鏡花全集 巻二十七 |
岩波書店 |
1942(昭和17)年10月20日 |
1988(平成10)年11月2日第3刷 |
雨が、さつと降出した、停車場へ着いた時で――天象は卯の花くだしである。敢て字義に拘泥する次第ではないが、雨は其の花を亂したやうに、夕暮に白かつた。やゝ大粒に見えるのを、もし掌にうけたら、冷く、そして、ぼつと暖に消えたであらう。空は暗く、風も冷たかつたが、温泉の町の但馬の五月は、爽であつた。
俥は幌を深くしたが、雨を灌いで、鬱陶しくはない。兩側が高い屋並に成つたと思ふと、立迎ふる山の影が濃い緑を籠めて、輻とともに動いて行く。まだ暮果てず明いのに、濡れつゝ、ちらちらと灯れた電燈は、燕を魚のやうに流して、靜な谿川に添つた。流は細い。横に二つ三つ、續いて木造の橋が濡色に光つた、此が旅行案内で知つた圓山川に灌ぐのである。
此の景色の中を、しばらくして、門の柳を潛り、帳場の入らつしやい――を横に聞いて、深い中庭の青葉を潛つて、別にはなれに構へた奧玄關に俥が着いた。旅館の名の合羽屋もおもしろい。
へい、ようこそお越しで。挨拶とともに番頭がズイと掌で押出して、扨て默つて顏色を窺つた、盆の上には、湯札と、手拭が乘つて、上に請求書、むかし「かの」と云つたと聞くが如き形式のものが飜然とある。おや/\前勘か。否、然うでない。……特、一、二、三等の相場づけである。温泉の雨を掌に握つて、我がものにした豪儀な客も、ギヨツとして、此れは悄氣る……筈の處を……又然うでない。實は一昨年の出雲路の旅には、仔細あつて大阪朝日新聞學藝部の春山氏が大屋臺で後見について居た。此方も默つて、特等、とあるのをポンと指のさきで押すと、番頭が四五尺する/\と下つた。(百兩をほどけば人をしさらせる)古川柳に對して些と恥かしいが(特等といへば番頭座をしさり。)は如何? 串戲ぢやあない。が、事實である。
棟近き山の端かけて、一陣風が渡つて、まだ幽に影の殘つた裏櫺子の竹がさら/\と立騷ぎ、前庭の大樹の楓の濃い緑を壓へて雲が黒い。「風が出ました、もう霽りませう。」「これはありがたい、お禮を言ふよ。」「ほほほ。」ふつくり色白で、帶をきちんとした島田髷の女中は、白地の浴衣の世話をしながら笑つたが、何を祕さう、唯今の雲行に、雷鳴をともなひはしなからうかと、氣遣つた處だから、土地ツ子の天氣豫報の、風、晴、に感謝の意を表したのであつた。
すぐ女中の案内で、大く宿の名を記した番傘を、前後に揃へて庭下駄で外湯に行く。此の景勝愉樂の郷にして、内湯のないのを遺憾とす、と云ふ、贅澤なのもあるけれども、何、青天井、いや、滴る青葉の雫の中なる廊下續きだと思へば、渡つて通る橋にも、川にも、細々とからくりがなく洒張りして一層好い。本雨だ。第一、馴れた家の中を行くやうな、傘さした女中の斜な袖も、振事のやうで姿がいゝ。
――湯はきび/\と熱かつた。立つと首ツたけある。誰の?……知れた事拙者のである。處で、此のくらゐ熱い奴を、と顏をざぶ/\と冷水で洗ひながら腹の中で加減して、やがて、湯を出る、ともう雨は霽つた。持おもりのする番傘に、片手腕まくりがしたいほど、身のほてりに夜風の冷い快さは、横町の錢湯から我家へ歸る趣がある。但往交ふ人々は、皆名所繪の風情があつて、中には塒に立迷ふ旅商人の状も見えた。
並んだ膳は、土地の由緒と、奧行をもの語る。手を突張ると外れさうな棚から飛出した道具でない。藏から顯はれた器らしい。御馳走は――
鯛の味噌汁。人參、じやが、青豆、鳥の椀。鯛の差味。胡瓜と烏賊の酢のもの。鳥の蒸燒。松蕈と鯛の土瓶蒸。香のもの。青菜の鹽漬、菓子、苺。
所謂、貧僧のかさね齋で、ついでに翌朝の分を記して置く。
蜆、白味噌汁。大蛤、味醂蒸。並に茶碗蒸。蕗、椎茸つけあはせ、蒲鉾、鉢。淺草海苔。
大な蛤、十ウばかり。(註、ほんたうは三個)として、蜆も見事だ、碗も皿もうまい/\、と慌てて瀬戸ものを噛つたやうに、覺えがきに記してある。覺え方はいけ粗雜だが、料理はいづれも念入りで、分量も鷹揚で、聊もあたじけなくない處が嬉しい。
