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婦系図(おんなけいず)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 12:14:54  点击:  切换到繁體中文




     新学士

       十三

昨日(きのう)は母様(かあさん)が来て御厄介でした。」
 と、今夜主税の机の際(わき)に、河野英吉(えいきち)が、まだ洋服の膝も崩さぬ前(さき)から、
「君、困ったろう、母様は僕と違って、威儀堂々という風で厳粛だから、ははは、」
 と肩を揺(ゆす)って、無邪気と云えば無邪気、余り底の無さ過ぎるような笑方。文学士と肩書の名刺と共に、新(あたらし)いだけに美しい若々しい髯(ひげ)を押揉(おしも)んだ。ちと目立つばかり口が大(おおき)いのに、似合わず声の優しい男で。気焔(きえん)を吐くのが愚痴のように聞きなされる事がある。もっとも、何をするにも、福、徳とだけ襟を数えれば済む身分。貧乏は知らないと云っても可(い)いから、愚痴になるわけはないが、自分の親を、その年紀(とし)で、友達の前で、呼ぶに母様をもってするのでも大略(あらかた)解る。酒に酔わずにアルコオルに中毒(あた)るような人物で。
 年紀(とし)は二十七。従(じゅ)五位勲(くん)三等、前(さき)の軍医監、同姓英臣(ひでおみ)の長男、七人の同胞(きょうだい)の中(うち)に英吉ばかりが男子で、姉が一人、妹が五人、その中縁附いたのが三人で。姉は静岡の本宅に、さる医学士を婿にして、現に病院を開いている。
 南町の邸は、祖母(おばあ)さんが監督に附いて、英吉が主人(あるじ)で、三人の妹が、それぞれ学校に通っているので、すでに縁組みした令嬢たちも、皆そこから通学した。別家のようで且つ学問所、家厳はこれに桐楊(とうよう)塾と題したのである。漢詩の嗜(たしなみ)がある軍医だから、何等か桐楊の出処があろう、但しその義審(つまびらか)ならず。
 英吉に問うと、素湯(さゆ)を飲むような事を云う。枝も栄えて、葉も繁ると云うのだろう、松柏も古いから、そこで桐楊だと。
 説を為(な)すものあり、曰く、桐楊の桐(きり)は男児に較べ、楊(やなぎ)は令嬢(むすめ)たちに擬(なぞら)えたのであろう。漢皇重色思傾国(いろをおもんじてけいこくをおもう)……楊家女有(ようかにじょあり)、と同一(おんなじ)字だ。道理こそ皆美人であると、それあるいは然(しか)らむ。が男の方は、桐に鳳凰(ほうおう)、とばかりで出処が怪しく、花骨牌(はなふだ)から出たようであるから、遂にどちらも信(あて)にはならぬ。
 休題(さておき)、南町の桐楊塾は、監督が祖母さんで、同窓が嬢(むすめ)たちで、更に憚(はばか)る処が無いから、天下泰平、家内安全、鳳凰は舞い次第、英吉は遊び放題。在学中も、雨桐はじめ烏金(からすがね)の絶倍で、しばしばかいがん[#「かいがん」に傍点]に及んだのみか、卒業も二年ばかり後れたけれども、首尾よく学位を得たと聞いて、親たちは先ず占めた、びき[#「びき」に傍点]で、あおたん[#「あおたん」に傍点]の掴(つか)みだと思うと、手八(てはち)の蒔直(まきなお)しで夜泊(よどまり)の、昼流連(ひるながし)。祖母さんの命を承(う)けて、妹連から注進櫛の歯を挽(ひ)くがごとし。で、意見かたがたしかるべき嫁もあらばの気構えで、この度母親が上京したので、妙子が通う女学校を参観したと云うにつけても、意のある処が解せられる。
「どうだい、君、窮屈な思いをしたろう。」
 親が参って、さぞ御迷惑、と悪気は無い挨拶(あいさつ)も、母様(かあさん)で、威儀で、厳粛で、窮屈な思いを、と云うから、何と豪(えら)いか、恐入ったろう、と極(き)めつけるがごとくに聞える。
 例(いつも)の調子と知っているから、主税は別に気にも留めず、勿論、恐入る必要も無いので、
「姑に持とうと云うんじゃなし、ちっとも窮屈な事はありません。」
 机の前に鉄拐胡坐(てっかあぐら)で、悠然と煙草を輪に吹く。
「しかし、君、その自(おのず)から、何だろう。」
 とその何だか、火箸で灰を引掻(ひっか)いて、
「僕は窮屈で困る。母様がああだから、自から襟を正すと云ったような工合でね。……
 直(じき)の妹なんざ、随分脱兎(だっと)のごとしだけれど、母様の前じゃほとんど処女だね。」
 と髯を捻(ひね)る。

