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怨霊借用(おんりょうしゃくよう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 12:21:38  点击:  切换到繁體中文



       二

「飛んだ事を、お嬢さんは何も御存じではござりません。ただ、死にます晩の、その提灯ちょうちんの火を、お手ずからけて遣わされただけでござります。」
 お桂はそのまま机にった、袖が直って、八口やつくちが美しい。
「その晩も、小一按摩が、御当家へ、こッつりこッつりと入りまして、お帳場へ、精霊棚しょうりょうだなからぶら下りましたように。――もっとももう時雨の頃で――その瓢箪ひょうたん頭を俯向うつむけますと、(おい、霞の五番さんじゃ、今夜御療治はないぞ。)と、こちらに、年久しい、半助と云う、送迎おくりむかえなり、宿引やどひきなり、手代なり、……頑固で、それでちょっと剽軽ひょうきんな、御存じかも知れません。威勢のいい、」
「あれだね。」
 と欣七郎が云うと、お桂は黙ってうなずいた。
「半助がそう申すと、びしゃびしゃと青菜に塩になりましたっけが、(それでは外様ほかさまを伺います。)(ああ、行って来な。内じゃお座敷を廻らせないんだが、お前の事だ。)もっとも、(霞の五番さん)大島屋さんのお上さんのほかには、好んでませはござりません。――どこをどう廻りましたか、宵に来た奴が十時過ぎ、船をいだものが故郷へ立帰ります時分に、ぽかんと帳場へ戻りまして、かしこまって、で、帰りがけに、(今夜はやみでございます、提灯を一つ。)と申したそうで、(おい、来た。)村の衆が出入りの便宜同様に、気軽に何心なく出したげで。――ここがその、少々変な塩梅あんばいなのでござりまして、先が盲だとも、盲だからとも、乃至ないし、目あきでないとも、そんな事は一向心着かず……それには、ひけ頃で帳場もちょっとごたついていたでもござりましょうか。その提灯に火をともしてやらなかったそうでござりますな。――後での話でござりますが。」
「おやおや、しかし、ありそうな事だ。」
「はい、その提灯を霞の五番へ持って参じました、小按摩が、逆戻りに。――(お桂さん。)うちのものは、皆お心安だてにお名を申して呼んでおります。そこは御大家でも、お商人あきんど難有ありがたさで、これがおやしきづら……」
 くしゃみ出損でそこなった顔をしたが、半間はんまに手を留めて、はらわたのごとく手拭てぬぐいを手繰り出して、蝦蟇口がまぐちの紐にからむので、よじってうつむけに額をいた。
 意味は推するに難くない。
 欣七郎は、金口きんぐちけながら、
「構わない構わない、俺も素町人だ。」
「いえ、そういうわけではござりませんが。――そのお桂様に、(暗闇くらやみの心細さに、提灯を借りましたけれど、盲に何が見えると、帳場で笑いつけて火を貸しません、どうぞお慈悲……おなさけに。)と、それ、不具かたわ根性、ひがんだ事を申しますて。お上さんは、もうお床で、こう目をぱっちりと見てござったそうにござります。ところで、お娘ごは何の気なしに点けておやりになりました。――さて、霞から、ずっと参れば玄関へ出られますものを、どういうものか、廊下々々を大廻りをして、この……花から雪を掛けて千鳥に縫って出ましたそうで。……井菊屋のしるしはござりますが、陰気にともして、暗い廊下を、黄色な鼠の霜げた小按摩が、影のように通ります。この提灯が、やがて、その夜中に、釜ヶ淵の上、土手の夜泣松の枝にさがって、小一は淵へ、いわの上に革緒かわおの足駄ばかり、と聞いて、お一方ひとかた病人が出来ました。……」
「ああ、娘さんかね。」
