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貝の穴に河童の居る事(かいのあなにかっぱのいること)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 12:29:06  点击:  切换到繁體中文

底本: 泉鏡花集成8
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1996(平成8)年5月23日
入力に使用: 1996(平成8)年5月23日第1刷


底本の親本: 鏡花全集
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1942(昭和17)年

 

 雨を含んだ風がさっと吹いて、いその香が満ちている――今日は二時頃から、ずッぷりと、一降り降ったあとだから、この雲のかさなった空合そらあいでは、季節で蒸暑かりそうな処を、身にみるほどに薄寒い。……
 木の葉をこぼれるしずくも冷い。……糠雨ぬかあめがまだ降っていようも知れぬ。時々ぽつりと来るのは――樹立こだちは暗いほどだけれど、その雫ばかりではなさそうで、鎮守の明神の石段は、わくら葉の散ったのが、一つ一つ皆かにになりそうに見えるまで、濡々と森のこずえくぐって、直線に高い。その途中、処々夏草の茂りにおおわれたのに、雲の影が映って暗い。
 縦横たてよこに道は通ったが、段の下は、まだ苗代にならない水溜みずたまりの田と、荒れたはたけだから――農屋漁宿のうおくぎょしゅく、なお言えば商家の町も遠くはないが、ざわめく風の間には、海の音もおどろに寂しく響いている。よく言う事だが、四辺あたりびょうとして、底冷いもやに包まれて、人影も見えず、これなりに、やがて、逢魔おうまが時になろうとする。
 町屋の屋根に隠れつつ、たつみひらけて海がある。その反対の、山裾やますそくぼに当る、石段の左の端に、べたりと附着くッついて、溝鼠どぶねずみ這上はいあがったように、ぼろをはだに、笠もかぶらず、一本杖いっぽんづえの細いのに、しがみつくようにすがった。杖のさきが、肩をいて、頭の上へ突出ている、うしろむきのその肩が、びくびくと、震え、震え、脊丈は三尺にも足りまい。小児こどもだか、侏儒いっすんぼうしだか、小男だか。ただ船虫の影のひろがったほどのものが、靄に沁み出て、一段、一段と這上る。……
 しょぼけ返って、うごめくたびに、啾々しゅうしゅうと陰気にかすかな音がする。腐れた肺が呼吸いきに鳴るのか――ぐしょ濡れですそから雫が垂れるから、骨を絞るひびきであろう――傘の古骨が風にきしむように、啾々と不気味に聞こえる。
「しいッ、」
「やあ、」
 しッ、しッ、しッ。
 曳声えいごえを揚げて……こっちは陽気だ。手頃な丸太棒まるたんぼう差荷さしにないに、漁夫りょうしの、半裸体の、がッしりした壮佼わかものが二人、真中まんなかに一尾の大魚を釣るして来た。魚頭を鈎縄かぎなわで、尾はほとんど地摺じずれである。しかも、もりで撃った生々しい裂傷さききずの、肉のはぜて、真向まっこうあごひれの下から、たらたらと流るる鮮血なまちが、雨路あまみちに滴って、草に赤い。
 私は話の中のこのうおを写出すのに、出来ることなら小さな鯨と言いたかった。大鮪おおまぐろか、さめふかでないと、ちょっとその巨大おおきさとすさまじさが、真に迫らない気がする。――ほかに鮟鱇あんこうがある、それだと、ただその腹の膨れたのをるに過ぎぬ。実は石投魚いしなぎである。大温にして小毒あり、というにつけても、普通、私どもの目に触れる事がないけれども、ここに担いだのは五尺に余った、重量、二十貫に満ちた、たくましい人間ほどはあろう。荒海の巌礁がんしょうみ、うろこ鋭く、面顰つらしかんで、はたが硬い。と見るとしゃちに似て、彼が城の天守に金銀をよろった諸侯なるに対して、これは赤合羽あかがっぱまとった下郎が、蒼黒あおぐろい魚身を、血に底光りしつつ、ずしずしと揺られていた。
 かばかりの大石投魚おおいしなぎの、さて価値ねうちといえば、両を出ない。七八十銭に過ぎないことを、あとで聞いてちとふさいだほどである。が、とにかく、これは問屋、市場へ運ぶのではなく、漁村なるわが町内の晩のおかずに――荒磯に横づけで、ぐわッぐわッと、自棄やけに煙を吐くふねから、手鈎てかぎ崖肋腹がけあばら引摺上ひきずりあげた中から、そのまま跣足はだしで、磯の巌道いわみちを踏んで来たのであった。
 まだ船底を踏占めるような、重い足取りで、田畝たんぼ添いのすねを左右へ、草摺れに、だぶだぶと大魚おおうおゆすって、
「しいッ、」
「やあ、」
 しっ、しっ、しっ。
 この血だらけの魚の現世うつしよさまに似ず、梅雨の日暮の森にかかって、青瑪瑙あおめのうを畳んで高い、石段下を、横に、漁夫りょうしと魚で一列になった。
 すぐここには見えない、木の鳥居は、海から吹抜けの風をいとってか、窪地でたちまち氾濫あふれるらしい水場のせいか、一条ひとすじやや広いあぜを隔てた、町の裏通りを――横に通った、正面と、撞木しゅもく打着ぶつかった真中まんなかに立っている。
 御柱みはしらを低くのぞいて、映画か、芝居のまねきの旗の、手拭てぬぐいの汚れたように、渋茶と、あいと、あわれあわび小松魚こがつおほどの元気もなく、さおによれよれに見えるのも、もの寂しい。
