現代日本文學大系 5 樋口一葉・明治女流文學・泉鏡花集 |
筑摩書房 |
1972(昭和47)年5月15日 |
1987(昭和62)年2月10日初版第13刷 |
媒妁人先づいふめでたしと、舅姑またいふめでたしと、親類等皆いふめでたしと、知己朋友皆いふめでたしと、渠等は欣々然として新夫婦の婚姻を祝す、婚礼果してめでたきか。
小説に於ける男女の主客が婚礼は最めでたし。何となれば渠等の行路難は皆合の事ある以前既に経過し去りて、自来無事悠々の間に平和なる歳月を送ればなり。
然れども斯の如きはたゞ一部、一篇、一局部の話柄に留まるのみ。其実一般の婦人が忌むべく、恐るべき人生観は、婚姻以前にあらずして、其以後にあるものなりとす。
渠等が慈愛なる父母の掌中を出でて、其身を致す、舅姑はいかむ。夫はいかむ。小姑はいかむ。すべての関係者はいかむ。はた社会はいかむ。在来の経験に因りて見る処のそれらの者は果していかむ。豈寒心すべきものならずや。
婦人の婚姻に因りて得る処のものは概ね斯の如し。而して男子もまた、先人曰く、「妻なければ楽少く、妻ある身には悲多し」とそれ然るのみ。
然れども社会は普通の場合に於て、個人的に処し得べきものにあらず。親のために、子のために、夫のために、知己親類のために、奴僕のために。町のために、村のために、家のために、窮せざるべからず、泣かざるべからず、苦まざるべからず、甚しきに至りては死せざるべからず、常に我といふ一個簡単なる肉体を超然たらしむることを得で、多々他人に因りて左右せられ、是非せられ、猶且つ支配さるゝものたり。但愛のためには必ずしも我といふ一種勝手次第なる観念の起るものにあらず、完全なる愛は「無我」のまたの名なり。故に愛のためにせむか、他に与へらるゝものは、難といへども、苦といへども、喜んで、甘じて、これを享く。元来不幸といひ、窮苦といひ、艱難辛苦といふもの、皆我を我としたる我を以て、他に――社会に――対するより起る処の怨言のみ。愛によりて我なかりせば、いづくんぞそれ苦楽あらむや。
情死、駈落、勘当等、これ皆愛の分弁たり。すなはち其人のために喜び、其人のために祝して、これをめでたしといはむも可なり。但社会のためには歎ずべきのみ。独り婚礼に至りては、儀式上、文字上、別に何等の愛ありて存するにあらず。唯男女相会して、粛然と杯を巡らすに過ぎず。人の未だ結婚せざるや、愛は自由なり。諺に曰く「恋に上下の隔なし」と。然り、何人が何人に恋するも、誰かこれを非なりとせむ。一旦結婚したる婦人はこれ婦人といふものにあらずして、寧ろ妻といへる一種女性の人間なり。吾人は渠を愛すること能はず、否愛すること能はざるにあらず、社会がこれを許さざるなり。愛することを得ざらしむるなり。要するに社会の婚姻は、愛を束縛して、圧制して、自由を剥奪せむがために造られたる、残絶、酷絶の刑法なりとす。
古来いふ佳人は薄命なり、と、蓋し社会が渠をして薄命ならしむるのみ。婚姻てふものだになかりせば、何人の佳人か薄命なるべき。愛に於ける一切の、葛藤、紛紜、失望、自殺、疾病等あらゆる恐るべき熟字は皆婚姻のあるに因りて生ずる処の結果ならずや。
妻なく、夫なく、一般の男女は皆たゞ男女なりと仮定せよ。愛に対する道徳の罪人は那辺にか出来らむ、女子は情のために其夫を毒殺するの要なきなり。男子は愛のために密通することを要せざるなり。否、たゞに要せざるのみならず、爾き不快なる文字はこれを愛の字典の何ペエジに求むるも、決して見出すこと能はざるに至るや必せり。然れども斯の如きは社会に秩序ありて敢て許さず。
あゝ/\結婚を以て愛の大成したるものとなすは、大なるあやまりなるかな。世人結婚を欲することなくして、愛を欲せむか、吾人は嫦娥を愛することを得、嫦娥は吾人を愛することを得、何人が何人を愛するも妨げなし、害なし、はた乱もなし。匈奴にして昭君を愛するも、昭君豈馬に乗るの怨あらむや。其愀然として胡国に嫁ぎたるもの、匈奴が婚を強ひたるに外ならず。然も婚姻に因りて愛を得むと欲するは、何ぞ、水中の月を捉へむとする猿猴の愚と大に異なるあらむや。或は婚姻を以て相互の愛を有形にたしかむる証拠とせむか。其愛の薄弱なる論ずるに足らず。憚りなく直言すれば、婚姻は蓋し愛を拷問して我に従はしめむとする、卑怯なる手段のみ。それ然り、然れどもこはただ婚姻の裏面をいふもの、其表面に至りては吾人が国家を造るべき分子なり。親に対する孝道なり。家に対する責任なり。朋友に対する礼儀なり。親属にたいする交誼なり。総括すれば社会に対する義務なり。然も我に於て寸毫の益する処あらず。婚姻何ぞ其人のために喜ぶべけむや。祝すべけむや。めでたからむや。しかも媒はいふめでたしと、舅姑はいふめでたしと、親類はいふめでたしと、朋友はいふめでたしと、そも何の意ぞ。他なし、社会のために祝するなり。
古来我国の婚礼は、愛のためにせずして社会のためにす。奉儒の国は子孫なからざるべからずと命ずるに因れり。もしそれ愛によりて起る処の婚姻ならむか、舅姑なにかある、小姑何かある、凡ての関係者何かある、そも/\社会は何かある。然るに、社会に対する義務の為に止むを得ずして結婚をなす、舅姑は依然として舅姑たり、関係者、皆依然として渠を窮せしむ。人の親の、其児に教ふるに愛を以てせずして漫に恭謙、貞淑、温柔をのみこれこととするは何ぞや。既にいふ、愛は「無我」なりと。我なきもの誰か人倫を乱らむや。しかも婚姻を以て人生の大礼なりとし、出でては帰ることなかれと教ふ。婦人甘んじてこの命を請け行いて嫁す、其衷情憐むに堪へたり。謝せよ、新夫婦に感謝せよ、渠等は社会に対する義務のために懊悩不快なるあまたの繋累に束縛されむとす。何となれば社会は人に因りて造らるゝものにして、人は結婚によりて造らるる者なればなり。こゝに於てか媒妁人はいふめでたしと、舅姑はいふめでたしと、親類朋友皆またいふめでたしと。然り、新夫婦は止むを得ずして社会のために婚姻す。社会一般の人に取りてはめでたかるべし、嬉しかるべし、愉快なるべし、これをめでたしと祝せむよりは、寧ろ慇懃に新夫婦に向ひて謝して可なり。
新夫婦其者には何のめでたきことあらむや、渠等が雷同してめでたしといふは、社会のためにめでたきのみ。
再言す、吾人人類が因りてもて生命を存すべき愛なるものは、更に婚姻によりて得らるべきものにあらざることを。人は死を以て絶痛のこととなす、然れども国家のためには喜びて死するにあらずや。婚姻亦然り。社会のために身を犠牲に供して何人も、めでたく、式三献せざるべからざるなり。
(明治二十八年五月)
●表記について
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