そして、俄かに思ひ出したやうに、
『初めて乞食をして歩いてみると、却々辛いものですなア。』と言つた。
甲田は先刻から白い小倉のズボンに目を附けて、若しや窮迫した學生などではあるまいかと疑つて居た。何だか此男と話して見たいやうな氣持もあつた。が又、話さなくても可いやうにも思つて居た。すると男は、一刻も早く自分が普通の乞食でないのを明かにしようとするやうに、
『僕は××の中學の三年級です。今郷里へ歸るところなんです。金がないから乞食をして歸るつもりなんです。郷里は水戸です――水戸から七里許りあるところです。』
と言つた。
甲田は、此男は嘘を言つてるのではないと思うた。ただ、水戸のものが××の中學に入つてるのは隨分方角違ひだと思つた。それを聞くのも面倒臭いと思つた。そして斯う言つた。
『何故歸るんです?』
『父が死んだんです。』學生は眞面目な顏をした。『僕は今迄自活して苦學をして來たんですがねえ。』
甲田は、自分も父が死んだ爲めに、東京から歸つて來た事を思ひ出した。
『何時死んだんです?』
『一月許り前ださうです。僕は去年××へ來てから、郷里へ居所を知らせて置かなかつたんです。まさか今頃父が死なうとは思ひませんでしたからねえ。だもんだから、東京の方を方々聞合して、此間やう/\手紙を寄越したんです。僕が歸らなければ母も死ぬんです。これから歸つて、母を養はなければならないんです。學校はもう止めです。』
斯う言つて小さい方の左の目を一層小さくして、堅く口を結んだ。學業を中途に止めるのを如何にも殘念に思つてる樣子である。甲田は又此男は嘘を言つてるのではないなと思つた。
『東京にもゐたんですか?』と訊いて見た。
『ゐたんです。K――中學にゐたんです。ところがK――中學は去年閉校したんです。君は知りませんか? 新聞にも出た筈ですよ。』
『さうでしたかねえ。』
『さうですよ。そらア君、あん時の騷ぎつてなかつたねえ。』
『そんなに騷いだんですか?』
『騷ぎましたよ。僕等は學校が無くなつたんだもの。』
そして、色々其時の事を面白さうに話した。然し甲田は別に面白くも思はなかつた。たゞ、東京の學校の騷ぎをこんな處で聞くのが不思議に思はれた。學生は終ひに、K――中學で教頭をしてゐて、自分に目を掛けてくれた某といふ先生が、××中學の校長になつてゐたから、その人を手頼つて××に來た。K――で三年級だつたが、××中學ではその時三年に缺員が無くて二年に入れられた。××でも矢張り新聞配達をしてゐたと話した。
甲田は不圖思ひ出した事があつた。そして訊いてみた。『中學に、與田といふ先生がゐませんか?』
『與田? ゐます、ゐます。數學の教師でせう? 彼奴ア隨分點が辛いですな。君はどうして知つてるんです?』
『先に○○の中學にゐたんです。そして××へ追拂はれたんです。僕等がストライキを遣つて』
『あ、それぢや君も中學出ですか? 師範じゃないんですね。』
甲田は此時また、此學生の無遠慮な友達扱ひを不愉快に感じた。甲田は二年前に○○の中學を卒業して、高等學校に入る積りで東京に出たが、入學試験がも少しで始まるといふ時に、父が急病で死んで歸つて來た。それから色々母と爭つたり、ひとり悶えても見たが、どうしても東京に出ることを許されぬ。面白くないから、毎日馬に乘つて遊んでゐるうちに、自分の一生なんか何うでも可いやうに思つて來た。そのうちに村の學校に缺員が出來ると、縁つゞきの村長が母と一緒になつて勸めるので、當分のうちといふ條件で代用教員になつた。時々、自分は何か一足飛びな事を仕出かさねばならぬやうに焦々するが、何をして可いか目的がない。さういふ時は、世の中は不平で不平で耐らない。それが濟むと、何もかも莫迦臭くなる。去年の秋の末に、福富が轉任して來てからは、餘り煩悶もしないやうになつた。
學生は、甲田が中學出と聞いて、グッと心易くなつた樣子である。そして、
『君、濟まないがその煙草を一服喫ましてくれ給へ。僕は昨日から喫まないんだから。』と言つた。
學生は、甲田の渡した煙管を受取つて、うまさうに何服も喫んだ。甲田は默つてそれを見てゐて、もう此學生と話してるのが嫌になつた。斯うしてるうちに福富が歸つて了ふかも知れぬと思つた。すると學生は、
『僕も今日のうちに○○市まで行く積りなんだが、行けるだらうかねえ、君』と言つた。
『行けない事もないでせう。』と、甲田はそつけなく言つた。學生はその顏を見てゐた。『何里あります?』
『五里。』
