二十一
さて、饂飩屋では門附の兄哥が語り次ぐ。
「いや、それから、いろいろ勿体つける所作があって、やがて大坊主が謡出した。
聞くと、どうして、思ったより出来ている、按摩鍼の芸ではない。……戸外をどッどと吹く風の中へ、この声を打撒けたら、あのピイピイ笛ぐらいに纏まろうというもんです。成程、随分夥間には、此奴に(的等。)扱いにされようというのが少くない。
が、私に取っちゃ小敵だった。けれども芸は大事です、侮るまい、と気を緊めて、そこで、膝を。」
と坐直ると、肩の按摩が上へ浮いて、門附の衣紋が緊る。
「……この膝を丁と叩いて、黙って二ツ三ツ拍子を取ると、この拍子が尋常んじゃない。……親なり師匠の叔父きの膝に、小児の時から、抱かれて習った相伝だ。対手の節の隙間を切って、伸縮みを緊めつ、緩めつ、声の重味を刎上げて、咽喉の呼吸を突崩す。寸法を知らず、間拍子の分らない、まんざらの素人は、盲目聾で気にはしないが、ちと商売人の端くれで、いささか心得のある対手だと、トンと一つ打たれただけで、もう声が引掛って、節が不状に蹴躓く。三味線の間も同一だ。どうです、意気なお方に釣合わぬ……ン、と一ツ刎ねないと、野暮な矢の字が、とうふにかすがい、糠に釘でぐしゃりとならあね。
さすがに心得のある奴だけ、商売人にぴたりと一ツ、拍子で声を押伏せられると、張った調子が直ぐにたるんだ。思えば余計な若気の過失、こっちは畜生の浅猿しさだが、対手は素人の悲しさだ。
あわれや宗山。見る内に、額にたらたらと衝と汗を流し、死声を振絞ると、頤から胸へ膏を絞った……あのその大きな唇が海鼠を干したように乾いて来て、舌が硬って呼吸が発奮む。わなわなと震える手で、畳を掴むように、うたいながら猪口を拾おうとする処、ものの本をまだ一枚とうたわぬ前、ピシリとそこへ高拍子を打込んだのが、下腹へ響いて、ドン底から節が抜けたものらしい。
はっと火のような呼吸を吐く、トタンに真俯向けに突伏す時、長々と舌を吐いて、犬のように畳を嘗めた。
(先生、御病気か。)
って私あ莞爾したんだ。
(是非聞きたい、平にどうか。宗山、この上に聾になっても、貴下のを一番、聞かずには死なれぬ。)
と拳を握って、せいせい言ってる。
(按摩さん。)
と私は呼んで、
(尾上町の藤屋まで、どのくらい離れている。)
(何んで、)
と聞く。
(間によっては声が響く。内証で来たんだ。……藤屋には私の声が聞かしたくない、叔父が一人寝てござるんだ。勇士は霜の気勢を知るとさ――たださえ目敏い老人が、この風だから寝苦しがって、フト起きてでもいるとならない、祝儀は置いた。帰るぜ。)
ト宗山が、凝と塞いだ目を、ぐるぐると動かして、
(暫く、今の拍子を打ちなされ……古市から尾上町まで声が聞えようか、と言いなされる、御大言、年のお少さ。まだ一度も声は聞かず、顔はもとより見た事もなけれども……当流の大師匠、恩地源三郎どの養子と聞く……同じ喜多八氏の外にはあるまい。さようでござろう、恩地、)
と私の名をちゃんと言う。
ああ、酔った、」
と杯をばたりと落した。
「饒舌って悪い私の名じゃない。叔父に済まない。二人とも、誰にも言うな。……」
と鷹揚で、按摩と女房に目をあしらい。
「私は羽織の裾を払って、
(違ったような、当ったようだ、が、何しろ、東京の的等の一人だ。宗家の宗、本山の山、宗山か。若布の附焼でも土産に持って、東海道を這い上れ。恩地の台所から音信れたら、叔父には内証で、居候の腕白が、独楽を廻す片手間に、この浦船でも教えてやろう。)