三味線太鼓は、よその二階三階の遠音に聞いて、私は、ひつそりと按摩と話した。此の按摩どのは、團栗の如く尖つた頭で、黒目金を掛けて、白の筒袖の上被で、革鞄を提げて、そくに立つて、「お療治。」と顯はれた。――勝手が違つて、私は一寸不平だつた。が、按摩は宜しう、と縁側を這つたのでない。此方から呼んだので、術者は來診の氣組だから苦情は言へぬが驚いた。忽ち、縣下豐岡川の治水工事、第一期六百萬圓也、と胸を反らしたから、一すくみに成つて、内々期待した狐狸どころの沙汰でない。あの、潟とも湖とも見えた……寧ろ寂然として沈んだ色は、大なる古沼か、千年百年ものいはぬ靜かな淵かと思はれた圓山川の川裾には――河童か、獺は?……などと聞かうものなら、はてね、然やうなものが鯨の餌にありますか、と遣りかねない勢で。一つ驚かされたのは、思ひのほか、魚が結構だ、と云つたのを嘲笑つて、つい津居山の漁場には、鯛も鱸もびち/\刎ねて居ると、掌を肩で刎ねた。よくせき土地が不漁と成れば、佐渡から新潟へ……と聞いた時は、枕返し、と云ふ妖怪に逢つたも同然、敷込んだ布團を取つて、北から南へ引くりかへされたやうに吃驚した。旅で劍術は出來なくても、學問があれば恁うは駭くまい。だから學校を怠けては不可い、從つて教はつた事を忘れては不可い、但馬の圓山川の灌ぐのも、越後の信濃川の灌ぐのも、船ではおなじ海である。
私は佐渡と云ふ所は、上野から碓氷を越えて、雪の柏原、關山、直江津まはりに新潟邊から、佐渡は四十五里波の上、と見るか、聞きかするものだ、と浮りして居た。七日前に東京驛から箱根越の東海道。――分つた/\――逗留した大阪を、今日午頃に立つて、あゝ、祖母さんの懷で昔話に聞いた、栗がもの言ふ、たんばの國。故と下りて見た篠山の驛のプラツトホームを歩行くのさへ、重疊と連る山を見れば、熊の背に立つ思がした。酒顛童子の大江山。百人一首のお孃さんの、「いくのの道」もそれか、と辿つて、はる/″\と來た城崎で、佐渡の沖へ船が飛んで、キラリと飛魚が刎出したから、きたなくも怯かされたのである。――晩もお總菜に鮭を退治た、北海道の産である。茶うけに岡山のきび團子を食べた處で、咽喉に詰らせる法はない。これしかしながら旅の心であらう。――
夜はやゝ更けた。はなれの十疊の奧座敷は、圓山川の洲の一處を借りたほど、森閑ともの寂しい。あの大川は、いく野の銀山を源に、八千八谷を練りに練つて流れるので、水は類なく柔かに滑だ、と又按摩どのが今度は聲を沈めて話した。豐岡から來る間、夕雲の低迷して小浪に浮織の紋を敷いた、漫々たる練絹に、汽車の窓から手をのばせば、蘆の葉越に、觸ると搖れさうな思で通つた。旅は樂い、又寂しい、としをらしく成ると、何が、そんな事。……ぢきその飛石を渡つた小流から、お前さん、苫船、屋根船に炬燵を入れて、美しいのと差向ひで、湯豆府で飮みながら、唄で漕いで、あの川裾から、玄武洞、對居山まで、雪見と云ふ洒落さへあります、と言ふ。項を立てた苫も舷も白銀に、珊瑚の袖の搖るゝ時、船はたゞ雪を被いだ翡翠となつて、白い湖の上を飛ぶであらう。氷柱の蘆も水晶に――
金子の力は素晴らしい。
私は獺のやうに、ごろんと寢た。
而して夢に小式部を見た。
嘘を吐け!
ピイロロロピイ――これは夜が明けて、晴天に鳶の鳴いた聲ではない。翌朝、一風呂キヤ/\と浴び、手拭を絞つたまゝ、からりと晴れた天氣の好さに、川の岸を坦々とさかのぼつて、來日ヶ峰の方に旭に向つて、晴々しく漫歩き出した。九時頃だが、商店は町の左右に客を待つのに、人通りは見掛けない。靜な細い町を、四五間ほど前へ立つて、小兒かと思ふ小さな按摩どのが一人、笛を吹きながら後形で行くのである。ピイロロロロピイーとしよんぼりと行く。トトトン、トトトン、と間を緩く、其處等の藝妓屋で、朝稽古の太鼓の音、ともに何となく翠の滴る山に響く。
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