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歌行灯(うたあんどん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 12:06:21  点击:  切换到繁體中文



       十九

「泣いてばかりいますから、気の荒いお船頭が、こんな泣虫を買うほどなら、伊良子崎の海鼠なまこ蒲団ふとんで、弥島やしま烏賊いかを遊ぶって、どの船からも投出される。
 また、あのいわに追上げられて、霜風の間々あいあいに、(こいし、こいし。)と泣くのでござんす。
 手足は凍って貝になっても、(こいし)と泣くのが本望な。巌の裂目を沖へ通って、海のはてまで響いて欲しい。もう船もね、潮も来い。……そのままで石になってしまいたいと思うほど、お客様、私は、あの、」
 と乱れた襦袢の袖をくわえた、水紅色ときいろ映るまぶたのあたり、ほんのりと薄くして、
「心でばかり長い事、思っておりまする人があって。……芸も容色きりょうもないものが、生意気を云うようですが、……たとい殺されても、死んでもと、心願掛けておりました。
 ある晩も、やっぱりあおい灯の船に買われて、その船頭衆の言う事をかなかったので、こっちの船へ突返されると、ともの処に行火あんかまたいで、どぶろくを飲んでいた、私を送りの若いしゅがな、玉代ぎょくだいだけ損をしやはれ、此方衆こなたしゅうの見る前で、この女を、海士あまにして慰もうと、月の良い晩でした。
 胴の間で着物を脱がして、はだの紐へなわを付けて、さかさまに海の深みへ沈めます。ずんずんずんと沈んでな、もう奈落かと思う時、釣瓶つるべのようにきりきりと、身体からだを車に引上げて、髪のしずくも切らせずに、また海へ突込つッこみました。
 この時な、そのかかり船に、長崎辺の伯父が一人乗込んでいると云うて、お小遣こづかいの無心に来て、泊込んでおりました、二見から鳥羽がよいの馬車に、馭者ぎょしゃをします、寒中、襯衣しゃつ一枚に袴服ずぼん穿いた若い人が、私のそんなにされるのが、あんまり可哀相な、とそう云うて、伊勢へ帰って、その話をしましたので、今、あの申しました。……
 この間までおりました、古市の新地しんまちの姉さんが、随分なお金子かねを出して、私を連れ出してくれましたの。
 それでな、鳥羽の鬼へも面当つらあてに、芸をよく覚えて、立派な芸子になれやッて、姉さんが、そうやって、目に涙を一杯ためて、ぴしぴしばちちながら、三味線を教えてくれるんですが、どうした因果か、ちっとも覚えられません。
 人さしと、中指と、ちょっとの間を、一日に三度ずつ、一週間も鳴らしますから、近所隣も迷惑して、御飯もまずいと言うのですえ。
 また月の良い晩でした。ああ、今の御主人が、親切なだけなお辛い。……何の、身体からだの切ない、苦しいだけは、生命いのちが絶えればそれで済む。いっそまた鳥羽へ行って、あのいわつかまって、(こいし、こいし、)と泣こうか知らぬ、膚の紐になわつけて、海へ入れられるが気安いような、と島も海も目に見えて、ふらふらと月の中を、千鳥が、冥土めいどの使いに来て、連れて行かれそうに思いました。……格子さきへ流しが来ました。
 新町の月影に、露の垂りそうな、あの、ちらちら光る撥音ばちおとで、

……博多帯しめ、筑前絞り――

 と、何とも言えぬい声で。
(へい、不調法、おやかましゅう、)って、そのままきそうにしたのです。
(ああ、身震みぶるいがするほど上手うまい、あやかるように拝んで来な、それ、お賽銭さいせんをあげる気で。)
 と滝縞たきじまめし半纏はんてん着て、灰に袖のつくほどに、しんみり聞いてやった姉さんが、長火鉢の抽斗ひきだしからお宝を出して、キイと、あの繻子しゅすが鳴る、帯へはさんだ懐紙にひねって、私に持たせなすったのを、盆に乗せて、戸を開けると、もう一二けん行きなさいます。二人の間にある月をな、影でつないで、ちゃっと行って、
是喃こいし。)と呼んで、出した盆を、振向いてお取りでした。私や、思わずその手にすがって、涙がひとりでに出ましたえ。男で居ながら、こんなにも上手な方があるものを、めてその指一本でも、私の身体からだについたらばと、つい、おろおろと泣いたのです。
 頬被ほおかむりをしていなすった。あのその、私の手を取ったまま――黙って、少し脇の方へ退いた処で、(何を泣く、)って優しい声で、その門附が聞いてくれます。もう恥も何も忘れてな、その、あの、どうしても三味線の覚えられぬ事を話しました。」

