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歌行灯(うたあんどん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 12:06:21  点击:  切换到繁體中文



       二十一

 さて、饂飩屋うどんやでは門附の兄哥あにいが語り次ぐ。
「いや、それから、いろいろ勿体つける所作があって、やがて大坊主が謡出うたいだした。
 聞くと、どうして、思ったより出来ている、按摩はりの芸ではない。……戸外おもてをどッどと吹く風の中へ、この声を打撒ぶちまけたら、あのピイピイ笛ぐらいにまとまろうというもんです。成程、随分夥間なかまには、此奴こいつに(的等。)扱いにされようというのが少くない。
 が、私に取っちゃ小敵しょうてきだった。けれども芸は大事です、あなどるまい、と気をめて、そこで、膝を。」
 と坐直すわりなおると、肩の按摩が上へ浮いて、門附の衣紋えもんしまる。
「……この膝をちょうと叩いて、黙って二ツ三ツ拍子を取ると、この拍子が尋常ただんじゃない。……親なり師匠の叔父きの膝に、小児こどもの時から、抱かれて習った相伝だ。対手あいての節の隙間を切って、伸縮のびちぢみをめつ、緩めつ、声の重味を刎上はねあげて、咽喉のどの呼吸を突崩す。寸法を知らず、間拍子の分らない、まんざらの素人は、盲目聾めくらつんぼで気にはしないが、ちと商売人の端くれで、いささか心得のある対手あいてだと、トンと一つ打たれただけで、もう声が引掛ひっかかって、節が不状ぶざま蹴躓けつまずく。三味線のあい同一おんなじだ。どうです、意気なお方に釣合わぬ……ン、と一ツねないと、野暮な矢の字が、とうふにかすがい、ぬかに釘でぐしゃりとならあね。
 さすがに心得のある奴だけ、商売人にぴたりと一ツ、拍子で声を押伏おっぷせられると、張った調子が直ぐにたるんだ。思えば余計な若気の過失あやまち、こっちは畜生の浅猿あさましさだが、対手あいては素人の悲しさだ。
 あわれや宗山。見る内に、額にたらたらとと汗を流し、死声しにごえを振絞ると、あごから胸へあぶらを絞った……あのその大きな唇が海鼠なまこを干したように乾いて来て、舌がこわって呼吸いき発奮はずむ。わなわなと震える手で、畳をつかむように、うたいながら猪口ちょこを拾おうとする処、ものの本をまだ一枚とうたわぬさき、ピシリとそこへ高拍子を打込んだのが、下腹したっぱらへ響いて、ドン底から節が抜けたものらしい。
 はっと火のような呼吸いきを吐く、トタンに真俯向まうつむけに突伏つッぷす時、長々と舌を吐いて、犬のように畳をめた。
(先生、御病気か。)
 って私あ莞爾にっこりしたんだ。
(是非聞きたい、平にどうか。宗山、この上につんぼになっても、貴下あなたのを一番、聞かずには死なれぬ。)
 とこぶしを握って、せいせい言ってる。
(按摩さん。)
 と私は呼んで、
(尾上町の藤屋まで、どのくらい離れている。)
(何んで、)
 と聞く。
(間によっては声が響く。内証で来たんだ。……藤屋には私の声が聞かしたくない、叔父が一人寝てござるんだ。勇士は霜の気勢けはいを知るとさ――たださえ目敏めざと老人としよりが、この風だから寝苦しがって、フト起きてでもいるとならない、祝儀は置いた。帰るぜ。)
 ト宗山が、じっふさいだ目を、ぐるぐると動かして、
しばらく、今の拍子を打ちなされ……古市から尾上町まで声が聞えようか、と言いなされる、御大言、年のおわかさ。まだ一度ひとたびも声は聞かず、顔はもとより見た事もなけれども……当流の大師匠、恩地源三郎どの養子と聞く……同じ喜多八氏の外にはあるまい。さようでござろう、恩地、)
 と私の名をちゃんと言う。
 ああ、酔った、」
 と杯をばたりと落した。
饒舌しゃべって悪い私の名じゃない。叔父に済まない。二人とも、誰にも言うな。……」
 と鷹揚おうようで、按摩と女房に目をあしらい。
「私は羽織の裾を払って、
(違ったような、当ったようだ、が、何しろ、東京の的等の一人だ。宗家の宗、本山の山、宗山か。若布わかめの附焼でも土産に持って、東海道をい上れ。恩地の台所から音信おとずれたら、叔父には内証で、居候の腕白が、独楽こまを廻す片手間に、この浦船でも教えてやろう。)
 とずっと立つ。