とずっと立つ。
二十二
「痘瘡の中に白眼を剥いて、よたよたと立上って、憤った声ながら、
(可懐いわ、若旦那、盲人の悲しさ顔は見えぬ。触らせて下され、つかまらせて下され、一撫で、撫でさせて下され。)
と言う。
いや、撫られて堪りますか。
摺抜けようとするんだがね、六畳の狭い座敷、盲目でも自分の家だ。
素早く、階子段の降口を塞いで、むずと、大手を拡げたろう。……影が天井へ懸って、充満の黒坊主が、汗膏を流して撫じょうとする。
いや、その嫉妬執着の、険な不思議の形相が、今もって忘れられない。
(可厭だ、可厭だ、可厭だ。)と、こっちは夢中に出ようとする、よける、留める、行違うで、やわな、かぐら堂の二階中みしみしと鳴る。風は轟々と当る。ただ黒雲に捲かれたようで、可恐しくなった、凄さは凄し。
衝と、引潜って、ドンと飛び摺りに、どどどと駈け下りると、ね。
(袖や、止めませい。)
と宗山が二階で喚いた。皺枯声が、風でぱっと耳に当ると、三四人立騒ぐ女の中から、すっと美しく姿を抜いて、格子を開けた門口で、しっかり掴まる。吹きつけて揉む風で、颯と紅い褄が搦むように、私に縋ったのが、結綿の、その娘です。
背中を揉んでた、薄茶を出した、あの影法師の妾だろう。
ものを言う清い、張のある目を上から見込んで、構うものか、行きがけだ。
(可愛い人だな、おい、殺されても死んでも、人の玩弄物にされるな。)
と言捨てに突放す。
(あれ。)と云う声がうしろへ、ぱっと吹飛ばされる風に向って、砂塵の中へ、や、躍込むようにして一散に駈けて返った。
後に知った、が、妾じゃない。お袖と云うその可愛いのは、宗山の娘だったね。それを娘と知っていたら、いや、その時だって気が付いたら、按摩が親の仇敵でも、私あ退治るんじゃなかったんだ。」
と不意にがッくりと胸を折って俯向くと、按摩の手が、肩を辷って、ぬいと越す。……その袖の陰で、取るともなく、落した杯を探りながら、
「もしか、按摩が尋ねて来たら、堅く居らん、と言え、と宿のものへ吩附けた。叔父のすやすやは、上首尾で、並べて取った床の中へ、すっぽり入って、引被って、可心持に寝たんだが。
ああ、寝心の好い思いをしたのは、その晩きりさ。
なぜッて、宗山がその夜の中に、私に辱められたのを口惜しがって、傲慢な奴だけに、ぴしりと、もろい折方、憤死してしまったんだ。七代まで流儀に祟る、と手探りでにじり書した遺書を残してな。死んだのは鼓ヶ嶽の裾だった。あの広場の雑樹へ下って、夜が明けて、やッと小止になった風に、ふらふらとまだ動いていたとさ。
こっちは何にも知らなかろう、風は凪ぐ、天気は可。叔父は一段の上機嫌。……古市を立って二見へ行った。朝の中、朝日館と云うのへ入って、いずれ泊る、……先へ鳥羽へ行って、ゆっくりしようと、直ぐに車で、上の山から、日の出の下、二見の浦の上を通って、日和山を桟敷に、山の上に、海を青畳にして二人で半日。やがて朝日館へ帰る、……とどうだ。
旅籠の表は黒山の人だかりで、内の廊下もごった返す。大袈裟な事を言うんじゃない。伊勢から私たちに逢いに来たのだ。按摩の変事と遺書とで、その日の内に国中へ知れ渡った。別にその事について文句は申さぬ。芸事で宗山の留を刺したほどの豪い方々、是非に一日、山田で謡が聞かして欲しい、と羽織袴、フロックで押寄せたろう。
