六十二
ちと黙ったか、と思うと、め[#「め」に傍点]組はきょろきょろ四辺(あたり)を見ながら、帰天斎が扱うように、敏捷(すばや)く四合罎から倒(さかさま)にがぶりと飲(や)って、呼吸(いき)も吐(つ)かず、
「それからね、人を馬鹿にしゃあがった、その痘痕(あばた)めい、差配(おおや)はどこだと聞きゃあがる。差配様(おおやさん)か、差配様は此家(ここ)の主人(あるじ)が駈落をしたから、後を追っかけて留守だ、と言ったら、苦った顔色(がんしょく)をしやがって、家賃は幾干(いくら)か知らんが、前(ぜん)にから、空いたら貸りたい、と思うておったんじゃ、と云うだろうじゃねえか。お前(め)さん、我慢なるめえじゃねえかね。こう、可い加減にしねえかい。柳橋の蔦吉さんが、情人(いろ)と世帯を持った家(うち)だ、汝達(てめえたち)の手に渡すもんか。め[#「め」に傍点]組の惣助と云う魚河岸の大問屋(おおどいや)が、別荘にするってよ、五百両敷金が済んでるんだ。帰(けえ)れ、と喚(わめ)くと、驚いて出て行ったっけ、はははは、どうだね、気に入ったろう、先生。」
「悪戯(いたずら)をするじゃないか。」
「だって、お前(め)さん、言種(いいぐさ)が言種な上に、図体が気に食わねえや。しらふの時だったから、まだまあそれで済んだがね。掏摸万歳の時(ころ)で御覧(ごろう)じろ、えて吉、存命は覚束(おぼつか)ねえ。」
と図に乗って饒舌(しゃべ)るのを、おかしそうに聞惚(ききと)れて、夜の潮(しお)の、充ち満ちた構内に澪標(みおつくし)のごとく千鳥脚を押据えて憚(はば)からぬ高話、人もなげな振舞い、小面憎かったものであろう、夢中になった渠等(かれら)の傍(そば)で、駅員が一名、密(そっ)と寄って、中にもめ[#「め」に傍点]組の横腹の辺(あたり)で唐突(だしぬけ)に、がんからん、がんからん、がんからん。
「ひゃあ、」と据眼(すえまなこ)に呼吸(いき)を引いて、たじたじと退(すさ)ると、駅員は冷々然として衝(つ)と去って、入口へ向いて、がらんがらん。
主税も驚いて、
「切符だ、切符だ。」
と思わず口へ出して、慌てて行くのを、
「おっと、おっと、先生、切符なら心得てら。」
「もう買っといたか、それは豪(えら)い。」
惣助これには答えないで、
「ええ、驚いたい、串戯(じょうだん)じゃねえ、二合半(こなから)が処フイにした。さあ、まあ、お乗んなせえ。」
荷物を引立(ひった)てて来て、二人で改札口を出た。その半纏着(はんてんぎ)と、薄色背広の押並んだ対照は妙であったが、乗客(のりて)はただこの二人の影のちらちらと分れて映るばかり、十四五人には過ぎないのであった。
め[#「め」に傍点]組が、中ほどから、急にあたふたと駈出して、二等室を一ツ覗(のぞ)き越しにも一つ出て、ひょいと、飛込むと、早や主税が近寄る時は、荷物を入れて外へ出た。
「ここが可いや、先生。」
「何だ、青切符か。」
「知れた事だね、」
「大束(おおたば)を言うな、駈落の身分じゃないか。幾干(いくら)だっけ。」
と横へ反身(そりみ)に衣兜(かくし)を探ると、め[#「め」に傍点]組はどんぶりを、ざッくと叩き、
「心得てら。」
「お前に達引かして堪るものか。」
「ううむ、」と真面目で、頭(かぶり)を掉(ふ)って、
「不残(のこらず)叩き売った道具のお銭(あし)が、ずッしりあるんだ。お前(め)さんが、蔦ちゃんに遣れって云うのを、まだ預っているんだから、遠慮はねえ、はははは、」
「それじゃ遠慮しますまいよ。」
と乗込んだ時、他に二人。よくも見ないで、窓へ立って、主税は乗出すようにして妙なことを云った。それは――め[#「め」に傍点]組の口から漏らした、河野の母親が以前、通じたと云う――馬丁(べっとう)貞造の事に就いてであった。
「何分頼むよ。」
「むむ、可いって事に。」
主税は笑って、
「その事じゃない、馬丁の居処さ。己(おれ)も捜すが、お前の方も。」
「……分った。」
と後退(あとじさ)って、向うざまに顱巻(はちまき)を占め直した。手をそのまま、花火のごとく上へ開いて、
「いよ、万歳!」
傍(かたわら)へ来た駅員に、突(つん)のめるように、お辞儀をして、
「真平御免ねえ、はははは。」
主税は窓から立直る時、向うの隅に、婀娜(あだ)な櫛巻の後姿を見た。ドンと硝子戸(がらすど)をおろしたトタンに、斜めに振返ったのはお蔦である。
はっと思うと、お蔦は知らぬ顔をして、またくるりと背(うしろ)を向いた。