「それは……いえ、お優しいお嬢様の事でござります……親しく出入をしたものが、身を投げたとお聞きなされば、可哀相――とは、……それはさ、思召したでござりましょうが、何の義理時宜じんぎに、お煩いなさっていものでござります。病みつきましたのは、雪にござった、独身の御老体で。……
 京阪地かみがたの方だそうで、長逗留ながとうりゅうでござりました。――カチリ、」
 と言った。按摩にはえた音。
「カチリ、へへッへッ。」
 とベソを掻いた顔をする。
 欣七郎は引入れられて、
「カチリ?……どうしたい。」
「おかんざしが抜けて落ちました音で。」
「簪が?……ちょっと。」
 名は呼びかねつつ注意する。
「いいえ。」
 婀娜あでな夫人が言った。
「ええ、滅相な……奥方様、唯今ではござりません。その当時の事で。……上方かみがたのお客が宵寐よいねが覚めて、退屈さにもう一風呂と、お出かけなさる障子際へ、すらすらと廊下を通って、大島屋のお桂様が。――と申すは、唯今の花、このお座敷、あるいはお隣に当りましょうか。お娘ごには叔父ごにならっしゃる、富沢町さんと申して両国の質屋のだんが、ちょっとおつな寸法のわかい御婦人と御楽おたのしみ、で、おおきいお上さんは、苦い顔をしてござったれど、そこは、長唄のお稽古ともだちか何かで、お桂様は、その若いのと知合でおいでなさる。そこへ――ここへでござります……貴女あなたのお座敷は、その時は別棟、向うの霞で。……こちらへ遊びに見えました。もし、そのお帰りがけなのでござりますて。
 上方の御老体が、それなり開けると出会頭であいがしらになります。出口が次の間で、もう床の入りました座敷のふすまは暗し、また雪と申すのが御存じの通り、当館切っての北国ほっこくで、廊下も、それはしからず陰気だそうでござりますので、わしどもでも手さぐりでヒヤリとします。暗い処を不意に開けては、若いお娘ご、吃驚びっくりもなさろうと、ふと遠慮して立たっせえた。……お通りすがりが、何とも申されぬいい匂で、その香をたよりに、いきなり、横合の暗がりから、お白いえりかじりついたものがござります。」……
「…………」
「声はお立てになりません、が、お桂様が、少しかがみなりに、さっと島田を横にお振りなすった、その時カチリと音がしました。思わず、えへんとせきをして、御老体がのぞいてござった障子の破れめへそのまま手を掛けて、お開けなさると、するりと向うへ、お桂様は庭の池の橋がかりの上を、両袖を合せて、小刻みにおいでなさる。蝙蝠こうもりだか、蜘蛛だか、やっこは、それなり、その角の片側の寝具部屋やぐべやへ、ごそりとも言わず消えたげにござりますがな。
 たしかに、カチリと、かんざしの落ちた音。お拾いなすった間もなかったがと、御老体はお目敏めざとい。……翌朝、気をつけて御覧なさると、欄干が取附けてござります、巌組いわぐみへ、池から水の落口の、きれいな小砂利の上に、巌の根に留まって、きらきら水が光って、もし、小雨のようにさします朝晴の日の影に、あたりの小砂利は五色ごしきに見えます。これは、その簪のたちばなしべに抱きました、真珠の威勢かにも申しますな。水は浅し、拾うのに仔細しさいなかったでございますれども、御老体が飛んだ苦労をなさいましたのは……夜具部屋から、膠々にちゃにちゃ粘々を筋を引いて、時なりませぬ蛞蝓なめくじの大きなのが一匹……ずるずるとあとを輪取って、舐廻なめまわって、ちょうど簪の見当の欄干の裏へ這込はいこんだのが、屈んだ鼻のさきに見えました。――これには難儀をなすったげで。はい、もっとも、簪がお娘ごのおぐしへ戻りましたについては、御老体から、大島屋のお上さんに、その辺のな、もし、従って、小按摩もそれとなくお遠ざけになったに相違ござりません、さ、さ、この上方の御仁ごじんでござりますよ。――あくる晩の夜ふけに、提灯を持った小按摩を見て、お煩いなさったのは。――御老体にして見れば、そこらのゆきがかり上、死際しにぎわのめくらが、面当つらあてに形をあらわしたように思召しましたろうし、立入って申せば、小一の方でも、そのつもりでござりましたかも分りません。