       二十

「よく聞いて、しばらくじっと顔を見ていなさいました。
(芸事の出来るように、神へ願懸がんがけをすると云って、夜の明けぬ内、外へ出ろ。鼓ヶ嶽の裾にある、雑樹林の中へ来い。三日とも思うけれど、主人には、七日と頼んで。すぐ、今夜の明方から。……分ったか。若い女の途中があぶない、この入口まで来て待ってやる、ばかされると思うな、夢ではない。……)
 とお言いのなり、三味線を胸に附着くッつけて、フイと暗がりへ附着いて、黒塀をきなさいます。……
 その事は言わぬけれど、明方の三時から、夜の白むまで垢離こり取って、願懸けすると頼んだら、姉さんは、喜んで、承知してくれました。
 殺されたら死ぬ気でな、――大恩のある御主人の、この格子戸も見納めか、と思うようで、軒下へ出て振返って、かどながめて、立っているとな。
(おいで、)
 と云って、突然いきなり背後うしろから手を取りなすった、門附のそのお方。
 私はな、よう覚悟はしていたが、天狗様にさらわれるかと思いましたえ。
 あとは夢やらうつつやら。明方内へ帰ってからも、そのあとは二日も三日もただぼうとしておりましたの。……鼓ヶ嶽の松風と、五十鈴川のながれの音と聞えます、雑木の森の暗い中で、その方に教わりました。……舞も、あの、さす手も、ひく手も、ただ背後うしろから背中を抱いて下さいますと、私の身体からだが、舞いました。それだけより存じません。
 もっとも、私が、あの、鳥羽の海へ投入れられた、その身の上も話しました。その方は不思議な事で、私とはかたきのような中だ事も、いろいろ入組んではおりますけれど、鼓ヶ嶽の裾の話は、誰にも言うな、と口留めをされました。何んにも話がなりません。
 五日目に、もう可いから、これを舞って座敷をせい。芸なし、とは言うまい、ッて、お記念かたみなり、しるしなりに、この舞扇を下さいました。」
 と袖で胸へしっかと抱いて、ぶるぶると肩を震わした、後毛おくれげがはらりとなる。
 捻平溜息ためいきをしてうなずき、
「いや、よく分った。教え方も、習い方も、話されずとよく分った。時に、山田に居て、どうじゃな、その舞だけでは勤まらなんだか。」
「はい、はじめてうたいました時は、みんなが、わっと笑うやら、中にはおそろしこわいと云う人もござんす。なぜ言うと、五日ばかり、あの私がな、天狗様に誘い出された、と風説うわさしたのでござんすから。」
「は、いかにも師匠が魔でなくては、その立方は習われぬわ。むむ、で、何かの、伊勢にもうたいうたうものの、五人七人はあろうと思うが、その連中には見せなんだか。」
「ええ、物好ものずきに試すって、呼んだ方もありましたが、地をお謡いなさる方が、何じゃやら、ちっとも、ものにならぬと言って、すぐにおめなさいましたの。」
「ははあ、いや、その足拍子を入れられては、やわなうたいちぎれて飛ぶじゃよ。ははははは、うなる連中粉灰こっぱいじゃて。かたがたこの桑名へ、住替えとやらしたのかの。」
「狐狸や、いや、あの、えて飛ぶ処は、ふくろ憑物つきものがしよった、と皆気違きちがいにしなさいます。姉さんも、手放すのは可哀相や言って下さいましたけれど、……周囲まわりの人が承知しませず、……この桑名の島屋とは、ゆきかいはせぬ遠い中でも、姉さんの縁続きでござんすから、預けるつもりで寄越よこされましたの。」
「おお、そこで、また辛いおもいをさせられるか。まずまず、それは後でゆっくり聞こう。……そのおわし同一おんなじじゃ。天魔でなくて、若い女が、わざをするわと、仰天したので、手を留めて済まなんだ。さあ、立直して舞うて下さい。大儀じゃろうが一さし頼む。わしひさしぶりで可懐なつかしい、御身おんみの姿で、若師匠の御意を得よう。」
 とことばうちに、膝で解く、その風呂敷の中を見よ。土佐の名手がえがいたような、あか調しらべ立田川たつたがわ、月の裏皮、表皮。玉のきぬたを、打つや、うつつに、天人も聞けかしとて、雲井、とめいある秘蔵の塗胴ぬりどうおい手捌てさばき美しく、にしきを、投ぐるよう、さらさらと緒をめて、火鉢の火に高くかざす、と……呼吸いきをのんで驚いたように見ていたお千は、思わず、はっと両手をいた。
 芸の威厳は争われず、この捻平を誰とかする、七十八歳のおきな、辺見秀之進。近頃孫にを譲って、雪叟せっそうとて隠居した、小鼓取って、本朝無双の名人である。
 いざや、小父者おじごは能役者、当流第一の老手、恩地源三郎、すなわちこれ。
 この二人は、侯爵こうしゃく津のかみが、参宮の、仮のやかたに催された、一調の番組を勤め済まして、あとを膝栗毛で帰る途中であった。

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