汽車出でぬ。
明治四十(一九〇七)年一~四月 [#地付き]
後篇
貴婦人
一
その翌日、神戸行きの急行列車が、函根(はこね)の隧道(トンネル)を出切る時分、食堂の中に椅子を占めて、卓子(テイブル)は別であるが、一人(にん)外国の客と、流暢(りゅうちょう)に独逸(ドイツ)語を交えて、自在に談話しつつある青年の旅客(りょかく)があった。
こなたの卓子に、我が同胞のしかく巧みに外国語を操るのを、嬉しそうに、且つ頼母(たのも)しそうに、熟(じっ)と見ながら、時々思出したように、隣の椅子の上に愛らしく乗(のっ)かかった、かすりで揃の、袷(あわせ)と筒袖の羽織を着せた、四ツばかりの男の児(こ)に、極めて上手な、肉叉(フォーク)と小刀(ナイフ)の扱い振(ぶり)で、肉(チキン)を切って皿へ取分けてやる、盛装した貴婦人があった。
見渡す青葉、今日しとしと、窓の緑に降りかかる雨の中を、雲は白鷺(しらさぎ)の飛ぶごとく、ちらちらと来ては山の腹を後(しりえ)に走る。
函嶺(はこね)を絞る点滴(したたり)に、自然(おのずから)浴(ゆあみ)した貴婦人の膚(はだ)は、滑かに玉を刻んだように見えた。
真白なリボンに、黒髪の艶(つや)は、金蒔絵(きんまきえ)の櫛の光を沈めて、いよいよ漆のごとく、藤紫のぼかしに牡丹(ぼたん)の花、蕊(しべ)に金入の半襟、栗梅の紋お召の袷(あわせ)、薄色の褄(つま)を襲(かさ)ねて、幽(かす)かに紅の入った黒地友染の下襲(したがさ)ね、折からの雨に涼しく見える、柳の腰を、十三の糸で結んだかと黒繻子(くろじゅす)の丸帯に金泥でするすると引いた琴の絃(いと)、添えた模様の琴柱(ことじ)の一枚(ひとつ)が、ふっくりと乳房を包んだ胸を圧(おさ)えて、時計の金鎖を留めている。羽織は薄い小豆色の縮緬(ちりめん)に……ちょいと分りかねたが……五ツ紋、小刀持つ手の動くに連れて、指環(ゆびわ)の玉の、幾つか連ってキラキラ人の眼(まなこ)を射るのは、水晶の珠数を爪繰(つまぐ)るに似て、非ず、浮世は今を盛(さかり)の色。艶麗(あでやか)な女俳優(おんなやくしゃ)が、子役を連れているような。年齢(とし)は、されば、その児(こ)の母親とすれば、少くとも四五であるが、姉とすれば、九でも二十(はたち)でも差支えはない。
婦人は、しきりに、その独語に巧妙な同胞の、鼻筋の通った、細表の、色の浅黒い、眉のやや迫った男の、少々(わかわか)しい口許(くちもと)と、心の透通るような眼光(まなざし)を見て、ともすれば我を忘れるばかりになるので、小児(こども)は手が空いたが、もう腹は出来たり、退屈らしく皿の中へ、指でくるくると環(わ)を描(か)いた。それも、詰らなそうに、円い目で、貴婦人の顔を視(なが)めて、同一(おなじ)ようにそなたを向いたが、一向珍らしくない日本の兄(あにい)より、これは外国の小父さんの方が面白いから、あどけなく見入って傾く。
その、不思議そうに瞳をくるくると遣(や)った様子は、よっぽど可愛くって、隅の窓を三角に取って彳(たたず)んだボオイさえ、莞爾(にっこり)した程であるから、当の外国人は髯(ひげ)をもじゃもじゃと破顔して、ちょうど食後の林檎(りんご)を剥(む)きかけていた処、小刀を目八分に取って、皮をひょいと雷干(かみなりぼし)に、菓物(くだもの)を差上げて何か口早に云うと、青年が振返って、身を捻(ね)じざまに、直ぐ近かった、小児の乗っかった椅子へ手をかけて、
「坊ちゃん、いらっしゃい。好(い)いものを上げますとさ。」とその言(ことば)を通じたが、無理な乗出しようをして逆に向いたから、つかまった腕に力が入ったので、椅子が斜めに、貴婦人の方へ横になると、それを嬉しそうに、臆面(おくめん)なく、
「アハアハ、」と小児が笑う。
青年は、好事(ものずき)にも、わざと自分の腰をずらして、今度は危気(あぶなげ)なしに両手をかけて、揺籠(ゆりかご)のようにぐらぐらと遣ると、
「アハハ、」といよいよ嬉しがる。
御機嫌を見計らって、
「さあ、お来(いで)なさい、お来なさい。」
貴婦人の底意なく頷(うなず)いたのを見て、小さな靴を思う様上下(うえした)に刎(は)ねて、外国人の前へ行(ゆ)くと、小刀と林檎と一緒に放して差置くや否や、にょいと手を伸ばして、小児を抱えて、スポンと床から捩取(もぎと)ったように、目よりも高く差上げて、覚束(おぼつか)ない口で、
「万歳――」
ボオイが愛想に、ハタハタと手を叩いた。客は時に食堂に、この一組ばかりであった。
