現代日本文學大系 5 樋口一葉・明治女流文學・泉鏡花集 |
筑摩書房 |
1972(昭和47)年5月15日 |
1987(昭和62)年2月10日初版第13刷 |
1987(昭和62)年2月10日初版第13刷 |
これは作者の閲歴談と云ふやうなことに聞えますと、甚だ恐縮、ほんの子供の内に読んだ本についてお話をするのでございますよ。此頃は皆さんに読んで戴いて誠に御迷惑をかけますが、私は何うして、皆さんのお書きなすつた物を拝見して、迷惑処か、こんな結構なものはないと思ふんです。其ですが、江戸時代の文学だの、明治の文学だのと云ふ六ヶ敷いことになると、言ひ悪うございますから、唯ね、小説、草双紙、京伝本、洒落本と云ふ其積りで申しませう。母が貴下、東京から持つて参りましたんで、雛の箱でささせたといふ本箱の中に『白縫物語』だの『大和文庫』『時代かゞみ』大部なものは其位ですが、十冊五冊八冊といろ/\な草双紙の小口が揃つてあるのです。母はそれを大切にして綺麗に持つて居るのを、透を見ちやあ引張り出して――但し読むのではない。三歳四歳では唯だ表紙の美しい絵を土用干のやうに列べて、此武士は立派だの、此娘は可愛いなんて……お待ちなさい、少し可笑しくなるけれど、悪く取りつこなし。さあ段々絵を見ると其理解が聴きたくなつて、母が裁縫なんかして居ると、其処へ行つては聞きましたが、面倒くさがつてナカ/\教へない。夫れを無理につかまへて、ねだつては話してもらひましたが、嘸ぞ煩さかつたらうと思つて、今考へると気の毒です。なるほど脚色だけは口でいつても言はれますが、読んだおもしろ味は話されません。又知識のないものに、脚色だけ話をするとなると、こんな煩さい事はないのですから、自分もまた其様な物を読むと云ふ智慧はない時分で、始終絵ばかりを見て居たものですから、薄葉を買つて貰つて、口絵だの、絵だのを写し始めたんです。それから鎧武者が大変好になりました。それに親父が金属の彫刻師だものですから、盃、香炉、最う目貫縁頭などはありませんが、其仕事をさせる積りだつたので、絵を習へと云ふので少しばかりネ、薄、蘭、竹などの手本を描いて貰ひましたが、何、座敷を取散かしたのが、落で。其中に何なんです。近所の女だの、年上の従姉妹だのに、母が絵解をするのを何時か聞きかじつて、草双紙の中にある人物の来歴が分つたものだから、鳥山秋作照忠、大伴の若菜姫なんといふのが殊の外贔屓なんです。処が秋作、豊後之助の贔屓なのは分つて居るが、若菜姫が宜くツてならない、甚だ怪しからん、是は悪党の方だから、と思つて居たんです。のみならず、一体どう云ふものだか、小説の中にある主人公などは、善人の方よりは悪党がてきはきして居て可い、善人とさへ謂や、愚図々々しやあがつて、何うかしたらよささうなもんだ。泣いたり、口説いたり、何のこツたらう。浄瑠璃のさはりとなると頭痛がします。併し、敵役の中でも石川五右衛門は甚だ嫌ひですな。熊坂長範の方が好い。此頃また白縫の後の方を見ると、口絵に若菜姫を描いて、其上へ持つて来て、(皆様御贔屓の若菜姫)と書いてある。して見ると一般の読者にも、彼の姐さんは人気があつたものと見えますね。
