泉鏡花集成4 |
ちくま文庫、筑摩書房 |
1995(平成7)年10月24日 |
1995(平成7)年10月24日第1刷 |
鏡花全集 第九巻 |
岩波書店 |
1942(昭和17)年3月30日 |
一
「謹さん、お手紙、」
と階子段から声を掛けて、二階の六畳へ上り切らず、欄干に白やかな手をかけて、顔を斜に覗きながら、背後向きに机に寄った当家の主人に、一枚を齎らした。
「憚り、」
と身を横に、蔽うた燈を離れたので、玉ぼやを透かした薄あかりに、くっきり描き出された、上り口の半身は、雲の絶間の青柳見るよう、髪も容もすっきりした中年増。
これはあるじの国許から、五ツになる男の児を伴うて、この度上京、しばらくここに逗留している、お民といって縁続き、一蒔絵師の女房である。
階下で添乳をしていたらしい、色はくすんだが艶のある、藍と紺、縦縞の南部の袷、黒繻子の襟のなり、ふっくりとした乳房の線、幅細く寛いで、昼夜帯の暗いのに、緩く纏うた、縮緬の扱帯に蒼味のかかったは、月の影のさしたよう。
燈火に対して、瞳清しゅう、鼻筋がすっと通り、口許の緊った、痩せぎすな、眉のきりりとした風采に、しどけない態度も目に立たず、繕わぬのが美しい。
「これは憚り、お使い柄恐入ります。」
と主人は此方に手を伸ばすと、見得もなく、婦人は胸を、はらんばいになるまでに、ずッと出して差置くのを、畳をずらして受取って、火鉢の上でちょっと見たが、端書の用は直ぐに済んだ。
机の上に差置いて、
「ほんとに御苦労様でした。」
「はいはい、これはまあ、御丁寧な、御挨拶痛み入りますこと。お勝手からこちらまで、随分遠方でござんすからねえ。」
「憚り様ね。」
「ちっとも憚り様なことはありやしません。謹さん、」
「何ね、」
「貴下、その(憚り様ね)を、端書を読む、つなぎに言ってるのね。ほほほほ。」
謹さんも莞爾して、
「お話しなさい。」
「難有う、」
「さあ、こちらへ。」
「はい、誠にどうも難有う存じます、いいえ、どうぞもう、どうぞ、もう。」
「早速だ、おやおや。」
「大分丁寧でございましょう。」
「そんな皮肉を言わないで、坊やは?」
「寝ました。」
「母は?」
「行火で、」と云って、肱を曲げた、雪なす二の腕、担いだように寝て見せる。
「貴女にあまえているんでしょう。どうして、元気な人ですからね、今時行火をしたり、宵の内から転寝をするような人じゃないの。鉄は居ませんか。」
「女中さんは買物に、お汁の実を仕入れるのですって。それから私がお道楽、翌日は田舎料理を達引こうと思って、ついでにその分も。」
「じゃ階下は寂しいや、お話しなさい。」
お民はそのまま、すらりと敷居へ、後手を弱腰に、引っかけの端をぎゅうと撫で、軽く衣紋を合わせながら、後姿の襟清く、振返って入ったあと、欄干の前なる障子を閉めた。
「ここが開いていちゃ寒いでしょう。」
「何だかぞくぞくするようね、悪い陽気だ。」
と火鉢を前へ。
「開ッ放しておくからさ。」
「でもお民さん、貴女が居るのに、そこを閉めておくのは気になります。」
時に燈に近う来た。瞼に颯と薄紅。
二
坐ると炭取を引寄せて、火箸を取って俯向いたが、
「お礼に継いで上げましょうね。」
「どうぞ、願います。」
「まあ、人様のもので、義理をするんだよ、こんな呑気ッちゃありやしない。串戯はよして、謹さん、東京は炭が高いんですってね。」
主人は大胡座で、落着澄まし、
「吝なことをお言いなさんな、お民さん、阿母は行火だというのに、押入には葛籠へ入って、まだ蚊帳があるという騒ぎだ。」
「何のそれが騒ぎなことがあるもんですか。またいつかのように、夏中蚊帳が無くっては、それこそお家は騒動ですよ。」
「騒動どころか没落だ。いや、弱りましたぜ、一夏は。
何しろ、家の焼けた年でしょう。あの焼あとというものは、どういうわけだか、恐しく蚊が酷い。まだその騒ぎの無い内、当地で、本郷のね、春木町の裏長屋を借りて、夥間と自炊をしたことがありましたっけが、その時も前の年火事があったといって、何年にもない、大変な蚊でしたよ。けれども、それは何、少いもの同志だから、萌黄縅の鎧はなくても、夜一夜、戸外を歩行いていたって、それで事は済みました。
内じゃ、年よりを抱えていましょう。夜が明けても、的はないのに、夜中一時二時までも、友達の許へ、苦い時の相談の手紙なんか書きながら、わきで寝返りなさるから、阿母さん、蚊が居ますかって聞くんです。
自分の手にゃ五ツ六ツたかっているのに。」