勿論、当のお桂様は、何事も御存じはないのでござります。第一、簪のカチリも、咳のえへんも、その御老体が、その後三度めにか四度めにか湯治にござって、(もう、あのおも、円髷まるまげに結われたそうな。実は、)とこれから帳場へも、つい出入でいりのものへも知れ渡りましたでござります。――ところが、大島屋のお上さんはおなくなりなさいます、あとで、お嫁入など、かたがた、三年にも四年にも、さっぱりおいでがござりません。もっともお栄え遊ばすそうで。……ただ、もし、この頃も承りますれば、その上方の御老体は、今年当月も御湯治で、つい四五日しごんちあとにお立ちかえりだそうでござりますが。――ふと、その方が御覧になったら、今度のは御病気どころか、そのまま気絶をなさろうかも知れませぬ。
 ――夜泣松の枝へ、提灯を下げまして、この……旧暦の霜月、二十七日でござりますな……真の暗やみの薄明うすあかりに、しょんぼりとかがんでおります。そのむくみ加減といい、瓢箪頭のひしゃげました工合ぐあい、肩つき、そっくりしょうのものそのままだと申すことで……現に、それ。」
「ええ。」
 お桂もぞッとしたように振向いて肩をすぼめた。
「わしどもが、こちらへ伺います途中でも、もの好きなのは、見て来た、見に行くと、高声で往来が騒いでいました。」

 謙斎のこの話のいとぐちも、はじめは、その事からはじまった。
 それ、谿川たにがわの瀬、池水の調べにかよって、チャンチキ、チャンチキ、鉦入かねいりに、笛の音、太鼓のひびきが、流れつ、かれつ、星のしずかに、波を打って、手に取るごとく聞えよう。
 実は、この温泉の村に、あらたに町制が敷かれたのと、山手やまのてに遊園地が出来たのと、名所に石の橋が竣成したのと、橋の欄干に、花電燈がいたのと、従って景気がいのと、もうかるのと、ただその一つさえ祭の太鼓はにぎわうべき処に、繁昌はんじょう合奏オオケストラるのであるから、鉦は鳴す、笛は吹く、続いて踊らずにはいられない。
 何年めかに一度という書入れ日がまた快晴した。
 昼は屋台が廻って、この玄関前へも練込んで来て、芸妓連げいしゃれんは地に並ぶ、雛妓おしゃくたちに、町の小女こおんなまじって、一様の花笠で、湯の花踊と云うのをった。屋台のまがきに、藤、菖蒲あやめ牡丹ぼたんの造り花は飾ったが、その紅紫の色を奪って目立ったのは、膚脱はだぬぎより、帯の萌葱もえぎと、伊達巻の鬱金うこん縮緬ちりめんで。揃って、むらはげ白粉おしろいが上気して、日向ひなたで、むらむらと手足を動かす形は、菜畠なばたけであからさまに狐が踊った。チャンチキ、チャンチキ、田舎の小春の長閑のどけさよ。
 客は一統、女中たち男衆おとこしゅまで、こぞって式台に立ったのが、左右に分れて、妙に隅を取って、吹溜ふきだまりのようにかさなり合う。真中まんなか拭込ふきこんだ大廊下が通って、奥に、霞へ架けた反橋そりはしが庭のもみじに燃えた。池の水の青く澄んだのに、葉ざしの日加減で、薄藍うすあいに、おぼろの銀に、青い金に、鯉の影が悠然と浮いて泳いで、見ぶつに交った。ひとりお桂さんの姿を、肩を、つまを、帯腰を、彩ったものであった。
 この夫婦は――新婚旅行の意味でなく――四五年来、久しぶりに――一昨日温泉へ着いたばかりだが、既に一週間も以前から、今日の祝日の次第、献立がきが、処々ところどころくれないの二重圏点つきの比羅びらになって、辻々、塀、大寺の門、橋の欄干にあらわれて、芸妓げいしゃ屋台囃子やたいばやしとともに、最も注意を引いたのは、仮装行列のもよおしであった。有志と、二重圏点、かさねて、飛入勝手次第として、祝賀委員が、審議の上、その仮装の優秀なるものには、三等まで賞金美景を呈すとしたのに、読者もあらためて御注意を願いたい。
