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海異記(かいいき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 12:23:36  点击:  切换到繁體中文



       十二

「ああ、何だか陰気になって、穴の中を見るようだよ。」
 とうら寂しげな夕間暮ゆうまぐれ生干なまび紅絹もみも黒ずんで、四辺あたりはもののいその風。
 やっこは、もと来たきびがらのせた地蔵の姿して、ずらりと立並ぶこみちを見返り、
「もっと町の方へ引越して、軒へ瓦斯燈がすとうでもけるだよ、兄哥あにやもそれだから稼ぐんだ。」
「いいえ、私ゃ、何も今のくらしにどうこうと不足をいうんじゃないんだわ。私は我慢をするけれどね、お浜が可哀かわいそうだから、号外屋でも何んでもいい、ほかの商売にしておくれって、三ちゃん、お前に頼むんだよ。内の人が心配をすると悪いから、お前決して、何んにもいうんじゃないよ、いかい、わかったの、三ちゃん。」
 と因果を含めるようにいわれて、枝のからすうなずき顔。
「むむ、じゃ何だ、腰に鈴をつけてけまわるだ、帰ったら一番、爺様じいさまと相談すべいか、だって、おあしにゃならねえとよ。」
 とやっこ悄乎しょげて指をむ。
「いいえさ、今が今というんじゃないんだよ。突然いきなりそんな事をいっちゃ不可いけないよ、まあ、話だわね。」
 と軽くいって、気をかえて身を起した、女房は張板はりいたをそっとで、
「慾張ったから乾き切らない。」
「何、あねさんが泣くからだ、」
 と唐突だしぬけにいわれたので、急に胸がせまったらしい。
「ああ、」
 と片袖かたそでを目にあてたが、はッとした風で、また納戸を見た。
「がさがさするね、鴉が入りやしまいねえ。」
 三之助はまた笑い、
「海から魚が釣りに来ただよ。」
「あれ、いやおどかしちゃ……」
 お浜がむずかって、蚊帳かやが動く。
「そら御覧な、目を覚ましたわね、人をおどかすもんだから、」
 と片頬かたほ莞爾にっこり、ちょいとにらんで、
「あいよ、あいよ、」
「やあ、目をさましたらそっと見べい。おらが、いろッて泣かしちゃ、仕事の邪魔するだから、先刻さっきから辛抱してただ。」と、かごとがましく身をくねる。
「おいなさいまし、ほほほ、ねえ、お浜、」
 と女房は暗い納戸で、母衣蚊帳ほろがやの前で身動みじろぎした。
「おっと、」
 やっこは縁に飛びついたが、
「ああ、跣足はだしあねさん。」
 とすねをもじもじ。
いいよ、お上りよ。」
「だって、あねさんは綺麗きれいずきだからな。」
「構わないよ、ねえ、」
 といって、抱き上げた頬摺ほおずりしつつ、横に見向いた顔が白い。
「やあ、もう笑ってら、今泣いたからすが、」
 と縁端えんはしに遠慮して遠くで顔をふって、あやしたが、
「ほんとに騒々しい烏だ。」
 と急に大人びて空を見た。夕空にむらむらとたけの堂を流れて出た、一団の雲の正中ただなかに、さっと揺れたようにドンと一発、ドドド、ドンと波に響いた。
「三ちゃん、」
「や、また爺さまが鴉をやった。遊んでるッて叱られら、早くいっておさえべい。」
「まあ、遊んでおいでよ。」
 と女房は、胸の雪を、に暖く解きながら、斜めに抱いて納戸口。

       十三

「ねえ、今に内の人が帰ったら、菜のものを分けておもらい、そうすりゃ叱られはしないからね。何だか、今日は寂しくッて、心細くッてならないから、もうちっと、遊んで行っておくれ、ねえ、お浜、もうおとっさんがお帰りだね。」
 と顔に顔、にいいながら縁へ出て来た。
 おくれ毛の、こぼれかかる耳に響いて、号外――号外――とうら寂しい。
「おや、もういってしまったんだよ。」
 女房は顔を上げて、
小児こどもだねえ」
 と独りでいったが、のきの下なる戸外おもてを透かすと、薄黒いのが立っている。
「何だねえ、人をだましてさ、まだ、そこに居るのかい、此奴こいつ、」
 と小児こどもたせたそうに、つかつかと寄ったが、ぎょっとして退すさった。
 檐下の黒いものは、身の丈三之助の約三倍、朦朧もうろうとしてつむりの円い、袖の平たい、入道であった。
 女房は身をしめて、キと唇を結んだのである。
 時に身じろぎをしたとおぼしく、たたずんだ僧の姿は、張板はりいたの横へ揺れたが、ちょうど浜へ出るその二頭の猛獣にまもられた砂山の横穴のごとき入口を、幅一杯にふさいで立った。背高き形が、わきへ少し離れたので、もう、とっぷり暮れたと思う暗さだった、今日はまだ、一条ひとすじ海の空に残っていた。良人おっとが乗った稲葉丸は、その下あたりをかすかな横雲。
 それにすかすと、背のあたりへぼんやりと、どこからか霧が迫って来て、身のまわりを包んだので、せたか、肥えたか知らぬけれども、くぼんだ目の赤味を帯びたのと、とがって黒い鼻の高いのが認められた。衣は潮垂れてはいないが、潮は足あとのように濡れて、砂浜を海方うみてへ続いて、且つその背のあたりがしきりに息をくと見えて、わなないているのである。
 心弱き女房も、直ちにこれを、怪しき海の神の、人をあさるべく海からあらわれたとは、余りのあたりゆえ考えず。女房は、ただ総毛立った。
 けれども、いやな、気味の悪い乞食坊主こじきぼうずが、村へ流れ込んだと思ったので、そう思うと同時に、ばたばたと納戸へ入って、箪笥たんすそばなる暗い隅へ、横ざまに片膝かたひざつくと、せわしく、しかし、ほとんど無意識に、鳥目ちょうもくを。
 早くってもらいたさの、女房は自分も急いで、表の縁へするすると出て、此方こなたに控えながら、
「はい、」
 という、それでも声は優しい女。
 薄黒い入道は目を留めて、その挙動ふるまいを見るともなしに、此方こなた起居たちいを知ったらしく、今、報謝をしようと嬰児あかごを片手に、を差出したのを見も迎えないで、大儀らしく、かッたるそうにつむりを下に垂れたまま、ゆるく二ツばかりかぶりったが、さも横柄おうへいに見えたのである。
 また泣き出したをゆすりながら、女房は手持無沙汰てもちぶさたすずしい目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはったが、
「何ですね、何がほしいんですね。」
 となお物貰ものもらいという念はせぬ。
 ややあって、ねずみの衣の、どこが袖ともなしに手首を出して、僧は重いもののように指を挙げて、その高い鼻の下を指した。
 指すとともに、ハッという息をく。
 かれ飢えたり矣。
「三ちゃん、お起きよ。」
 ああ居てくれればかった、とやっこの名を心ゆかし、女房は気転らしく呼びながら、また納戸へ。

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