主人は火鉢にかざしながら、
「居ますかもないもんだ。
ああ、ちっと居るようだの、と何でもないように、言われるんだけれども、なぜ阿母には居るだろうと、口惜いくらいでね。今に工面してやるから可い、蚊の畜生覚えていろと、無念骨髄でしたよ。まだそれよりか、毒虫のぶんぶん矢を射るような烈い中に、疲れて、すやすや、……傍に私の居るのを嬉しそうに、快よさそうに眠られる時は、なお堪らなくって泣きました。」
聞く方が歎息して、
「だってねえ、よくそれで無事でしたね。」
顔見られたのが不思議なほどの、懐かしそうな言であった。
「まさか、蚊に喰殺されたという話もない。そんな事より、恐るべきは兵糧でしたな。」
「そうだってねえ。今じゃ笑いばなしになったけれど。」
「余りそうでもありません。しかしまあ、お庇様、どうにか蚊帳もありますから。」
「ほんとに、どんなに辛かったろう、謹さん、貴下。」と優しい顔。
「何、私より阿母ですよ。」
「伯母さんにも聞きました。伯母さんはまた自分の身がかせになって、貴下が肩が抜けないし、そうかといって、修行中で、どう工面の成ろうわけはないのに、一ツ売り二つ売り、一日だてに、段々煙は細くなるし、もう二人が消えるばかりだから、世間体さえ構わないなら、身体一ツないものにして、貴下を自由にしてあげたい、としょっちゅうそう思っていらしったってね。お互に今聞いても、身ぶるいが出るじゃありませんか。」
と顔を上げて目を合わせる、両人の手は左右から、思わず火鉢を圧えたのである。
「私はまた私で、何です、なまじ薄髯の生えた意気地のない兄哥がついているから起って、相応にどうにか遣繰って行かれるだろう、と思うから、食物の足りぬ阿母を、世間でも黙って見ている。いっそ伜がないものと極ったら、たよる処も何にもない。六十を越した人を、まさか見殺しにはしないだろう。
やっちまおうかと、日に幾度考えたかね。
民さんも知っていましょう、あの年は、城の濠で、大層投身者がありました。」
同一年の、あいやけは、姉さんのような頷き方。
「ああ。」
三
「確か六七人もあったでしょう。」
お民は聞いて、火鉢のふちに、算盤を弾くように、指を反らして、
「謹さん、もっとですよ。八月十日の新聞までに、八人だったわ。」
と仰いで目を細うして言った。幼い時から、記憶の鋭い婦人である。
「じゃ、九人になる処だった。貴女の内へ遊びに行くと、いつも帰りが遅くなって、日が暮れちゃ、あの濠端を通ったんですがね、石垣が蒼く光って、真黒な水の上から、むらむらと白い煙が、こっちに這いかかって来るように見えるじゃありませんか。
引込まれては大変だと、早足に歩行き出すと、何だかうしろから追い駈けるようだから、一心に遁げ出してさ、坂の上で振返ると、凄いような月で。
ああ、春の末でした。
あとについて来たものは、自分の影法師ばかりなんです。
自分の影を、死神と間違えるんだもの、御覧なさい、生きている瀬はなかったんですよ。」
「心細いじゃありませんか、ねえ。」
と寂しそうに打傾く、面に映って、頸をかけ、黒繻子の襟に障子の影、薄ら蒼く見えるまで、戸外は月の冴えたる気勢。カラカラと小刻に、女の通る下駄の音、屋敷町に響いたが、女中はまだ帰って来ない。
「心細いのが通り越して、気が変になっていたんです。
じゃ、そんな、気味の悪い、物凄い、死神のさそうような、厭な濠端を、何の、お民さん。通らずともの事だけれど、なぜかまた、わざとにも、そこを歩行いて、行過ぎてしまってから、まだ死なないでいるって事を、自分で確めて見たくてならんのでしたよ。
危険千万。
だって、今だから話すんだけれど、その蚊帳なしで、蚊が居るッていう始末でしょう。無いものは活計の代という訳で。
内で熟としていたんじゃ、たとい曳くにしろ、車も曳けない理窟ですから、何がなし、戸外へ出て、足駄穿きで駈け歩行くしだらだけれど、さて出ようとすると、気になるから、上り框へ腰をかけて、片足履物をぶら下げながら、母さん、お米は? ッて聞くんです。」
「お米は? ッてね、謹さん。」
と、お民はほろりとしたのである。あるじはあえて莞爾やかに、
「恐しいもんだ、その癖両に何升どこは、この節かえって覚えました。その頃は、まったくです、無い事は無いにしろ、幾許するか知らなかった。
皆、親のお庇だね。
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