       十四

「で、何かね、母様(かあさん)は、」
 と主税は笑いながら、わざと同一(おんなじ)ように母様と云って、煙管(きせる)を敲(はた)き、
「しばらく御滞在なんですかい。」
「一月ぐらい居るかも知れない、ああ、」と火鉢に凭掛(よりかか)る。
「じゃ当分謹慎だね。今夜なぞも、これから真直(まっすぐ)にお帰りだろう、どこへも廻りゃしますまいな。」
「うふふ、考えてるんだ。」とまた灰に棒を引く。
「相変らず辛抱[#「辛抱」は底本では「幸抱」と誤記]が出来ないか。」
「うむ、何、そうでもない。母様が可愛がってくれるから、来ている間は内も愉快だよ。賑(にぎやか)じゃあるし、料理が上手だからお菜(かず)も旨(うま)いし、君、昨夜(ゆうべ)は妹たちと一所に西洋料理を奢(おご)って貰った、僕は七皿喰った。ははは、」
 と火箸をポンと灰に投(なげ)て、仰向いて、頬杖(ほおづえ)ついて、片足を鳶(とんび)になる。
「御馳走と云えば内へ来るめ[#「め」に傍点]組だが、」
 皆まで聞かず、英吉は突放(つっぱな)したように、
「ありゃ君、もう来なくッても可いよ。余り失礼な奴だと、母様が大変感情を害したからね、君から断ってくれたまえ。」
 と真面目で云って、衣兜(かくし)から手巾(ハンケチ)をそそくさ引張出し、口を拭(ふ)いて、
「どうせ東京の魚だもの、誰のを買ったって新鮮(あたらし)いのは無い。たまに盤台の中で刎(は)ねてると思や、蛆(うじ)で蠢(うご)くか、そうでなければ比目魚(ひらめ)の下に、手品の鰌(どじょう)が泳いでるんだと、母様がそう云ったっけ。」
 め[#「め」に傍点]組が聞いたら、立処(たちどころ)に汝の一命覚束(おぼつか)ない、事を云って、けろりとして、
「静岡は口の奢った、旨いものを食う処さ。汽車の弁当でも試(み)たまえ、東海道一番だよ。」
 主税はどこまでも髯のある坊ちゃんにして、逆らわない気で、
「いや、何か、手前どもで、め[#「め」に傍点]組のものを召食(めしあが)って、大層御意に叶ったから、是非寄越してくれと誰かが仰有(おっしゃ)るもんだから取あえず差立てたんだ。御家風を存じないでもなかったけれども、承知の上で、君がたってと云ったから、」
