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女客(おんなきゃく)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 12:13:45  点击:  切换到繁體中文

底本: 泉鏡花集成4
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1995(平成7)年10月24日
入力に使用: 1995(平成7)年10月24日第1刷


底本の親本: 鏡花全集 第九巻
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1942(昭和17)年3月30日

 

    一

「謹さん、お手紙、」
 と階子段はしごだんから声を掛けて、二階の六畳へあがり切らず、欄干てすりに白やかな手をかけて、顔をななめのぞきながら、背後向うしろむきに机に寄った当家の主人あるじに、一枚をもたらした。
はばかり、」
 と身を横に、おおうたともしびを離れたので、ぎょくぼやを透かした薄あかりに、くっきり描きいだされた、上り口の半身は、雲の絶間の青柳あおやぎ見るよう、髪もかたちもすっきりした中年増ちゅうどしま
 これはあるじの国許くにもとから、五ツになる男のを伴うて、この度上京、しばらくここに逗留とうりゅうしている、お民といって縁続き、一蒔絵師あるまきえしの女房である。
 階下した添乳そえぢをしていたらしい、色はくすんだがつやのある、あいと紺、縦縞たてじまの南部のあわせ黒繻子くろじゅすの襟のなり、ふっくりとした乳房の線、幅細くくつろいで、昼夜帯の暗いのに、緩くまとうた、縮緬ちりめん扱帯しごき蒼味あおみのかかったは、月の影のさしたよう。
 燈火ともしびに対して、瞳すずしゅう、鼻筋がすっと通り、口許くちもとしまった、せぎすな、眉のきりりとした風采とりなりに、しどけない態度なりも目に立たず、繕わぬのが美しい。
「これは憚り、お使い柄恐入おそれいります。」
 と主人は此方こなたに手を伸ばすと、見得もなく、婦人おんなは胸を、はらんばいになるまでに、ずッと出して差置くのを、畳をずらして受取って、火鉢の上でちょっと見たが、端書はがきの用は直ぐに済んだ。
 机の上に差置いて、
「ほんとに御苦労様でした。」
「はいはい、これはまあ、御丁寧な、御挨拶ごあいさつ痛み入りますこと。お勝手からこちらまで、随分遠方でござんすからねえ。」
「憚り様ね。」
「ちっとも憚り様なことはありやしません。謹さん、」
「何ね、」
貴下あなた、その(憚り様ね)を、端書を読む、つなぎに言ってるのね。ほほほほ。」
 謹さんも莞爾にっこりして、
「お話しなさい。」
難有ありがとう、」
「さあ、こちらへ。」
「はい、誠にどうも難有う存じます、いいえ、どうぞもう、どうぞ、もう。」
「早速だ、おやおや。」
「大分丁寧でございましょう。」
「そんな皮肉を言わないで、坊やは?」
「寝ました。」
「母は?」
行火あんかで、」と云って、ひじを曲げた、雪なす二の腕、担いだように寝て見せる。
貴女あなたにあまえているんでしょう。どうして、元気な人ですからね、今時行火をしたり、宵の内から転寝うたたねをするような人じゃないの。鉄は居ませんか。」
「女中さんは買物に、おみおつけの実を仕入れるのですって。それから私がお道楽、翌日あしたは田舎料理を達引たてひこうと思って、ついでにその分も。」
「じゃ階下したさみしいや、お話しなさい。」
 お民はそのまま、すらりと敷居へ、後手を弱腰に、引っかけの端をぎゅうとで、かろ衣紋えもんを合わせながら、後姿の襟清く、振返って入ったあと、欄干てすりの前なる障子を閉めた。
「ここがいていちゃ寒いでしょう。」
「何だかぞくぞくするようね、悪い陽気だ。」
 と火鉢を前へ。
あけッ放しておくからさ。」
「でもお民さん、貴女が居るのに、そこを閉めておくのは気になります。」
 時に燈に近う来た。まぶたさっ薄紅うすくれない

