幅廣き美しい内丸(うちまる)の大逵(おほどほり)、師範學校側の巨鐘が、澄み切つた秋の大空の、無邊際な胸から搾り出す樣な大梵音をあげて午後の三時を報じた時、自分は恰度其鐘樓の下を西へ歩いて居た。立派な縣廳、陰氣な師範學校、石割櫻で名高い裁判所の前を過ぎて、四辻へ出る。と、雪白(せつぱく)の衣を着た一巨人が、地の底から拔け出た樣にヌッと立つて居る。―― これは此市(このまち)で一番人の目に立つ雄大な二階立の白堊館、我が懷かしき母校である。盛岡中學校である。巨人? 然(さう)だ、慥(たし)かに巨人だ。啻に盛岡六千戸の建築中の巨人である許りでなく、また我が記憶の世界にあつて、總ての意味に於て巨人たるものは、實にこの堂々たる、巍然たる、秋天一碧の下に兀(こつ)として聳え立つ雪白の大校舍である。昔、自分は此の巨人の腹中にあつて、或時は小ナポレオンであつた、或時は小ビスマークであつた、或時は小ギボンであつた、或時は小クロムウエルであつた、又或時は、小ルーソーとなり、小バイロンとなり、學校時代のシルレルとなつた事もある。嘗て十三歳の春から十八歳の春まで全(まる)五年間の自分の生命といふものは、實に此巨人の永遠なる一小部分であつたのだ。噫、然(さう)だ、然だつけ、と思ふと、此過去の幻の如き巨人が、怎(どう)やら搖ぎ出す樣に見えた。が、矢張動かなんだ、地から生え拔いた樣に微塵も動かなんだ、秋天一碧の下に雪白(せつぱく)の衣を著て突立つたまま。 印度衰亡史は云はずもの事、まだ一册の著述さへなく、茨城縣の片田舍で月給四十圓の歴史科中等教員たる不甲斐なきギボンは、此時、此歴史的一大巨人の前におのづから頭(かうべ)の低(た)るるを覺えた。 白色の大校舍の正面には、矢張白色の大門柱が、嚴めしく並び立つて居る。この門柱の兩の袖には、又矢張白色の、幾百本と數知れぬ木柵の頭(かしら)が並んで居る。白! 白! 白! 此白は乃ち、此白い門に入りつ出つする幾多のうら若き學園の逍遙者の、世の塵に染まぬ潔白な心の色でがなあらう。柵の前には一列をなして老いた櫻の樹が立つて居る。美しく紅葉した其葉は、今傾きかけた午後三時の秋の日に照されて、いと物靜かに燃えて見える。五片六片、箒目見ゆる根方の土に散つて居るのもある。柵と櫻樹の間には一條の淺い溝があつて、掬(すく)はば凝つて掌上(てのひら)に晶(たま)ともなるべき程澄みに澄んだ秋の水が、白い柵と紅い櫻の葉の影とを浮べて流れて居る。柵の頭(かしら)の尖端々々(とがり/\)には、殆んど一本毎に眞赤な蜻蛉(とんぼ)が止つて居る。 自分は、えも云はれぬ懷かしさと尊さに胸を一杯にし乍ら此の白門に向つて歩を進めた。溝に架(わた)した花崗岩(みかげいし)の橋の上に、髮ふり亂して垢光りする襤褸を著た女乞食が、二歳許りの石塊(いしくれ)の樣な兒に乳房を啣(ふく)ませて坐つて居た。其周匝(めぐり)には五六人の男の兒が立つて居て、何か祕々(ひそ/\)と囁き合つて居る。白玉殿前、此一點の醜惡! 此醜惡をも、然し、自分は敢て醜惡と感じなかつた。何故なれば、自分は決して此土地の盛岡であるといふことを忘れなかつたからである。市の中央の大逵(おほどほり)で、然も白晝、穢ない/\女乞食が土下座して、垢だらけの胸を披(はだ)けて人の見る前に乳房を投げ出して居る! この光景は、大都乃至は凡ての他の大都會に決して無い事、否、有るべからざる事であるが、然し此盛岡には常にある事、否、之あるがために却つて盛岡の盛岡たる所以を發揮して見せる必要な條件であるのだ。