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愛と婚姻(あいとこんいん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 12:00:16  点击:  切换到繁體中文

底本: 現代日本文學大系 5 樋口一葉・明治女流文學・泉鏡花集
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1972(昭和47)年5月15日
入力に使用: 1987(昭和62)年2月10日初版第13刷

 

媒妁人なかうどづいふめでたしと、舅姑きうこまたいふめでたしと、親類等皆いふめでたしと、知己ちき朋友ほういう皆いふめでたしと、渠等かれら欣々然きん/\ぜんとして新夫婦の婚姻を祝す、婚礼果してめでたきか。
 小説にける男女の主客が婚礼はいとめでたし。なんとなれば渠等の行路難は皆※(「丞/(厄-厂)」、第4水準2-3-54)がふきんの事ある以前既に経過し去りて、自来無事悠々いう/\あひだに平和なる歳月を送ればなり。
 しかれどもかくごときはたゞ一部、一篇、一局部の話柄わへいとゞまるのみ。其実そのじつ一般の婦人が忌むべく、恐るべき人生観は、婚姻以前にあらずして、其以後にあるものなりとす。
 渠等が慈愛なる父母の掌中をでて、其身をいたす、舅姑はいかむ。夫はいかむ。小姑こじうとはいかむ。すべての関係者はいかむ。はた社会はいかむ。在来の経験に因りて見る処のそれらの者は果していかむ。あに寒心すべきものならずや。
 婦人の婚姻に因りてる処のものはおほむね斯の如し。しかうして男子もまた、先人いはく、「妻なければたのしみ少く、妻ある身にはかなしみ多し」とそれ然るのみ。
 然れども社会は普通の場合に於て、個人的に処し得べきものにあらず。親のために、子のために、夫のために、知己親類のために、奴僕ぬぼくのために。町のために、村のために、家のために、窮せざるべからず、泣かざるべからず、苦まざるべからず、はなはだしきに至りては死せざるべからず、常にわれといふ一個簡単なる肉体を超然たらしむることを得で、多々おほく他人に因りて左右せられ、是非せられ、なほつ支配さるゝものたり。たゞ愛のためには必ずしも我といふ一種勝手次第なる観念の起るものにあらず、完全なる愛は「無我」のまたの名なり。ゆゑに愛のためにせむか、他に与へらるゝものは、難といへども、苦といへども、喜んで、あまんじて、これをく。元来不幸といひ、窮苦といひ、艱難辛苦かんなんしんくといふもの、皆我を我としたる我をもつて、他に――社会に――対するより起る処の怨言ゑんげんのみ。愛によりて我なかりせば、いづくんぞそれ苦楽あらむや。
 情死、駈落かけおち勘当かんだう等、これ皆愛の分弁たり。すなはち其人のために喜び、其人のために祝して、これをめでたしといはむも可なり。但社会のためには歎ずべきのみ。ひとり婚礼に至りては、儀式上、文字上もんじじやう、別に何等の愛ありて存するにあらず。たゞ男女相会して、粛然とさかづきめぐらすに過ぎず。人のいまだ結婚せざるや、愛は自由なり。ことわざに曰く「恋に上下のへだてなし」と。然り、何人なんぴとが何人に恋するも、たれかこれを非なりとせむ。一旦結婚したる婦人はこれ婦人といふものにあらずして、むしろ妻といへる一種女性の人間なり。吾人ごじんかれを愛することあたはず、いな愛すること能はざるにあらず、社会がこれを許さざるなり。愛することを得ざらしむるなり。要するに社会の婚姻は、愛を束縛して、圧制して、自由を剥奪はくだつせむがために造られたる、残絶、酷絶の刑法なりとす。
 古来いふ佳人は薄命なり、と、けだし社会が渠をして薄命ならしむるのみ。婚姻てふものだになかりせば、何人なんらの佳人か薄命なるべき。愛に於ける一切の、葛藤かつとう紛紜ふんうん、失望、自殺、疾病しつぺい等あらゆる恐るべき熟字は皆婚姻のあるに因りて生ずる処の結果ならずや。