「僕は構わん。僕は構わんが、あの調子だもの、祖母(おばあ)さんや妹たちはもとよりだ。故郷(くに)から連れて来ている下女さえ吃驚(びっくり)したよ。母様は、僕を呼びつけて談じたです。あんなものに朋輩呼ばわりをされるような悪い事をしたか。そこいらの芸妓(げいしゃ)にゃ、魚屋だの、蒲鉾(かまぼこ)屋の職人、蕎麦(そば)屋の出前持の客が有ると云うから、お前、どこぞで一座でもおしだろう、とね、叱られたです。
 僕は何、あれは通りもんです。早瀬の許(とこ)へ行っても、同一(おなじ)く、今日は旨えものを食わせてやろう。居るか、と云った調子です、と云ったら、母様が云うにゃ、当前(あたりまえ)だ、早瀬じゃ、細君……」
 と云いかけて、ぐっと支(つか)えたが、ニヤリとして、
「君、僕は饒舌(しゃべ)りやしないよ。僕は決して饒舌らんさ。秘密で居ることを知ってるから、君の不利益になるような事は云わないがね、妹たちが知ってるんだ。どこかで聞いて来てたもんだから、ついね、」
 と気の毒そう。
「まあ、可い、そんな事は構わないが、僕と懇意にしてくれるんなら、もうちっと君、遊蕩(あそび)を控えて貰いたいね。
 昨日(きのう)も君の母様が来て、つくづく若様の不始末を愚痴るのが、何だか僕が取巻きでもして、わッと浮かせるようじゃないか。
 高利(アイス)を世話して、口銭を取る。酒を飲ませてお流(ながれ)頂戴。切々(せつせつ)内へ呼び出しちゃ、花骨牌(はなふだ)でも撒(ま)きそうに思ってるんだ。何の事はない、美少年録のソレ何だっけ、安保箭五郎直行(あほのやごろうなおゆき)さ。甚しきは美人局(つつもたせ)でも遣りかねないほど軽蔑(けいべつ)していら。母様の口ぶりが、」
 とややその調子が強くなったが、急に事も無げな串戯口(じょうだんぐち)、
「ええ、隊長、ちと謹んでくれないか。」
「母様の来ている内は謹慎さ。」
 と灰を掻きまわして、
「その代り、西洋料理七皿だ。」と火箸をバタリ。

