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我等の一団と彼(われらのいちだんとかれ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-21 16:28:26  点击:  切换到繁體中文



      三

 その頃だつた。
 或晩高橋が一人私の家へやつて來て、何時になくしめやかな話をした。「劍持は豪いところが有るよ。彼の男は屹度今に發展する。」そんな事も言つた。それが必ずしもわざとらしく聞こえなかつた。其の晩高橋は何でも人の長所ばかりを見ようと努めてゐるやうだつた。
『僕にもこれで樗牛にかぶれてゐた時代が有つたからねえ。』
 何の事ともつかず、高橋はそんな事を言つた。そして眼を細くして、煙草の煙を眺めてゐた。煙はすうつと立つて、緩かに亂れて、机の上の眞白な洋燈の笠に這ひ纒つた。戸外には雨が降つてゐた。雨に籠もつて火事半鐘のやうな音が二、三度聞こえた。然し我々はそれを聞くでもなかつた。
『僕はこれで夢想家ドリイマアに見えるところがあるかね?』
 高橋はまたそんなことも言つた。そして私の顏を見た。
『見えないね。』私は言下に答へた。『然し見えないだけに、君の見てる夢は餘程しつかりした夢に違ひない。……誰でも何かの夢は見てるもんだよ。』
『さうかね?』
『さう見えるね。』
 高橋は幽かに微笑んだ。
 稍あつてまた、
『僕等は、まだまだ修行が足らんね。僕は時々さう思ふ。』
『修行?』
『僕は今までそれを、つまり僕等の理解が、まだ足らん所爲せゐだと思つてゐた。常に鋭い理解さへ持つてゐれば、現在の此の時代のヂレンマから脱れることが出來ると思つてゐた。然しさうぢやないね。それも大いに有るけれども、そればかりぢやないね。我々には利己的感情が餘りに多量にある。』
『然しそれは何うすることも出來ないぢやないか? 我々の罪ぢやない、時代の病氣だもの。』
『時代の病氣を共有してゐるといふことは、あらゆる意味に於いて我々の誇りとすべき事ぢやないね。僕が今の文學者の「近代人」がるのを嫌ひなのも其處だ。』
『無論さ。――僕の言つたのはさういふ意味ぢやない。何うかしたくつても何うもすることが出來ないといふだけだ。』
『出來ないと君は思ふかね?』
『出來ないぢやないか。我々が此の我々の時代から超逸しない限りは。――時代を超逸するといふのは、樗牛が墓の中へ持つて行つた夢だよ。』
『さうだ。あれは悲しい夢だね。――然し僕は君のやうに全く絶望してはゐないね。』
「絶望」といふ言葉は不思議な響を私の胸に傳へた。絶望! そんな言葉を此の男はつかふのか? 私はさう思つた。
 二人は暫らく默つてゐた。やがて私は、
『そんなら何うすれば可い?』
『何うと言つて、僕だつてさう確かな見込がついてるんぢやないさ。技師が橋の架替かけかへの設計を立てる樣にはね。――然し考へて見給へ。利己といふ立場は實に苦しい立場だよ。これと意識する以上はこんな苦しい立場は無いね。さうだらう? つまり自分以外の一切を敵とする立場だものね。だから、周圍の人間のする事、言ふ事は、みんな自分に影響する。善にしろ、惡にしろ、必ず直接に影響するよ。先方が其の積りでなくつても此方の立場がそれだからね。そしてしよつちう氣の休まる時が無いんだ。まあ見給へ。利己的感情のさかんな者に限つて、周圍の景氣が自分に都合がよくなると直ぐ思ひ上る。それと反對に、少しでも自分を侵すやうな、氣に食はんことが有ると、急に氣が滅入つて下らない欝霽うさはらしでもやつてみたくなるんだね。そんな時は隨分向う見ずな事もするんだよ。――それや世の中にはさういふ人間は澤山有るがね。有るには有るけれども、大抵の人はそれを意識してゐないんだね。其の時、其の時の勝手な辯解で自分を欺いてるんだね。』
『それやさうだ。』
