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二筋の血(ふたすじのち)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-21 16:26:00  点击:  切换到繁體中文


 いくら子供でも、男と女は矢張男と女、學校で一緒に遊ぶ事などは殆ど無かつたが、夕方になると、家々の軒や破風に夕餉の煙のたなびく街道に出て、よく私共は寶奪ひや鬼ごッこをやつた。時とすると、それが男組と女組と一緒になる事があつて、※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)そんな時は誰しも周圍が暗くなつて了ふまで夢中になつて遊ぶのであるが、藤野さんが鬼になると、屹度私を目懸けて追つて來る。私はそれが嬉しかつた。奈何どんな※(「おうにょう+王」、第3水準1-47-62)かよわい體質でも、私は流石に男の兒、藤野さんはキッと口を結んでさとく追つて來るけれど、容易につかまらない。終ひには息を切らして喘々ぜい/\[#ルビの「ぜい/\」は底本では「せい/\」]するのであるが、私は態と捉まつてやつて可いのであるけれど、其處は子供心で、飽迄も/\身を飜して意地惡く遁げ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)る。それなのに、藤野さんは鬼ごッこの度、矢張私許り目懸けるのであつた。
 新家の家には、藤野さんと從兄弟同志の男の兒が三人あつた。上の二人は四年と三年、末兒はまだ學校に上らなかつたが、何れも餘り成績が可くなく、同年輩の近江屋の兒等と極く仲が惡かつたが、私の朧氣におぼえてゐる所では、藤野さんもよく二人の上の兒に苛責いぢめられてゐた樣であつた。何時いつか何處かで叩かれてゐるのを見た事もある樣だが、それは明瞭はつきりしない。唯一度私が小さい桶を擔いで、新家の裏の井戸に水汲に行くと、恰度ちやうど其處の裏門の柱に藤野さんが倚懸よりかゝつてゐて、一人潸々さめ/″\と泣いてゐた。どうしたのだと私は言葉をかけたが、返事はしないで長い袂の端を前齒で噛んでゐた。さうなると、私は性質としてもう何も言へなくなるので、自分まで妙に涙ぐまれる樣な氣がして來て、默つて大柄杓で水を汲んだが、桶を擔いで歩き出すと、『新太郎さん。』と呼止められた。
『何す?』
『好い物見せるから。』
『何だす?』
『これ。』と言つて、袂の中から丁寧に、美しい花簪を出して見せた。
『綺麗だなす。』
『…………。』
『買つたのすか?』
 藤野さんは頭を振る。
『貰つたのすか?』
『阿母さんから。』と低く言つて、二度許り歔欷すゝりあげた。
『富太郎さん(新家の長男)に苛責いぢめめられたのすか?』
『二人に。』
 私は何とか言つて慰めたかつたが、何とも言ひ樣がなくて、默つて顏をみつめてゐると、『これ上げようかな?』と言つて、花簪をいぢくつたが、『お前は男だから。』とうしろに隱すふりをするなり、涙に濡れた顏に美しく笑つて、バタバタと門の中へ駈けて行つて了つた。私は稚い心で、藤野さんが二人の從兄弟に苛責いぢめられて泣いたので、阿母さんが簪を呉れてすかしたのであらうと想像して、何といふ事もなく富太郎のノッペリした面相つらつきが憎らしく、妙な心地で家に歸つた事があつた。
 何日いつしか四箇月が過ぎて、七月の末は一學期末の試驗。一番は豐吉、二番は私、藤野さんが三番といふ成績を知らせられて、夏休みが來た。藤野さんは、豐吉に敗けたのが口惜くやしいと言つて泣いたと、富太郎が言囃いひはやして歩いた事をおぼえてゐる。

