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開扉一妖帖(かいひいちようちょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 12:34:05  点击:  切换到繁體中文


 若旦那がいい声で、

夢が、浮世か、うき世が夢か、夢ちょう里に住みながら、住めば住むなる世の中に、よしあしびきの大和路や、壺坂の片ほとり土佐町に、沢市という座頭あり。……
妻のお里はすこやかに、夫の手助け賃仕事……

 とやりはじめ、唄でお山へのぼる時分に、おでん屋へ、酒の継足しに出た、というが、二人とも炬燵の谷へ落込んで、朝まで寝た。――この挿話に用があるのは、翌朝かえりがけのお妻の態度である。りりしい眉毛を、とぼけた顔して、
「――少しばかり、若旦那。……あまりといえば、おんぼろで、伺いたくても伺えなし、伺いたくてたまらないし、損料を借りて来ましたから、肌のものまで。……ちょっと、それにお恥かしいんだけど、電車賃……」
(お京さんから、つい去年の暮の事だといって、久しく中絶えたお妻のうわさを、最近に聞いていた。)

 お妻が、段を下りて、廊下へ来た。と、いまの身なりも、損料か、借着らしい。
「さ、お待遠様。」
難有ありがたい。」
「灰皿――灰落しらしいわね。……廊下に台のものッて寸法にいかないし、遣手やりて部屋というのがないんだもの、湯呑みの工面がつきやしません。……いえね、いよいよとなれば、私は借着の寸法だけれど、花柳はなやぎ手拭てぬぐいの切立てのを持っていますから、ずッぷり平右衛門で、一時しのぎと思いましたが、いい塩梅あんばいにころがっていましたよ。大丈夫、ざあざあ洗って洗いぬいた上、もう私が三杯ばかりお毒見が済んでいますから。ああ、そんなにひっかぶって、襟が冷くありませんか、手拭をあげましょう。」
「一滴だってこぼすものかね、ああ助かった。――いや、この上欲しければ、今度は自分で歩行あるけそうです。――助かった。恩にますよ。」
「とんでもない、でも、まあ、嬉しい。」
「まったく活返った。」
「ではその元気で、上のおさらいへいらっしゃるか。そこまで、おともをしてもよござんす。」
「で、っていますかね。三味線の音でも聞こえますか。」
「いいえ。」
「途中で、連中らしいのでも見ませんか。」
「人ッこ一人、……大びけ過ぎより、しんとして薄気味の悪いよう。」
「はてな、間違まちがいではなかろうが、……何しろ、きみは、ちっともその方に引っかかりはないのでしたね。」
「ええ、私は風来ものの大気紛れさ、といううちにも、そうそう。」
 中腰の膝へ、両肱りょうひじをついた、頬杖ほおづえで。
「じかではなくっても――御別懇の鴾先生の、お京さんの姉分だから、ご存じだろうと思いますが……今、芝、明舟町あけふねちょうで、娘さんと二人で、お弟子を取っています、お師匠さん、……お民さんのね、……まあ、先生方がお聞きなすっては馬鹿々々しいかも知れませんが、……目を据える、生命いのちがけの事がありましてね、その事で、ちょっと、切ッつ、はッつもやりかねないといったいきおいで、だらしがないけども、私がさ、この稽古棒(よっかけて壁にあり)をやり鉄棒かなぼうで、対手あいて方へ出向いたんでござんすがね、――入費いりようはお師匠さん持だから、乗込みは、ついその銀座の西裏まで、円タクさ。
