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海異記(かいいき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 12:23:36  点击:  切换到繁體中文



       三

 こんな年していうことの、世帯じみたも暮向くらしむき、塩焼く煙も一列ひとつらに、おなじかすみ藁屋わらや同士と、女房は打微笑うちほほえみ、
「どうも、三ちゃん、感心に所帯じみたことをおいいだねえ。」
 やっこは心づいて笑い出し、
「ははは、所帯じみねえでよ、あねさん。こんのお浜ッ子が出来てから、おらなりたけ小遣こづかいはつかわねえ。吉や、七と、一銭いちもんこをってもな、大事に気をつけてら。玩弄物おもちゃだのな、あめだのな、いろんなものを買って来るんだ。」
 女房は何となく、手拭てぬぐいうち伏目ふしめになって、声の調子も沈みながら、
「三ちゃんは、どうしてそんなだろうねえ。お前さんぐらいな年紀恰好としかっこうじゃ、小児こどもの持っているものなんか、引奪ひったくっても自分がほしい時だのに、そうやってちっとずつみんなからもらうお小遣で、あのに何か買ってくれてさ。ねえさん、しみじみ嬉しいけれど、ほんとに三ちゃん、お前さん、おあがりならい、気の毒でならないもの。」
 やっこは嬉しそうに目を下げて、
「へへ、何、ねえだよ、気の毒な事はちっともねえだよ。嫁さんが食べる方が、おらが自分で食べるよりうまいんだからな。」
「あんなことをいうんだよ。」
 と女房は顔を上げて莞爾にっこりと、
「何て情があるんだろう。」
 じっと見られてひとりうなずき、
「だって、男は誰でもそうだぜ。兄哥あにやだってそういわあ。船で暴風雨あらしに濡れてもな、屋根代の要らねえ内で、あねさんやお浜ッが雨露に濡れねえと思や、自分が寒い気はしねえとよ。」
「嘘ばッかり。」
 と対手あいて小児こどもでも女房は、思わずはっとあからむ顔。
「嘘じゃねえだよ、そのかわりにゃ、姉さんもそうやって働いてるだ。
 なあ姉さん、おらが嫁さんだって何だぜ、己が漁に出掛けたあとじゃ、やっぱり、はりものをしてくんねえじゃ己いやだぜ。」
「ああ、しましょうとも、しなくってさ、おほほ、三ちゃん、何を張るの。」
「え、そりゃ、何だ、またその時だ、今は着たッきりで何にもねえ。」
 と面くらった身のまわり、はだかった懐中ふところから、ずり落ちそうな菓子袋を、その時縁へ差置くと、鉄砲玉が、からからから。
「号外、号外ッ、」とあわただしく這身はいみで追掛けて平手で横ざまにポンとはたくと、ころりとかえるのを、こっちからも一ツ払いて、くるりとまわして、ちょいとすくい、
「は、」
 とかけ声でポンと口。
「おや、御馳走様ごちそうさまねえ。」
 三之助はぐッとんで、
「ああ号外、」と、きょとりとする。
 女房は濡れた手をふらりとさして、すッと立った。
「三ちゃん。」
「うむ、」
「お前さん、その三尺は、大層色気があるけれど、余りよれよれになったじゃないか、ついでだからちょいとこの端へはっておいて上げましょう。」
「何こんなものを。」
 とあとへ退すさり、
「いまに解きます繻子しゅすの帯……」
 やっこは聞き覚えの節になり、中音でそそりながら、くるりと向うむきになったが早いか、ドウとしたたかな足踏あしぶみして、
「わい!」
 日向ひなたへのッそりと来た、茶の斑犬ぶちが、びくりと退すさって、ぱっと砂、いや、そのざまあわただしさ。

       四

ざまを見ろ、弱虫め、誰だと思うえ、小烏の三之助だ。」
 と呵々からからと笑って大得意。
吃驚びっくりするわね、唐突だしぬけに怒鳴ってさ、ああ、まだ胸がどきどきする。」
 はッと縁側に腰をかけた、女房は草履のかかとを、清くこぼれたつまにかけ、片手を背後うしろに、あらぬ空をながめながら、俯向うつむき通しの疲れもあった、しきりに胸を撫擦なでさする。
あねさんも弱虫だなあ。東京から来て大尽のおやしきに、褄を引摺ひきずっていたんだから駄目だ、意気地はねえや。」
 女房は手拭をい取ったが、ぶちのあたりほんのりと、逆上のぼせた耳にもつれかかる、おくれ毛を撫でながら、
いやだよ、またすそを、裾をッて、お引摺りのようで人聞きが悪いわね。」
錦絵にしきえ姉様あねさまだあよ、見ねえな、みんな引摺ってら。」
「そりゃ昔のお姫様さ。お邸は大尽の、稲葉様の内だって、お小間づかいなんだもの、引摺ってなんぞいるものかね。」
「いまに解きます繻子しゅすの帯とけつかるだ。お姫様だって、お小間使だって、そんなことは構わねえけれど、船頭のおかみさんが、そんな弱虫じゃ不可いけねえや、ああ、お浜ッはこうは育てたくないもんだ。」と、機械があって人形の腹の中で聞えるような、顔には似ない高慢さ。
 女房は打笑みつつ、向直って顔を見た。
「ほほほ、いうことだけ聞いていると、三ちゃんは、大層強そうだけれど、その実意気地なしッたらないんだもの、何よ、あれは?」
「あれはッて?」と目をぐるぐる。
「だって、源次さん千太さん、理右衛門爺りえもんじいさんなんかが来ると……お前さん、この五月ごろから、いきな小烏といわれないで、ベソを掻いた三之助だ、ベソ三だ、ベソ三だ。ついでにぼらと改名しろなんて、何か高慢な口をきく度に、番ごとめられておいでじゃないか。何でも、こわいか、辛いかしてきっと沖で泣いたんだよ。この人は、」とおかしそうに正向まむきに見られて、やっこは、口をむぐむぐと、顱巻はちまきをふらりと下げて、
「へ、へ、へ。」と俯向いて苦笑い。
「見たがい、ベソちゃんや。」
 と思わず軽く手をたたく。
「だって、だって、何だ、」
 とやっこ口惜くやしそうな顔色で、
おらぐらいな年紀としで、鮪船まぐろぶねげるやつ沢山たんとねえぜ。
 ここいらの鼻垂はなったらしは、よういそだって泳げようか。たかだかせきでめだかをめるか、古川の浅い処で、ばちゃばちゃとふなるだ。
 浪打際といったって、一畝ひとうねり乗って見ねえな、のたりと天上まで高くなって、たけの堂は目の下だ。大風呂敷の山じゃねえが、一波越すと、谷底よ。浜も日本も見えやしねえで、お星様が映りそうで、お太陽様てんとうさま真蒼まっさおだ。あねさん、なぎい日でそうなんだぜ。
 処を沖へ出て一つ暴風雨しけと来るか、がちゃめちゃの真暗まっくらやみで、浪だか滝だか分らねえ、真水と塩水をちゃんぽんにがぶりと遣っちゃ、あみの塩からをぺろぺろとお茶の子で、鼻唄を唄うんだい、誰が沖へ出てベソなんか。」
 と肩を怒らして大手を振った、やっこ、おまわりの真似まねして力む。
「じゃ、なんだって、何だってお前、ベソ三なの。」
「うん、」
 たちまち妙な顔、けろけろと擬勢の抜けた、顱巻はちまきをいじくりながら、
「ありゃね、ありゃね、へへへ、号外だ、号外だ。」

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