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海異記(かいいき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 12:23:36  点击:  切换到繁體中文



       十四

 強盗ごうとう出逢であったような、居もせぬやっこを呼んだのも、我ながら、それにさへ、動悸どうきは一倍高うなる。
 女房はしきりに心急こころせいて、納戸に並んだ台所口に片膝つきつつ、飯櫃めしびつを引寄せて、及腰およびごし手桶ておけから水を結び、効々かいがいしゅう、嬰児ちのみかいなに抱いたまま、手許もうわの空で覚束おぼつかなく、三ツばかり握飯にぎりめし
 潮風で漆のからびた、板昆布いたこぶを折ったような、折敷おしきにのせて、カタリと櫃を押遣おしやって、立てていたかかとを下へ、直ぐに出て来た。
「少人数の内ですから、沢山はないんです、私のを上げますからね、はやく持って行って下さいまし。」
 今度はやや近寄って、僧の前へ、片手、縁の外へ差出すと、先刻さっき口を指したまま、うろこでもありそうな汚い胸のあたりへ、ふらりと釣っていた手が動いて、ハタと横を払うと、発奮はずみか、さえか、折敷ぐるみ、バッタリ落ちて、昔々、かにつぶした渋柿に似てころりと飛んだ。
 僧はハアと息が長い。
 あまりの事にじって、我を忘れた女房、
「何をするんですよ。」
 一足退きつつ、
「そんな、そんな意地の悪いことをするもんじゃありません、お前さん、何が、そう気に入らないんです。」
 ときっといったが、腹立つ下に心弱く、
御坊おぼうさんに、おむすびなんか、差上げて、失礼だとおっしゃるの。
 それでは御膳おぜんにしてあげましょうか。
 そうしましょうかね。
 それでははじめから、そうしてあげるのだったんですが、手はなし、こうやって小児こどもに世話が焼けますのに、入相いりあいせわしいもんですから。……あの、茄子なすのつき加減なのがありますから、それでお茶づけをあげましょう。」
 薄暗がりにうなずいたように見て取った、女房は何となく心が晴れて機嫌よく、
「じゃ、そうしましょう/\。お前さん、何にもありませんよ。」
 勝手へ後姿になるに連れて、僧はのッそり、夜がかたまって入ったように、ぬいと縁側から上り込むと、表の六畳は一杯に暗くなった。
 これにギョッとして立淀たちよどんだけれども、さるにても婦人おんな一人。
 ただ、ちっとも早く無事に帰してしまおうと、灯をつけるももどかしく、良人おっとの膳を、と思うにつけて、自分の気の弱いのが口惜くやしかったけれども、目をねむって、やがて嬰児ちのみを襟に包んだ胸をふくらかに、膳を据えた。
「あの、なりたけ、早くなさいましよ、もう追ッつけ帰りましょう。内のはいっこくで、気が強いんでござんすから、知らない方をこうやって、また間違いにでもなると不可いけません、ようござんすか。」
 と茶碗にうずたかったのである。
 その時、の四隅をめて、真中処まんなかどころに、のッしりと大胡坐おおあぐらでいたが、足を向うざまに突き出すと、膳はひしゃげたように音もなくくつがえった。
「あれえ、」
 と驚いて女房は腰を浮かしてげさまに、すそを乱して、ハタと手をき、
「何ですねえ。」
 僧は大いなる口を開けて、また指した。その指で、かかるうちにも袖でかばった、女房の胸をじりりとさしつつ、
れい。)
 と聞いたと思うと、もう何にも知らなかった。
 我に返って、良人の姿を一目見た時、ひしと取縋とりすがって、わなわなと震えたが、余り力強く抱いたせいか、お浜はつめたくなっていた。
 こんな心弱いものに留守をさせて、良人がすなどる海の幸よ。
 その夜はやがて、砂白く、がけあおき、玲瓏れいろうたる江見の月に、やっこが号外、悲しげに浦をけ廻って、蒼海わたつみの浪ぞ荒かりける。

明治三十九年(一九〇六)年一月




 



底本:「泉鏡花集成4」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年10月24日第1刷発行
   2004(平成16)年3月20日第2刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第九卷」岩波書店
   1942(昭和17)年3月30日発行
入力:土屋隆
校正:門田裕志
2006年6月26日作成
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    「さんずい+散」    288-10

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