いや、叔父が怒るまいか。日本一の不所存もの、恩地源三郎が申渡す、向後一切、謡を口にすること罷成らん。立処に勘当だ。さて宗山とか云う盲人、己が不束なを知って屈死した心、かくのごときは芸の上の鬼神なれば、自分は、葬式の送迎、墓に謡を手向きょう、と人々と約束して、私はその場から追出された。
あとの事は何も知らず、その時から、津々浦々をさすらい歩行く、門附の果敢い身の上。」
二十三
「名古屋の大須の観音の裏町で、これも浮世に別れたらしい、三味線一挺、古道具屋の店にあったを工面したのがはじまりで、一銭二銭、三銭じゃ木賃で泊めぬ夜も多し、日数をつもると野宿も半分、京大阪と経めぐって、西は博多まで行ったっけ。
何んだか伊勢が気になって、妙に急いで、逆戻りにまた来た。……
私が言ったただ一言、(人のおもちゃになるな。)と言ったを、生命がけで守っている。……可愛い娘に逢ったのが一生の思出だ。
どうなるものでもないんだから、早く影をくらましたが、四日市で煩って、女房さん。」
と呼びかけた。
「お前さんじゃないけれど、深切な人があった。やっと足腰が立ったと思いねえ。上方筋は何でもない、間違って謡を聞いても、お百姓が、(風呂が沸いた)で竹法螺吹くも同然だが、東へ上って、箱根の山のどてっぱらへ手が掛ると、もう、な、江戸の鼓が響くから、どう我慢がなるものか! うっかり謡をうたいそうで危くってならないからね、今切は越せません。これから大泉原、員弁、阿下岐をかけて、大垣街道。岐阜へ出たら飛騨越で、北国筋へも廻ろうかしら、と富田近所を三日稼いで、桑名へ来たのが昨日だった。
その今夜はどうだ。不思議な人を二人見て、遣切れなくなってこの家へ飛込んだ。が、流の笛が身体に刺る。いつもよりはなお激しい。そこへまた影を見た。美しい影も見れば、可恐しい影も見た。ここで按摩が殺す気だろう。構うもんか、勝手にしろ、似たものを引つけて、とそう覚悟して按摩さん、背中へ掴ってもらったんだ。
が、筋を抜かれる、身を
られる、私が五体は裂けるようだ。」
とまた差俯向く肩を越して、按摩の手が、それも物に震えながら、はたはたと戦きながら、背中に獅噛んだ面の附着く……門附の袷の褪せた色は、膚薄な胸を透かして、動悸が筋に映るよう、あわれ、博多の柳の姿に、土蜘蛛一つ搦みついたように凄く見える。
「誰や!」
と、不意に吃驚したような女房の声、うしろ見られる神棚の灯も暗くなる端に、べろべろと紙が濡れて、門の腰障子に穴があいた。それを見咎めて一つ喚く、とがたがたと、跫音高く、駈け退いたのは御亭どの。
いや、困った親仁が、一人でない、薪雑棒、棒千切れで、二人ばかり、若いものを連れていた。
「御老体、」
雪叟が小鼓を緊めたのを見て……こう言って、恩地源三郎が儼然として顧みて、
「破格のお附合い、恐多いな。」
と膝に扇を取って会釈をする。
「相変らず未熟でござる。」
と雪叟が礼を返して、そのまま座を下へおりんとした。
「平に、それは。」
「いや、蒲団の上では、お流儀に失礼じゃ。」
「は、その娘の舞が、甥の奴の俤ゆえに、遠慮した、では私も、」
と言った時、左右へ、敷物を斉しく刎ねた。
「嫁女、嫁女、」
と源三郎、二声呼んで、
「お三重さんか、私は嫁と思うぞ。喜多八の叔父源三郎じゃ、更めて一さし舞え。」
二人の名家が屹と居直る。