 休暇となれば、友達は皆、本や石盤の置所も忘れて、毎日々々山蔭の用水池に水泳に行くのであつた。私も一寸々々ちょい/\一緒に行かぬではなかつたが、どうしてか大抵一人先に歸つて來るので、父の仕事場にしてある店先の板間に、竹屑やら鉋屑の中に腹匍はらばひになつては、汗を流しながら讀本を復習さらつたり、手習をしたりしたものだ。そして又、目的あてもなく軒下の日陰に立つて、時々藤野さんの姿の見えるのを待つてゐたものだ。
 すると大變な事が起つた。
 八月一杯の休暇、其中旬頃とも下旬頃とも解らぬが、それは/\暑い日で、空には雲一片なく、腦天をりつける太陽が宛然まるで火の樣で、そよとの風も吹かぬから、木といふ木が皆死にかかつた樣に其葉を垂れてゐた。家々の前の狹いみぞには、流れるでもない汚水の上に、薄曇つた泡が數限りなく腐つた泥から湧いてゐて、日に晒された幅廣い道路の礫は足を燒く程暖く、蒸された土の温氣が目も眩む許り胸を催嘔むかつかせた。
 村の後ろは廣い草原になつてゐて、草原が盡きれば何十町歩の青田、それは皆近江屋の所有地であつたが、其青田に灌漑する、三間許りの野川が、草原の中を貫いて流れてゐた。野川の岸には、近江屋が年中米を搗かせてゐる水車小屋が立つてゐた。
 春は壺菫に秋は桔梗女郎花、其草原は四季の花に富んでゐるので、私共はよく遊びに行つたものだが、其頃は一面に萱草の花の盛り、殊にも水車小屋の四周あたりには澤山咲いてゐた。小屋の中には、直徑二間もありさうな大きい水車が、朝から晩までギウ/\と鈍い音を立てて※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐて、十二本の大杵おおきね斷間たえまもなく米をいてゐた。
 私は其日、晒布さらしの袖無を着て帶も締めず、黒股引に草履を穿いて、額の汗を腕で拭き拭き、新家の門と筋向になつた或駄菓子屋の店先に立つてゐた。
 と、一町程先の、水車小屋へ曲る路の角から、金次といふ近江屋の若者が、血相變へて駈けて來た。
『何しただ?』と誰やら聲をかけると、
『藤野樣ア水車の心棒に捲かれて、杵に搗かれただ。』と大聲にわめいた。私は僞ともほんととも解らず、唯強い電氣にでも打たれた樣に、思はず聲を立てて『やあ』と叫んだ。
 と、其若者の二十間許り後から、身體中眞白に米の粉を浴びた、髯面の骨格の逞ましい、六尺許りの米搗男が、何やら小脇に抱へ込んで、これも疾風の如くに駈けて來た。見るとそれは藤野さんではないか!
 其男が新家の門まで來て、中に入らうとすると、先に知らせに來た若者と、肌脱ぎした儘の新家の旦那とが飛んで出て來て、『醫者へ、醫者へ。』と叫んだ。男はちよ足淀あしよどみして、直ぐまた私の立つてゐる前を醫者の方へ駈け出した。其何秒の間に、藤野さんの變つたさまが、よく私の目に映つた。男は、宛然まるで鷲が黄鳥うぐひすでもつかまへた樣に、小さい藤野さんを小脇に抱へ込んでゐたが、美しい顏がグタリと前に垂れて、後には膝から下、雪の樣に白い脚が二本、力もなくブラ/\してゐた。其左の脚の、膝頭から斜めに踵へかけて、生々しい紅の血が、三分程の幅に唯一筋!
 其直ぐ後を、以前の若者と新家の旦那が駈け出した。旦那の又直ぐ後を、白地の浴衣を着た藤野さんの阿母おかあさん、何かしら手に持つた儘、火の樣に熱した礫の道路を裸足はだしで……
 其キッと堅く結んだ口を、私は、鬼ごツこに私を追駈けた藤野さんに似たと思つた。無論それは一秒時の何百分の一の短かい間。
 これは、百度に近い炎天の、風さへ動かぬ[#「ぬ」は底本では「ね」]眞晝時に起つた光景だ。
 私は、鮮かな一筋の血を見ると、忽ち胸が嘔氣はきけを催す樣にムッとして、目が眩んだのだから、阿母さんの顏の見えたも不思議な位。夢中になつて其後から駈け出したが、醫者の門より二三軒手前の私の家へ飛び込むと、突然仕事をしてゐた父の膝に突伏した儘、氣を失つて了つたのださうな。

