三
こんな年していうことの、世帯じみたも暮向き、塩焼く煙も一列に、おなじ霞の藁屋同士と、女房は打微笑み、
「どうも、三ちゃん、感心に所帯じみたことをおいいだねえ。」
奴は心づいて笑い出し、
「ははは、所帯じみねえでよ、姉さん。こんのお浜ッ子が出来てから、己なりたけ小遣はつかわねえ。吉や、七と、一銭こを遣ってもな、大事に気をつけてら。玩弄物だのな、飴だのな、いろんなものを買って来るんだ。」
女房は何となく、手拭の中に伏目になって、声の調子も沈みながら、
「三ちゃんは、どうしてそんなだろうねえ。お前さんぐらいな年紀恰好じゃ、小児の持っているものなんか、引奪っても自分が欲い時だのに、そうやってちっとずつ皆から貰うお小遣で、あの児に何か買ってくれてさ。姉さん、しみじみ嬉しいけれど、ほんとに三ちゃん、お前さん、お食りなら可い、気の毒でならないもの。」
奴は嬉しそうに目を下げて、
「へへ、何、ねえだよ、気の毒な事はちっともねえだよ。嫁さんが食べる方が、己が自分で食べるより旨いんだからな。」
「あんなことをいうんだよ。」
と女房は顔を上げて莞爾と、
「何て情があるんだろう。」
熟と見られて独で頷き、
「だって、男は誰でもそうだぜ。兄哥だってそういわあ。船で暴風雨に濡れてもな、屋根代の要らねえ内で、姉さんやお浜ッ児が雨露に濡れねえと思や、自分が寒い気はしねえとよ。」
「嘘ばッかり。」
と対手が小児でも女房は、思わずはっと赧らむ顔。
「嘘じゃねえだよ、その代にゃ、姉さんもそうやって働いてるだ。
なあ姉さん、己が嫁さんだって何だぜ、己が漁に出掛けたあとじゃ、やっぱり、張ものをしてくんねえじゃ己厭だぜ。」
「ああ、しましょうとも、しなくってさ、おほほ、三ちゃん、何を張るの。」
「え、そりゃ、何だ、またその時だ、今は着たッきりで何にもねえ。」
と面くらった身のまわり、はだかった懐中から、ずり落ちそうな菓子袋を、その時縁へ差置くと、鉄砲玉が、からからから。
「号外、号外ッ、」と慌しく這身で追掛けて平手で横ざまにポンと払くと、ころりとかえるのを、こっちからも一ツ払いて、くるりとまわして、ちょいとすくい、
「は、」
とかけ声でポンと口。
「おや、御馳走様ねえ。」
三之助はぐッと呑んで、
「ああ号外、」と、きょとりとする。
女房は濡れた手をふらりとさして、すッと立った。
「三ちゃん。」
「うむ、」
「お前さん、その三尺は、大層色気があるけれど、余りよれよれになったじゃないか、ついでだからちょいとこの端へはっておいて上げましょう。」
「何こんなものを。」
とあとへ退り、
「いまに解きます繻子の帯……」
奴は聞き覚えの節になり、中音でそそりながら、くるりと向うむきになったが早いか、ドウとしたたかな足踏して、
「わい!」
日向へのッそりと来た、茶の斑犬が、びくりと退って、ぱっと砂、いや、その遁げ状の慌しさ。
四
「状を見ろ、弱虫め、誰だと思うえ、小烏の三之助だ。」
と呵々と笑って大得意。
「吃驚するわね、唐突に怒鳴ってさ、ああ、まだ胸がどきどきする。」
はッと縁側に腰をかけた、女房は草履の踵を、清くこぼれた褄にかけ、片手を背後に、あらぬ空を視めながら、俯向き通しの疲れもあった、頻に胸を撫擦る。
「姉さんも弱虫だなあ。東京から来て大尽のお邸に、褄を引摺っていたんだから駄目だ、意気地はねえや。」
女房は手拭を掻い取ったが、目ぶちのあたりほんのりと、逆上せた耳にもつれかかる、おくれ毛を撫でながら、
「厭な児だよ、また裾を、裾をッて、お引摺りのようで人聞きが悪いわね。」
「錦絵の姉様だあよ、見ねえな、皆引摺ってら。」
「そりゃ昔のお姫様さ。お邸は大尽の、稲葉様の内だって、お小間づかいなんだもの、引摺ってなんぞいるものかね。」
「いまに解きます繻子の帯とけつかるだ。お姫様だって、お小間使だって、そんなことは構わねえけれど、船頭のおかみさんが、そんな弱虫じゃ不可ねえや、ああ、お浜ッ児はこうは育てたくないもんだ。」と、機械があって人形の腹の中で聞えるような、顔には似ない高慢さ。
女房は打笑みつつ、向直って顔を見た。
「ほほほ、いうことだけ聞いていると、三ちゃんは、大層強そうだけれど、その実意気地なしッたらないんだもの、何よ、あれは?」
「あれはッて?」と目をぐるぐる。
「だって、源次さん千太さん、理右衛門爺さんなんかが来ると……お前さん、この五月ごろから、粋な小烏といわれないで、ベソを掻いた三之助だ、ベソ三だ、ベソ三だ。ついでに鯔と改名しろなんて、何か高慢な口をきく度に、番ごと籠められておいでじゃないか。何でも、恐いか、辛いかしてきっと沖で泣いたんだよ。この人は、」とおかしそうに正向に見られて、奴は、口をむぐむぐと、顱巻をふらりと下げて、
「へ、へ、へ。」と俯向いて苦笑い。
「見たが可い、ベソちゃんや。」
と思わず軽く手をたたく。
「だって、だって、何だ、」
と奴は口惜しそうな顔色で、
「己ぐらいな年紀で、鮪船の漕げる奴は沢山ねえぜ。
ここいらの鼻垂しは、よう磯だって泳げようか。たかだか堰でめだかを極めるか、古川の浅い処で、ばちゃばちゃと鮒を遣るだ。
浪打際といったって、一畝り乗って見ねえな、のたりと天上まで高くなって、嶽の堂は目の下だ。大風呂敷の山じゃねえが、一波越すと、谷底よ。浜も日本も見えやしねえで、お星様が映りそうで、お太陽様は真蒼だ。姉さん、凪の可い日でそうなんだぜ。
処を沖へ出て一つ暴風雨と来るか、がちゃめちゃの真暗やみで、浪だか滝だか分らねえ、真水と塩水をちゃんぽんにがぶりと遣っちゃ、あみの塩からをぺろぺろとお茶の子で、鼻唄を唄うんだい、誰が沖へ出てベソなんか。」
と肩を怒らして大手を振った、奴、おまわりの真似して力む。
「じゃ、何だって、何だってお前、ベソ三なの。」
「うん、」
たちまち妙な顔、けろけろと擬勢の抜けた、顱巻をいじくりながら、
「ありゃね、ありゃね、へへへ、号外だ、号外だ。」
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