       二十二

痘瘡あばたの中に白眼しろまなこいて、よたよたと立上って、いきどおった声ながら、
可懐なつかしいわ、若旦那、盲人の悲しさ顔は見えぬ。触らせて下され、つかまらせて下され、一撫ひとなで、撫でさせて下され。)
 と言う。
 いや、撫られてたまりますか。
 摺抜すりぬけようとするんだがね、六畳の狭い座敷、盲目めくらでも自分のうちだ。
 素早く、階子段はしごだんの降口をふさいで、むずと、大手を拡げたろう。……影が天井へかかって、充満いっぱいの黒坊主が、汗膏あせあぶらを流して撫じょうとする。
 いや、その嫉妬しっと執着しゅうぢゃくの、険な不思議の形相が、今もって忘れられない。
可厭いやだ、可厭だ、可厭だ。)と、こっちは夢中に出ようとする、よける、留める、行違うで、やわな、かぐら堂の二階中みしみしと鳴る。風は轟々ごうごうと当る。ただ黒雲にかれたようで、可恐おそろしくなった、すごさは凄し。
 と、引潜ひっくぐって、ドンと飛び摺りに、どどどとけ下りると、ね。
そでや、止めませい。)
 と宗山が二階でわめいた。皺枯声しわがれごえが、風でぱっと耳に当ると、三四人立騒ぐ女の中から、すっと美しく姿を抜いて、格子を開けた門口かどぐちで、しっかりつかまる。吹きつけてむ風で、さっあかつまからむように、私にすがったのが、結綿ゆいわたの、その娘です。
 背中を揉んでた、薄茶を出した、あの影法師のめかけだろう。
 ものを言うすずしい、はりのある目を上から見込んで、構うものか、行きがけだ。
(可愛い人だな、おい、殺されても死んでも、人の玩弄物おもちゃにされるな。)
 と言捨てに突放つッぱなす。
(あれ。)と云う声がうしろへ、ぱっと吹飛ばされる風に向って、砂塵しゃじんの中へ、や、躍込むようにして一散にけて返った。
 のちに知った、が、妾じゃない。お袖と云うその可愛いのは、宗山の娘だったね。それを娘と知っていたら、いや、その時だって気が付いたら、按摩が親の仇敵かたきでも、わっしあ退治るんじゃなかったんだ。」
 と不意にがッくりと胸を折って俯向うつむくと、按摩の手が、肩をすべって、ぬいと越す。……その袖の陰で、取るともなく、落した杯を探りながら、
「もしか、按摩が尋ねて来たら、堅くらん、と言え、と宿のものへ吩附いいつけた。叔父のすやすやは、上首尾で、並べて取った床の中へ、すっぽり入って、引被ひっかぶって、いい心持に寝たんだが。
 ああ、寝心のい思いをしたのは、その晩きりさ。
 なぜッて、宗山がその夜のうちに、私にはずかしめられたのを口惜くやしがって、傲慢ごうまんな奴だけに、ぴしりと、もろい折方、憤死してしまったんだ。七代まで流儀にたたる、と手探りでにじりがきした遺書かきおきを残してな。死んだのは鼓ヶ嶽の裾だった。あの広場ひろっぱの雑樹へさがって、が明けて、やッと小止こやみになった風に、ふらふらとまだ動いていたとさ。
 こっちは何にも知らなかろう、風はぐ、天気はよし。叔父は一段の上機嫌。……古市を立って二見へ行った。朝のうち、朝日館と云うのへ入って、いずれ泊る、……先へ鳥羽へ行って、ゆっくりしようと、直ぐに車で、上の山から、日の出の下、二見の浦の上を通って、日和山を桟敷さじきに、山の上に、海を青畳あおだたみにして二人で半日。やがて朝日館へ帰る、……とどうだ。
 旅籠はたごの表は黒山の人だかりで、内の廊下もごった返す。大袈裟おおげさな事を言うんじゃない。伊勢から私たちに逢いに来たのだ。按摩の変事と遺書かきおきとで、その日の内に国中へ知れ渡った。別にその事について文句は申さぬ。芸事で宗山のとどめを刺したほどのえらい方々、是非に一日、山田でうたいが聞かして欲しい、と羽織袴はおりはかま、フロックで押寄せたろう。
 いや、叔父が怒るまいか。日本一の不所存もの、恩地源三郎が申渡す、向後一切いっせつ、謡を口にすること罷成まかりならん。立処たちどころに勘当だ。さて宗山とか云う盲人、おの不束ふつつかなを知って屈死した心、かくのごときは芸の上の鬼神おにがみなれば、自分は、葬式とむらい送迎おくりむかい、墓に謡を手向きょう、と人々と約束して、私はその場から追出された。
 あとの事は何も知らず、その時から、津々浦々をさすらい歩行あるく、門附の果敢はかない身の上。」