 藤野さんは、うして死んだのである。
 も一つの記憶も、其頃の事、何方が先であつたか忘れたが、矢張夏の日の嚇灼たる午後の出來事とおぼえてゐる。
 村から一里許りのK停車場に通ふ荷馬車が、日に二度も[#「も」は底本では脱字]三度も、村端むらはづれから眞直に北に開いた國道を塵塗れの黒馬の蹄に埃を立てて往返ゆきかへりしてゐた。其日私共が五六人、其空荷馬車に乘せて貰つて、村端れから三四町の、水車へ行く野川の土橋どばしまで行つた。一行は皆腕白盛りの百姓子、中には腦天を照りつける日を怖れて大きい蕗の葉を帽子代りに頭に載せたのもあつた。
 土橋を渡ると、兩側は若松の並木、其路傍みちばたの夏草の中に、汚い服裝なりをした一人の女乞食が俯臥うつぶせに寢てゐて、傍には、生れて滿一年とたぬ赤兒が、しやがれた聲を絞つて泣きながら、草の中を※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はひまはつてゐた。
 それを見ると、馬車曳の定老爺おやぢが馬を止めて、『どうしただ?』と聲をかけた。私共は皆馬車から跳下とびおりた。
 女乞食は、大儀相に草の中から顏をもたげたが、垢やら埃やらが流るる汗にちて、鼻のひしやげた醜い面に、謂ふべからざる疲勞と苦痛の色。左の眉の上に生々しいきずがあつて一筋の血が頬から耳の下に傳つて、胸の中へ流れてゐる。
『馬に蹴られて、歩けねえだもん。』と、絶え入りさうに言つて、又俯臥うつぷした。
 定老爺は、暫くぢつと此女乞食を見てゐたが、『村まで行つたらがべえ。醫者樣もあるし巡査も居るだア。』と言捨てゝ、ガタ/\荷馬車を追つて行つて了つた。
 私共は、ズラリと女の前に立披たちはだかつて見てゐた。稍あつてから、豐吉が傍に立つてゐる萬太郎といふのの肩を叩いて、『汚ねえ乞食ほいどだでア喃。首玉ア眞黒だ。』
 草の中の赤兒が、怪訝けげんさうな顏をして、四這よつばひになつた儘私共を見た。女はビクとも動かぬ。
 それを見た豐吉は、遽に元氣の好い聲を出して、『死んだどウ、此乞食ほいどア。』と言ひながら、一掴みの草を採つて女の上に投げた。『草かけて埋めてやるべえ。』
 すると、皆も口々に言罵つて、豐吉のした通りに草を投げ始めた。私は一人遠くに離れてゐる樣な心地でそれを見てゐた。
 と、赤兒が稍大きい聲で泣き出した。女は草から顏をもたげた。
『やあ、生きだ/\。また生きだでア。』とわめきながら、皆は豐吉を先立てゝ村の方に遁げ出した。私はどうしたものか足が動かなかつた。
 醜い乞食の女は、流れた血を拭かうともせず、どんよりとした疲勞の眼を怨し氣に※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはつて、唯一人殘つた私の顏をじつみつめた。私も瞶めた。其、埃と汗に塗れた顏を、傾きかけた夏の日が、強烈な光を投げて憚りもなく照らした。頬に流れて頸から胸に落ちた一筋の血が、いと生々しく目を射つた。
 私は、目がくるめいて四邊あたりが暗くなる樣な氣がすると、忽ち、いふべからざる寒さが體中ををのゝかせた。皆から三十間も遲れて、私も村の方に駈け出した。
 然し私は、どうしたものか駈けて行く子供等に追つかうとしなかつた。そして、二十間も駈けると、立止まつて後を振返つた。乞食の女は、二尺の夏草に隱れて見えぬ。更に豐吉等の方を見ると、もう乞食の事は忘れたのか、聲高に「吾は官軍」を歌つて駈けてゐた。
 私は其時、妙な心地を抱いてトボ/\と歩き出した。小さい胸の中では、心にちらつく血の顏の幻を追ひながら、「先生は不具者かたはや乞食に惡口をいてはいけないと言つたのに、豐吉は※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)あんな事をしたのだから、たとひ豐吉が一番で私が二番でも、私より豐吉の方が惡い人だ。」といふ樣な事を考へてゐたのであつた。