       二

 すわると炭取を引寄せて、火箸ひばしを取って俯向うつむいたが、
「お礼に継いで上げましょうね。」
「どうぞ、願います。」
「まあ、人様のもので、義理をするんだよ、こんな呑気のんきッちゃありやしない。串戯じょうだんはよして、謹さん、東京こっちは炭が高いんですってね。」
 主人あるじ大胡座おおあぐらで、落着澄まし、
けちなことをお言いなさんな、お民さん、阿母おふくろ行火あんかだというのに、押入には葛籠つづらへ入って、まだ蚊帳かやがあるという騒ぎだ。」
「何のそれが騒ぎなことがあるもんですか。またいつかのように、夏中蚊帳が無くっては、それこそお家は騒動ですよ。」
「騒動どころか没落だ。いや、弱りましたぜ、一夏は。
 何しろ、家の焼けた年でしょう。あの焼あとというものは、どういうわけだか、恐しく蚊がひどい。まだその騒ぎの無い内、当地こちらで、本郷のね、春木町の裏長屋を借りて、夥間なかまと自炊をしたことがありましたっけが、その時も前の年火事があったといって、何年にもない、大変な蚊でしたよ。けれども、それは何、わかいもの同志だから、萌黄縅もえぎおどしよろいはなくても、夜一夜よっぴて戸外おもて歩行あるいていたって、それで事は済みました。
 内じゃ、年よりを抱えていましょう。夜が明けても、あてはないのに、夜中一時二時までも、友達のとこへ、くるしい時の相談の手紙なんか書きながら、わきで寝返りなさるから、阿母おっかさん、蚊が居ますかって聞くんです。
 自分の手にゃ五ツ六ツたかっているのに。」
 主人あるじは火鉢にかざしながら、
「居ますかもないもんだ。
 ああ、ちっと居るようだの、と何でもないように、言われるんだけれども、なぜ阿母おふくろには居るだろうと、口惜くやしいくらいでね。今に工面してやるからい、蚊の畜生覚えていろと、無念骨髄むねんこつずいでしたよ。まだそれよりか、毒虫のぶんぶん矢を射るようなはげしい中に、疲れて、すやすや、……わきに私の居るのを嬉しそうに、快よさそうに眠られる時は、なおたまらなくって泣きました。」
 聞く方が歎息して、
「だってねえ、よくそれで無事でしたね。」
 顔見られたのが不思議なほどの、懐かしそうなことばであった。
「まさか、蚊に喰殺されたという話もない。そんな事より、恐るべきは兵糧ひょうろうでしたな。」
「そうだってねえ。今じゃ笑いばなしになったけれど。」
「余りそうでもありません。しかしまあ、お庇様かげさま、どうにか蚊帳もありますから。」
「ほんとに、どんなに辛かったろう、謹さん、貴下あなた。」と優しい顔。
「何、私より阿母ですよ。」
「伯母さんにも聞きました。伯母さんはまた自分の身がかせになって、貴下が肩が抜けないし、そうかといって、修行中で、どう工面の成ろうわけはないのに、一ツ売り二つ売り、一日だてに、段々煙は細くなるし、もう二人が消えるばかりだから、世間体さえ構わないなら、身体からだ一ツないものにして、貴下を自由にしてあげたい、としょっちゅうそう思っていらしったってね。お互に今聞いても、身ぶるいが出るじゃありませんか。」
 と顔を上げて目を合わせる、両人の手は左右から、思わず火鉢をおさえたのである。
「私はまた私で、何です、なまじ薄髯うすひげの生えた意気地のない兄哥あにいがついているから起って、相応にどうにか遣繰やりくってかれるだろう、と思うから、食物くいものの足りぬ阿母を、世間でも黙って見ている。いっそせがれがないものときまったら、たよる処も何にもない。六十を越した人を、まさか見殺しにはしないだろう。
 やっちまおうかと、日に幾度いくたび考えたかね。
 民さんも知っていましょう、あの年は、城のほりで、大層投身者みなげがありました。」
 同一年おないどしの、あいやけは、姉さんのようなうなずき方。
「ああ。」

       三

「確か六七人もあったでしょう。」
 お民は聞いて、火鉢のふちに、算盤そろばんはじくように、指を反らして、
「謹さん、もっとですよ。八月十日の新聞までに、八人だったわ。」
 と仰いで目を細うして言った。幼い時から、記憶の鋭い婦人である。
「じゃ、九人になる処だった。貴女あなたの内へ遊びにくと、いつも帰りが遅くなって、日が暮れちゃ、あの濠端ほりばたを通ったんですがね、石垣があおく光って、真黒まっくろな水の上から、むらむらと白い煙が、こっちにいかかって来るように見えるじゃありませんか。
 引込まれては大変だと、早足に歩行あるき出すと、何だかうしろから追いけるようだから、一心にげ出してさ、坂の上で振返ると、すごいような月で。
 ああ、春の末でした。
 あとについて来たものは、自分の影法師ばかりなんです。
 自分の影を、死神と間違えるんだもの、御覧なさい、生きている瀬はなかったんですよ。」
「心細いじゃありませんか、ねえ。」
 とさみしそうに打傾く、おもてに映って、うなじをかけ、黒繻子くろじゅすの襟に障子の影、薄ら蒼く見えるまで、戸外おもては月のえたる気勢けはい。カラカラと小刻こきざみに、女の通る下駄の音、屋敷町に響いたが、女中はまだ帰って来ない。
「心細いのが通り越して、気が変になっていたんです。
 じゃ、そんな、気味の悪い、物凄い、死神のさそうような、いやな濠端を、何の、お民さん。通らずともの事だけれど、なぜかまた、わざとにも、そこを歩行あるいて、行過ゆきすぎてしまってから、まだ死なないでいるって事を、自分でたしかめて見たくてならんのでしたよ。
 危険千万けんのんせんばん
 だって、今だから話すんだけれど、その蚊帳かやなしで、蚊が居るッていう始末でしょう。無いものは活計たつきしろという訳で。
 内でじっとしていたんじゃ、たといくにしろ、車も曳けない理窟ですから、何がなし、戸外おもてへ出て、足駄穿きで駈け歩行あるくしだらだけれど、さて出ようとすると、気になるから、あががまちへ腰をかけて、片足履物をぶら下げながら、おっかさん、お米は? ッて聞くんです。」
「お米は? ッてね、謹さん。」
 と、お民はほろりとしたのである。あるじはあえて莞爾にこやかに、
「恐しいもんだ、その癖両に何升どこは、この節かえって覚えました。その頃は、まったくです、無い事は無いにしろ、幾許いくらするか知らなかった。
 みんな、親のおかげだね。

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