二
「今のは独逸(ドイツ)人でございますか。」
外客(がいかく)の、食堂を出たあとで、貴婦人は青年に尋ねたのである。会話の英語(イングリッシュ)でないのを、すでに承知していたので、その方の素養のあることが知れる。
青年は椅子をぐるりと廻して、
「僕もそうかと思いましたが、違います、伊太利(イタリイ)人だそうです。」
「はあ、伊太利の、商人ですか。」
「いえ、どうも学者のようです。しかしこっちが学者でありませんから、科学上の談話(はなし)は出来ませんでしたが、様子が、何だか理学者らしゅうございます。」
「理学者、そうでございますか。」
小児(こども)の肩に手を懸けて、
「これの父親(ちち)も、ちとばかりその端くれを、致しますのでございますよ。」
さては理学士か何ぞである。
貴婦人はこう云った時、やや得意気に見えた。
「さぞおもしろい、お話しがございましたでしょうね。」
雪踏(せった)をずらす音がして、柔(やわら)かな肱(ひじ)を、唐草の浮模様ある、卓子(テイブル)の蔽(おおい)に曲げて、身を入れて聞かれたので、青年はなぜか、困った顔をして、
「どう仕(つかまつ)りまして、そうおっしゃられては恐縮しましたな、僕のは、でたらめの理学者ですよ。ええ、」
とちょいと天窓(あたま)を掻(か)いて、
「林檎を食べた処から、先祖のニュウトン先生を思い出して、そこで理学者と遣(や)ったんです。はは、はは、実際はその何だかちっとも分りません。」
「まあ。お人の悪い。貴郎(あなた)は、」
と莞爾(にっこり)した流眄(ながしめ)の媚(なまめ)かしさ。熟(じっ)と見られて、青年は目を外らしたが、今は仕切の外に控えた、ボオイと硝子(がらす)越に顔の合ったのを、手招きして、
「珈琲(コオヒイ)を。」
「ああ、こちらへも。」
と貴婦人も註文しながら、
「ですが、大層お話が持てましたじゃありませんか。彼地(あちら)の文学のお話ででもございましたんですか。」
「どういたしまして、」
と青年はいよいよ弱って、
「人を見て法を説けは、外国人も心得ているんでしょう。僕の柄じゃ、そんな貴女(あなた)、高尚な話を仕かけッこはありませんが、妙なことを云っていましたよ。はあ、来年の事を云っていました。西洋じゃ、別に鬼も笑わないと見えましてね。」
「来年の、どんな事でございます。」
「何ですって、今年は一度国へ帰って来年出直して来る、と申すことです。(日蝕(にっしょく)があるからそれを見にまた出懸ける、東洋じゃほとんど皆既蝕(かいきしょく)だ。)と云いましたが、まだ日本には、その風説(うわさ)がないようでございますね。
有っても一向心懸(こころがけ)のございません僕なんざ、年の暮に、太神宮から暦の廻りますまでは、つい気がつかないでしまいます。もっとも東洋とだけで、支那(しな)だか、朝鮮だか、それとも、北海道か、九州か、どこで観ようと云うのだか、それを聞き懸(かけ)た処へ、貴女が食堂へ入っておいでなさいましたもんですから、(や、これは日蝕どころじゃない。)と云いましたよ。」
「じゃ、あとは、私をおなぶんなすったんでございましょうねえ。」
「御串戯(ごじょうだん)おっしゃっては不可(いけ)ません。」
「それでは、どんなお話でございましたの。」
「実は、どういう御婦人だ、と聞かれまして……」
「はあ、」
「何ですよ、貴女、腹をお立てなすっちゃ困りますが、ええ、」
と俯向(うつむ)いて、低声(こごえ)になり、
「女俳優(やくしゃ)だ、と申しました。」
「まあ、」と清(すずし)い目を※(みは)って、屹(きっ)と睨(にら)むがごとくにしたが、口に微笑が含まれて、苦しくはない様子。
「沢山(たんと)、そんなことを云ってお冷かしなさいまし。私はもう下りますから、」
「どちらで、」
と遠慮らしく聞くと、貴婦人は小児の事も忘れたように、調子が冴えて、
「静岡――ですからその先は御勝手におなぶり遊ばせ、室(へや)が違いましても、私の乗っております内は殺生でございますわ。」
「御心配はございません。僕も静岡で下りるんです。」
「お湯(ぶう)。」
と小児が云う時、一所に手にした、珈琲はまだ熱い。
三
「静岡はどちらへお越しなさいます。」
貴婦人が嬉しそうにして尋ねると、青年はやや元気を失った体に見えて、
「どこと云って当なしなんです。当分、旅籠屋(はたごや)へ厄介になりますつもりで。」
もしそれならば、土地の様子が聞きたそうに、