 妻なく、夫なく、一般の男女は皆たゞ男女なりと仮定せよ。愛に対する道徳の罪人は那辺なへんにか出来いできたらむ、女子はじやうのために其夫を毒殺するの要なきなり。男子は愛のために密通することを要せざるなり。否、たゞに要せざるのみならず、しかき不快なる文字もんじはこれを愛の字典の何ペエジに求むるも、決して見出すこと能はざるに至るやひつせり。然れども斯の如きは社会に秩序ありてあへて許さず。
 あゝ/\結婚を以て愛の大成したるものとなすは、おほいなるあやまりなるかな。世人結婚を欲することなくして、愛を欲せむか、吾人は嫦娥じやうがを愛することを、嫦娥は吾人を愛することを得、何人なんぴとが何人を愛するも妨げなし、害なし、はた乱もなし。匈奴きようどにして昭君せうくんを愛するも、昭君あに馬に乗るのうらみあらむや。その愀然しうぜんとして胡国ここくとつぎたるもの、匈奴が婚をひたるにほかならず。然も婚姻に因りて愛を得むと欲するは、なんぞ、水中の月をとらへむとする猿猴ゑんこうの愚とおほいに異なるあらむや。あるひは婚姻を以て相互の愛を有形にたしかむる証拠とせむか。其愛の薄弱なる論ずるに足らず。はゞかりなく直言すれば、婚姻はけだし愛を拷問して我に従はしめむとする、卑怯ひけふなる手段のみ。それ然り、然れどもこはただ婚姻の裏面をいふもの、其表面に至りては吾人が国家を造るべき分子なり。親に対する孝道なり。家に対する責任なり。朋友に対する礼儀なり。親属にたいする交誼かうぎなり。総括すれば社会に対する義務なり。然も我に於て寸毫すんがうの益する処あらず。婚姻何ぞ其人のために喜ぶべけむや。祝すべけむや。めでたからむや。しかもなかうどはいふめでたしと、舅姑はいふめでたしと、親類はいふめでたしと、朋友はいふめでたしと、そも何の意ぞ。他なし、社会のために祝するなり。
 古来我国わがくにの婚礼は、愛のためにせずして社会のためにす。奉儒ほうじゆの国は子孫なからざるべからずと命ずるに因れり。もしそれ愛によりて起る処の婚姻ならむか、舅姑なにかある、小姑何かある、すべての関係者何かある、そも/\社会は何かある。然るに、社会に対する義務のためむを得ずして結婚をなす、舅姑は依然として舅姑たり、関係者、皆依然として渠を窮せしむ。人の親の、其児そのこに教ふるに愛を以てせずしてみだりに恭謙、貞淑、温柔をのみこれこととするは何ぞや。既にいふ、愛は「無我」なりと。我なきものたれか人倫を乱らむや。しかも婚姻を以て人生の大礼なりとし、でては帰ることなかれと教ふ。婦人甘んじてこの命を請け行いて嫁す、其衷情憐むに堪へたり。謝せよ、新夫婦に感謝せよ、渠等は社会に対する義務のために懊悩あうなう不快なるあまたの繋累けいるゐに束縛されむとす。何となれば社会は人に因りて造らるゝものにして、人は結婚によりて造らるるものなればなり。こゝに於てか媒妁人なかうどはいふめでたしと、舅姑はいふめでたしと、親類朋友皆またいふめでたしと。然り、新夫婦は止むを得ずして社会のために婚姻す。社会一般の人に取りてはめでたかるべし、嬉しかるべし、愉快なるべし、これをめでたしと祝せむよりは、寧ろ慇懃いんぎんに新夫婦に向ひて謝して可なり。
 新夫婦其者そのものには何のめでたきことあらむや、渠等が雷同してめでたしといふは、社会のためにめでたきのみ。
 再言す、吾人人類が因りてもて生命を存すべき愛なるものは、さらに婚姻によりて得らるべきものにあらざることを。人は死を以て絶痛のこととなす、然れども国家のためには喜びて死するにあらずや。婚姻また然り。社会のために身を犠牲に供して何人も、めでたく、式三献しきさんこんせざるべからざるなり。

(明治二十八年五月)




 



底本:「現代日本文學大系 5 樋口一葉・明治女流文學・泉鏡花集」筑摩書房
   1972(昭和47)年5月15日初版第1刷発行
   1987(昭和62)年2月10日初版第13刷発行
入力:小林徹
校正:鈴木厚司
2000年9月20日公開
2005年11月22日修正
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