       十五

「じゃあ色気より食気の方だ、何だか自棄(やけ)に食うようじゃないか。しかし、まあそれで済みゃ結構さ。」
「済みやしないよ、七皿のあとが、一銚子(ひとちょうし)、玉子に海苔(のり)と来て、おひけ[#「おひけ」に傍点]となると可いんだけれど、やっぱり一人で寝るんだから、大きに足が突張(つっぱ)るです。それに母様が来たから、ちっとは小遣があるし、二三時間駈出して行って来ようかと思う。どうだろう、君、迷惑をするだろうか。」
 と甘えるような身体(からだ)つき、座蒲団にぐったりして、横合から覗(のぞ)いて云う。
「何が迷惑さ。君の身体で、御自分お出かけなさるに、ちっとも迷惑な事はない。迷惑な事はないが……」
「いや、ところが今夜は、君の内へ来たことを、母様が知ってるからね。今のような話じゃ、また君が引張出したように、母様に思われようかと、心配をするだろうと云うんだ。」
「お疑いなさるは御勝手さ。癪(しゃく)に障ればったって、恐い事、何あるものか、君の母親(おふくろ)が何だ?」
 と云いかけて、語気をかえ、
「そう云っちまえば、実も蓋(ふた)もない。痛くない腹を探られるのは、僕だって厭(いや)だ。それにしても早瀬へ遊びに行くと云う君に、よく故障を入れなかったね。」
「うむ、そりゃあれです、君に逢わない内は疑(うたぐ)っていないでもなかったがね、」
 あえて臆面(おくめん)は無い容子(ようす)で、
昨日(きのう)逢ってから、そうした人じゃないようだ、と頷(うなず)いていた。母様はね、君、目が高いんだ、いわゆる士を知る明ありだよ。」
「じゃ、何か、士を知る明があって、それで、何か、そうした人じゃないようだ、(ようだ[#「ようだ」に傍点]。)とまだ疑があるのか。」
「だってただ一面識だものね、三四度(たび)交際(つきあ)って見たまえ。ちゃんと分るよ、五度とは言わない。」
「何も母様に交際うには当らんじゃないか。せめて年増ででもあればだが、もう婆さまだ。」
 と横を向いて、微笑(ほほえ)んで、机の上の本を見た。何の書だか酒井蔵書の印が見える。真砂町から借用のものであろう。
 英吉は、火鉢越に覗きながら、その段は見るでもなく、
年紀(とし)は取ってるけれど、まだ見た処は若いよ。君、婦人会なんぞじゃ、後姿を時々姉と見違えられるさ。
 で、何だ、そうやって人を見る明が有るもんだから、婿の選択は残らず母様に任せてあるんだ。取当てるよ。君、内の姉の婿にした医学士なんざ大当りだ。病院の立派になった事を見たまえな。」
「僕なんざ御選択に預れまいか。」
 と気を、その書物に取られたか、木に竹を接(つ)いだような事を云うと、もっての外真面目(まじめ)に受けて、
「君か、君は何だ、学位は持っちゃおらんけれど、独逸(ドイツ)のいけるのは僕が知ってるからね。母様の信用さえ得てくれりゃ、何だ。ええ君、妹たちには、もとより評判が可いんだからね、色男、ははは、」
 と他愛なく身体(からだ)中で笑い、
「だって、どうする。階下(した)に居るのを、」
 背後(うしろ)を見返り、
「湯かい。見えなかったようだっけ。」
 主税は堪(こら)えず失笑(ふきだ)したが、向直って話に乗るように、
「まあ、可い加減にして、疾(はや)く一人貰っちゃどうだ。人の事より御自分が。そうすりゃ遊蕩(あそび)も留(や)みます。安保箭五郎悪い事は言わないが、どうだ。」
「むむ、その事だがね。」
 とぐったりしていた胸を起して、また手巾で口を拭いて、なぜか、縞(しま)のズボンを揃えて、ちゃんと畏(かしこ)まって、
「実はその事なんだ。」
「何がその事だ。」
「やっぱりその事だ。」
「いずれその事だろう。」
「ええ、知ってるのか。」
「ちっとも知らない、」
 と煙管(きせる)を取って、
「いや、真面目に真面目に、何か、心当りでも出来たかね。」