       二十三

「名古屋の大須の観音の裏町で、これも浮世に別れたらしい、三味線一ちょう、古道具屋の店にあったを工面くめんしたのがはじまりで、一銭二銭、三銭じゃ木賃で泊めぬも多し、日数をつもると野宿も半分、京大阪とめぐって、西は博多まで行ったっけ。
 何んだか伊勢が気になって、妙に急いで、逆戻りにまた来た。……
 私が言ったただ一言ひとこと、(人のおもちゃになるな。)と言ったを、生命いのちがけで守っている。……可愛い娘に逢ったのが一生の思出おもいでだ。
 どうなるものでもないんだから、早く影をくらましたが、四日市で煩って、女房おかみさん。」
 と呼びかけた。
「お前さんじゃないけれど、深切な人があった。やっと足腰が立ったと思いねえ。上方筋は何でもない、間違って謡を聞いても、お百姓が、(風呂が沸いた)で竹法螺たけぼら吹くも同然だが、あずまへ上って、箱根の山のどてっぱらへ手がかかると、もう、な、江戸の鼓が響くから、どう我慢がなるものか! うっかり謡をうたいそうで危くってならないからね、今切いまぎれは越せません。これから大泉原おおいずみはら員弁いなべ阿下岐あげきをかけて、大垣街道。岐阜へ出たら飛騨越ひだごえで、北国ほっこく筋へも廻ろうかしら、と富田近所を三日稼いで、桑名へ来たのが昨日きのうだった。
 その今夜はどうだ。不思議な人を二人見て、遣切れなくなってこのうちへ飛込んだ。が、ながしの笛が身体からだささる。いつもよりはなお激しい。そこへまた影を見た。美しい影も見れば、可恐おそろしい影も見た。ここで按摩が殺す気だろう。構うもんか、勝手にしろ、似たものをひきつけて、とそう覚悟して按摩さん、背中へつかまってもらったんだ。
 が、筋を抜かれる、身を※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)むしられる、私が五体は裂けるようだ。」
 とまた差俯向さしうつむく肩を越して、按摩の手が、それも物に震えながら、はたはたとおののきながら、背中に獅噛しがんだつら附着くッつく……門附のあわせせた色は、膚薄はだうすな胸を透かして、動悸どうきが筋に映るよう、あわれ、博多の柳の姿に、土蜘蛛つちぐも一つからみついたようにすごく見える。
「誰や!」
 と、不意に吃驚びっくりしたような女房の声、うしろ見られる神棚のともしも暗くなる端に、べろべろと紙が濡れて、かどの腰障子に穴があいた。それを見咎みとがめて一つわめく、とがたがたと、跫音あしおと高く、退いたのは御亭どの。
 いや、困った親仁おやじが、一人でない、薪雑棒まきざっぽう棒千切ぼうちぎれで、二人ばかり、若いものを連れていた。

