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縁結び(えんむすび)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 12:10:14  点击:  切换到繁體中文



     八

「やあ、これからまたおいでかい。」
 と腹の底から出るような、奥底のない声をかけて、番傘を横に開いて、出した顔は見知越みしりごし一昨日おとといもちょっと顔を合わせた、みねの回向堂の堂守で、耳には数珠じゅずをかけていた。仁右衛門にえもんといって、いつもおんなじ年のおやじである。
 その回向堂は、また庚申堂こうしんどうとも呼ぶが、別に庚申を祭ったのではない。さんぬる天保てんぽう庚申年に、山を開いて、共同墓地にした時に、居まわりに寺がないから、この御堂みどう建立こんりゅうして、家々の位牌いはいを預ける事にした、そこで回向堂ともとなうるので、この堂守ばかり、別に住職じゅうしょく居室いまもなければ、山法師やまぼうしも宿らぬのである。
「また、東京へ行きますから、もう一度と思って来ました。」
 と早、離れてはいたが、謙造はかたわらなる、手向たむけにあらぬ花の姿に、心置かるる風情ふぜいで云った。
「よく、参らっしゃる、ちとまた休んでござれ。」
「ちょっと休まして頂くかも知れません。じいさんは、」
わしかい。講中にちっと折込おれこみがあって、これから通夜つやじゃ、南無妙なむみょう、」
 と口をむぐむぐさしたが、
「はははは、わしぐらいの年のばあさまじゃ、お目出たい事いの。位牌になって嫁入よめいりにござらっしゃる、南無妙。戸は閉めてきたがの、開けさっしゃりませ、掛金かけがねも何にもない、南無妙、」
 と二人を見て、
「ははあ、かさなしじゃの、いや生憎あいにくの雨、これを進ぜましょ。持ってござらっしゃい。」
 とばッさりすぼめる。
「何、構やしないよ。」
「うんにゃよ、お前さまは構わっしゃらいでも、はははは、それ、そちらのねえ[#「姉」の正字、「女+※(第3水準1-85-57)のつくり」、312-5]さんが濡れるわ、さあさあ、ささっしゃい。」
「済みませんねえ、」
 と顔を赤らめながら、
「でも、お爺さん、あなたお濡れなさいましょう。」
「私は濡れても天日てんぴで干すわさ。いや、またまこと困れば、天神様の神官殿別懇かんぬしどのべっこんじゃ、宿坊しゅくぼうで借りて行く……南無妙、」
 とおっつけるように出してくれる。
 ささげるように両手で取って、
大助おおだすかりです、ここに雨やみをしているもいいが、この人が、」
 と見返って、莞爾にっこりして、
「どうも、嬰児ねんねのように恐がって、取って食われそうに騒ぐんで、」
 と今の姿を見られたろう、ときまりの悪さにいいわけする。
 お君は俯向うつむいて、むらさき半襟はんえりの、ぬいうめを指でちょいと。
 仁右衛門にえもん、はッはと笑い、
「おお、名物の梟かい。」
「いいえ、それよりか、そのもみじがりの額の鬼が、」
「ふむ、」
 と振仰いで、
「これかい、南無妙。これは似たような絵じゃが、余吾将軍維茂よごしょうぐんこれもちではない。見さっしゃい。烏帽子素袍大紋えぼしすおうだいもんじゃ。手には小手こてあしにはすねあてをしているわ……大森彦七おおもりひこしちじゃ。南無妙、」
 と豊かに目をつぶって、鼻の下を長くしたが、
山頬やまぎわの細道を、直様すぐさまに通るに、年の程十七八ばかりなる女房にょうぼうの、赤き袴に、柳裏やなぎうら五衣いつつぎぬ着て、びんふかぎたるが、南無妙。
 山のの月にえいじて、ただ独りたたずみたり。……これからよ、南無妙。
 女ちと打笑うて、うれしや候。さらば御桟敷おんさじきへ参りそうらわんと云いて、あとに付きてぞ歩みける。羅綺らきにだも不勝姿たえざるすがたまこと物痛ものいたわしく、まだ一足も土をば不蹈人ふまざるひとよと覚えて、南無妙。
 彦七不怺こらえずあまりつゆも深く候えば、あれまで負進おいまいらせ候わんとて、前にひざまずきたれば、女房すこしも不辞じせず便びんのう、いかにかと云いながら、やがてうしろにぞよりかかりける、南無妙。
 白玉か何ぞと問いしいにしえも、かくやと思知おもいしられつつ、あらしのつてに散花ちるはなの、袖にかかるよりも軽やかに、梅花ばいかにおいなつかしく、蹈足ふむあしもたどたどしく、心も空にうかれつつ、半町はんちょうばかり歩みけるが、南無妙。
 月すこし暗かりける処にて、南無妙、さしもいつくしかりけるこの女房、南無妙。」
 といいいい額堂を出ると、雨に濡らすまいと思ったか、数珠を取って。頂いてふところへ入れたが、身体からだは平気で、石段、てく、てく。