 あはれ、其後の十幾年、私は村の小學校を最優等で卒へると、高島先生の厚い情によつて、盛岡市の高等小學校に學んだ。其處も首尾よく卒業して、縣立の師範學校に入つたが、其夏父は肺を病んで死んだ。間もなく、母は隣村の實家に歸つた。半年許りして、或事情の下に北海道に行つたとまで知つてゐるが、生きてゐるとも死んだとも、消息を受けた人もなければ、尋ねるあてもない。
 私は二十歳の年に高等師範に進んで、六箇月前にそれを卒へた。卒業試驗の少し前から出初めた惡性の咳が、日ましに募つて來て、此鎌倉の病院生活を始めてからも、既に四箇月餘りを過ぎた。
 學窓の夕、病室の夜、言葉に文に友の情は沁み/″\と身に覺えた。然し私は、何故か多くの友の如く戀といふものを親しく味つた事がない。或友は、君は餘り内氣で、常に警戒をしすぎるからだと評した。或はうかも知れぬ。或友は、朝から晩まで黄卷堆裡に沒頭して、全然社会に接せぬから機會がなかつたのだと言つた。或はうかも知れぬ。又或友は、知識の奴隸になつて了つて、氷の如く冷酷な心になつたからだと冷笑した。或は實にうなのかも知れぬ。
 幾人の人を癒やし、幾人の人を殺した此寢臺の上、親み慣れた藥の香を吸うて、濤音なみおと遠き枕に、夢むともなく夢むるのは十幾年の昔である。ああ、藤野さん! 僅か八歳の年の半年餘の短い夢、無論戀とは言はぬ。言つたら人も笑はうし、自分でも悲しい。唯、木陰地こさぢ濕氣しめりけにも似て、日の目も知らぬ淋しき半生に、不圖天上の枝から落ちた一點の紅は其人である。紅と言へば、あゝ、かの八月の炎天の下、眞白きはぎに流れた一筋の血! まざまざとそれを思出す毎に、何故といふ譯もなく私は又、かの夏草の中に倒れた女乞食を思出すのである。と、直ぐ又私は、行方知れぬ母の上に怖しい想像を移す。咯血の後、昏睡の前、言ふべからざる疲勞の夜の夢を、幾度となく繰返しては、今私の思出に上る生の母の顏が、もう眞の面影ではなくて、かの夏草の中から怨めし氣に私を見た、何處から來て何處へ行つたとも知れぬ、女乞食の顏と同じに見える樣になつたのである。病める冷たき胸を抱いて人生の淋しさ、孤獨の悲しさに遣瀬もない夕べ、切に戀しきは、文字を學ぶ悦びを知らなかつた以前である。今迄に學び得た知識それは無論、極く零碎なものではあるけれ共、私は其爲に半生の心血を注ぎ盡した、其爲に此病をも得た。而して遂に、私は何事をも眞に知り得ざるものだといふ、漠然たる恐怖唯一つ。
 ああ、八歳の年の三月三十日の夕! 其以後、先づ藤野さんが死んだ。路傍の草に倒れた女乞食を見た。父も死んだ。母は行方知れずになつた。高島先生も死んだ。幾人の友も死んだ。軈ては私も死ぬ。人は皆散り/″\である。離れ/″\である。所詮は皆一樣に死ぬけれども、死んだとて同じ墓に眠れるでもない。大地の上の處々、僅かに六尺に足らぬ穴に葬られて、それで言語も通はねば、顏を見ぬ。上には青草が生える許り。
 男と女が不用意の歡樂に耽つてゐる時、其不用意の間から子が出來る。人は偶然に生れるのだと思ふと、人程痛ましいものはなく、人程悲しいものはない。其偶然が、或る永劫に亘る必然の一連鎖だと考へれば、猶痛ましく、猶悲しい。生れなければならぬものなら、生れても仕方がない。一番早く死ぬ人が、一番幸福な人ではなからうか※(疑問感嘆符、1-8-77)

 去年の夏、久し振りで故郷を省した時、栗の古樹の下の父が墓は、幾年の落葉に埋れてゐた。清光童女と記した藤野さんの小さい墓碑は、字が見えぬ程風雨に侵蝕されて、萱草の中に隱れてゐた。
 立派な新築の小學校が、昔草原であつた、村の背後の野川の岸に立つてゐた。
 變らぬものは水車の杵の數許り。
 十七の歳、お蒼前さうぜん樣の祭禮まつりに馬から落ちて、右の脚を折り左の眼を潰した豐吉は、村役場の小使になつてゐて、私が訪ねて行つた時は、第一期地租附加税の未納督促状を、額の汗を拭き/\謄寫版でつてゐた。





底本:「石川啄木作品集 第二巻」昭和出版社
   1970(昭和45)年11月20日発行
※底本の疑問点の確認にあたっては、「啄木全集 第三巻 小説」筑摩書房、1967(昭和42)年7月30日初版第1刷発行を参照しました。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2003年3月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • [#…]は、入力者による注を表す記号です。
  • 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。

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