『まだそんなにあるかなア。』と言つて、學生は嘆息した。そして又、急がしさうに煙草を喫んだ。甲田は默つてゐた。
稍あつて學生は決心したやうに首をあげて、『君、誠に濟まないが、いくらか僕に金を貸してくれませんか? 郷里へ着いたら、何とかして是非返します、僕は今一圓だけ持つてるんだけれど、これは郷里へ着くまで成るべく使はないようにして行かうと思ふんです。さうしないと不安心だからねえ。いくらでも可いんです。屹度返します、僕は君、今日迄三晩共社に泊つて來たんです。木賃宿に泊つてもいくらか費るからねえ。』と言つた。
甲田は、社に泊るといふことに好奇心を動かした。然しそれよりも、金さへ呉れゝば此奴が歸ると思ふと、うれしいやうな氣がした。そして職員室に行つてみると、福富はまだ歸らずにゐた。甲田は明日持つて來て返すから金を少し貸して呉れと言つた。女教師は、『少ししか持つてきませんよ。』と言ひ乍ら、橄欖色のレース糸で編んだ金入を帶の間から出して、卓の上に逆さまにした。一圓紙幣が二枚と五十錢銀貨一枚と、外は少し許り細かいのがあつた。福富は、
『呉れてやるんですか?』と問うた。
甲田はたゞ『えゝ』と言つた。そして、五十錢の銀貨をつまみ上げて、
『これだけ拜借します。あれは學生なんです。』
そして小使室に來ると、學生はまだ煙草を喫んでゐた。
屹度爲替で返すといふことを繰返して言つた、學生はその金を請けた。そして甲田の名を聞いた。甲田は、『返して貰はなくても可い。』と言つた。然し學生は諾かなかつた。風呂敷包みから手帳を出して、是非教へて呉れと言つた。萬一金を返すことが出來ないにしろ、自分の恩を受けた人の名も知らずにゐるのは、自分の性質として心苦しいと言つた。甲田は矢張り、『そんな事は何うでも可いぢやありませんか。』と言つた。學生は先刻から其處にゐて二人の顏を代る代る見てゐた子供に、この先生は何といふ先生だと訊いた。甲田は可笑しくなつた。又、面倒臭くも思つた。そして自分の名を教へた。
間もなく學生は、禮を言つて出て行つた。出る時、○○市までの道路を詳しく聞いた。今夜は是非○○市に泊ると言つた。時計は何時だらうと聞いた。三時二十二分であつた。出て行く後姿を福富も職員室の窓から見た。そして、後で甲田の話を聞いて、『氣の毒な人ですねえ。』と言つた。
ところが、翌朝甲田が出勤の途中、福富が後から急ぎ足で追ついて來て、
『先生、あの、昨日の乞食ですね、私は今朝逢ひましたよ。』と言つた。何か得意な話でもする調子であつた。甲田は、そんな筈はないというやうな顏をして、
『何處で?』と言つた。
福富の話はかうであつた。福富の泊つてゐる家の前に、この村で唯一軒の木賃宿がある。今朝早く、福富がいつものやうに散歩して歸つて來て、家の前に立つてゐると、昨日の男がその木賃宿から出て南の方――○○市の方――へ行つた。間もなく木賃宿の嚊が外に出て來たから、訊いて見ると、その男は昨日日が暮れてから來て泊つたのだといふ。
『人違ひですよ。屹度』と甲田は言つた。然し心では矢張りあの學生だらうと思つた。すると福富は、
『否、違ひません、決して違ひません。』と主張して、衣服の事まで詳しく言つた。そして斯う附け加へた。
『屹度、なんですよ。先生からお金を貰つたから歩くのが可厭になつて、日の暮れまで何處かで寢てゐて、日が暮れてから、密と歸つて來て此村へ泊つて行つたんですよ。』
さう聞くと、甲田は餘り好い氣持がしなかつた。學校へ行つてから、高等科へ來てゐる木賃宿の子供を呼んで、これ/\の男が昨夜泊つたかと訊いた。子供は泊つたと答へた。甲田は愈俺は誑されたと思つた。そして、其奴が何か學校の話でもしなかつたかと言つた。子供は、何故こんな事を聞かれるのかと心配相な顏をし乍ら、自分は早くから寢てゐたからよくは聞かないが、家の親爺と何か先生の事を話してゐたやうだつたと答へた。
『どんな事?』と甲田は言つた。
『どんな事つて、なんでもあの先生のやうな人をこんな田舍に置くのは惜しいもんだつて言ひました。』
甲田は苦笑ひをした。
その翌日である。丁度授業が濟んで職員室が顏揃ひになつたところへ、新聞と一緒に甲田へ宛てた一枚の葉書が着いた。甲田は、『○○市にて、高橋次郎吉』といふ差出人の名前を見て首を捻つた。裏には斯う書いてあつた。
