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海異記(かいいき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 12:23:36  点击:  切换到繁體中文

底本: 泉鏡花集成4
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1995(平成7)年10月24日
入力に使用: 2004(平成16)年3月20日第2刷
校正に使用: 1995(平成7)年10月24日第1刷


底本の親本: 鏡花全集 第九卷
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1942(昭和17)年3月30日

 

     一

 砂山を細く開いた、両方のすそが向いあって、あたかも二頭の恐しき獣のうずくまったような、もうちっとで荒海へ出ようとする、みちかたえに、がけに添うて、一軒漁師の小家こいえがある。
 崖はそもそも波というものの世を打ちはじめた昔から、がッきとくろがねたていて、幾億ひろとも限り知られぬ、うしおの陣を防ぎ止めて、崩れかかる雪のごとくしのぎを削る頼母たのもしさ。砂山に生えまじる、かやすすきはやがて散り、はた年ごとに枯れ果てても、千代ちよ万代よろずよの末かけて、いわおは松の緑にして、霜にも色は変えないのである。
 さればこそ、松五郎。我がいさましき船頭は、波打際の崖をたよりに、お浪という、その美しき恋女房と、愛らしき乳児ちのみを残して、日ごとに、くだんかどの前なる細路へ、とその後姿、相対あいむかえる猛獣の間に突立つったつよと見れば、直ちに海原うなばらくぐるよう、砂山を下りて浜に出て、たちまち荒海をぎ分けて、飛ぶかもめよりなお高く、見果てぬ雲に隠るるので。
 留守はただいそ吹く風に藻屑もくずにおいの、たすきかけたるかいなに染むが、浜百合のかおりより、空燻そらだきより、女房には一際ひときわゆかしく、小児こどもを抱いたり、頬摺ほおずりしたり、子守唄うとうたり、つづれさしたり、はりものしたり、松葉で乾物ひものをあぶりもして、寂しく今日を送る習い。
 浪の音にはれた身も、とりに驚きて、添臥そいぶしの夢を破り、かどきあけてくまなき月に虫の音のすだくにつけ、夫恋しき夜半よわの頃、寝衣ねまきに露を置く事あり。もみじのような手を胸に、弥生やよいの花も見ずに過ぎ、若葉の風のたよりにもの声にのみ耳を澄ませば、生憎あやにく待たぬ時鳥ほととぎす。鯨の冬のすさまじさは、逆巻き寄する海のきばに、涙に氷るまくらを砕いて、泣く児をゆするは暴風雨あらしならずや。
 母はかいなのなゆる時、父は沖なる暗夜の船に、雨と、波と、風と、艪と、雲と、魚と渦巻く活計なりわい
 津々浦々到る処、同じ漁師の世渡りしながら、南はあたたかに、北は寒く、一条路ひとすじみちにも蔭日向かげひなたで、房州も西向にしむきの、館山たてやま北条とは事かわり、その裏側なる前原、鴨川かもがわ、古川、白子しらこ忽戸ごっとなど、就中なかんずく船幽霊ふなゆうれいの千倉が沖、江見和田などの海岸は、風に向いたる白帆の外には一重ひとえの遮るものもない、太平洋の吹通し、人も知ったる荒磯海ありそうみ
 この一軒屋は、その江見の浜の波打際に、城の壁とも、石垣とも、岸を頼んだ若木の家造やづくり、近ごろ別家をしたばかりで、いたかやさえ浅みどり、新藁しんわらかけた島田が似合おう、女房は子持ちながら、年紀としはまだ二十二三。
 去年ちょうど今時分、秋のはじめが初産ういざんで、お浜といえばいさごさえ、敷妙しきたえ一粒種ひとつぶだね。日あたりの納戸に据えた枕蚊帳まくらがやあおき中に、昼の蛍の光なく、すやすやと寐入ねいっているが、可愛らしさは四辺あたりにこぼれた、畳も、縁も、手遊おもちゃ玩弄物おもちゃ
 犬張子いぬはりこが横に寝て、起上り小法師こぼしのころりとすわった、縁台に、はりもの板を斜めにして、添乳そえぢ衣紋えもんも繕わず、あねさんかぶりをかろくして、たすきがけの二の腕あたり、日ざしに惜気おしげなけれども、都育ちの白やかに、紅絹もみきれをぴたぴたと、指を反らした手のさばき、波の音のしらべに連れて、琴の糸を辿たどるよう、世帯染みたがなお優しい。
 秋日和の三時ごろ、人の影より、きびの影、一つ赤蜻蛉あかとんぼの飛ぶ向うのあぜを、威勢のい声。
「号外、号外。」