されば自分は、之を見て敢て醜惡を感ぜなんだのみならず、却つて或る一種の興味を覺えた。そして靜かに門内に足を入れた。 校内の案内は能(よ)く知つて居る。門から直ぐ左に折れた、ヅカ/\と小使室の入口に進んだ。『鹿川先生は、モウお退出(ひけ)になりましたか?』 鹿川先生といふは、抑々の創始(はじめ)から此學校と運命を偕(とも)にした、既に七十近い、徳望縣下に鳴る老儒者である。されば、今迄此處の講堂に出入した幾千と數の知れぬうら若い求學者の心よりする畏敬の情が、自ら此老先生の一身に聚(あつま)つて、其痩せて千年の鶴の如き老躯は、宛然(さながら)これ生きた教員の儀表となつて居る。自白すると自分の如きも昔二十幾人の教師に教を享けたるに不拘(かゝはらず)、今猶しみ/″\と思出して有難さに涙をこぼすのは、唯此鹿川先生一人であるのだ。今日の訪問の意味は、云はずと解つて居る。 自分の問に對して、三秒か五秒の間答がなかつたが、霎時(しばらく)して、『イヤ、立花さんでアごあせんか? こりや怎(ど)うもお久振でごあんした喃(なあ)。』と、聞き覺えのある、錆びた/\聲が應じた。ああ然(さう)だ、この聲の主を忘れてはならぬ。鹿川先生と同じく、此校創立以來既に三十年近く勤續して居る正直者、歩振(あるきぶり)の可笑(をか)しなところから附けられた『家鴨(あひる)』といふ綽名(あだな)をも矢張三十年近く呼ばれて居る阿部老小使である。『今日はハア土曜日でごあんすから、先生は皆(みんな)お歸りになりあしたでア。』 土曜日? おゝ然(さう)であつた。學校教員は誰しも土曜日の來るを指折り數へて待たぬものがない。自分も其教員の一人であり、且つ又、この一週七曜の制は、黄道十二支と共に、五千年の昔、偉大なるアッケデヤ人の創めたもので、其後希臘人は此制をアレキサンデリヤから輸入し、羅馬人は西暦紀元の頃に八日一週の舊制を捨てて此制を採用し、ひいては今日の世界に到つたものである、といふ事をさへ、克(よ)く研究して居る癖に、怎(ど)うして今日は土曜日だといふ事を忘却して居たものであらう、誠に頓馬な話である。或は自分は、滯留三日にして早く既に盛岡人の呑氣な氣性の感化を蒙つたのかも知れない。 此小使室の土間に、煉瓦で築き上げた大きな竈(かまど)があつて、其上に頗る大きな湯釜が、昔の儘に湯を沸(たぎ)らして居る。自分は此學校の一年生の冬、百二十人の級友に唯二つあてがはれた煖爐(ストーブ)には、力の弱いところから近づく事も出來ないで、よくこの竈(かまど)の前へ來て晝食のパンを噛つた事を思出した。そして、此處を立去つた。 門を出て、昔十分休毎によく藻外と花郷と三人で樂しく語り合つた事のある、玄關の上の大露臺(だいバルコニイ)を振仰いだ。と、恰度此時、女乞食の周匝(めぐり)に立つて居た兒供の一人が、頓狂な聲を張上げて叫んだ。『あれ/\、がんこア來た、がんこア來た。』がんことは盛岡地方で『葬列』といふ事である。此聲の如何に高かつたかは、自分が悠々たる追憶の怡樂(いつらく)の中から、俄かに振返つて、其兒供の指す方を見たのでも解る。これは恰度、門口へ來た配達夫に、『△△さん、電報です。』と穩かに云はれるよりも、『電報ツ。』と取つて投げる樣なけたたましい聲で叫ばれる方が、一層其電文が心配なと同じ事で、自分は實際、甚(どんな)珍しい葬列かと、少からず慌てたのであつた。 此頓狂なる警告は、嘘ではなかつた。