 前へ立った漁夫りょうしの肩が、石段を一歩出て、うしろのが脚を上げ、真中まんなかの大魚のあごが、端をじっているその変な小男の、段の高さとおなじ処へ、生々なまなまと出て、横面よこづらひれの血で縫おうとした。
 その時、小男が伸上るように、丸太棒の上から覗いて、
無慙むざんや、そのざまよ。」
 と云った、まなこがピカピカと光って、
「われも世をのろえや。」
 と、首を振ると、耳までかぶさった毛が、ぶるぶると動いて……なまぐさい。
 しばらくすると、薄墨をもう一刷ひとはけした、水田みずたの際を、おっかな吃驚びっくり、といった形で、漁夫りょうしらが屈腰かがみごしに引返した。手ぶらで、その手つきは、大石投魚を取返しそうな構えでない。どじょうが居たらおさえたそうに見える。丸太ぐるみ、どか落しでげた、たった今。……いや、遁げたの候の。……あかふんどしにも恥じよかし。
でっかいさかなア石地蔵様に化けてはいねえか。」
 と、石投魚はそのまま石投魚で野倒のたれているのを、見定めながらそう云った。
 一人は石段をそっと見上げて、
あにも居ねえぞ。」
「おお、居ねえ、居めえよ、おめえ。一つおどかしておいて消えたずら。いつまでもあらわれていそうな奴じゃあねえだ。」
「いまも言うた事だがや、このうおねらったにしては、ちっこい奴だな。」
「それよ、海からおれたちをつけて来たものではなさそうだ。出たとこ勝負に石段の上に立ちおったで。」
おらは、さかなはらわたから抜出した怨霊おんりょうではねえかと思う。」
 とつかみかけた大魚えらから、わが声に驚いたように手を退けて言った。
「何しろ、水ものには違えねえだ。野山の狐いたちなら、つらが白いか、黄色ずら。青蛙のような色で、疣々えぼえぼが立って、はあ、くちばしとがって、もずくのように毛が下った。」
「そうだ、そうだ。それでやっと思いつけた。絵にいた河童かっぱそっくりだ。」
 と、なぜか急にいきおいづいた。
 絵そら事と俗には言う、が、絵はそら事でない事を、読者は、刻下に理解さるるであろう、と思う。
「畜生。今ごろは風説うわさにも聞かねえが、こんな処さ出おるかなあ。――浜方へ飛ばねえでよかった。――漁場へげりゃ、それ、なかまへ饒舌しゃべる。加勢と来るだ。」
「それだ。」
「村の方へ走ったで、留守は、女子供だ。相談ぶつでもねえで、すぐ引返ひっかえして、しめた事よ。おめえらと、おらとで、河童におどされたでは、うつむけにも仰向あおむけにも、この顔さ立ちっこねえ処だったぞ、やあ。」
「そうだ、そうだ。いい事をした。――畜生、もう一度出て見やがれ。あたまの皿ア打挫ぶっくじいて、欠片かけらにバタをつけて一口だい。」
 丸太棒を抜いて取り、引きそばめて、石段を睨上ねめあげたのは言うまでもない。
「コワイ」
 と、虫の声で、青蚯蚓あおみみずのような舌をぺろりと出した。怪しい小男は、段を昇切った古杉の幹から、青いくちばしばかりを出して、ふもと瞰下みおろしながら、あけびを裂いたような口を開けて、またニタリと笑った。
 その杉を、右の方へ、山道ががくれに続いて、木の根、岩角、雑草が人の脊より高く生乱はえみだれ、どくだみの香深く、あざみすさまじく咲き、野茨のばらの花の白いのも、時ならぬ黄昏たそがれ仄明ほのあかるさに、人の目を迷わして、行手を遮る趣がある。こずえに響く波の音、吹当つる浜風は、むぐらを渦に廻わして東西を失わす。この坂、いかばかり遠く続くぞ。谿たに深く、峰はるかならんと思わせる。けれども、わずかに一町ばかり、はやく絶崖がけの端へ出て、ここを魚見岬うおみさきとも言おう。町も海も一目に見渡さる、と、急に左へ折曲って、また石段が一個処ある。
 小男の頭は、この絶崖際の草のさきへ、あの、きのこの笠のようになって、ヌイと出た。
 麓では、二人の漁夫りょうしが、横に寝た大魚おおうおをそのまま棄てて、一人は麦藁帽むぎわらぼうを取忘れ、一人の向顱巻むこうはちまき南瓜とうなすかぶりとなって、棒ばかり、影もぼんやりして、うねに暗く沈んだのである。――仔細しさいは、魚が重くて上らない。魔ものがおさえるかと、丸太でくうを切ってみた。もとより手ごたえがない。あのばけもの、口から腹に潜っていようとも知れぬ。えらが動く、目が光って来た、となると、擬勢は示すが、もう、魚の腹をなぐりつけるほどの勇気も失せた。おお、姫神ひめがみ――明神は女体にまします――夕餉ゆうげの料に、思召しがあるのであろう、とまことに、平和な、安易な、しかも極めて奇特なことばが一致して、裸体の白い娘でない、御供ごくを残してかえったのである。
 あおざめた小男は、第二の石段の上へ出た。沼のたような、自然の丘をめぐらした、清らかな境内は、坂道の暗さに似ず、つらつらと濡れつつ薄明うすあかるい。
 右斜めに、鉾形かまぼこがたの杉の大樹の、森々しんしんと虚空に茂った中にやしろがある。――こっちから、もう謹慎の意を表するさまに、ついた杖を地から挙げ、胸へ片手をつけた。が、左の手は、ぶらんと落ちて、草摺くさずりたたれたような襤褸ぼろの袖の中に、肩から、ぐなりとそげている。これにこそ、わけがあろう。
 まず、聞け。――青苔あおごけむ風は、坂に草を吹靡ふきなびくより、おのずからしずかではあるが、階段に、緑に、堂のあたりに散った常盤木ときわぎの落葉の乱れたのが、いま、そよとも動かない。