「貴女(あなた)、静岡は御住居(おすまい)でございますか、それともちょっと御旅行でございますか。」
「東京から稼ぎに出ますんですと、まだ取柄はございますが、まるで田舎俳優(やくしゃ)ですからお恥しゅう存じます。田舎も貴下(あなた)、草深(くさぶか)と云って、名も情ないじゃありませんか。場末の小屋がけ芝居に、お飯炊(まんまたき)の世話場ばかり勤めます、おやまですわ。」
と菫(すみれ)色の手巾(ハンケチ)で、口許を蔽(おお)うて笑ったが、前髪に隠れない、俯向(うつむ)いた眉の美しさよ。
青年は少時(しばらく)黙って、うっかり巻莨(まきたばこ)を取出しながら、
「何とも恐縮。決して悪気があったんじゃありません。貴女ぐらいな女優があったら、我国の名誉だと思って、対手(あいて)が外国人だから、いえ、まったくそのつもりで言ったんですが、真(まこと)に失礼。」
と真面目(まじめ)に謝罪(あやま)って、
「失礼ついでに、またお詫をします気で伺いますが、貴女もし静岡で、河野(こうの)さん、と云うのを御存じではございませんか。」
「河野……あの、」
深く頷(うなず)き、
「はい、」
「あら、河野は私(わたくし)どもですわ。」
と無意識に小児(こども)の手を取って、卓子(テイブル)から伸上るようにして、胸を起こした、帯の模様の琴の糸、揺(ゆる)ぐがごとく気を籠めて、
「そして、貴下は。」
「英吉君には御懇親に預ります、早瀬主税(ちから)と云うものです。」
と青年は衝(つ)と椅子を離れて立ったのである。
「まあ、早瀬さん、道理こそ。貴下は、お人が悪いわよ。」と、何も知った目に莞爾(にっこり)する。
主税は驚いた顔で、
「ええ、人が悪うございますって? その女俳優(おんなやくしゃ)、と言いました事なんですかい。」
「いいえ、家(うち)が気に入らない、と仰有(おっしゃ)って、酒井さんのお嬢さんを、貴下、英吉に許しちゃ下さらないんですもの、ほほほ。」
「…………」
「兄はもう失望して、蒼(あお)くなっておりますよ。早瀬さん、初めまして、」
とこなたも立って、手巾を持ったまま、この時更(あらた)めて、略式の会釈あり。
「私(わたくし)は英さんの妹でございます。」
「ああ、おうわさで存じております。島山さんの令夫人(おくさん)でいらっしゃいますか。……これはどうも。」
静岡県……某(なにがし)……校長、島山理学士の夫人菅子(すがこ)、英吉がかつて、脱兎(だっと)のごとし、と評した美人(たおやめ)はこれであったか。
足一度(ひとたび)静岡の地を踏んで、それを知らない者のない、浅間(せんげん)の森の咲耶姫(さくやひめ)に対した、草深の此花(このはな)や、実(げ)にこそ、と頷(うなず)かるる。河野一族随一の艶(えん)。その一門の富貴栄華は、一(いつ)にこの夫人に因って代表さるると称して可(い)い。
夫の理学士は、多年西洋に留学して、身は顕職にありながら純然たる学者肌で、無慾、恬淡(てんたん)、衣食ともに一向気にしない、無趣味と云うよりも無造作な、腹が空けば食べるので、寒ければ着るのであるから、ただその分量の多からんことを欲するのみ。※(に)たのでも、焼いたのでも、酢でも構わず。兵児帯(へこおび)でも、ズボンでも、羽織に紐が無くっても、更に差支えのない人物、人に逢っても挨拶ばかりで、容易に口も利かないくらい。その短を補うに、令夫人があって存する数(すう)か、菅子は極めて交際上手の、派手好で、話好で、遊びずきで、御馳走ずきで、世話ずきであるから、玄関に引きも切れない来客の名札は、新聞記者も、学生も、下役も、呉服屋も、絵師も、役者も、宗教家も、……悉(ことごと)く夫人の手に受取られて、偏(ひとえ)にその指環の宝玉の光によって、名を輝かし得ると聞く。
四
五円包んで恵むのもあれば、ビイルを飲ませて帰すのもあり、連れて出て、見物をさせるのもあるし、音楽会へ行く約束をするのもあれば、慈善市(バザア)の相談をするのもある。飽かず、倦(う)まず、撓(たゆ)まないで、客に接して、いずれもをして随喜渇仰せしむる妙を得ていて、加うるにその目がまた古今の能弁であることは、ここに一目見て主税も知った。