『ところが氣が附いて見給へ。こんな苦しいことは無いだらう? 一方では常に氣を休めずに周圍の事に注意しながら、同時に常にそれによつて動く自分の感情を抑へつけてゐなくちやならんことになるんだ。だから一旦さういふヂレンマに陷つた者が、それから脱れよう、脱れようとするのは、もう君、議論の範圍ぢやないよ。必至だよ。出來る、出來ないは問題ぢや無いんだ。時代の病氣だから何う、斯うと言ふのは、畢竟まだ其處まで行かん人の言ふこつたよ。或は其處まで行く必要の無い人かね。』
「敗けたな!」と私は思つた。そして、『いや、僕も實は其處ん處まで行つてゐないよ。――然し可いぢやないか? 僕は可いと思ふな。感情が動いたら動いたで、大いに動かすさ。誰に遠慮もらん。――要するに僕は、自由に呼吸してゐさへすれば男子の本領は盡きると思ふね。』
『君の面目が躍如としてる。君は羨むべき男さ。』さう言つて高橋は無遠慮に私の顏を眺めた。まるで私を弟扱ひにでもしてるやうな眼だつた。
『失敬な事を言ふな。』言ひながら私は苦笑ひをした。
『僕はまだこんな話をしたことは無いがねえ。』とやがて又彼は言ひ出した。『僕はこれでしよつちゆう氣の變る男だよ。僕みたいに氣の變り易い男はまあ無いね。しよつちゆう變る。』
『誰だつてそれはさうぢやないか?』
『さうぢやないね。――それにね、僕はこれでも自惚うぬぼれを起すことがあるんだぜ、自惚れを。滑稽さ。時々斯う自分を非凡な男に思つて爲樣が無いんだ。ははは。尤も二日か、三日だがね。長くても一週間位だがね。さうして其の後には反動が來る。――あんな厭な氣持はないね。何うして此の身體からださいなんでやらうかと思ふね。』
 高橋は拙い物でも口に入れたやうな顏をした。
『ふむ。』と私は考へる振りをした。然しいくら考へたとて、私の頭腦あたまは彼の言葉の味を味ふことが出來なかつた。「何して斯う自分を虐めてるんだらう? たゞこんなことを言つて見るのか知ら?」私はさう心の中で呟いた。
「意志だ。意志を求めてゐるんだ。然し意志の弱い男ぢやないがなあ。」やがて又私はさう思つた。すると私の心は、恰度其の頃内職に飜譯しかけてゐた或本の上に辷つて行つた。其の本の著者はロオズヴェルトだつた。意志といふ言葉とロオズヴェルトといふ名とは、不思議にも私の頭腦の中で結び着き易かつた。
 高橋は堅く口を結んで、向ひ合つた壁側の本箱を見てゐた。其處には凹凸のある硝子戸に歪んだなりの洋燈の影が映つてささやかな藏書の脊革の金字が冷かに光つてゐた。單調な雨滴の音が耳近く響いた。
『大きい手を欲しいね、大きい手を。』突然私はさう言つた。『僕はさう思ふね。大きい手だ。社會に對しても、自分に對しても。』
「然うだ。」といふ返事を期待する心が私にあつた。然し其の期待は外れて了つた。
 高橋は眉も動かさなかつた。そして前よりも一層堅く口を結んだ。私は何かしら妙な不安を感じ出した。
『大きい手か!』稍あつて彼は斯う言つた。何となく溜息を吐くやうな調子だつた。『君ならさう言ふね。――今君と僕の感じた事は、多分同じ事だよ。ね? 同じでなくても似たり寄つたりの事だよ、それを君の形式で發表すると、「大きい手」といふ言葉になるね。』
『君ならそれぢやあ何と言ふ?』
『僕か? 僕なら、――要するに何方でも可い話だがね。――僕なら然しさうは言はないね。第一、考へて見給へ。「大きい手」といふ言葉には誇張が有るよ。誇張はつまり空想だ。空想が有るよ。我々の手といふものは、我々の意志によつて大きくしたり小さくしたりすることは出來ない。如何に醫術が進んでもこれは出來さうがない。生れつきだよ。』斯う言つて、人並みはづれて小さい、其の癖ぼく/\して皮の厚さうな、指の短い手を出して見せた。
『つまり大きい手や大きい身體は先天的のものだ。露西亞人や、亞米利加人は時としてそれを有つてるね。ビスマアクも有つてゐた。然し我々日本人は有たんよ、我々が後天的にそれを欲しがつたつて、これあ畢竟空想だ。不可能だよ。』