「御老体、」
 雪叟が小鼓をめたのを見て……こう言って、恩地源三郎が儼然げんぜんとして顧みて、
「破格のお附合い、おそれ多いな。」
 と膝に扇を取って会釈をする。
「相変らず未熟でござる。」
 と雪叟が礼を返して、そのまま座を下へおりんとした。
「平に、それは。」
「いや、蒲団の上では、お流儀に失礼じゃ。」
「は、そのの舞が、おいの奴のおもかげゆえに、遠慮した、では私も、」
 と言った時、左右へ、敷物をひとしくねた。
「嫁女、嫁女、」
 と源三郎、二声呼んで、
「お三重さんか、私は嫁と思うぞ。喜多八の叔父源三郎じゃ、あらためて一さし舞え。」
 二人の名家がきっと居直る。
 瞳の動かぬ気高い顔して、恍惚うっとりと見詰めながら、よろよろと引退ひきさがる、と黒髪うつる藤紫、肩もかいな嬌娜なよやかながら、袖に構えた扇の利剣、霜夜に声も凜々りんりんと、
「……引上げたまえと約束し、一つの利剣を抜持って……」
 肩にあやなす鼓の手影、雲井の胴に光さし、つやが添って、名誉がめた心の花に、調しらべの緒の色、さっと燃え、ヤオ、と一つ声がかかる。
「あっ、」
 とばかり、きっと見据えた――能楽界の鶴なりしを、雲隠れつ、とおしまれた――恩地喜多八、饂飩屋の床几しょうぎから、と片足を土間に落して、
「雪叟が鼓を打つ! 鼓を打つ!」と身をんだ、胸をめて、あわただしく取っておおうた、手拭に、かっと血を吐いたが、かなぐり棄てると、右手めてつかんで、按摩の手をしっかと取った。
たたらば、祟れ、さあ、按摩。湊屋のかどまで来い。もう一度、若旦那が聞かしてやろう。」
 と、引立ひったてて、ずいと出た。

「(源三郎)……かくて竜宮に至りて宮中を見れば、その高さ三十丈の玉塔に、かの玉をこめおき香花こうげを備え、守護神は八竜並居なみいたり、その外悪魚わにの口、のがれがたしやわが命、さすが恩愛の故郷ふるさとのかたぞ恋しき、あの浪のあなたにぞ……」

 その時、みなぎる心のはりに、島田の元結もとゆいふッつと切れ、肩に崩るる緑の黒髪。水に乱れて、灯にゆらめき、畳の海はもすそに澄んで、ちりとどめぬ舞振まいぶりかな。

「(源三郎)……我子わがこらん、父大臣もおわすらむ……」

 と声がかすんで、源三郎の謡う節が、フト途絶えようとした時であった。
 この湊屋の門口で、さわやかに調子を合わした。……その声、白きにじのごとく、と来て、お三重の姿にした。

「(喜多八)……さるにてもこのままに別れはてなんかなしさよと、涙ぐみて立ちしが……」

「やあ、大事な処、倒れるな。」
 と源三郎すっと座を立ち、よろめく三重のせなを支えた、おいかいな女浪めなみの袖、この後見の大磐石に、みるの緑の黒髪かけて、さっかざすや舞扇は、銀地に、その、雲も恋人の影も立添う、光を放って、ともしびしらめて舞うのである。
 舞いも舞うた、謡いも謡う。はた雪叟が自得の秘曲に、桑名の海も、トトと大鼓おおかわの拍子を添え、川浪近くタタと鳴って、太鼓のひびきみぎわを打てば、多度山たどさんの霜の頂、月の御在所ヶたけの影、鎌ヶ嶽、かむりヶ嶽も冠着て、客座に並ぶ気勢けはいあり。
 小夜さよ更けぬ。町てぬ。どことしもなく虚空おおぞらに笛の聞えた時、恩地喜多八はただ一人、湊屋の軒の蔭に、姿あおく、影を濃く立って謡うと、月が棟高くひさしを照らして、かれおもてに、扇のような光を投げた。舞の扇と、うら表に、そこでぴたりと合うのである。

「(喜多八)……また思切って手を合せ、南無なむ志渡寺しどじの観音※(「土へん+垂」、第3水準1-15-51)さったの力をあわせてたびたまえとて、大悲の利剣を額にあて、竜宮に飛び入れば、左右へはっとぞ退いたりける、」

 と謡い澄ましつつ、
せなを貸せ、宗山。」と言うとともに、恩地喜多八は疲れたさまして、先刻さっきからその裾に、大きく何やらうずくまった、形のない、ものの影を、腰掛くるよう、取って引敷ひっしくがごとくにした。
 路一筋白くして、掛行燈かけあんどんの更けたかなたこなた、杖をいた按摩も交って、ちらちらと人立ちする。

明治四十三(一九一〇)年一月




 



底本:「泉鏡花集成6」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年3月21日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集」岩波書店
   1942(昭和17)年7月刊行開始
※底本で句点が抜けている箇所は親本を参照して補いました。
※誤植を疑った箇所はちくま日本文学全集を参照しました。
入力:門田裕志
校正:砂場清隆
2002年1月9日公開
2005年9月25日修正
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