聞くがごとくんば、理学士が少なからぬ年俸は、過半菅子のために消費されても、自から求むる処のない夫は、すこしの苦痛も感じないで、そのなすがままに任せる上に、英吉も云った通り、実家(さと)から附属の化粧料があるから、天のなせる麗質に、紅粉の装(よそおい)をもってして、小遣が自由になる。しかも御衣勝(おんぞがち)の着痩(きやせ)はしたが、玉の膚(はだえ)豊かにして、汗は紅(くれない)の露となろう、宜(むべ)なる哉(かな)、楊家(ようか)の女(じょ)、牛込南町における河野家の学問所、桐楊(とうよう)塾の楊の字は、菅子あって、択(えら)ばれたものかも知れぬ。で、某女学院出の才媛である。
当時、女学校の廊下を、紅色の緒のたった、襲裏(かさねうら)の上穿(うわばき)草履で、ばたばたと鳴らしたもので、それが全校に行われて一時(ひとしきり)物議を起した。近頃静岡の流行は、衣裳も髪飾もこの夫人と、もう一人、――土地随一の豪家で、安部川の橋の袂(たもと)に、大巌山(おおいわやま)の峰を蔽(おお)う、千歳の柳とともに、鶴屋と聞えた財産家が、去年東京のさる華族から娶(めと)り得たと云う――新夫人の二人が、二つ巴(ともえ)の、巴川に渦を巻いて、お濠(ほり)の水の溢(あふ)るる勢(いきおい)。
「ちっとも存じませんで、失礼を。貴女、英吉君とは、ちっとも似ておいでなさらないから勿論気が着こう筈(はず)がありませんが。」
主税のこの挨拶は、真(まこと)に如才の無いもので。熟々(つくづく)視ればどこにか俤(おもかげ)が似通って、水晶と陶器(せと)とにしろ、目の大きい処などは、かれこれ同一(そっくり)であるけれども、英吉に似た、と云って嬉しがるような婦人(おんな)はないから、いささかも似ない事にした。その段は大出来だったが、時に衣兜(かくし)から燐寸(マッチ)を出して、鼻の先で吸つけて、ふっと煙を吐いたが早いか、矢のごとく飛んで来たボオイは、小火(ぼや)を見附けたほどの騒ぎ方で、
「煙草(たばこ)は不可(いか)んですな。」
「いや、これは。」主税は狼狽(うろた)えて、くるりと廻って、そそくさ扉(と)を開いて、隣の休憩室の唾壺(だこ)へ突込んで、喫(の)みさしを揉消(もみけ)して、太(いた)く恐縮の体で引返すと、そのボオイを手許(てもと)へ呼んで、夫人は莞爾々々(にこにこ)笑いながら低声(こごえ)で何か命じている。ただしその笑い方は、他人の失策を嘲けったのではなく、親類の不出来(ふでか)しを面白がったように見える。
「すっかり面目を失いました。僕は、この汽車の食堂は、生れてから最初(はじめて)だ。」
と、半ば、独言(ひとりごと)を云う。折から四五人どやどやと客が入った。それらには目もくれず、
「ほほほ、日本式ではないんだわねえ、貴下、お気には入りますまい。」
「どういたしまして、大恥辱。」
「旅馴れないのは、かえって江戸子(えどっこ)の名誉なんですわ。」
ボオイが剰銭(つり)を持って来て、夫人の手に渡すのを見て、大照れの主税は、口をつけたばかりの珈琲もそのまま、立ったなりの腰も掛けずに、
「ここへも勘定。」
傍(そば)へ来て腰を屈(かが)めて、慇懃(いんぎん)に小さな声で、
「御一所に頂戴いたしました、は、」
「飛んでもない、貴女、」
と今度は主税が火の附くように慌(あわただ)しく急(あせ)って云うのを、夫人は済まして、紙入を帯の間へ、キラリと黄金(きん)の鎖が動いて、
「旅馴れた田舎稼ぎの……」
(女俳優(おんなやくしゃ))と云いそうだったが、客が居たので、
「女形(おやま)にお任せなさいまし。」
とすらりと立った丈高う、半面を颯(さっ)と彩る、樺(かば)色の窓掛に、色彩羅馬(ロオマ)の女神(じょしん)のごとく、愛神(キュピット)の手を片手で曳(ひ)いて、主税の肩と擦違い、
「さあ、こっちへいらしって、沢山(たんと)お煙草を召上れ。」
と見返りもしないで先に立って、件(くだん)の休憩室へ導いた。背(うしろ)に立って、ちょっと小首を傾けたが、腕組をした、肩が聳(そび)えて、主税は大跨(おおまた)に後に続いた。
窓の外は、裾野の紫雲英(げんげ)、高嶺(たかね)の雪、富士皓(しろ)く、雨紫なり。
五
聞けば、夫人は一週間ばかり以前から上京して、南町の桐楊塾に逗留(とうりゅう)していたとの事。桜も過ぎたり、菖蒲(あやめ)の節句というでもなし、遊びではなかったので。用は、この小児(こども)の二年(ふたつ)姉が、眼病――むしろ目が見えぬというほどの容態で、随分実家(さと)の医院においても、治療に詮議(せんぎ)を尽したが、その効(かい)なく、一生の不幸になりそうな。断念(あきらめ)のために、折から夫理学士は、公用で九州地方へ旅行中。あたかも母親は、兄の英吉の事に就いて、牛込に行っている、かれこれ便宜だから、大学の眼科で診断を受けさせる為に出向いた、今日がその帰途(かえり)だと云う。