『それで君なら何と言ふ?』私は少し焦り出した。
『僕なら、さうだね。――假に言ふとすると、まあさうだね、兎に角「大きい手」とは言はないね。――冷い鐵の玉を欲しいね、僕なら。――「玉」はまづいな。「鐵の如く冷い心」とでも言ふか。』
『同じぢやないか? 大きい手、鐵の如き心、強い心臟……つまり意志ぢやないか?』
『同じぢやないね。大きい手は我々の後天的にもつことが出來ないけれども、鐵の如き冷い心なら有つことが出來る。――修行を積むと有つことが出來る。』
『ふむ、飽くまでも君らしい事を言ふね。』
『君らしい?』反響こだまのやうにさう言つて、彼はひたと私の眼を見つめた。其の眼……何といふ皮肉な眼だらうと私は思つた。
『君らしいぢやないか。』
 高橋はごろりと仰向けて臥て了つた。そして兩手を頭にひながら、
『君等は一體僕を何う見てるのかなあ。何んな男に見えるね? 僕は何んな男だかは、僕にも解らないよ。――誰か僕の批評をしとつた者は無いか?』
 私は肩の重荷が輕くなつて行くやうに感じた。此處から話が變つて行くと思つたのだ。
 そして、思出した儘に、我々がまだ高橋と親しくならなかつた以前、我々の彼に就いて語つたことを話して聞かせた。例の體操教師の一件だ。そればかりではない。高橋が話の途中から起き上つて、恰度他人の噂でも聞くやうに面白さうにしてゐるのに釣り込まれて、安井の言つた無駄口までつひ喋つて了つた。――後で考へるに、高橋が其の時面白さうにしてゐたのも無理は無い。彼は自分に關する批評よりも、其の批評をした一人、一人に就いて何か例の皮肉な考へ方をしてゐたに違ひない……
 が、私の話が濟むと、彼は急に失望した樣な顏をして、また臥轉んで了つた。そして言ふには、
『其の批評は、然し、當つてると言へば皆當つてるが、當らないと言へば皆當らないね。』
『ははは。それはさうさ。僕等がまだ君に接近しない時の事だもの。――然し當つたとすれば何の程度まで當つてる?』
『さうさね。先づ其の細君の尻にかれるといふ奴だね。此奴は大分當つてるよ。僕は平生、平氣で尻に布かれてるよ。全くだよ。尤も餘り重いお尻でも無いがね。夫婦といふものが君、互ひに自分の權利を主張して、しよつちゆう取つ組み合ひをしたり、不愉快な思ひをしたりしてるよりは、少し位は莫迦らしくても、機嫌を取つて、すかして置く方が、差引勘定して餘つ程とくだよ。時間も得だし、經濟上でも得だよ。それ、芝居を好きな奴にや、よく役者の眞似をしたり、聲色をつかつたりして得意になつてる奴があるだらう? 僕はあいふ奴にや、目の玉を引繰返して妙な手附をしてるところを活動寫眞につておいて、何時か正氣でゐる時見せてやると可いと思ふね。さうしたら大抵の奴は二度とやらなくなるよ。夫婦喧嘩もそれだね。考へるとこれ程莫迦らしい事は無いものな。それよりや機嫌を取つておくさ。先方がにこ/\してゐれや此方だつて安んじてゐられる。……といふと大分あまく取れるがね。然し正直のところ、僕は僕の細君を些とも愛してなんかゐないよ。これは先方もさうかも知れない。つまり生活の方便さ。それに、僕の細君は美人でも無いし、賢夫人でも無いよ。無くつても然し僕は構はん。要するに、自分の眼中に置かん者の爲に一分でも時間を潰して、おまけに不愉快な思ひをするのは下らん話だからね。』
『そらあ少しひどい。』
『酷くても可いぢやないか? 先方がそれで滿足してる限りは。』と言ひながら起き上つた。
『尤も口ではさう言つても、其處にはまた或調和が行はれてゐるさ。』
