笠を両手に据えて、荷物の上へ直すついでに、目で教えたる葭簀の外。
さっくと削った荒造の仁王尊が、引組む状の巌続き、海を踏んで突立つ間に、倒に生えかかった竹藪を一叢隔てて、同じ巌の六枚屏風、月には蒼き俤立とう――ちらほらと松も見えて、いろいろの浪を縅した、鎧の袖を※[#「さんずい+散」、125-12]に翳す。
「あれを貴下、お通りがかりに、御覧じはなさりませんか。」
と背向きになって小腰を屈め、姥は七輪の炭をがさがさと火箸で直すと、薬缶の尻が合点で、ちゃんと据わる。
「どの道貴下には御用はござりますまいなれど、大崩壊の突端と睨み合いに、出張っておりますあの巌を、」
と立直って指をさしたが、片手は据え腰を、えいさ、と抱きつつ、
「あれ、あれでござります。」
波が寄せて、あたかも風鈴が砕けた形に、ばらばらとその巌端に打かかる。
「あの、岩一枚、子産石と申しまして、小さなのは細螺、碁石ぐらい、頃あいの御供餅ほどのから、大きなのになりますと、一人では持切れませぬようなのまで、こっとり円い、ちっと、平扁味のあります石が、どこからとなくころころと産れますでございます。
その平扁味な処が、恰好よく乗りますから、二つかさねて、お持仏なり、神棚へなり、お祭りになりますと、子の無い方が、いや、もう、年子にお出来なさりますと、申しますので。
随分お望みなさる方が多うございますが、当節では、人がせせこましくなりました。お前様、蓆戸の圧えにも持って参れば、二人がかりで、沢庵石に荷って帰りますのさえござりますに因って、今が今と申して、早急には見当りませぬ。
随分と御遠方、わざわざ拾いにござらして、力を落す方がござりますので、こうやって近間に店を出しておりますから、朝晩汐時を見ては拾っておきまして、お客様には、お土産かたがた、毎度婆々が御愛嬌に進ぜるものでござりますから、つい人様が御存じで、葉山あたりから遊びにござります、書生さんなぞは、
(婆さん、子は要らんが、女親を一つ寄越せ。)
なんて、おからかいなされまする。
それを見い見い知っていて、この嘉吉の狂人が、いかな事、私があげましたものを召食ろうとするのを見て、石じゃ、と云うのでござりますよ。」
四
「それではお婆さん楽隠居だ。孫子がさぞ大勢あんなさろうね。」
と小次郎法師は、話を聞き聞き、子産石の方を覗きたれば、面白や浪の、云うことも上の空。
トお茶注しましょうと出しかけた、塗盆を膝に伏せて、ふと黙って、姥は寂しそうに傾いたが、
「何のお前様、この年になりますまで、孫子の影も見はしませぬ。爺殿と二人きりで、雨のさみしさ、行燈の薄寒さに、心細う、果敢ないにつけまして、小児衆を欲しがるお方の、お心を察しますで、のう、子産石も一つ一つ、信心して進じます。
長い月日の事でござりますから、里の人達は私等が事を、人に子だねを進ぜるで、二人が実を持たぬのじゃ、と云いますがの、今ではそれさえ本望で、せめてもの心ゆかしでござりますよ。」
とかごとがましい口ぶりだったが、柔和な顔に顰みも見えず、温順に莞爾して、
「御新造様がおありなさりますれば、御坊様にも一かさね、子産石を進ぜましょうに……」
「とんでもない。この団子でも石になれば、それで村方勧化でもしようけれど、あいにく三界に家なしです。
しかし今聞いたようでは、さぞお前さんがたは寂しかろうね。」
「はい、はい、いえ、御坊様の前で申しましては、お追従のようでござりますが、仏様は御方便、難有いことでござります。こうやって愛想気もない婆々が許でも、お休み下さりますお人たちに、お茶のお給仕をしておりますれば、何やかや賑やかで、世間話で、ついうかうかと日を暮しますでござります。
ああ、もしもし、」
と街道へ、
「休まっしゃりまし。」と呼びかけた。
車輪のごとき大さの、紅白段々の夏の蝶、河床は草にかくれて、清水のあとの土に輝く、山際に翼を廻すは、白の脚絆、草鞋穿、かすりの単衣のまくり手に、その看板の洋傘を、手拭持つ手に差翳した、三十ばかりの女房で。
あんぺら帽子を阿弥陀かぶり、縞の襯衣の大膚脱、赤い団扇を帯にさして、手甲、甲掛厳重に、荷をかついで続くは亭主。
店から呼んだ姥の声に、女房がちょっと会釈する時、束髪の鬢が戦いで、前を急ぐか、そのまま通る。
前帯をしゃんとした細腰を、廂にぶらさがるようにして、綻びた脇の下から、狂人の嘉吉は、きょろりと一目。
ふらふらと葭簀を離れて、早や六七間行過ぎた、女房のあとを、すたすたと跣足の砂路。
ほこりを黄色に、ばっと立てて、擦寄って、附着いたが、女房のその洋傘から伸かかって見越入道。
「イヒヒ、イヒヒヒ、」
「これ、悪戯をするでないよ。」
と姥が爪立って窘めたのと、笑声が、ほとんど一所に小次郎法師の耳に入った。
あたかもその時、亭主驚いたか高調子に、
「傘や洋傘の繕い!――洋傘張替繕い直し……」
蝉の鳴く音を貫いて、誰も通らぬ四辺に響いた。
隙さず、この不気味な和郎を、女房から押隔てて、荷を真中へ振込むと、流眄に一睨み、直ぐ、急足になるあとから、和郎は、のそのそ――大な影を引いて続く。
「御覧じまし、あの通り困ったものでござります。」
法師も言葉なく見送るうち、沖から来るか、途絶えては、ずしりと崖を打つ音が、松風と行違いに、向うの山に三度ばかり浪の調べを通わすほどに、紅白段々の洋傘は、小さく鞠のようになって、人の頭が入交ぜに、空へ突きながら行くかと見えて、一条道のそこまでは一軒の苫屋もない、彼方大崩壊の腰を、点々。
五
「あれ、あの大崩壊の崖の前途へ、皆が見えなくなりました。
ちょうど、あれを出ました、下の浜でござります。唯今の狂人が、酒に酔って打倒れておりましたのは……はい、あれは嘉吉と申しまして、私等秋谷在の、いけずな野郎でござりましての。
その飲んだくれます事、怠ける工合、まともな人間から見ますれば、真に正気の沙汰ではござりませなんだが、それでもどうやら人並に、正月はめでたがり、盆は忙しがりまして、別に気が触れた奴ではござりません。いつでも村の御祭礼のように、遊ぶが病気でござりましたが、この春頃に、何と発心をしましたか、自分が望みで、三浦三崎のさる酒問屋へ、奉公をしたでござります。
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