もとよりその女の児(こ)に取って、実家(さと)の祖父(おじい)さんは、当時の蘭医(昔取った杵(きね)づかですわ、と軽い口をその時交えて、)であるし、病院の院長は、義理の伯父さんだし、注意を等閑にしようわけはないので、はじめにも二月三月、しかるべき東京の専門医にもかかったけれども、どうしても治らないから、三年前にすでに思切って、盲目(めくら)の娘、(可哀相だわねえ、と客観(かっかん)的の口吻(くちぶり)だったが、)今更大学へ行ったって、所詮効(かい)のない事は知れ切っているけれど、……要するにそれは口実にしたんですわ、とちょいと堅い語(ことば)が交った。
夫がまた、随分自分には我儘(わがまま)をさせるのに、東京へ出すのは、なぜか虫が嫌うかして許さないから、是非行きたいと喧嘩も出来ず。ざっと二年越、上野の花も隅田の月も見ないでいると、京都へ染めに遣った羽織の色も、何だか、艶(つや)がなくって、我ながらくすんで見えるのが情ない。
まあ、御覧なさい、と云う折から窓を覗(のぞ)いた。
この富士山だって、東京の人がまるっきり知らないと、こんなに名高くはなりますまい。自分は田舎で埋木(うもれぎ)のような心地(こころもち)で心細くってならない処。夫が旅行で多日(しばらく)留守、この時こそと思っても、あとを預っている主婦(あるじ)ならなおの事、実家(さと)の手前も、旅をかけては出憎いから、そこで、盲目(めくら)の娘をかこつけに、籠を抜けた。親鳥も、とりめにでもならなければ可い、小児の罰が当りましょう、と言って、夫人は快活に吻々(ほほ)と笑う。
この談話は、主税が立続けに巻煙草を燻(くゆ)らす間に、食堂と客室とに挟まった、その幅狭な休憩室に、差向いでされたので。
椅子と椅子と間が真(まこと)に短いから、袖と袖と、むかい合って接するほどで、裳(もすそ)は長く足袋に落ちても、腰の高い、雪踏(せった)の尖(さき)は爪立(つまた)つばかり。汽車の動揺(どよ)みに留南奇(とめき)が散って、友染の花の乱るるのを、夫人は幾度(いくたび)も引かさね、引かさねするのであった。
主税はその盲目の娘(こ)と云うのを見た。それは、食堂からここへ入ると、突然(いきなり)客室の戸を開けようとして男の児(こ)が硝子扉(がらすど)に手をかけた時であった。――銀杏返(いちょうがえ)しに結った、三十四五の、実直らしい、小綺麗な年増が、ちょうど腰掛けの端に居て、直ぐにそこから、扉(と)を開けて、小児を迎え入れたので、さては乳母よ、と見ると、もう一人、被布(ひふ)を着た女の子の、キチンと坐って、この陽気に、袖口へ手を引込(ひっこ)めて、首を萎(すく)めて、ぐったりして、その年増の膝に凭(より)かかっていたのがあって、病気らしい、と思ったのが、すなわち話の、目の病(わる)い娘(こ)なのであった。
乳母の目からは、奥に引込んで、夫人の姿は見えないが、自分は居ながら、硝子越に彼方(むこう)から見透(みえす)くのを、主税は何か憚(はば)かって、ちょいちょい気にしては目遣いをしたようだったが、その風を見ても分る、優しい、深切らしい乳母は、太(いた)くお主(しゅう)の盲目(めしい)なのに同情したために、自然(おのず)から気が映ってなったらしく、女の児と同一(おなじ)ように目を瞑(ねむ)って、男の児に何かものを言いかけるにも、なお深く差俯向(さしうつむ)いて、いささかも室の外を窺(うかが)う気色(けしき)は無かったのである。
かくて彼一句、これ一句、遠慮なく、やがて静岡に着くまで続けられた。汽車には太(いた)く倦(うん)じた体で、夫人は腕(かいな)を仰向けに窓に投げて、がっくり鬢(びん)を枕するごとく、果は腰帯の弛(ゆる)んだのさえ、引繕う元気も無くなって見えたが、鈴のような目は活々と、白い手首に瞳大きく、主税の顔を瞻(みまも)って、物打語るに疲れなかった。
草深辺
六
県庁、警察署、師範、中学、新聞社、丸の内をさして朝ごとに出勤するその道その道の紳士の、最も遅刻する人物ももう出払って、――初夜の九時十時のように、朝の九時十時頃も、一時(ひとしきり)は魔の所有(もの)に寂寞(ひっそり)する、草深町(くさぶかまち)は静岡の侍小路(さむらいこうじ)を、カラカラと挽(ひ)いて通る、一台、艶(つや)やかな幌(ほろ)に、夜上りの澄渡った富士を透かして、燃立つばかりの鳥毛の蹴込(けこ)み、友染の背(せなか)当てした、高台細骨の車があった。
