泉鏡花集成8 |
ちくま文庫、筑摩書房 |
1996(平成8)年5月23日 |
1996(平成8)年5月23日第1刷 |
もとの邸町の、荒果てた土塀が今もそのままになっている。……雪が消えて、まだ間もない、乾いたばかりの――山国で――石のごつごつした狭い小路が、霞みながら一条煙のように、ぼっと黄昏れて行く。
弥生の末から、ちっとずつの遅速はあっても、花は一時に咲くので、その一ならびの塀の内に、桃、紅梅、椿も桜も、あるいは満開に、あるいは初々しい花に、色香を装っている。石垣の草には、蕗の薹も萌えていよう。特に桃の花を真先に挙げたのは、むかしこの一廓は桃の組といった組屋敷だった、と聞くからである。その樹の名木も、まだそっちこちに残っていて麗に咲いたのが……こう目に見えるようで、それがまたいかにも寂しい。
二条ばかりも重って、美しい婦の虐げられた――旧藩の頃にはどこでもあり来りだが――伝説があるからで。
通道というでもなし、花はこの近処に名所さえあるから、わざとこんな裏小路を捜るものはない。日中もほとんど人通りはない。妙齢の娘でも見えようものなら、白昼といえども、それは崩れた土塀から影を顕わしたと、人を驚かすであろう。
その癖、妙な事は、いま頃の日の暮方は、その名所の山へ、絡繹として、花見、遊山に出掛けるのが、この前通りの、優しい大川の小橋を渡って、ぞろぞろと帰って来る、男は膚脱ぎになって、手をぐたりとのめり、女が媚かしい友染の褄端折で、啣楊枝をした酔払まじりの、浮かれ浮かれた人数が、前後に揃って、この小路をぞろぞろ通るように思われる……まだその上に、小橋を渡る跫音が、左右の土塀へ、そこを蹈むように、とろとろと響いて、しかもそれが手に取るように聞こえるのである。
――このお話をすると、いまでも私は、まざまざとその景色が目に浮ぶ。――
ところで、いま言った古小路は、私の家から十町余りも離れていて、縁で視めても、二階から伸上っても、それに……地方の事だから、板葺屋根へ上ってしても、実は建連った賑な町家に隔てられて、その方角には、橋はもとよりの事、川の流も見えないし、小路などは、たとい見えても、松杉の立木一本にもかくれてしまう。……第一見えそうな位置でもないのに――いま言った黄昏になる頃は、いつも、窓にも縁にも一杯の、川向うの山ばかりか、我が家の町も、門も、欄干も、襖も、居る畳も、ああああ我が影も、朦朧と見えなくなって、国中、町中にただ一条、その桃の古小路ばかりが、漫々として波の静な蒼海に、船脚を曳いたように見える。見えつつ、面白そうな花見がえりが、ぞろぞろ橋を渡る跫音が、約束通り、とととと、どど、ごろごろと、且つ乱れてそこへ響く。……幽に人声――女らしいのも、ほほほ、と聞こえると、緋桃がぱッと色に乱れて、夕暮の桜もはらはらと散りかかる。……
直接に、そぞろにそこへ行き、小路へ入ると、寂しがって、気味を悪がって、誰も通らぬ、更に人影はないのであった。
気勢はしつつ、……橋を渡る音も、隔って、聞こえはしない。……
桃も桜も、真紅な椿も、濃い霞に包まれた、朧も暗いほどの土塀の一処に、石垣を攀上るかと附着いて、……つつじ、藤にはまだ早い、――荒庭の中を覗いている――絣の筒袖を着た、頭の円い小柄な小僧の十余りなのがぽつんと見える。
そいつは、……私だ。
夢中でぽかんとしているから、もう、とっぷり日が暮れて塀越の花の梢に、朧月のやや斜なのが、湯上りのように、薄くほんのりとして覗くのも、そいつは知らないらしい。