『それはさうかも知れない。――然し兎に角我々の時代は、もう昔のやうな、一心兩體といふやうな羨ましい夫婦關係を作ることが出來ない約束になつて來てるんだよ。自然主義者は舊道徳を破壞したのは俺だといふやうなつらをしてゐるが、あれは尤も本末を顛倒してる。舊道徳に裂隙ひびが割れたから、其の裂隙から自然主義といふ樣なものも芽を出して來たんだ、何故其の裂隙が出來たかといふと、つまり先祖の建てた家が、我々の代になつて玄關の構へだの、便所の附け處だの、色々不便なところが出來て來た樣なものだ。それを大工を入れて修繕しようと、或は又すつかり建て代へようと、それは各自の勝手だが、然しいくら建て代へたつて、家其のものの大體には何の變化も無い。形と材料とは違つても、土臺と屋根と柱と壁だけは必ずる。破壞なんて言ふのは大袈裟だよ。それから又、其の裂隙を何とかして彌縫しようと思つて、一生懸命になつてる人も有るが、あれも要するに徒勞だね。我々の文明が過去に於て經來つた徑路を全然變へて了はない以上は、漆を詰めようが砂を詰めようが、乃至は金で以て塗りつぶさうが、裂隙は矢張り裂隙だ。さうして我々は、其の裂隙を何うすれば可いかといふ事に就いちや、まだまるで盲目なんだ。あか、斯うかと思ふことは有る。然しまだそれに決めて了ふまでには考へが熟してゐない。また時機でもない。あ東京の家を見給へ。今日の東京は殆どあらゆる建築の樣式を取込んでゐる、つまりれなんだ。何時とはなく深い谷底に來て了つて、何方へ行つて可いか、方角が解らない。そこで各自勝手に、木の下に宿を取る者もあれば、小屋掛けをする者もある。それからそれ、岩窟いはあなを見つける者もある。ね? 色々の事をしてゐるが、たゞ一つ解つてるのは、それが皆其の晩一晩だけの假の宿だといふことだ。明日になれば何方かへ行かなければならんといふことだ。』
『君の言ふことは實に面白いよ。――然し僕には、何うも矢つ張り唯面白いといふだけだね。第一、今の日本が君の話のやうに、さう進歩してるか知ら――若しそれが進歩といふならだね。それに何だ、それあ道徳にしろ、何にしろ、すべての事が時代と共に變つては行くさ。變つては行くけれども、其の變り方が、君の言ふやうな明瞭な變り方だとは僕は思はんね。我々が變つたと氣の附く時は、もう君、代りのものが出來てる時ぢやないのか? そして、其の新舊二つを比較して、我々が變つたと氣が附くのぢやないのか? ――例へば我々が停車場に人を送つて行くね。以前は皆汽笛がぴいと鳴ると、互ひに帽子をつて頭を下げたもんだよ。ところが今は必ずしもさうでない。現に僕は、昨日も帽子を脱らず、頭も下げないで友人と別れて來たよ。然しそれを以て直ぐ、古い禮儀が廢れて新しい禮儀がまだ起らんとはいへん。我々は帽子を脱る代りに握手をやつたんだからな。――しかもそれが、帽子を脱ることを止めようと思つてから握手といふ別の方法に考へ及んだのか、握手をするのも可いと思つてから帽子を脱るのを止めたのか解らないぢやないか。そればかりぢやない。僕は現在時と場合によつて帽子を脱ることもあれば、握手することもある。それで些とも不便を感じない。――世の中といふものは實に微妙に推移して行くものだと僕は思ふね。常に新陳代謝してゐる。其の間に一分間だつて間隙を現すことは無いよ。君の言ふ裂隙ひびなんて、何處を見たつて見えないぢやないか!』
 高橋は笑つた。『さう言ふ見方をしたつて見えるものか。――そして其の例は當らないよ。』
何故なぜ當らん?』
『君の言ふのは時代の社會的現象のことだ。僕の言つたのは時代の精神のことだよ。』
『精神と現象と關係が無いと言ふのか?』
『現象は――例へば手だ。手には神經はあるけれども思想はない、手は何にでも觸ることが出來るけれども、頭の内部には觸ることは許されない。――』
『さうか。そんならあそれでも可いよ。――さうすると今の細君問題は何うなるんだ?』
『何うと言つて、別に何うもならんさ。』
『矢つ張りその何か、甘くない意味に於て尻に布かれるといふことになるんか?』