あの、音(ね)の冴えた、軽い車の軋(きし)る響きは……例のがお出掛けに違いない。昨日(きのう)東京から帰った筈(はず)。それ、衣更(ころもが)えの姿を見よ、と小橋の上で留(とま)るやら、旦那を送り出して引込(ひっこん)だばかりの奥から、わざわざ駈出すやら、刎釣瓶(はねつるべ)の手を休めるやら、女連(づれ)が上も下も斉(ひと)しく見る目を聳(そばだ)てたが、車は確に、軒に藤棚があって下を用水が流れる、火の番小屋と相角(あいかど)の、辻の帳場で、近頃塗替えて、島山の令夫人(おくがた)に乗初(のりそ)めをして頂く、と十日ばかり取って置きの逸物に違いないが――風呂敷包み一つ乗らない、空車を挽いて、車夫は被物(かぶりもの)なしに駈けるのであった。
ものの半時ばかり経(た)つと、同じ腕車(くるま)は、通(とおり)の方から勢(いきおい)よく茶畑を走って、草深の町へ曳込(ひきこ)んで来た。時に車上に居たものを、折から行違った土地の豆腐屋、八百屋、(のりはどうですね――)と売って通る女房(かみさん)などは、若竹座へ乗込んだ俳優(やくしゃ)だ、と思ったし、旦那が留守の、座敷から縁越に伸上ったり、玄関の衝立(ついたて)の蔭になって差覗(さしのぞ)いた奥様連は、千鳥座で金色夜叉を演(す)るという新俳優の、あれは貫一に扮(な)る誰かだ、と立騒いだ。
主税がまた此地(こっち)へ来ると、ちとおかしいほど男ぶりが立勝って、薙放(なぎはな)しの頭髪(かみ)も洗ったように水々しく、色もより白くすっきりあく抜けがしたは、水道の余波(なごり)は争われぬ。土地の透明な光線には、(埃(ほこり)だらけな洋服を着換えた。)酒井先生の垢附(あかつき)を拝領ものらしい、黒羽二重二ツ巴(ともえ)の紋着(もんつき)の羽織の中古(ちゅうぶる)なのさえ、艶があって折目が凜々(りり)しい。久留米か、薩摩か、紺絣(こんがすり)の単衣(ひとえもの)、これだけは新しいから今年出来たので、卯の花が咲くとともに、お蔦(つた)が心懸けたものであろう。
渠(かれ)は昨夜、呉服町の大東館に宿って、今朝は夫人に迎えられて、草深さして来たのである。
仰いで、浅間(せんげん)の森の流るるを見、俯(ふ)して、濠(ほり)の水の走るを見た。たちまち一朶(いちだ)紅(くれない)の雲あり、夢のごとく眼(まなこ)を遮る。合歓(ねむ)の花ぞ、と心着いて、流(ながれ)の音を耳にする時、車はがらりと石橋に乗懸(のりかか)って、黒の大構(おおがまえ)の門に楫(かじ)が下りた。
「ここかい。」とひらりと出る。
「へい、」
と門内へ駈け込んで、取附(とッつき)の格子戸をがらがらと開けて、車夫は横ざまに身を開いて、浅黄裏を屈(かが)めて待つ。
冠木門(かぶきもん)は、旧式のままで敷木があるから、横附けに玄関まで曳込むわけには行かない。
男の児(こ)が先へ立って駈出して来る事だろう、と思いながら、主税が帽(ぼうし)を脱いで、雨(あま)あがりの松の傍(わき)を、緑の露に袖擦りながら、格子を潜(くぐ)って、土間へ入ると、天井には駕籠(かご)でも釣ってありそうな、昔ながらの大玄関。
と見ると、正面に一段高い、式台、片隅の板戸を一枚開けて、後(うしろ)の縁から射(さ)す明りに、黒髪だけ際立ったが、向った土間の薄暗さ、衣(きぬ)の色朦朧(もうろう)と、俤(おもかげ)白き立姿、夫人は待兼ねた体に見える。
会釈もさせず、口も利かさず、見迎えの莞爾(にっこり)して、
「まあ、遅かったわねえ。ああ御苦労よ。」
ちょいと車夫(わかいしゅ)に声を懸けたが、
「さぞ寝坊していらっしゃるだろうと思ったの。さあ、こちらへ。さあ、」
口早に促されて、急いで上る、主税は明(あかる)い外から入って、一倍暗い式台に、高足を踏んで、ドンと板戸に打附(ぶッつか)るのも、菅子は心づかぬまで、いそいそして。
「こちらへ、さあ、ずッとここから、ほほほ、市川菅女、部屋の方へ。」
と直ぐに縁づたいで、はらはらと、素足で捌(さば)く裳(もすそ)の音。
七
市川菅女……と耳にはしたが、玄関の片隅切って、縁へ駈込むほどの慌(あわただ)しさ、主税は足早に続く咄嗟(とっさ)で、何の意味か分らなかったが、その縁の中ほどで、はじめて昨日(きのう)汽車の中で、夫人を女俳優(やくしゃ)だと、外人に揶揄(やゆ)一番した、ああ、祟(たたり)だ、と気が付いた。
気が付いて、莞爾(かんじ)とした時、渠(かれ)の眼(まなこ)は口許(くちもと)に似ず鋭かった。