     縁 談

       十六

 時に河野がその事と言えば、いずれ婦(おんな)に違いないが、早瀬はいつもこの人から、その収紅拾紫(しゅうこうしゅうし)、鶯(うぐいす)を鳴かしたり、蝶を弄(もてあそ)んだりの件について、いや、ああ云ったがこれは何と、こう申したがそれは如何(いかに)。無心をされたがどうしたものか、なるべくは断りたい、断ったら嫌われようか、嫌われては甚だ不好(まず)い。一体恋(スウィート)でありながら金子(かね)をくれろは変な工合だ、妙だよ。その意志のある処を知るに苦(くるし)む、などと、※紅をさして蚯蚓(みみず)までも突附けて、意見? を問われるには恐れている。
 誇るに西洋料理七皿をもってする、式(かた)のごとき若様であるから、冷評(ひやか)せば真に受ける、打棄(うっちゃ)って置けば悄(しょ)げる、はぐらかしても乗出す。勢い可い加減にでも返事をすれば、すなわち期せずして遊蕩(あそび)の顧問になる。尠(すくな)からず悩まされて、自分にお蔦と云う弱点(よわみ)があるだけ、人知れず冷汗が習(ならい)であったから、その事ならもう聞くまい、と手強く念を入れると、今夜はズボンの膝を畏(かしこま)っただけ大真面目。もっとも馴染(なじみ)の相談も串戯(じょうだん)ではないのだけれども。特に更(あらたま)って、ついにない事、もじもじして、
「実はね、母様も云ったんだ、君に相談をして見ろと……」
「縁談だね、真面目な。」
 珍らしそうに顔を見て、
「母様から御声懸りで、僕に相談と云う縁談の口は、当時心当りが無いが。ああ、」
 と軽く膝を叩いた。
隣家(となり)のかい。むむ、あれは別嬪(べっぴん)だ。ちょいと高慢じゃあるが、そのかわり学校はなかなか出来るそうだ。」
 英吉は小児(こども)のように頭(かぶり)を振って、
「ううむ、違うよ。」
「違う。じゃ誰だい。」
 と落着いて尋ねると、慌てて衣兜(かくし)へ手を突込(つっこ)み、肩を高うして、一ツ揺(ゆす)って、
「真砂町の、」
「真砂町!?[#「!?」は1字、第3水準1-8-78]」
 と聞くや否や、鸚鵡返(おうむがえ)しに力が入った。床の間にしっとりと露を被(かつ)いだ矢車の花は、燈(ひ)の明(あかり)を余所(よそ)に、暖か過ぎて障子を透(すか)した、富士見町あたりの大空の星の光を宿して、美しく活(いか)っている。
 見よ、河野が座を、斜(ななめ)に避けた処には、昨日(きのう)の袖の香を留めた、友染の花も、綾(あや)の霞も、畳の上を消えないのである。
 真砂町、と聞返すと斉(ひと)しく、屹(きっ)とその座に目を注いだが、驚破(すわ)と謂(い)わば身をもって、影をも守らん意気組であった。
 英吉はまた火箸を突支棒(つっかいぼう)のようにして、押立尻(おったてじり)をしながら、火鉢の上へ乗掛(のっかか)って、
「あの、酒井ね、君の先生の。あすこに娘があるんだね。」
「あるさ、」と云ったが、余り取っても着けないようで、我ながら冷かに聞えたから、
「知らなかったかな、君は。随分その方へかけちゃ、脱落(ぬかり)はあるまいに。」
洋燈(ランプ)台下暗しで、(と大(おおい)に洒落(しゃ)れて、)さっぱり気が付かなかった。君ン許(とこ)へもちょいちょい遊びに来るんだろう。」
「お成りがあるさ。僕には御主人だ。」
「じゃ一度ぐらい逢いそうなものだった。」
 何か残惜く、かごとがましく、不平そうに謂ったのが、なぜ見せなかった、と詰(なじ)るように聞えたので、早瀬は石を突流すごとく、
「縁が無かったんだろうよ。」
「ところがあります、ははは、」と、ここでまた相好とともに足を崩して、ぐたりと横坐りになって、
「思うに逢わずして思わざるに……じゃない。向うも来れば僕も来るのに、此家(ここ)で逢いそうなものだったが、そうでなくって君、学校で見たよ。ああ、あの人の行く学校で、妙子さんの行く学校で。」
 と、何だか話しに乗らないから、畳かけて云った。妙子、と早や名のこの男に知られたのを、早瀬はその人のために恥辱のように思って、不快な色が眉の根に浮んだ。
「どうして、学校で、」
 とこの際わざと尋ねたのである。母子(おやこ)で参観したことは、もう心得ていたのに。