幅廣く、塵も留めず美くしい、温かな秋の日に照された大逵(おほどほり)を、自分が先刻來たと反對な方角から、今一群の葬列が徐々として聲なく練つて來る。然も此葬列は實に珍らしいものであつた。唯珍らしい許りではない、珍らしい程見すぼらしいものであつた。先頭に立つたのは、處々裂けた一對の高張、次は一對の蓮華の造花(つくりばな)、其次は直ぐ棺である。此棺は白木綿で包まれた上を、無造作に荒繩で縛されて、上部に棒を通して二人の男が擔いだのであつた。この後には一群の送葬者が隨つて居る。數へて見ると、一群の數は、驚く勿れ、なつた六人であつた。驚く勿れとはいつたものの、自分は此時少なからず驚いたのである。更に又驚いたのは、此六人が、揃ひも揃つて何れも、少しも悲し氣な處がなく、靜肅な點もなく、恰も此見すぼらしい葬式に會する事を恥づるが如く、苦い顏をして遽々然(きよろきよろ)と歩いて來る事である。自分は、宛然(さながら)大聖人の心の如く透徹な無邊際の碧穹窿(あをてんじやう)の直下、廣く靜な大逵(おほどほり)を、この哀れ果敢(はか)なき葬列の聲無く練り來るを見て、或る名状し難き衝動を心の底の底に感じた。そして、此光景は蓋し、天が自分に示して呉れる最も冷酷なる滑稽の一であらうなどと考へた。と又、それも一瞬、これも一瞬、自分は、『これは囚人の葬列だ。』と感じた。 理由(いはれ)なくして囚人の葬式だナと、不吉極まる觀察を下すなどは、此際隨分突飛な話である。が、自分には其理由(いはれ)がある。――たしか十一歳の時であつた。早く妻子に死別れて獨身(ひとり)生活(ぐらし)をして居た自分の伯父の一人が、窮迫の餘り人と共に何か法網に觸るる事を仕出來したとかで、狐森一番戸(きつねもりいちばんこ)に轉宅した。(註、狐森一番戸は乃ち盛岡監獄署なり。)此時年齡が既に六十餘の老體であつたので、半年許り經(た)つて遂々獄裡で病死した。此『悲慘』の結晶した遺骸を引取つたのは、今加賀野新小路に居る伯父である。葬式の日、矢張今日のそれと同じく唯六人であつた會葬者の、三人は乃ち新山堂の伯母さんとお苑さんと自分とであつた。自分は其時稚心(をさなごゝろ)にも猶この葬式が普通でない事、見すぼらしい事を知つて、行く路々ひそかに肩身の狹くなるを感じたのであつた。されば今、かの六人の遽々然たる歩振を見て、よく其心をも忖度する事が出來たのである。 これも亦一瞬。 列の先頭と併行して、櫻の(なみき)の下を來る一團の少年があつた。彼等は逸早くも、自分と共に立つて居る『警告者』の一團を見付けて、駈け出して來た。兩團の間に交換された會話は次の如くである。『何處のがんこだ?』『狂人(ばか)のよ、繁(しげる)のよ。』『アノ高沼(たかぬま)の繁狂人(しげるばか)のが?』『ウム然(さう)よ、高沼の狂人(ばか)のよ。』『ホー。』『今朝(けさ)の新聞にも書かさつて居だずでや、繁(しげ)ア死んで好(え)えごどしたつて。』『ホー。』 高沼繁(たかぬましげる)? 狂人繁(ばかしげる)! 自分は直ぐ此名が決して初對面の名でないと覺つた。何でも、自分の記憶の底に沈んで居る石塊(いしころ)の一つの名も、たしか『高沼繁』で、そして此名が、たしか或る狂人の名であつた樣だ。――自分が恁う感じた百分の一秒時、忽ち又一事件の起るあつて少からず自分を驚かせた。 今迄自分の立つて居る石橋に土下座して、懷中(ふところ)の赤兒に乳を飮ませて居た筈の女乞食が、此時卒(には)かに立ち上つた。