『つまりさうさ。夫婦關係の問題も今言つた一般道徳と同じ運命になつて來てるんだ。個人意識の勃發は我々の家庭組織を不安にしてる。――不安にしてるが、然し、家庭其のものを全然破壞するほど危險なんぢやないぜ。之は僕は確實に主張するよ。――これだけは君も認めるね? 今は昔と違つて、未亡人の再婚を誰も咎めるものはないからな。それから何んだ、何方か一人が夫婦關係を繼續する意志を失つた際には、我々はそれを引止める何の理由も有たん。――之は君の言葉を一寸拜借したんだぜ。此間佐伯が細君に逃げられた時、君はさう言つたからな。――尤もこれらは誰にも解る皮相の事さ。然し兎も角、我々の夫婦といふものに就いての古い觀念が現状と調和を失つてるのは事實だ。今もさうだがこれからは益々さうなる。結婚といふものゝ條件に或修正を加へるか、乃至は別に色々の但書を附加へなくちやあ、何時まで經つてももう一度破れた平和が還つて來ない。考へて見給へ。今に女が、私共が夫の飯を食ふのはハウスキイピングの勞力に對する當然の報酬ですなんて言ふやうになつて見給へ。育兒は社會全體の責任で、親の責任ぢや無いとか、何とか、まだ、まだ色々言はせると言ひさうな事が有るよ。我々男は、口では婦人の覺醒とか、何とか言ふけれども、誰だつてそんなに成ることを希望してゐやせんよ。否でも、應でも喧嘩だね。だから早く何とかしなくちやならんのだが、困ることには我々にはまだ、の條項を何う修正すれば可いか解らん。何んな但書を何處に附け加へれば可いか解らん。色々考へが有るけれども、其の考と實際とはまだ却々なか/\距離が有る。其處で今日のやうな時代では、我々男たる者は、其の破綻に對して我々の拂はねばならぬ犧牲を最も少くする方法を講ずるのが、一番得策になつて來るんだ。さうして其の方法は二つある。』
『一つは尻に布かれる事だ。』
『さうさ。も一つは獨身で、宿屋住ひをして推通すことだ。一得、一失は有るが、要するに此の二つの外に無いね。――ところが此處に都合の可い事が一つ有るんだよ。ははは。それは外では無いが、日本の女の最大多數は、まだ明かに自分等の状態を意識してはゐないんだ。何れだけ其の爲に我々が助かるか知れないね。布かれて見ても案外女のお尻の重くないのは、全く其のお蔭だよ。比較して見たんぢやないがね。』
 私は吹き出して了つた。『君は實に手數のかゝる男だね。細君と妥協するにまでそんな手數がかゝるんか?』
『手數のかゝる筈さ。尻に布かれるつてのは僕の處世のモットオだもの。』
『これであ安井の批評は片が附いた譯か。――それあ當らなかつたのは無理が無いね。第一僕等は、君がこんな巧妙なる説話者だとは思ひ掛けなかつたからなあ。』
『巧妙なる説話者か! 餘り有難い戒名でも無いね。』
『はゝゝ。――それからも一つは何うなんだ? 野心家だつて方は?』
『ストライキの大將か! それも半當りだね。――いや、矢つ張り當らないね。』
『然し君が何か知ら野心を抱いてる男だつてことは、我々の輿論だよ。』
『何んな野心を?』
『それは解るもんか、君に聞かなけれあ。』
『僕には野心なんて無いね。』
『そんな事が有るもんか。誰だつて野心の無い者は無いさ。――野心と言ふのが厭なら希望と言つても可い。』
『僕には野心は無いよ。たゞ、結論だけはある。』
『結論?』
『斯くせねばならんと言ふのではなく、斯く成らねばならんと言ふ――』
『君は一體、決して人に底を見せない男だね。餘り用心が深過ぎるぢやないか? 底を見せても可い時にまで理窟の網を張る。』
『底? 底つて何だ? 何處に底があるんだ?』
『心の底さ。』
『そんなら君は、君の心の底はこれだつて僕に見せる事が出來るか?』