 だから、踊屋台の引いて帰る囃子の音に誘われて、お桂が欣七郎とともに町に出た時は、橋の上で弁慶に出会い、豆府屋から出る緋縅ひおどしの武者を見た。床屋の店に立掛たちかかったのは五人男の随一人、だてにさした尺八に、かりがねと札を着けた。犬だって浮かれている。石垣下には、あひるが、がいがいと鳴立てた、が、それはこの川に多い鶺鴒せきれいが、仮装したものではない。
 泰西の夜会の例に見ても、由来仮装は夜のものであるらしい。委員と名のる、ものしりが、そんな事は心得た。行列は午後五時よりと、比羅にしたためてある。昼はかくれて、不思議な星のごとく、さっの幕を切ってあらわれるはずの処を、それらの英雄侠客きょうかくは、髀肉ひにくたんに堪えなかったに相違ない。かと思えば、桶屋おけやの息子の、竹を削って大桝形おおますがたに組みながら、せっせと小僧に手伝わして、しきりに紙をっているのがある。通りがかりの馬方と問答する。「おいらはめようと思ったが、この景気じゃあ、とても引込ひっこんでいられない。」「はあ、何に化けるね。」「たこだ……黙っていてくれよ。おいらが身体からだをそのまま大凧に張って飛歩行とびあるくんだ。両方の耳にうなりをつけるぜ。」「魂消たまげたの、一等賞ずらえ。」「黙っててくんろよ。」馬がヒーンといなないた。この馬が迷惑した。のそりのそりと歩行あるき出すと、はじめ、出会ったのは緋縅の武者で、続いて出たのは雁がね、飛んで来たのは弁慶で、争ってろうとする。みに揉んで、太刀と長刀なぎなたが左右へ開いて、尺八が馬上に跳返った。そのかわり横田圃よこたんぼへ振落された。
 ただこのくらいなだったが――山の根に演芸館、花見座の旗を、今日はわけて、山鳥のごとく飜した、町の角の芸妓屋げいしゃやの前に、先刻の囃子屋台が、おおき虫籠むしかごのごとくに、紅白の幕のまま、寂寞せきばくとしてすわって、踊子の影もない。はやく町中まちなか一練ひとねりは練廻ってあます処がなかったほど、温泉の町は、さて狭いのであった。やがて、新造の石橋で列を造って、町をまわりすました後では、揃ってこの演芸館へ練込んで、すなわち放楽の乱舞となるべき、仮装行列を待顔に、掃清はききよめられたさまのこのあたりは、軒提灯のきぢょうちんのつらなった中に、かえって不断より寂しかった。
 峰の落葉が、屋根越に――
 日蔭の冷い細流せせらぎを、軒に流して、ちょうどこの辻の向角むこうかどに、二軒並んで、赤毛氈あかもうせんに、よごれ蒲団ぶとんつぎはぎしたような射的店しゃてきみせがある。達磨だるま落し、バットの狙撃そげきはつい通りだが、二軒とも、揃って屋根裏に釣った幽霊がある。弾丸たまが当ると、ガタリざらざらと蛇腹に伸びて、天井からさかさまに、いずれも女の幽霊が、ぬけ上った青い額と、縹色はなだいろの細いあごを、ひょろひょろ毛から突出して、背筋を中反りに蜘蛛くものような手とともに、ぶらりと下る仕掛けである。
可厭いやな、あいかわらずね……」
 お桂さんが引返そうとした時、歩手前あしてまえの店のは、白張しらはり暖簾のれんのような汚れた天蓋てんがいから、捌髪さばきがみの垂れ下った中に、藍色の片頬かたほに、薄目を開けて、片目で、置据えの囃子屋台をのぞくように見ていたし、先隣さきどなりなのは、釣上げた古行燈ふるあんどんやぶれから、穴へ入ろうとするまむしの尾のように、かもじのさきばかりが、ぶらぶらと下っていた。
 帰りがけには、武蔵坊むさしぼうも、緋縅も、雁がねも、一所に床屋の店に見た。が、雁がねの臆面おくめんなく白粉を塗りつつ居たのは言うまでもなかろう。
 ――小一按摩のちびな形が、現に、夜泣松の枝の下へ、仮装の一個ひとつとしてあらわれている――
 按摩の謙斎が、療治しつつ欣七郎に話したのは――その夜、食後の事なのであった。

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