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海城発電(かいじょうはつでん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 12:26:01  点击:  切换到繁體中文

底本: 外科室・海城発電
出版社: 岩波文庫、岩波書店
初版発行日: 1991(平成3)年9月17日
入力に使用: 2000(平成12)年9月5日第18刷
校正に使用: 1993(平成5)年11月5日第9刷


底本の親本: 鏡花全集 別巻
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1976(昭和51)年3月26日

 

   一

「自分も実は白状をしやうと思つたです。」
 と汚れ垢着(あかつ)きたる制服を絡(まと)へる一名の赤十字社の看護員は静に左右を顧(かえり)みたり。
 渠(かれ)は清国(しんこく)の富豪柳氏(りゅうし)の家なる、奥まりたる一室に夥多(あまた)の人数(にんず)に取囲まれつつ、椅子(いす)に懸りて卓(つくえ)に向へり。
 渠を囲みたるは皆軍夫(ぐんぷ)なり。
 その十数名の軍夫の中に一人逞(たく)ましき漢(おのこ)あり、屹(き)と彼(か)の看護員に向ひをれり。これ百人長なり。海野(うんの)といふ。海野は年配(ねんぱい)三十八、九、骨太(ほねぶと)なる手足あくまで肥へて、身の丈(たけ)もまた群を抜けり。
 今看護員のいひ出(い)だせる、その言(ことば)を聴くと斉(ひと)しく、
「何! 白状をしやうと思つたか。いや、実際味方の内情を、あの、敵に打明けやうとしたんか。君。」
 いふ言(ことば)ややあらかりき。
 看護員は何気(なにげ)なく、
「左様(そう)です。撲(ぶ)つな、蹴(け)るな、貴下(あなた)酷(ひど)いことをするぢやあありませんか。三日も飯(めし)を喰はさないで眼も眩(くら)むでゐるものを、赤條々(はだか)にして木の枝へ釣(つる)し上げてな、銃の台尻(だいじり)で以て撲(なぐ)るです。ま、どうでしやう。余り拷問(ごうもん)が厳(きび)しいので、自分もつひ苦しくつて堪(たま)りませんから、すつかり白状をして、早くその苦痛を助りたいと思ひました。けれども、軍隊のことについては、何にも知つちやあゐないので、赤十字の方ならば悉(くわ)しいから、病院のことなんぞ、悉しくいつて聞かして遣(や)つたです。が、其様(そん)なことは役に立たない。軍隊の様子を白状しろつて、益々酷く苛(さいな)むです。実は苦しくつて堪らなかつたですけれども、知らないのが真実(ほんとう)だからいへません。で、とうとう聞かさないでしまひましたが、いや、実に弱つたです。困りましたな、どうも支那人の野蛮なのにやあ。何しろ、まるでもつて赤十字なるものの組織を解さないで、自分らを何がなし、戦闘員と同一(おんなじ)に心得てるです。仕方がありませんな。」
 とあだかも親友に対して身(み)の上(うえ)談話(ばなし)をなすが如く、渠(かれ)は平気に物語れり。
 しかるに海野はこれを聞きて、不心服(ふしんぷく)なる色ありき。
「ぢやあ何だな、知つてれば味方の内情を、残らず饒舌(しゃべ)ツちまう処(ところ)だつたな。」
 看護員は軽(かろ)く答へたり。
「いかにも。拷問が酷かつたです。」
 百人長は憤然(むっ)として、
「何だ、それでも生命(いのち)があるでないか、譬(たと)ひ肉が爛(ただ)れやうが、さ、皮が裂けやうがだ、呼吸(いき)があつたくらゐの拷問なら大抵(たいてい)知れたもんでないか。それに、苟(いやしく)も神州男児で、殊(こと)に戦地にある御互(おたがい)だ。どんなことがあらうとも、いふまじきことを、何、撲(なぐ)られた位で痛いといふて、味方の内情を白状しやうとする腰抜が何処(どこ)にあるか。勿論、白状はしなかつたさ。白状はしなかつたに違(ちがい)ないが、自分で、知つてればいはうといふのが、既に我が同胞(どうぼう)の心でない、敵に内通も同一(おんなじ)だ。」
 といひつつ海野は一歩を進めて、更に看護員を一睨(いちげい)せり。
 看護員は落着済(す)まして、
「いや、自分は何も敵に捕へられた時、軍隊の事情をいつては不可(いけ)ぬ、拷問(ごうもん)を堅忍して、秘密を守れといふ、訓令を請(う)けた事もなく、それを誓つた覚(おぼえ)もないです。また全く左様(そう)でしやう、袖(そで)に赤十字の着いたものを、戦闘員と同一(おんなじ)取扱をしやうとは、自分はじめ、恐らく貴下方(あなたがた)にしても思懸(おもいがけ)はしないでせう。」
「戦地だい、べらぼうめ。何を! 呑気(のんき)なことをいやがんでい。」
 軍夫の一人つかつかと立懸(たちかか)りぬ。百人長は応揚(おうよう)に左手(ゆんで)を広げて遮(さえぎ)りつつ、
「待て、ええ、屁(へ)でもない喧嘩(けんか)と違うぞ。裁判だ。罪が極(きま)つてから罰することだ。騒ぐない。噪々(そうぞう)しい。」
 軍夫は黙して退(しりぞ)きぬ。ぶつぶつ口小言(くちこごと)いひつつありし、他の多くの軍夫らも、鳴(なり)を留めて静まりぬ。されど尽く不穏の色あり。眼光鋭く、意気激しく、いづれも拳(こぶし)に力を籠(こ)めつつ、知らず知らず肱(ひじ)を張りて、強ひて沈静を装ひたる、一室にこの人数を容(い)れて、燈火の光冷(ひやや)かに、殺気を籠(こ)めて風寒く、満州の天地初夜(しょや)過ぎたり。