ちょうど吹倒れた雨戸を一枚、拾って立掛けたような破れた木戸が、裂めだらけに閉してある。そこを覗いているのだが、枝ごし葉ごしの月が、ぼうとなどった白紙で、木戸の肩に、「貸本」と、かなで染めた、それがほのかに読まれる――紙が樹の隈を分けた月の影なら、字もただ花と莟を持った、桃の一枝であろうも知れないのである。
そこへ……小路の奥の、森の覆った中から、葉をざわざわと鳴らすばかり、脊の高い、色の真白な、大柄な婦が、横町の湯の帰途と見える、……化粧道具と、手拭を絞ったのを手にして、陽気はこれだし、のぼせもした、……微酔もそのままで、ふらふらと花をみまわしつつ近づいた。
巣から落ちた木菟の雛ッ子のような小僧に対して、一種の大なる化鳥である。大女の、わけて櫛巻に無雑作に引束ねた黒髪の房々とした濡色と、色の白さは目覚ましい。
「おやおや……新坊。」
小僧はやっぱり夢中でいた。
「おい、新坊。」
と、手拭で頬辺を、つるりと撫でる。
「あッ。」
と、肝を消して、
「まあ、小母さん。」
ベソを掻いて、顔を見て、
「御免なさい。御免なさい。父さんに言っては可厭だよ。」
と、あわれみを乞いつつ言った。
不気味に凄い、魔の小路だというのに、婦が一人で、湯帰りの捷径を怪んでは不可い。……実はこの小母さんだから通ったのである。
つい、(乙)の字なりに畝った小路の、大川へ出口の小さな二階家に、独身で住って、門に周易の看板を出している、小母さんが既に魔に近い。婦でト筮をするのが怪しいのではない。小僧は、もの心ついた四つ五つ時分から、親たちに聞いて知っている。大女の小母さんは、娘の時に一度死んで、通夜の三日の真夜中に蘇生った。その時分から酒を飲んだから酔って転寝でもした気でいたろう。力はあるし、棺桶をめりめりと鳴らした。それが高島田だったというからなお稀有である。地獄も見て来たよ――極楽は、お手のものだ、とト筮ごときは掌である。且つ寺子屋仕込みで、本が読める。五経、文選すらすらで、書がまた好い。一度冥途をってからは、仏教に親んで参禅もしたと聞く。――小母さんは寺子屋時代から、小僧の父親とは手習傍輩で、そう毎々でもないが、時々は往来をする。何ぞの用で、小僧も使いに遣られて、煎餅も貰えば、小母さんの易をトる七星を刺繍した黒い幕を張った部屋も知っている、その往戻りから、フトこのかくれた小路をも覚えたのであった。
この魔のような小母さんが、出口に控えているから、怪い可恐いものが顕われようとも、それが、小母さんのお夥間の気がするために、何となく心易くって、いつの間にか、小児の癖に、場所柄を、さして憚らないでいたのである。が、学校をなまけて、不思議な木戸に、「かしほん」の庭を覗くのを、父親の傍輩に見つかったのは、天狗に逢ったほど可恐しい。
「内へお寄り。……さあ、一緒に。」
優しく背を押したのだけれども、小僧には襟首を抓んで引立てられる気がして、手足をすくめて、宙を歩行いた。
「肥っていても、湯ざめがするよ。――もう春だがなあ、夜はまだ寒い。」
と、納戸で被布を着て、朱の長煙管を片手に、
「新坊、――あんな処に、一人で何をしていた?……小母さんが易を立てて見てあげよう。二階へおいで。」
月、星を左右の幕に、祭壇を背にして、詩経、史記、二十一史、十三経注疏なんど本箱がずらりと並んだ、手習机を前に、ずしりと一杯に、座蒲団に坐って、蔽のかかった火桶を引寄せ、顔を見て、ふとった頬でニタニタと笑いながら、長閑に煙草を吸ったあとで、円い肘を白くついて、あの天眼鏡というのを取って、ぴたりと額に当てられた時は、小僧は悚然として震上った。
大川の瀬がさっと聞こえて、片側町の、岸の松並木に風が渡った。
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