瞳の動かぬ気高い顔して、恍惚と見詰めながら、よろよろと引退る、と黒髪うつる藤紫、肩も腕も嬌娜ながら、袖に構えた扇の利剣、霜夜に声も凜々と、
「……引上げたまえと約束し、一つの利剣を抜持って……」
肩に綾なす鼓の手影、雲井の胴に光さし、艶が添って、名誉が籠めた心の花に、調の緒の色、颯と燃え、ヤオ、と一つ声が懸る。
「あっ、」
とばかり、屹と見据えた――能楽界の鶴なりしを、雲隠れつ、と惜まれた――恩地喜多八、饂飩屋の床几から、衝と片足を土間に落して、
「雪叟が鼓を打つ! 鼓を打つ!」と身を揉んだ、胸を切めて、慌しく取って蔽うた、手拭に、かっと血を吐いたが、かなぐり棄てると、右手を掴んで、按摩の手をしっかと取った。
「祟らば、祟れ、さあ、按摩。湊屋の門まで来い。もう一度、若旦那が聞かしてやろう。」
と、引立てて、ずいと出た。
「(源三郎)……かくて竜宮に至りて宮中を見れば、その高さ三十丈の玉塔に、かの玉をこめ置、香花を備え、守護神は八竜並居たり、その外悪魚鰐の口、遁れがたしや我命、さすが恩愛の故郷のかたぞ恋しき、あの浪のあなたにぞ……」
その時、漲る心の張に、島田の元結ふッつと切れ、肩に崩るる緑の黒髪。水に乱れて、灯に揺めき、畳の海は裳に澄んで、塵も留めぬ舞振かな。
「(源三郎)……我子は有らん、父大臣もおわすらむ……」
と声が幽んで、源三郎の地謡う節が、フト途絶えようとした時であった。
この湊屋の門口で、爽に調子を合わした。……その声、白き虹のごとく、衝と来て、お三重の姿に射した。
「(喜多八)……さるにてもこのままに別れ果なんかなしさよと、涙ぐみて立ちしが……」
「やあ、大事な処、倒れるな。」
と源三郎すっと座を立ち、よろめく三重の背を支えた、老の腕に女浪の袖、この後見の大磐石に、みるの緑の黒髪かけて、颯と翳すや舞扇は、銀地に、その、雲も恋人の影も立添う、光を放って、灯を白めて舞うのである。
舞いも舞うた、謡いも謡う。はた雪叟が自得の秘曲に、桑名の海も、トトと大鼓の拍子を添え、川浪近くタタと鳴って、太鼓の響に汀を打てば、多度山の霜の頂、月の御在所ヶ嶽の影、鎌ヶ嶽、冠ヶ嶽も冠着て、客座に並ぶ気勢あり。
小夜更けぬ。町凍てぬ。どことしもなく虚空に笛の聞えた時、恩地喜多八はただ一人、湊屋の軒の蔭に、姿蒼く、影を濃く立って謡うと、月が棟高く廂を照らして、渠の面に、扇のような光を投げた。舞の扇と、うら表に、そこでぴたりと合うのである。
「(喜多八)……また思切って手を合せ、
南無や
志渡寺の観音
薩
の力をあわせてたびたまえとて、大悲の利剣を額にあて、竜宮に飛び入れば、左右へはっとぞ
退いたりける、」
と謡い澄ましつつ、
「背を貸せ、宗山。」と言うとともに、恩地喜多八は疲れた状して、先刻からその裾に、大きく何やら踞まった、形のない、ものの影を、腰掛くるよう、取って引敷くがごとくにした。
路一筋白くして、掛行燈の更けたかなたこなた、杖を支いた按摩も交って、ちらちらと人立ちする。
明治四十三(一九一〇)年一月
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- [#…]は、入力者による注を表す記号です。
- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
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