 高橋は疊みかけるやうに、『人はよく、少し親しくなると、心の底を打明けるなんて言ふさ。然しそれを虚心で聞いて見給へ。内緒話ないしよばなしか、僻見ひがみか空想に過ぎない。厭なこつた。嬶の不足や、はたで聞いてさへ氣羞かしくなる自惚れを語つたつて何うなる? 社の校正に此の頃妙な男が入つて來たらう? 此の間僕は電車で一緒になつたから、「何うです、君の方の爲事しごとは隨分氣がつまるでせうね?」つて言つたら、「いや、貴方だから打明けて言ひますが、實に下らないもんです。」とか何とか、役者みたいな抑揚をつけて言つたよ。郷里の新聞で三面の主任をしたとか何とか言ふんだ。僕は「左樣なら。」つて途中で下りて了つた。』
 私はそれには答へないで、
『君は社會主義者ぢやないか?』
『何故?』
『劍持が此間さう言つとつた。』
 高橋は昵と私を見つめた。
『社會主義?』
『でなければ無政府主義か。』
 世にも不思議な事を聞くものだと言ひさうな、眼を大きくして呆れてゐる顏を私は見た。其處には少しも疑ひを起させるやうなところは無かつた。
 やがて高橋は、
『劍持が言つた?』
『ぢや無からうかといふだけの話さ。』
『僕は社會主義者では無い。』と高橋は言ひ澁るやうに言ひ出した。『――然し社會主義者で無いといふのは、必ずしも社會主義に全然反對だといふことでは無い。誰でも仔細に調べて見ると、多少は社會主義的な分子を有つてるもんだよ。彼のビスマァクでさへ社會主義の要求の幾分を内政の方面では採用してるからね。――と言ふのは、社會主義のセオリイがそれだけ普遍的な眞理を含んでゐるといふことよりも、寧ろ、社會的動物たる人間が、何れだけ其の共同生活に由つて下らない心配をせねばならんかといふことを證據立ててゐるんだ。』
『よし。そんなら君の主義は何主義だ?』
『僕には主義なんて言ふべきものは無い。』
『無い筈は無い。――』
『困るなあ、世の中といふものは。』高橋はまた寢轉んだ。『――言へば言つたで誤つて傳へるし、言はなければ言はんで勝手に人を忖度する。君等にまで誤解されちや詰らんから、それぢや言ふよ。』さう言つて起きて、
『僕には實際主義なんて名づくべきものは無い。昔は有つたかも知れないが今は無い。これは事實だよ。尤も僕だつて或考へは有つてゐる。僕はそれを先刻結論といつたが、假に君の言ひ方に從つて野心と言つても可い。然し其の僕の野心は、要するに野心といふに足らん野心なんだ。そんなに金も欲しくないしね。地位や名譽だつてさうだ。そんな者は有つても無くても同じ者だよ。』
『世の中を救ふとでも言ふのか?』
『救ふ? 僕は誇大妄想狂ぢや無いよ。――僕の野心は、僕等が死んで、僕等の子供が死んで、僕等の孫の時代になつて、それも大分年を取つた頃に初めて實現される奴なんだよ。いくら僕等が焦心あせつたつてそれより早くはなりやしない。可いかね? そして假令それが實現されたところで、僕一個人に取つては何の増減も無いんだ。何の増減も無い! 僕はよくそれを知つてる。だから僕は、僕の野心を實現する爲めに何等の手段も方法も採つたことはないんだ。今の話の體操教師のやうに、自分で機會を作り出して、其の機會を極力利用するなんてことは、僕にはとても出來ない。出來るか、出來ないかは別として、從頭てんでそんな氣も起つて來ない。起らなくても亦可いんだよ。時代の推移といふものは君、存外急速なもんだよ。色んな事件が毎日、毎日發生するね。其の色んな事件が、人間の社會では何んな事件だつて單獨に發生するといふことは無い。皆何等かの意味で關聯してる。さうして其の色んな事件が、また、何等かの意味で僕の野心の實現される時代の日一日近づいてる事を證據立ててゐるよ。僕は幸ひにして其等の事件を人より一日早く聞くことの出來る新聞記者だ。さうして毎日、自分の結論の間違ひで無い證據を得ては、獨りで安心してるさ。』
『君は時代、時代といふが、君の思想には時代の力ばかり認めて、人間の力――個人の力といふものを輕く見過ぎる弊が有りはしないか? 僕は佛蘭西の革命を考へる時に、ルッソオの名を忘れることは出來ない。』
『さうは言つて了ひたく無いね。僕はただ僕自身を見限つてるだけだ。』