     九

 フタツマナコシュトイテ。鏡ノオモテソソゲルガゴトク。上下ウエシタ歯クイチゴウテ。口脇クチワキ耳ノ根マデ広クケ。マユウルシニテ百入塗モモシオヌリタルゴトクニシテ。額ヲ隠シ。振分髪フリワケガミノ中ヨリ。五寸計ゴスンバカリナルコウシノ角。ウロコヲカズイテ生出おいいでた、たけしゃくの鬼が出ようかと、あせを流して聞いている内、月チト暗カリケル処ニテ、仁右衛門が出て行った。まず、よし。お君はおびえずに済んだが、ひとえに梟の声に耳を澄まして、あわれに物寂ものさびしい顔である。
「さ、出かけよう。」
 と謙造はもうここからからかさばッさり。
「はい、あなた飛んだご迷惑めいわくでございます。」
「私はちっとも迷惑な事はないが、あなた、それじゃいかん。みちはまだそんなでもないから、跣足はだしにはおよぶまいが、裾をぐいとおげ、構わず、」
「それでも、」
「うむ、構うもんか、いまの石段なんぞ、ちらちら引絡ひっからまって歩行悪あるきにくそうだった。
 きまりの悪いことも何にもない。誰も見やしないから、これから先は、人ッ子一人居やしない、よ、そうおし、」
「でも、あんまり、」
 片褄かたづま取って、そのくれないのはしのこぼれたのに、猶予ためらってはずかしそう。
「だらしがないから、よ。」
 としかるように云って、
母様おっかさんに逢いに行くんだ。一体、私のせなかんぶをして、目をふさいで飛ぶところだ。構うもんか。さ、手をこう、すべるぞ。」
 と言った。暮れかかった山の色は、そのなめらかな土に、お君の白脛しらはぎとかつ、もすそを映した。二人は額堂を出たのである。
「ご覧、目の下に遠く樹立こだちが見える、あの中の瓦屋根かわらやねが、私の居る旅籠はたごだよ。」
 がけのふちであぶなっかしそうに伸上のびあがって、
「まあ、じきそこでございますね。」
一飛ひとッとびだから、梟が迎いに来たんだろう。」
「あれ。」
「おっと……番毎怯ばんごとおびえるな、しっかりとつかまったり……」
「あなた、邪慳じゃけんにお引張ひッぱりなさいますな。綺麗きれいな草を、もうちっとでもうといたしました。可愛かわいらしい菖蒲あやめですこと。」
紫羅傘いちはつだよ、この山にはたくさん[#「く」は底本では「く」]。それ、一面に。」
 星の数ほど、はらはらと咲き乱れたが、森が暗く山が薄鼠うすねずみになって濡れたから、しきりなく梟の声につけても、その紫のおもかげが、燐火おにびのようですごかった。
 辿たどる姿は、松にかくれ、草にあらわれ、坂にしずみ、峰に浮んで、その峰つづきを畝々うねうねと、漆のようなのと、真蒼まさおなると、しゃのごときと、中にも雪を頂いた、雲いろいろの遠山とおやまに添うて、ここに射返いかえされたようなおきみの色。やがてかさ一つ、山のおおきくさびらのようになった時、二人はその、さす方の、庚申堂こうしんどうへ着いたのである。
 と不思議な事には、堂の正面へ向った時、仁右衛門は掛金はないが開けて入るように、と心着けたのに、雨戸は両方へ開いていた。お君はのちに、御母様おっかさんがそうしておいたのだ、と言ったが、知らず堂守の思違おもいちがいであったろう。
 かまちがすぐにえんで、取附とッつきがその位牌堂。これには天井てんじょうから大きな白の戸帳とばりれている。その色だけほのかに明くって、板敷いたじきは暗かった。
 左に六じょうばかりの休息所がある。向うが破襖やれぶすまで、その中が、何畳か、仁右衛門堂守のる処。勝手口は裏にあって、台所もついて、井戸いどもある。
 が謙造の用は、ちっともそこいらにはなかったので。
 前へ入って、その休息所の真暗な中を、板戸あかりを見当に、がたびしと立働いて、町に向いた方の雨戸をあけた。
 横手にも窓があって、そこをあけると今の、その雪をいただいた山がこおりけずったような裾を、紅、緑、紫の山でつつまれた根まで見える、見晴の絶景ながら、窓の下がすぐ、ばらばらと墓であるから、またおびえようと、それは閉めたままでおいたのである。

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