       十七

「どうもこうも無いさ。母様と二人で参観に出掛けたんだ。教頭は僕と同窓だからね。先(せん)にから来て見い、来て見い、と云うけれど、顔の方じゃ大した評判の無い学校だから、馬鹿にしていたが驚いたね。勿論五年級にゃ佳(い)いのが居ると云ったっけが、」
「じゃあその教頭、媒酌人(なこうど)も遣(や)るんだな。」
 と舌尖(したさき)三分で切附けたが、一向に感じないで、
「遣るさ。そのかわり待合や、何かじゃ、僕の方が媒酌人だよ。」
「怪しからん。黒と白との、待て? 海老茶と緋縮緬(ひぢりめん)の交換だな。いや、可い面(つら)の皮だ。ずらりと並べて選取(よりど)りにお目に掛けます、小格子の風だ。」
「可いじゃないか、学校の目的は、良妻賢母を造るんだもの、生理の講義も聞かせりゃ、媒酌(なこうど)もしようじゃあないか。」
 とこの人にして大警句。早瀬は恐入った体で、
「成程、」
「勿論人を見てするこッた、いくら媒酌人をすればッて、人ごとに許しゃしない。そこは地位もあり、財産もあり、学位も有るもんなら、」
 と自若として、自分で云って、意気頗(すこぶ)る昂然(こうぜん)たりで、
「講堂で良妻賢母を拵(こしら)えて、ちゃんと父兄に渡す方が、双方の利益だもの。教頭だって、そこは考えているよ。」
「で何かね、」
 早瀬は、斜めに開き直って、
「そこで僕の、僕の先生の娘を見たんだな。」
「ああ、しかも首席よ。出来るんだね。そうして見た処、優美(しとやか)で、品が良くって、愛嬌(あいきょう)がある。沢山ない、滅多にないんだ。高級三百顔色なし。照陽殿裏第一人だよ。あたかも可(よし)、学校も照陽女学校さ。」
 と冷えた茶をがぶりと一口。浮かれの体とおいでなすって、
「はは、僕ばかりじゃない、第一母様が気に入ったさ。あれなら河野家の嫁にしても、まあまあ……恥かしくない、と云って、教頭に尋ねたら、酒井妙子と云うんだ。ちょっと、教員室で立話しをしたんだから、委(くわし)いことは追てとして、その日は帰った。
 すると昨日(きのう)、母様がここへ訪ねて来たろう。帰りがけに、飯田町から見附(みつけ)を出ようとする処で、腕車(くるま)を飛ばして来た、母衣(ほろ)の中のがそれだッたって、矢車の花を。」
 と言いかけて、床の間を凝(じっ)と見て、
「ああ、これだこれだ。」
 ひょいと腰を擡(もた)げて、這身(はいみ)にぬいと手を伸ばした様子が、一本(ひともと)引抜(ひんぬ)きそうに見えたので、
「河野!」
「ええ、」
「それから。おい、肝心な処だ。フム、」
 乗って出たのに引込まれて、ト居直って、
「あの砂埃(すなほこり)の中を水際立って、駈け抜けるように、そりゃ綺麗だったと云うのだ。立留って見送ると、この内の角へ車を下ろしたろう。
 そろそろ引返(ひっかえ)したんです、母様がね。休んでいた車夫に、今のお嬢さんは真中の家へですか。へい、さようで、と云うのを聞いて帰ったのさね。」
 と早口に饒舌(しゃべ)って、
「美人だねえ。君、」とゆったり顔を見る。
「ト遣った工合は、僕が美人のようだ、厭だ。結婚なんぞ申込んじゃ、」と笑いながら、大(おおい)に諷するかのごとくに云って、とんと肩を突いて、
「浮気ものめ。」
「浮気じゃない、今度ばかしゃ大真面目だがね、君、どうかなるまいか。」
 また甘えるように、顔を正的(まとも)に差出して、頤(おとがい)を支えた指で、しきりに忙(せわし)く髯を捻(ひね)る。
 早瀬はしばらく黙ったが、思わず拱(こまぬ)いていた腕に解くと、背後(うしろ)ざまに机に肱(ひじ)、片手をしかと膝に支(つ)いて、
「貰うさ。」
「え。」
「お貰いなさい。」
「くれようか。」
「話によっちゃ、くれましょう。」
後継者(あととり)じゃないんだね。」
「勿論後継者じゃあない。」
「じゃ、まあ、話は出来るとして、」と、澄まして云って、今度は心ありげに早瀬の顔を。
「だが、何だよ、私(あっし)ア」と云った調子が変って、
媒介人(なこうど)は断るぜ、照陽女学校の教頭じゃないんだから。」