『何うも僕にははつきり呑め込めん。何故自分を見限るんか? それだけ正確と信ずる結論を有つてゐながら、其の爲めに何等實行的の努力をしないといふ筈は無いぢやないか? 僕は人間の一生は矢張自己の發現だと思ふね。其の外には意味が無いと思ふね。』
『さうも言へないことは無いが、さうばかりでは無いさ。生殖は人間の生存の最大目的の一つだ。可いかね? 君の言葉をそれに適用すると、墮胎とか、避姙とかいふ行爲の説明が出來ないことになる。』
『それとこれとは違ふさ。』
『僕は極めて利己的な怠け者だよ。――其の點を先づ第一に了解してくれ給へ。――人間が或目的の爲めに努力するとするね。其の努力によつて費すところと、得るところと比べて、何方が多いかと言ふと、無論費すところの方が多い。これは非凡な人間には解らないか知れないが、凡人は誰でも知つてゐる。尤も、差引損にはなつても、何の努力もしないで、從つて何の得るところも無いよりは優つてゐるか知れないが、其處は怠け者だ。昔はこれでも機會さへ來るなら大いにやつて見る氣もあつたが、今ぢやもうそんな元氣が無くなつた。面倒くさいものね。近頃ではそんな機會を想像することも無くなつちやつた。――それに何だ。人類の幸福と――ぢやなかつた。僕は人類だの、人格だの、人生だの、凡てあんな大袈裟な、不確かな言葉は嫌ひだよ。――ええと、うんさうか、人類ぢやない、我々日本人がだ。可いかね? 我々日本人の國民的生活が、文化の或る當然の形式にまで進んで行くといふ事とだ――それが果して幸福か、幸福でないかは別問題だがね――それと、僕一個人の幸不幸とは、何の關係も無いものね。僕はただ僕の祖先の血を引いて、僕の兩親によつて生れて、そして、次の時代ネクストゼネレエションの犧牲として暫らくの間生きてゐるだけの話だ。僕の一生は犧牲だ。僕はそれが厭だ。僕は僕の運命に極力反抗してゐる。僕は誰よりも平凡に暮らして、誰よりも平凡に死んでやらうと思つてる。』
 聞きながら私は、不思議にも、死んだ私の父を思ひ浮べてゐた。父は明治十――二十年代に於て、私の郷里での所謂先覺者の一人であつた。自由黨に屬して、幾年となく政治運動に憂身をやつした擧句、やうやう代議士に當選したは可かつたが、最初の議會の會期半ばに盲腸炎に罹つて、閉院式の行はれた日にはもう墓の中にあつた。それは私のまだ幼い頃の事である。父が死ぬと、五、六萬は有つたらしい財産が何時の間にか無くなつてゐて、私の手に殘つたのは、父の生前の名望と、其の心血を濺いだといふ「民權要義」一部との外には無かつた――。
 次の時代の犧牲! 私は父の一生を、一人の人間の一生として眺めたやうな氣がした。父の理想――結論は父を殺した。そして其の結論は、子たる私の幸福とは何の關係も無かつた。……
 高橋は、言つて了ふと、「はは。」と短い乾いた笑ひを洩らして、兩膝を抱いて、髯の跡の青い顋を突き出して、天井を仰いだ。その顋と、人並外れて大きく見える喉佛とを私は默つて見つめてゐた。喉佛は二度ばかり上つたり、下つたりした。私は對手の心の、靜かにしてゐるに拘はらず、餘程いらいらしてゐることをそれとなく感じた。私の心は、先刻からの長い會話に多少疲れてゐるやうだつた。そして私は、高橋の見てゐる世の中の廣さと深さに、彼と私との年齡の相違を乘じてみた。然しそれは單に年齡の相違ばかりではないやうでもあつた。父に就いての連想は、妙に私を沈ませた。
『君はつまり、我々日本人の將來を何うしようと言ふんだ? ――君はまだそれを言はんね。』ややあつて私はさう言つた。
『夢は一人で見るもんだよ。ねえ、さうだらう?』
 それが彼の答へだつた。そして俄かに、これから何か非常に急がしい用でも控へてるやうな顏をした。

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