立ち上るや否や、茨(おどろ)の髮をふり亂して、帶もしどけなく、片手に懷中の兒を抱き、片手を高くさし上げ、裸足(はだし)になつて驅け出した。驅け出したと見るや否や、疾風の勢を以て、かの聲無く靜かに練つて來る葬列に近づいた。近づいたなと思ふと、骨の髓までキリ/\と沁む樣な、或る聽取り難き言葉、否、叫聲が、嚇(くわつ)と許り自分の鼓膜を突いた。呀(あ)ツと思はず聲を出した時、かの聲無き葬列は礑(はた)と進行を止めて居た、そして棺を擔いだ二人の前の方の男は左の足を中有(ちう)に浮して居た。其爪端(つまさき)の處に、彼の穢い女乞食が(どう)と許り倒れて居た。自分と並んで居る一團の少年は、口々に、聲を限りに、『あやア、お夏だ、お夏だッ、狂女(ばかをなご)だッ。』と叫んだ。『お夏』と呼ばれた彼の女乞食が、或る聽取り難い言葉で一聲叫んで、棺に取縋つたのだ。そして、彼の擔いで居る男に蹴倒されたのだ。この非常なる活劇は、無論眞の一轉瞬の間に演ぜられた。 噫、噫、この『お夏』といふ名も亦、決して初對面の名ではなかつた。矢張自分の記憶の底に沈んで居る石塊の一つの名であつた。そして此名も、たしか或る狂女の名であつた樣だ。 以上二つの舊知の名が、端(はし)なく我頭腦(あたま)の中でカチリと相觸れた時、其一刹那、或る莊嚴な、金色燦然たる一光景が、電光の如く湧いて自分の兩眼に立ち塞がつた。 自分は今、茲に霎時(しばらく)、五年前の昔に立返らねばならぬ。時は神無月末の或る朝まだき、處は矢張此の新山祠畔の伯母が家。 史學研究の大望を起して、上京を思立つた自分は、父母の家を辭した日の夕方、この伯母が家に著いて、晩(く)れ行く秋の三日四日、あかぬ別れを第二の故郷と偕(とも)に惜まれたのであつた。 一夜(ひとよ)、伯母やお苑(その)さんと隨分夜更くるまで語り合つて、枕に就いたのは、遠近(をちこち)に一番鷄の聲を聞く頃であつたが、翌くる朝は怎(ど)うしたものか、例になく早く目が覺めた。枕頭(まくらもと)の障子には、わづかに水を撒(ま)いた許りの薄光(うすひかり)が聲もなく動いて居る。前夜お苑さんが、物語に氣を取られて雨戸を閉めるのを忘れたのだ。まだ/\、早いな、と思つたが、大望を抱いてる身の、宛然(さながら)初陣の曉と云つたやうな心地は、目がさめてから猶温かい臥床(ふしど)を離れぬのを、何か安逸を貪る所業の樣に感じさせた。自分は、人の眠を妨げぬやうに靜かに起きて、柱に懸けてあつた手拭を取つて、サテ音させぬ樣に障子を明けた。秋の朝風の冷たさが、颯(さつ)と心地よく全身に沁み渡る。庭へ下りた。 井戸ある屋後へると、此處は半反歩許りの野菜畑で、霜枯れて地に伏した里芋の廣葉や、紫の色褪せて莖許りの茄子の、痩せた骸骨(むくろ)を並べてゐる畝や、拔き殘された大根の剛(こは)ばつた葉の上に、東雲(しののめ)の光が白々と宿つて居た。否(いな)これは、東雲の光だけではない、置き餘る露の珠(たま)が東雲の光と冷かな接吻(くちづけ)をして居たのだ。此野菜畑の突當りが、一重(ひとへ)の木槿垣(むくげがき)によつて、新山堂の正一位樣と背中合せになつて居る。滿天滿地、闃(げき)として脈搏つ程の響もない。 顏を洗ふべく、靜かに井戸に近(ちかづ)いた自分は、敢て喧ましき吊車の音に、この曉方の神々しい靜寂(しづけさ)を破る必要がなかつた。大きい花崗岩(みかげいし)の臺に載つた洗面盥には、見よ/\、溢れる許り盈々(なみ/\)と、毛程の皺さへ立てぬ秋の水が、玲瓏として銀水の如く盛つてあるではないか。