 のみならず。――すぐこのきざはしのもとへ、灯ともしのおきな一人、立出たちいづるが、その油差の上に差置く、燈心が、その燈心が、入相すぐる夜嵐よあらしの、やがて、さっと吹起るにさえ、そよりとも動かなかったのは不思議であろう。

 啾々しゅうしゅうと近づき、啾々と進んで、杖をバタリと置いた。濡鼠のたもとを敷いて、きざはしの下に両膝もろひざをついた。
 目ばかり光って、碧額へきがく金字こんじを仰いだと思うと、拍手かしわでのかわりに、――片手は利かない――せた胸を三度打った。
「願いまっしゅ。……お晩でしゅ。」
 と、きゃきゃととおる、しかし、あわれな声して、地にこうべりつけた。
「願いまっしゅ、お願い。お願い――」
 正面の額の蔭に、白い蝶が一羽、夕顔が開くように、ほんのりとあらわれると、ひらりと舞下まいさがり、小男の頭の上をすっと飛んだ。――この蝶が、境内を切って、ひらひらと、石段口の常夜燈にひたりと附くと、羽にともれたように灯影が映る時、八十年やそとしにも近かろう、しわびたおきなの、彫刻また絵画の面より、頬のやや円いのが、萎々なえなえとした禰宜ねぎいでたちで、蚊脛かずねを絞り、鹿革の古ぼけた大きな燧打袋ひうちぶくろを腰に提げ、燈心を一束、片手に油差を持添え、揉烏帽子もみえぼしを頂いた、耳、ぼんのくぼのはずれに、燈心はそのなな筋の抜毛かと思う白髪しらがのぞかせたが、あしなかの音をぴたりぴたりと寄って、半ば朽崩れた欄干の、擬宝珠ぎぼしゅを背に控えたが。
 かがむが膝を抱く。――その時、段の隅に、油差に添えて燈心をさし置いたのである。――
和郎わろはの。」
「三里離れた処でしゅ。――国境くにざかいの、水溜りのものでございまっしゅ。」
「ほ、ほ、印旛沼いんばぬま、手賀沼の一族でそうろよな、様子を見ればの。」
「赤沼の若いもの、三郎でっしゅ。」
「河童衆、ようござった。さて、あれで見れば、石段をのぼらしゃるが、いこう大儀そうにあった、若いにの。……和郎たち、空を飛ぶ心得があろうものを。」
神職様かんぬしさま、おおせでっしゅ。――自動車にかれたほど、身体からだ怪我けがはあるでしゅが、梅雨空を泳ぐなら、鳶烏とびからすに負けんでしゅ。お鳥居より式台へかからずに、樹の上から飛込んでは、お姫様に、失礼でっしゅ、と存じてでっしゅ。」
「ほ、ほう、しんびょう。」
 ほくほくとうなずいた。

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