My dear Sir, 閣下の厚情萬謝々々。身を乞食にやつして故郷に歸る小生の苦衷御察し被下度、御恩は永久に忘れ不申候。昨日御別れ致候後、途中腹痛にて困難を極め、午後十一時頃漸く當市に無事安着仕候。乍他事御安意被下度候。何れ故郷に安着の上にて letter を差し上げます、末筆乍ら I wish yuo a happy
六月二十八日午前六時○○市出發に臨みて。
甲田は噴出した。中學の三年級だと言つたが、これでは一年級位の學力しかないと思つた。此木田老訓導は、
『何うしました? 何か面白い事がありますか?』と言ひ乍ら、立つて來てその葉書を見て、
『やア、英語が書いてあるな。』と言つた。
甲田はそれを皆に見せた。そして旅の學生に金を呉れてやつた事を話した。○○市へ行くと言つて出て行つて、密り木賃宿へ泊つて行つた事も話した。終ひに斯う言つた。
『矢張氣が咎めたと見えますね。だから送中で腹が痛くて困難を極めたなんて、好い加減な嘘を言つて、何處までもあの日のうちに○○に着いたやうに見せかけたんですよ。』
『然し、これから二度と逢ふ人でもないのに、何うしてこの葉書なんか寄越したんでせう?』と田邊校長は言つた。そして、『何ういふ積りかな。』と首を傾げて考へる風をした。
葉書を持つてゐた福富は、この時『日附は昨日の午前六時にしてありますが、昨日の午前六時なら丁度此村から立つて行つた時間ぢやありませんか。そして消印は今朝の五時から七時迄としてありますよ。矢張今朝○○を立つ時書いたんでせうね。』と言つた。
すると此木田が突然大きい聲をして笑ひ出した。
『甲田さんも隨分好事な事をする人ですなア。乞食してゐて五十錢も貰つたら、俺だつて歩くのが可厭になりますよ。第一、今時は大抵の奴ア英語の少し位噛つてるから、中學生だか何だか知れたもんぢやないぢやありませんか。』
この言葉は、甚く甲田の心を害した。たとひ對手が何にしろ、旅をして困つてる者へ金を呉れるのが何が好事なものかと思つたが、たゞ苦笑ひをして見せた。甲田は此時もう、一昨日金を呉れた時の自分の心持を忘れてゐた。對手が困つてるから呉れたのだと許り信じてゐた。
『いや、中學生には中學生でせう。眞箇の乞食なら、嘘にしろ何にしろこんな葉書まで寄越す筈がありません。』と校長が口を出した。『英語を交ぜて書いたのは面白いぢやありませんか、初めのマイデヤサーだけは私にも解るが、終ひの文句は何といふ意味です? 甲田さん。』
『私は貴方に一つの幸福を欲する――。でせうか?』と福富は低い聲で直譯した。
此木田は立つて歸りの仕度をし乍ら、
『假に中學生にしたところで、態々人から借りて呉れてやつて誑されるより、此方なら先づ寢酒でも飮みますな。』
『それもさうですな。』と校長が應じた。『呉れるにしても五十錢は少し餘計でしたな。』
『それぢやお先に。』と、此木田は皆に會釋した。と見ると、甲田は先刻からのムシャクシャで、今何とか言つて此の此木田父爺を取絞めるてやらなければ、もうその機會がなくなるやうな氣がして、口を開きかけたが、さて、何と言つて可いか解らなくつて、徒らに目を輝かし、眉をぴり/\さして、そして直ぐに、何有、今言はなくても可いと思つた。
此木田は歸つて行つた。間もなく福富は先刻の葉書を持つて來て甲田の卓に置いて、『年老つた人は同情がありませんね。』と言つて笑つた。そして讃美歌を歌ひに、オルガンを置いてある一學年の教室へ行つた。今日は何か初めての曲を彈くのだと見えて、同じところを斷々に何度も繰返してるのが聞えた。
それを聞いてゐながら、甲田は、卓の上の葉書を見て、成程あの旅の學生に金を呉れたのは詰らなかつたと思つた。そして、呉れるにしても五十錢は奮發し過ぎたと思つた。
底本:「石川啄木作品集 第二巻」昭和出版社
1970(昭和45)年11月20日発行
※底本の疑問点の確認にあたっては、「啄木全集 第三巻 小説」筑摩書房、1967(昭和42)年7月30日初版第1刷発行を参照しました。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2003年3月20日作成
青空文庫ファイル:
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- [#…]は、入力者による注を表す記号です。
- 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
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