加之(のみならず)、此一面の明鏡は又、黄金の色のいと鮮かな一片(ひら)の小扇さへ載せて居る。――すべて木の葉の中で、天(あま)が下の王妃の君とも稱(たた)ふべき公孫樹(いてふ)の葉、――新山堂の境内の天聳(あまそゝ)る母樹(はゝぎ)の枝から、星の降る夜の夜心に、ひらり/\と舞ひ離れて來たものであらう。 自分は唯恍として之に見入つた。この心地は、かの我を忘れて、魂(たましひ)無何有(むかう)の境に逍遙(さまよ)ふといふ心地ではない。謂はゞ、東雲の光が骨の中まで沁み込んで、身も心も水の如く透き徹る樣な心地だ。 較々(やゝ)霎時(しばし)して、自分は徐ろに其一片の公孫樹の葉を、水の上から摘み上げた。そして、一滴(ひとつ)二滴(ふたつ)の銀(しろがね)の雫を口の中に滴らした。そして、いと丁寧に塵なき井桁の端(はし)に載せた。 顏を洗つてから、可成(なるべく)音のせぬ樣に水を汲み上げて、盥の水を以前(もと)の如く清く盈々(なみ/\)として置いて、さて彼の一片の小扇をとつて以前(もと)の如くそれに浮べた。 恁(かく)して自分は、云ふに云はれぬ或る清淨な滿足を、心一杯に感じたのであつた。 起き出でた時よりは餘程明るくなつたが、まだ/\日の出るには程がある。家の中でも隣家(となり)でも、誰一人起きたものがない。自分は靜かに深呼吸をし乍ら、野菜畑の中を彼方此方(あちこち)と歩いて居た。 だん/\進んで行くと、突當りの木槿垣(むくげがき)の下に、山の端(は)はなれた許りの大滿月位な、シッポリと露を帶びた雪白の玉菜(キャベーヂ)が、六個(むつ)七個(なゝつ)並んで居た。自分は、霜枯れ果てた此畑中に、ひとり實割れるばかり豐(ふくよ)かな趣きを見せて居る此『野菜の王』を、少なからず心に嬉しんだ。 不圖、何か知ら人の近寄る樣なけはひがした。菜園滿地の露のひそめき乎? 否否、露に聲のある筈がない。と思つて眼を轉じた時、自分はひやりと許り心を愕(おどろ)かした。そして、呼吸(いき)をひそめた。 前にも云つた如く、今自分の前なる古い木槿垣は、稻荷社の境内と此野菜畑との境である。そして此垣の外僅か數尺にして、朽ちて見える社殿の最後の柱が立つて居る。人も知る如く、稻荷社の背面には、高い床下に特別な小龕(せうがん)を造られてある。これは、夜な/\正一位樣の御使なる白狐が來て寢る處とかいふ事で、かの鰯の頭も信心柄の殊勝な連中が、時に豆腐の油揚や干鯡(ほしにしん)、乃至は強飯(こはめし)の類の心籠めた供物を入れ置くところである。今自分は、落葉した木槿垣を透して、此白狐の寢殿を内部まで窺ひ見るべき地位に立つて居たのだ。 然し、自分のひやりと許り愕いたのは、敢て此處から、牛の樣な白狐が飛び出したといふ譯ではなかつた。 此古い社殿の側縁(そばえん)の下を、一人の異裝した男が、破草履(やれざうり)の音も立てずに、此方(こなた)へ近づいて來る。背のヒョロ高い、三十前後の、薄髯の生えた、痩せこけた頬に些(さ)の血色もない、塵埃(ごみ)だらけの短い袷を著て、穢(よご)れた白足袋を穿いて、色褪せた花染メリンスの女帶を締めて、赤い木綿の截片(きれ)を頸に捲いて……、俯向いて足の爪尖(つまさき)を瞠め乍ら、薄笑ひをして近づいて來る。 自分は一目見た丈けで、此異裝の男が、盛岡で誰知らぬものなき無邪氣な狂人、高沼繁であると解つた。