ちょうどその横が十畳で、客室(きゃくま)らしい造(つくり)だけれども、夫人はもうそこを縁づたいに通越して、次の(菅女部屋)から、
「ずッといらっしゃいよ。」と声を懸ける。
主税が猶予(ためら)うと、
「あら、座敷を覗(のぞ)いちゃ不可(いけ)ません、まだ散らかっているんですから、」
と笑う。これは、と思うと、縁の突当り正面の大姿見に、渠の全身、飛白(かすり)の紺も鮮麗(あざやか)に、部屋へ入っている夫人が、どこから見透(みすか)したろうと驚いたその目の色まで、歴然(ありあり)と映っている。
姿見の前に、長椅子(ソオフア)一脚、広縁だから、十分に余裕(ゆとり)がある。戸袋と向合った壁に、棚を釣って、香水、香油、白粉(おしろい)の類(たぐい)、花瓶まじりに、ブラッシ、櫛などを並べて、洋式の化粧の間と見えるが、要するに、開き戸の押入を抜いて、造作を直して、壁を塗替えたものらしい。
薄萌葱(うすもえぎ)の窓掛を、件(くだん)の長椅子(ソオフア)と雨戸の間(あい)へ引掛(ひっか)けて、幕が明いたように、絞った裙(すそ)が靡(なび)いている。車で見た合歓(ねむ)の花は、あたかもこの庭の、黒塀の外になって、用水はその下を、門前の石橋続きに折曲って流るるので、惜いかな、庭はただ二本(ふたもと)三本(みもと)を植棄てた、長方形の空地に過ぎぬが、そのかわり富士は一目。
地を坤軸(こんじく)から掘覆(ほりかえ)して、将棊倒(しょうぎだおし)に凭(よ)せかけたような、あらゆる峰を麓(ふもと)に抱(いだ)いて、折からの蒼空(あおぞら)に、雪なす袖を飜(ひるがえ)して、軽くその薄紅(うすくれない)の合歓の花に乗っていた。
「結構な御住居(おすまい)でございますな。」
ここで、つい通りな、しかも適切なことを云って、部屋へ入ると、長火鉢の向うに坐った、飾を挿さぬ、S巻の濡色が滴るばかり。お納戸の絹セルに、ざっくり、山繭縮緬(やままゆちりめん)の縞(しま)の羽織を引掛けて、帯の弛(ゆる)い、無造作な居住居(いずまい)は、直ぐに立膝にもなり兼ねないよう。横に飾った箪笥(たんす)の前なる、鏡台の鏡の裏(うち)へ、その玉の頸(うなじ)に、後毛(おくれげ)のはらはらとあるのが通(かよ)って、新(あらた)に薄化粧した美しさが背中まで透通る。白粉の香は座蒲団にも籠(こも)ったか、主税が坐ると馥郁(ふくいく)たり。
「こんな処へお通し申すんですから、まあ、堅くるしい御挨拶はお止しなさいよ。ちょいと昨夜(ゆうべ)は旅籠屋で、一人で寂しかったでしょう。」
と火箸を圧(おさ)えたそうな白い手が、銅壺の湯気を除(よ)けて、ちらちらして、
「昨夜(ゆうべ)にも、お迎いに上げましょうと思ったけれど、一度、寂しい思をさして置かないと、他国へ来て、友達の難有(ありがた)さが分らないんですもの。これからも粗末にして不実をすると不可(いけ)ないから………」
と莞爾(にっこり)笑って、瞥(ちらり)と見て、
「それにもう内が台なしですからね、私が一週間も居なかった日にゃ、門前雀羅(じゃくら)を張るんだわ。手紙一ツ来ないんですもの。今朝起抜けから、自分で払(はたき)を持つやら、掃出すやら、大騒ぎ。まだちっとも片附ないんですけれど、貴下(あなた)も詰らなかろうし、私も早く逢いたいから、可(い)い加減にして、直ぐに車を持たせて、大急ぎ、と云ってやったんですがね。
あの、地方(いなか)の車だって疾(はや)いでしょう。それでも何よ、まだか、まだか、と立って見たり坐って見たり、何にも手につかないで、御覧なさい、身化粧(みじまい)をしたまんま、鏡台を始末する方角もないじゃありませんか。とうとう玄関の処(とこ)へ立切りに待っていたの。どこを通っていらしって?」
返事も聞かないで、ボンボン時計を打仰ぐに、象牙のような咽喉(のど)を仰向け、胸を反(そ)らした、片手を畳へ。
「まあ、まだ一時間にもならないのね。半日ばかり待ってたようよ。途中でどこを見て来ました。大東館の直(じ)きこっちの大きな山葵(わさび)の看板を見ましたか、郵便局は。あの右の手の広小路の正面に、煉瓦の建物があったでしょう。県庁よ。お城の中だわ。ああ、そう、早瀬さん、沢山(たんと)喫(あが)って頂戴、お煙草。露西亜(ロシヤ)巻だって、貰ったんだけれど、島山(夫を云う)はちっとも喫(の)みませんから……」
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