       十八

 そうすると英吉が、かねて心得たりの態度で、媒酌人は勿論、しかるべき人をと云ったのが、其許(そのもと)ごときに勤まるものかと、軽(かろ)んじ賤(いや)しめたように聞えて、
「そりゃ、いざとなりゃ、教育界に名望のある道学者先生の叔父もあるし、また父様(とうさん)の幕下で、現下その筋の顕職にある人物も居るんだから、立派に遣ってくれるんだけれど、その君、媒酌人を立てるまでに、」
 と手を揃えて、火鉢の上へ突出して、じりりと進み、
先方(さき)の身分も確めねばならず、妙子、(ともう呼棄てにして)の品行の点もあり、まあ、学校は優等としてだね。酒井は飲酒家(さけのみ)だと云うから、遺伝性の懸念もありだ。それは大丈夫としてからが、ああいう美しいのには有りがちだから、肺病の憂(うれい)があってはならず、酒井の親属関係、妙子の交友の如何(いかん)、そこらを一つ委(くわ)しく聞かして貰いたいんだがね。」
 主税は堪(たま)りかねて、ばりばりと烏府(すみとり)の中を突崩した。この暖いのに、河野が両手を翳(かざ)すほど、火鉢の火は消えかかったので、彼は炭を継ごうとして横向になっていたから、背けた顔に稲妻のごとく閃(ひらめ)いた額の筋は見えなかったが、
「もう一度聞こう、何だっけな。先方(さき)の身分?」
「うむ、先方の身分さ。」
「独逸文学者よ、文学士だ……大学教授よ。知ってるだろう、私の先生だ。」
「むむ、そりゃ分ってるがね、妙子の品行の点もあり、」
「それから、」
「遺伝さ、」
「肺病かね、」
「親族関係、交友の如何(いかん)さ。何、友達の事なんぞ、大した条件ではないよ。結婚をすれば、処女時代の交際は自然に疎(うと)くなるです。それに母様が厳しく躾(しつけ)れば、その方は心配はないが、むむ、まだ要点は財産だ。が、酒井は困っていやしないだろうか。誰も知った侠客(きょうかく)風の人間だから、人の世話をすりゃ、つい物費(ものいり)も少くない。それにゃ、評判の飲酒家(さけのみ)だし、遊ぶ方も盛だと云うし、借金はどうだろう。」
 主税は黙って、茶を注(つ)いだが、強いて落着いた容子に見えた。
「何かね、持参金でも望みなのかね。」
「馬鹿を謂(い)いたまえ。妹たちを縁附けるに、こちらから持参はさせるが、僕が結婚するに、いやしくも河野の世子が持参金などを望むものか。
 君、僕の家じゃ、何だ、女の児(こ)が一人生れると、七夜から直ぐに積立金をするよ。それ立派に支度が出来るだろう。結婚してからは、その利息が化粧料、小遣となろうというんだ。自然嫁入先でも幅が利きます。もっともその金を、婿の名に書き替(かえ)るわけじゃないが、河野家においてさ、一人一人の名にして保管してあるんだから、例えば婿が多日(しばらく)月給に離れるような事があっても、たちまち破綻(はたん)を生ずるごとき不面目は無い。
 という円満な家庭になっているんだ。で先方(さき)の財産は望じゃないが、余り困っているようだと、親族の関係から、つい迷惑をする事になっちゃ困る。娘の縁で、一時借用なぞというのは有がちだから。」
「酒井先生は江戸児(えどっこ)だ!」
 と唐突(だしぬけ)に一喝して、
「神田の祭礼(まつり)に叩き売っても、娘の縁で借りるもんかい。河野!」
 と屹(きっ)と見た目の鋭さ。眉を昂(あ)げて、
「髯があったり、本を読んだり、お互の交際は窮屈だ。撲倒(はりたお)すのを野蛮と云うんだ。」
 お蔦は湯から帰って来た。艶やかな濡髪に、梅花の匂馥郁(ふくいく)として、繻子(しゅす)の襟の烏羽玉(うばたま)にも、香やは隠るる路地の宵。格子戸を憚(はばか)って、台所の暗がりへ入ると、二階は常ならぬ声高で、お源の出迎える気勢(けはい)もない。
 石鹸(シャボン)を巻いた手拭(てぬぐい)を持ったままで、そっと階子段(はしごだん)の下へ行くと、お源は扉(ひらき)に附着(くッつ)いて、一心に聞いていた。

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