彼が日々喪狗の如く市中を彷徨(うろつ)いて居る、時として人の家の軒下に一日を立ち暮らし、時として何か索(もと)むるものの如く同じ路を幾度も/\往來して居る男である事は、自分のよく知つて居る處で、又、嘗て彼が不來方城頭(こずかたじやうとう)に跪いて何か呟やき乍ら天の一方を拜んで居た事や、或る夏の日の眞晝時、恰度課業が濟んでゾロ/\と生徒の群り出づる時、中學校の門前に衞兵の如く立つて居て、出て來る人ひとり/\に慇懃な敬禮を施した事や、或る時、美人の名の高かつた、時の縣知事の令夫人が、招魂社の祭禮の日に、二人の令孃と共に參拜に行かれた處が、社前の大廣場、人の群つて居る前で、此男がフイと人蔭から飛び出して行つて、大きい淺黄色の破風呂敷を物をも云はず其盛裝した令夫人に冠せた事などは、皆自分の嘗て親しく目撃したところであつた。彼には父もあり母もある、また家もある。にも不拘、常に此新山堂下の白狐龕(びやくこがん)を無賃の宿として居るといふ事も亦、自分の聞き知つて居る處である。 異裝の男の何人であるかを見定めてからは、自分は平生の通りの心地になつた。そして可成(なるべ)く彼に曉(さと)られざる樣に息を殺して、好奇心を以て仔細に彼の擧動に注目した。 薄笑(うすわらひ)をして俯向き乍ら歩いて來る彼は、軈て覺束なき歩調(あしどり)を進めて、白狐龕の前まで來た。そして礑(はた)と足を止めた。同時に『ウッ』と聲を洩して、ヒョロ高い身體(からだ)を中腰にした。ヂリ/\と少許(すこし)づつ少許づつ退歩(あとしざり)をする。――此名状し難き道化た擧動は、自分の危く失笑せむとするところであつた。 殆んど高潮に達した好奇心を以て、自分は彼の睨んで居る龕の内部を覗いた。 今迄毫も氣が附かなんだ、此處にも亦一個の人間が居る。――男ではない。女だ。赤縞の、然し今はただ一色(ひといろ)に穢(よご)れはてた、肩揚のある綿入を着て、グル/\卷にした髮には、よく七歳(なゝつ)八歳(やつつ)の女の子の用ゐる赤い塗櫛をチョイとして、二十(はたち)の上を一つ二つ、頸筋は垢で眞黒だが顏は圓くて色が白い……。 これと毫厘(がうりん)寸法(すんぱふ)の違はぬ女が、昨日の午過、伯母の家の門に來て、『お頼(だん)のまうす、お頼(だん)のまうす。』と呼んだのであつた。伯母は臺所に何か働いて居つたので、自分が『何處の女客ぞ』と怪しみ乍ら取次に出ると、『腹が減つて腹が減つて一足(ひとあし)も歩(ある)かれなエハンテ、何卒(どうか)何(なに)か……』と、いきなり手を延べた。此處へ伯母が出て來て、幾片かの鳥目を惠んでやつたが、後で自分に恁(かう)話した。――アレはお夏といふ女である。雫石(しづくいし)の旅宿なる兼平屋(伯母の家の親類)で、十一二の時から下婢をして居たもの。此頃其旅宿の主人が來ての話によれば、稚い時は左程でもなかつたが、年を重ぬるに從つて段々愚かさが増して來た。此年の春早く連合に死別れたとかで獨身者(ひとりもの)の法界屋が、其旅宿に泊つた事がある。お夏の擧動は其夜甚だ怪しかつた。翌朝法界屋が立つて行つた後、お夏は門口に出て、其男の行つた秋田の方を眺め/\、幾(いく)等叱つても嚇(おど)しても二時間許り家に入(はい)らなかつた。翌朝主人の起きた時、お夏の姿は何處を探しても見えなかつた。一月許り前になつて偶然(ひよつくり)歸つて來た。が其時はもう本當の愚女(ばか)になつて居て、主人であつた人に逢ふても、昔の禮さへ云はなんだ。半年有餘の間、何をして來たかは無論誰も知る人は無いが、歸つた當座は二十何圓とかの金を持つて居つたさうナ。多分乞食をして來たのであらう。