 ――あきれもしない、目ざすかたきは、喫茶店、カフェーなんだから、めぐり合うも捜すもない、すぐ目前めのまえあらわれました。ところがさ、商売柄、ぴかぴかきらきらで、くるわ張店はりみせ硝子張がらすばりの、竜宮づくりで輝かそうていったのが、むかし六郷様の裏門へぶつかったほど、一棟、真暗まっくらじゃありませんか。拍子抜とも、間抜けとも。……お前さん、近所で聞くとね、これが何と……いかに業体ぎょうていとは申せ、いたし方もこれあるべきを、裸で、小判、……いえさ、銀貨を、何とか、いうかどで……営業おさし留めなんだって。……
 出がけの意気組が意気組だから、それなりかえるのも詰りません。ひまはあるし、蕎麦屋そばやでも、鮨屋すしやでも気に向いたら一口、こんな懐中合ふところあいも近来めったにない事だし、ぶらぶら歩いて来ましたところが、――ここの前さ、お前さん、」
 と低いが壁天井に、目を上げつつ、
「角海老に似ていましょう、時計台のあった頃の、……ちょっと、当世ビルジングの御前様に対して、こういっては相済まないけども。……じっ天頂てっぺんの方を見ていますとね、さあ、……五階かしら、屋の棟に近い窓に、女の姿が見えました。部屋着に、伊達巻といった風で、いい、おいらんだ。……串戯じょうだんじゃない。今時そんな間違いがあるものか。それとも、おさらいの看板が見えるから、衣裳いしょうをつけた踊子が涼んでいるのかも分らない、入って見ようと。」
「ああ、それで……」
「でござんさあね。さあ、上っても上っても。……私も可厭いやになってしまいましてね。とんとんと裏階子うらばしごを駆下りるほど、要害にれていませんから、うろうろ気味で下りて来ると、はじめて、あなた、たった一人。」
「だれか、人が。」
「それが、あなた、こっちがきまりの悪いほど、雪のように白い、後姿でもって、さっきのおいらんを、丸剥まるはぎにしたようなのが、廊下にぼんやりと、少し遠見に……おや! おさらいのあとで、お湯に入る……ッてこれが、あまりないことさ。おまけに高尾のうまれ土地だところで、野州塩原の温泉じゃないけども、段々の谷底に風呂場でもあるのかしら。ぼんやりと見てる間に、扉だか部屋だかへ消えてしまいましたがね。」
「どこのです。」
「ここの。」
「ええ。」
「それとも隣室となりだったかしら。何しろ、私も見た時はぼんやりしてさ、だから、下に居なすった、お前さんの姿が、その女が脱いで置いたものぐらいの場所にありましてね。」
 信也氏は思わず内端うちわに袖を払った。
「見た時は、もっとも、気もぼっとしましたから。今思うと、――ぞっこん、これが、目にしみついていますから、私が背負しょっている……雪おんな……」
(や、浜町の夜更よふけの雨に――
 ……雪おんな……
 唄いさして、ふと消えた。……)
「?……雪おんな。」
「ここに背負っておりますわ。それにほんに、見事な絵でござんすわ。」
 と、肩にななめなその紫包を、胸でといた端もきれいに、片手で捧げたひじなびいて、衣紋えもんつま整然きちんとした。
「絵ですか、……誰の絵なんです。」
「あら、御存じない?……あなた、鴾先生のじゃありませんか。」
「ええ、鴾君が、いつね、その絵を。」
(いままだ、銀座裏で飲んでいよう、すました顔して、すくすくと銚子ちょうしの数を並べて。)
「つい近頃だと言いますよ。それも、わけがありましてね、私が今夜、――その酒場へ、槍、鉄棒で押掛けたといいました。やっぱりその事でおかきなすったんだけれどもね。まあ、お目にかけますわ……お待なさい。ここは、廊下で、途中だし、下へ出た処で、往来と……ああ、ちょっとこの部屋へ入りましょうか。」
「名札はかかっていないけれど、いいかな。」
「あきだなさ、お前さん、田畝たんぼ葦簾張よしずばりだ。」
 と云った。
「ぬしがあっても、夜の旅じゃ、休むものにきまっていますよ。」
「しかし、なかに、どんなものか置いてでもあると、それだとね。」