       二

 時に海野は面(おもて)を正し、警(いまし)むるが如き口気(くちぶり)以て、
「おい、それでは済むまい。よしむば、われわれ同胞が、君に白状をしろといつたからツて、日本人だ。むざむざ饒舌(しゃべ)るといふ法はあるまいぢやないか、骨が砂利にならうとままよ。それをさうやすやすと、知つてれば白状したものをなんのツて、面と向つてわれわれにいはれた道理(ぎり)か。え? どうだ。いはれた義理(ぎり)ではなからうでないか。」
 看護員は身を斜(なな)めにして、椅子に片手を投懸けつつ、手にせる鉛筆を弄(もてあそ)びて、
「いや。しかし大きに左様(そう)かも知れません。」
 と片頬(かたほ)を見せて横を向きぬ。
 海野は※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)りたる眼(まなこ)を以て、避けし看護員の面(おもて)を追ひたり。
「何だ、左様かも知れません? これ、無責任の言語を吐いちやあ不可(いかん)ぞ。」
 またじりりと詰寄りぬ。看護員はやや俯向(うつむ)きつ。手なる鉛筆の尖(さき)を嘗(な)めて、筒服(ズボン)の膝(ひざ)に落書(らくがき)しながら、
「無責任? 左様ですか。」
 渠(かれ)は少しも逆らはず、はた意に介せる状(さま)もなし。
 百人長は大に急(せ)きて、
「唯(ただ)(左様ですか)では済まん。様子に寄つてはこれ、きつとわれわれに心得がある。しつかり性根(しょうね)を据(す)へて返答せないか。」
「何様(どん)な心得があるのです。」
 看護員は顔を上げて、屹(きっ)と海野に眼を合せぬ。
「一体、自分が通行をしてをる処を、何か待伏(まちぶせ)でもなすつたやうでしたな。貴下方(あなたがた)大勢で、自分を担(かつ)ぐやうにして、此家(ここ)へ引込(ひっこ)むだはどういふわけです。」
 海野は今この反問に張合を得たりけむ、肩を揺(ゆす)りて気兢(きお)ひ懸れり。
「うむ、聞きたいことがあるからだ。心得はある。心得はあるが、先(ま)づ聞くことを聞いてからのこととしやう。」
「は、それでは何か誰ぞの吩附(いいつけ)ででもあるのですか。」
 海野は傲然(ごうぜん)として、
「誰が人に頼まれるもんか。吾(おれ)の了簡で吾が聞くんだ。」
 看護員はそとその耳を傾けたり。
「ぢやあ貴下方に、他(ひと)を尋問する権利があるので?」
 百人長は面(おもて)を赤うし、
「囀(さえず)るない!」
 と一声高く、頭がちに一呵(いっか)しつ。驚破(すわ)といはば飛蒐(とびかか)らむず、気勢(きおい)激しき軍夫らを一わたりずらりと見渡し、その眼を看護員に睨返(ねめかえ)して、
「権利はないが、腕力じゃ!」
「え、腕力?」
 看護員は犇々(ひしひし)とその身を擁(よう)せる浅黄(あさぎ)の半被(はっぴ)股引(ももひき)の、雨風に色褪(いろあ)せたる、譬(たと)へば囚徒の幽霊の如き、数個(すか)の物体を※(「目+旬」、第3水準1-88-80)(みま)はして、秀(ひい)でたる眉(まゆ)を顰(ひそ)めつ。
「解りました。で、そのお聞きにならうといふのは?」
「知れてる! 先刻(さっき)からいふ通りだ。何故(なぜ)、君には国家といふ観念がないのか。痛いめを見るがつらいから、敵に白状をしやうと思ふ。その精神が解らない。(いや、左様かも知れません)なんざ、無責任極まるでないか。そんなぬらくらじや了見せんぞ、しつかりと返答しろ。」
 咄々(とつとつ)迫る百人長は太き仕込杖(しこみづえ)を手にしたり。
「それでどういへば無責任にならないです?」
「自分でその罪を償ふのだ。」
「それではどうして償ひましやう。」
「敵状をいへ! 敵状を。」
 と海野は少し色解(いろとけ)てどかと身重(みおも)げに椅子に凭(よ)れり。
「聞けば、君が、不思議に敵陣から帰つて来て、係りの将校が、君の捕虜になつてゐた間の経歴について、尋問があつた時、特に敵情を語れといふ、命令があつたそうだが、どういふものか君は、知らない、存じませんの一点張で押通(おっとお)して、つまりそれなりで済(す)むだといふが。え、君、二月(ふたつき)も敵陣にゐて、敵兵の看護をしたといふでないか。それで、懇篤(こんとく)で、親切で、大層奴らのために尽力をしたさうで、敵将が君を帰す時、感謝状を送つたさうだ。その位信任をされてをれば、種々(いろいろ)内幕も聞いたらう、また、ただ見たばかりでも大概は知れさうなもんだ。知つてていはないのはどういふ訳だ。余(あんま)り愛国心がないではないか。」
「いえ、全く、聞いたのは呻吟声(うめきごえ)ばかりで、見たのは繃帯(ほうたい)ばかりです。」

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