此盛岡に來たのは、何日(いつ)からだか解らぬが、此頃は毎日彼樣(あゝ)して人の門に立つ。そして、云ふことが何時でも『お頼(だん)のまうす、腹が減つて、』だ。モウ確然(すつかり)普通の女でなくなつた證據には、アレ浩さんも見たでせう、乞食をして居乍ら、何時でもアノ通り紅(べに)をつけて新らしい下駄を穿いて居ますよ。夜は甚(どんな)處に寢るんですかネー。―― 此お夏は今、狹い白狐龕(びやくこがん)の中にペタリと坐つて、ポカンとした顏を入口に向けて居たのだ。餘程早くから目を覺まして居たのであらう。 中腰になつてお夏を睨めた繁(しげる)は、何と思つたか、犬に襲はれた猫のする樣に、脣を尖らして一聲『フウー』と哮(いが)んだ。多分平生自分の家として居る場所を、他人に占領された憤怒を洩したのであらう。 お夏は又何と思つたか、卒(には)かに身を動かして、射(なゝめ)に背(せ)を繁(しげる)に向けた。そして何やら探す樣であつたが、取り出したのは一個の小さい皿――紅皿である、呀(オヤ)と思つて見て居ると、唾(つば)に濡した小指で其紅を融かし始めて二度三度薄からぬ脣へ塗りつけた。そして、チョイと恥かしげに繁の方に振向いて見た。 繁はビク/\と其身を動かした。 お夏は再び口紅(くちべに)をつけた。そして再び振向いて恥かしげに繁を見た。 繁はグッと喉を鳴らした。 繁の氣色の稍々(やゝ)動いたのを見たのであらう。お夏は慌しく三度口紅をつけた。そして三度振向いた、が、此度は恥し氣にではない。身體さへ少許(すこし)捩向(ねぢむ)けて、そして、そして、繁を仰ぎ乍らニタ/\と笑つた。紅をつけ過した爲に、日に燃ゆる牡丹の樣な口が、顏一杯に擴がるかと許り大きく見える。 自分は此時、全く現實と云ふ觀念を忘れて了つて居た。宛然(さながら)、ヒマラヤ山あたりの深い深い萬仭の谷の底で、巖(いはほ)と共に年を老(と)つた猿共が、千年に一度演(や)る芝居でも行つて見て居る樣な心地。 お夏が顏の崩れる許りニタ/\/\と笑つた時、繁は三度聲を出して『ウッ』と唸つた。と見るや否や、矢庭に飛びついてお夏の手を握つた。引張り出した。此時の繁の顏! 笑ふ樣でもない、泣くのでもない。自分は辭(ことば)を知らぬ。 お夏は猶ニタ/\と笑い乍ら、繁の手を曳くに任せて居る。二人は側縁(そばえん)の下まで行つて見えなくなつた。社前の廣庭へ出たのである。――自分も位置を變へた。廣庭の見渡される場所(ところ)へ。 坦(たん)たる廣庭の中央には、雲を凌いで立つ一株の大公孫樹があつて、今、一年中唯一度の盛裝を凝(こら)して居た。葉といふ葉は皆黄金の色、曉の光の中で微動(こゆらぎ)もなく、碧々(あを/\)として薄(うつす)り光澤(つや)を流した大天蓋(おほぞら)に鮮かな輪廓をとつて居て、仰げば宛然(さながら)金色の雲を被て立つ巨人の姿である。 二人が此公孫樹の下まで行つた時、繁は何か口疾(くちばや)に囁いた。お夏は頷(うなづ)いた樣である。 忽ち極めて頓狂な調子外れな聲が繁の口から出た。『ヨシキタ、ホラ/\』『ソレヤマタ、ドッコイショ。』とお夏が和した。二人は、手に手を放つて踊り出した。 踊といつても、元より狂人の亂雜である。足をさらはれてお夏の倒れることもある。(どう)と衝(つ)き當つて二人共々重なり合ふ事もある。繁が大公孫樹の幹に打衝(ぶつつか)つて度を失ふ事もある。そして、恁(か)ういふ事のある毎に、二人は腹の底から出る樣な聲で笑つて/\、笑つて了へば、『ヨシキタホラ/\』とか、『ソレヤマタドッコイショ』とか、『キタコラサッサ』とか調子をとつて再び眞面目に踊り出すのである。 