「御本尊のいらっしゃる、堂、ほこらへだって入りましょう。……人間同士、構やしません。いえ、そこどころじゃあない、私は野宿をしましてね、変だとも、おかしいとも、何とも言いようのない、ほほほ、男の何を飾った処へ、のたれ込んだ事がありますわ。野中のお堂さ、お前さん。……それから見りゃ、――おや開かない、鍵がかかっていますかね、この扉は。」
「無論だろうね。」
してみて下さい。開きません? ああ、そうね、あなたがなすって[#「なすって」は底本では「なすつて」]は御身分がら……お待ちなさいよ、おつな呪禁まじないがありますから。」
 懐紙ふところがみを器用に裂くと、端をひねり、頭をつまんで、
「てるてる坊さん、ほほほ。」
 すぼけた小鮹こだこが、扉の鍵穴に、指で踊った。
「いけないね、坊さん一人じゃあ足りないかね。そら、もう一人、出ました。また一人、もう一人。これじゃ長屋の井戸替だ。あかないかね。そんな筈はないんだけれど、――雨をお天気にする力があるなら、掛けた鍵なぞわけなしじゃあないか。しっかりおしよ。」
 ぽんと、丸めた紙の頭を順にたたくと、手だか足だか、ふらふらふらとねる拍子に、何だか、けばだった処が口に見えて、とがって、目皺めじわで笑って、揃って騒ぐ。
「いえね、お前さん出来るわけがありますの。……その野宿で倒れた時さ――当にして行った仙台の人が、青森へ住替えたというので、取りつく島からまた流れて、なけなしの汽車のお代。盛岡とかいう処で、ふっと気がつくと、紙入がない、切符がなし。まさか、風体をたって箱仕事もしますまい。間抜けで落したと気がつくと、鉄道へ申し訳がありません。どうせ、恐入るものをさ、あとで気がつけば青森へ着いてからでも御沙汰おさたは同じだものを、ちっとでも里数の少い方がおわびがしいいだろうでもって、馬鹿さがたまらない。お前さん、あたふた、次の駅で下りましたがね。あわてついでに改札口だか、何だか、ふらふらと出ますとね、停車場も汽車も居なくなって、町でしょう、もう日が、とっぷり暮れている。夜道の落人、ありがたい、網の目を抜けたと思いましたが、さあ、それでも追手がかかりそうで、恐い事――つかまったって、それだけだものを、大した御法でも背いたようでね。ええ、だもんだから、腹がすけば、ぼろばちちょうなくっても口三味線で門附けをしかねない図々しい度胸なのが、すたすたもので、町も、村も、ただ人気のない処とげましたわ、知らぬ他国の奥州くんだり、東西もわきまえない、心細い、畷道なわてみち。赤い月は、野末に一つ、あるけれど、もと末も分らない、雲を落ちた水のようなうねった道を、とぼついて、堪らなくなって――辻堂へ、路傍みちばたすすきを分けても、手に露もかかりません。いきれの強い残暑のみぎり。
 まあ、のめり込んだ御堂の中に、月にぼやっと菅笠ほどの影が出来て、大きなふくろう――また、あっちの森にも、こっちの林にも鳴いていました――その梟が、顱巻はちまきをしたような、それですよ。……祭った怪しい、御本体は。――
 この私だから度胸を据えて、ふんどしあかでないばかり、おかめが背負しょったように、のめっていますと、(姉さん一緒においで。――)そういって、堂のわきの茂りの中から、大方、在方ざいかたの枝道を伝って出たと見えます。うす青いしまの浴衣だか単衣ひとえだか、へこ帯のちょい結びで、頬被ほおかぶりをしたのが、菅笠をね、かぶらずに、お前さん、背中へ掛けて、小さな風呂敷包みがその下にあるらしい……からすねの色の白いのが素足に草鞋わらじばきで、竹の杖を身軽について、すっと出て来てさ、お前さん。」

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