       二

「三ちゃん、何の号外だね、」
 と女房は、毎日のように顔を見る同じ漁場りょうば馴染なじみやっこはりものにうつむいたまま、徒然つれづれらしい声を懸ける。
 片手を懐中ふところ突込つっこんで、どう、してこました買喰かいぐいやら、一番蛇をんだ袋を懐中ふところ微塵棒みじんぼうを縦にして、前歯でへし折ってかじりながら、縁台の前へにょっきりと、吹矢が当って出たような福助頭に向う顱巻はちまき少兀すこはげの紺の筒袖つつそで、どこの媽々衆かかあしゅうもらったやら、浅黄あさぎ扱帯しごきの裂けたのを、縄にった一重ひとえまわし、小生意気に尻下しりさがり。
 これが親仁おやじ念仏爺ねんぶつじじいで、網の破れを繕ううちも、数珠じゅずを放さず手にかけながら、むぐらの中の小窓の穴から、隣の柿の木、裏の屋根、烏をじろりと横目にのぞくと、いつも前はだけの胡坐あぐらひざへ、台尻重く引つけ置く、三代相伝の火縄銃、のッそりと取上げて、フッと吹くと、ぱッと立つ、障子のほこりが目に入って、涙は出ても、ねらいは違えず、真黒まっくろな羽をばさりと落して、やっこ、おさえろ、と見向みむきもせず、また南無阿弥陀なむあみだで手内職。
 晩のおかずに、煮たわ、喰ったわ、その数三万三千三百さるほどにじいの因果が孫にむくって、渾名あだな小烏こがらすの三之助、数え年十三の大柄なわっぱでござる。
 掻垂かきたれ眉を上と下、大きな口で莞爾にっこりした。
姉様あねさんおらの号外だよ。今朝、号外に腹が痛んだで、稲葉丸さ号外になまけただが、直きまた号外に治っただよ。」
「それは困ったねえ、それでもすっかり治ったの。」と紅絹切もみぎれの小耳を細かく、ちょいちょいちょいとのばしていう。
「ああ号外だ。もう何ともありやしねえや。」
「だって、お前さん、そんなことをしちゃまたお腹が悪くなるよ。」
「何をよ、そんな事ッて。なあ、姉様あねさん、」
「甘いものを食べてさ、がりがりかじって、乱暴じゃないかねえ。」
「うむ、これかい。」
 と目をうわざまに細うして、下唇をぺろりとめた。肩もすねも懐も、がさがさと袋をゆすって、
「こりゃ、何よ、何だぜ、あのう、おらが嫁さんにろうと思って、おんばが店で買って来たんで、うまそうだから、しょこなめたい。たった一ツだな。みんな嫁さんに遣るんだぜ。」
 とくるりと、はり板に並んでむきをかえ、縁側に手をいて、納戸の方をのぞきながら、
「やあ、寝てやがら、姉様あねさんおらが嫁さんはねんねかな。」
「ああ、今しがた昼寝をしたの。」
「人情がないぜ、なあ、おらが旨いものを持って来るのに。
 ええ、おい、起きねえか、お浜ッ。へ、」
 とのめずるようにうなじすくめ、腰を引いて、
「何にもいわねえや、はえばかり、ぶんぶんいってまわってら。」
「ほんとにひどい蠅ねえ、蚊が居なくッても昼間だって、ああして蚊帳へ入れて置かないとね、可哀かわいそうなようにたかるんだよ。それにこうやってのりがあるもんだからね、うるさいッちゃないんだもの。三ちゃん、お前さんのとこなんぞも、やっぱりこうかねえ、浜へはちっとでも放れているから、それでも幾干いくらか少なかろうねえ。」
「やっぱり居ら、居るどころか、もっと居ら、どしこと居るぜ。一つかみ打捕ふんづかめえて、岡田螺おかだにしとか何とかいって、おつけの実にしたいようだ。」
 とけろりとして真顔にいう。

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