玲々(さや/\)と聲あつて、神の笑(ゑま)ひの如く、天上を流れた。――朝風の動き初めたのである。と、巨人は其被(き)て居る金色の雲を斷(ちぎ)り斷つて、昔ツオイスの神が身を化(け)した樣な、黄金の雨を二人の上に降らせ始めた。嗚呼、嗚呼、幾千萬片の數の知れぬ金地の舞の小扇が、縺(もつ)れつ解(と)けつヒラ/\と、二人の身をも埋むる許り。或ものは又、見えざる絲に吊らるる如く、枝に返らず地に落ちず、光(つや)ある風に身を揉ませて居る。空に葉の舞、地の人の舞! 之を見るもの、上なるを高しとせざるべく、下なるを卑(ひく)しとせざるべし。黄金の葉は天上の舞を舞ふて地に落つるのだ。狂人繁と狂女お夏とは神の御庭(みには)に地上の舞を舞ふて居るのだ。 突如、梵天の大光明が、七彩嚇灼の耀を以て、世界開發の曙の如く、人天三界を照破した。先づ雲に隱れた巨人の頭(かしら)を染め、ついで、其金色の衣を目も眩(くらめ)く許に彩り、軈て、普(あま)ねく地上の物又物を照し出した。朝日が山の端を離れたのである。 見よ、見よ、踊りに踊り、舞ひに舞ふお夏と繁が顏のかゞやきを。痩せこけて血色のない繁は何處へ行つた? 頸筋黒くポカンとしたお夏は何處へ行つた? 今此處に居るのはこれ、天(そら)の日の如くかがやかな顏をした、神の御庭の朝の舞に、遙か下界から選び上げられた二人(ふたり)の舞人(まひびと)である。金色の葉がしきりなく降つて居る。金色の日光が鮮やかに照して居る。其葉其日光のかゞやきが二人の顏を恁染めて見せるのか? 否、然(さう)ではあるまい。恐らくは然(さう)ではあるまい。 若し然(さう)とすると、それは一種の虚僞である。此莊嚴な、金色燦然たる境地に、何で一點たりとも虚僞の陰影の潜むことが出來よう。自分は、然(さう)でないと信ずる。 全く心の働きの一切を失つて、唯、恍として、茫として、蕩として、目前の光景に我を忘れて居た自分が、此時僅かに胸の底の底で、あるかなきかの聲で囁やくを得たのは、唯次の一語であつた。――曰く、『狂者は天の寵兒だと、プラトーンが謂つた。』と。 お夏が聲を張り上げて歌つた。『惚れたーアー惚れたーのーオ、若松樣アよーオー、ハア惚れたよーッ。』『ハア惚れた惚れた惚れたよやさー。』と繁が次いだ。二人の天の寵兒が測(はか)り難き全智の天に謝する衷心の祈祷は、實に此の外に無いのであらう。 電光の如く湧いて自分の兩眼に立ち塞がつた光景は、宛然(さながら)幾千萬片の黄金の葉が、さといふ音もなく一時に散り果てたかの樣に、一瞬にして消えた。が此一瞬は、自分にとつて極めて大切なる一瞬であつた。自分は此一瞬に、目前に起つて居る出來事の一切(すべて)を、よく/\解釋することが出來た。 疾風の如く棺に取り縋つたお夏が、蹴られてと倒れた時、懷(ふところ)の赤兒が『ギャッ』と許り烈しい悲鳴を上げた。そして其悲鳴が唯一聲であつた。自分は飛び上る程吃驚(びつくり)した。あゝ、あの赤兒は、つぶされて死んだのではあるまいか。……
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我等の一団と彼(われらのいちだんとかれ)弓町より(ゆみまちより)二筋の血(ふたすじのち)天鵞絨(びろうど)漂泊(ひょうはく)病院の窓(びょういんのまど)初めて見たる小樽(はじめてみたるおたる)葉書(はがき)