母はからだが弱くつて……大層若くつて亡なりましたが……亡なつた時分に、私は十歳だつたと思ひます。其の前から小学校へ行くやうになつて、本当の字を少し許り覚えたりなにかした。それから暫くさう云ふものに遠ざかつて居た、石盤をはふり出して、いきなり針箱の上へ耶須多羅女の泣いて居る処を出されて御覧なさい。悉達太子を慕つて居るのと絵解をするものは話さねばならないでせう。さて其の(慕ふ)といふことを子供に説明をして、聞かせるものは、こりやよほど面倒だから、母もなりたけ読ませないやうにしたんです。それに親父が八釜敷い、論語とか孟子とか云ふものでなくつては読ませなかつた。処が少しイロハが読めるやうになつて来ると、家にある本が読みたくなつたでせう。読んでると目付かつて恐ろしく叱られたんです。そこで考へて、机の上に斯う掛つて居る、机掛ね、之を膝の上へ被さるやうに、手前を長く、向うを一杯にして置くので、二階に閉籠つて人の跫音がするとヒヨイと其の下へ隠すといふ、うまいものでせう。時々見付かつて、本より、私の方が押入へしまはれました。恁いふのはいくらもある。一葉女史なんざ草双紙を読んだ時、此人は僕と違つて土蔵があつたさうで、土蔵の二階に本があるので、故と悪戯をして、剣突を食つて、叱られては土蔵へ抛り込まれるのです。窓に金網が張つてあるのでせう。其網の目をもるあかりで細かい仮名を読んだ。其の所為で、恐ろしい近視眼、これは立女形の美を傷つけて済みません。話が色々になりますが、僕が活版本を始めて見たのは結城合戦花鍬形といふのと、難波戦記、左様です、大阪の戦のことを書いたのです。厚い表紙で赤い絵具をつけた活版本なんです。友達が持つて居たので、其時初めて活版になつた本を見ました。殊にあゝ云ふ百里余も隔つた田舎ですから、それまでは未だ活版と云ふものを知らなかつたので、さあ読んで見ると又面白くつて仕様がない。無論前に柔い、「でござんすわいナー」と書いてある草双紙を見た挙句に、親父がね、其癖大好なんで、但し硬派の方なんだから、私に内々で借りて来たあつた呉越軍談、あの、伍子胥の伝の所が十冊ばかり。其の第一冊目でせう。秦の哀公が会を設けて、覇を図る処があつて、斉国の夜明珠、魯国の雌雄剣、晋国の水晶簾などとならぶ中に、子胥先生、我楚国以て宝とするなし、唯善を以て宝とすとタンカを切つて、大気焔を吐く所がある。それから呉越軍談が贔屓になる。従つて堅いものが好きになつて来た。それで水滸伝、三国志、関羽の青龍刀、張飛の蛇矛などが嬉しくつて堪らない。勿論其時分、雑誌は知らず新聞には小説があるものか無いものか分らぬ位。処が其中に何んですネ。英語を教はらうと、宣教師のやつて居る学校へ入つたのです。さうするとその学校では郵便報知新聞を取つて居た。それに思軒さんの瞽使者が毎日々々出て居ます。是はまた飛放れて面白いので、こゝで、新聞の小説を読むことを覚えました。また病つきで課業はそつちのけの大怠惰、後で余所の塾へ入りましたが、又此先生と来た日にや決して、然う云ふものを読ませない。処が、例の難波戦記を貸して呉れた友人ね、其お友人に智慧を付けられて貸本屋へ借りに行くことを覚えたのです。併し塾に居るんですから、ナカ/\きびしくつて外出をさせません。それを密に脱出しては借りに行くので、はじめは一冊づゝ借りて来たのが、今度読馴れて来ると読方が早くなつて、一冊や二冊持つて帰つた所が直に読んで仕舞ふから、一度に五冊、六冊、一晩にやツつける。其時ザラにアヽ云ふ新版物から、昔の本を活版に直したものを無暗に読んだ。どんな物を読んだか能く覚えて居ませんが、其中に遺恨骨髄に徹して居る本が一冊あります。矢張難波戦記流の作なんですが、借りて来て隠して置いたのを見付かつたんで、御取上げとなつて仕舞つた。処で其時分は見料が廉いのだけれども、此本に限つて三十銭となつた。
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