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札幌(さっぽろ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-21 16:05:54  点击:  切换到繁體中文

底本: 石川啄木作品集 第三巻
出版社: 昭和出版社
初版発行日:
入力に使用: 1970(昭和45)年11月20日発行
校正に使用: 1960(昭和35)年3月10日発行

 

半生を放浪の間に送つて來た私には、折にふれてしみじみ思出される土地ところの多い中に、札幌の二週間ほど、慌しい樣な懷しい記憶を私の心に殘した土地は無い。あの大きい田舍町めいた、道幅の廣い物靜かな、木立の多い洋風まがひの家屋の離れ/″\に列んだ――そして※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)どんな大きい建物も見涯のつかぬ大空に壓しつけられてゐる樣な石狩平原の中央ただなかの都の光景ありさまは、やゝもすると私の目に浮んで來て、優しい伯母かなんぞの樣に心を牽引ひきつける。一年なり、二年なり、何時かは行つて住んで見たい樣に思ふ。
 私が初めて札幌に行つたのは明治四十年の秋風の立初めた頃である。――それまで私は凾館に足を留めてゐたのだが、人も知つてゐるその年八月二十五日の晩の大火に會つて、幸ひ類燒は免れたが、出てゐた新聞社が丸燒になつて、急には立ちさうにもない。何しろ、北海道へ渡つて漸々四ヶ月、内地(と彼地ではいふ)から家族を呼寄せてうちを持つた許りの事で、土地に深い親みは無し、私も困つて了つた。其處へ道廳に勤めてゐる友人の立見君が公用旁々見舞に來て呉れたので、早速履歴書を書いて頼んで遣り、二三度手紙や電報の往復があつて、私は札幌の××新聞に行く事にきまつた。條件は餘り宜くなかつたが、此際だから腰掛の積りで入つたがよからうと友人からも言つて來た。
 私は少し許りの疊建具をひとに讓る事にして旅費を調とゝのへた。その時は、凾館をつ汽車汽船が便毎に「燒出され」の人々を滿載してゐた頃で、其等の者が續々入込んだ爲に、札幌にも小樽にも既う一軒の貸家も無いといふ噂もあり、且は又、先方へ行つて直ぐ家を持つだけの餘裕も無しするから、家族は私の後から一先づ小樽にゐた姉の許へ引上げる事にした。
 九月十何日かであつた。降り續いた火事後の雨があがると、傳染病發生の噂と共に底冷そこびえのする秋風が立つて、家を失ひ、職を失つた何萬の人は、言ひ難き物の哀れを一樣に味つてゐた。市街の大半を占めてゐる燒跡には、假屋建ての鑿の音が急がしく響き合つて、まだ何處となく物のくすぶ臭氣にほひの殘つてゐる空氣に新らしい木の香が流れてゐた。數少ない友人に送られて、私は一人夜汽車に乘つた。
 翌曉あくるあさ小樽に着く迄は、腰下す席もない混雜で、私は一晩ひとばん車室の隅に立ち明した。小樽で下車して、姉の家で朝飯をしたゝめ、三時間許りも假寢うたゝねをしてからまた車中の人となつた。車輪を洗ふ許りにひた々と波の寄せてゐる神威古潭かむゐこたんの海岸を過ぎると、錢凾驛に着く。汽車はそれから眞直まつしぐらに石狩の平原に進んだ。
 未見みちの境を旅するといふ感じは、犇々ひし/\と私の胸に迫つて來た。空は低く曇つてゐた。目をさへぎる物もない曠野の處々には人家の屋根が見える。名も知らぬ灌木くわんぼくの叢生した箇處ところがある。沼地がある――其處には蘆荻の風に騷ぐさまが見られた。不圖、二町とは離れぬ小溝の縁の畔路を、赤毛の犬を伴れた男が行く。犬が不意に驅け出した。男は膝まづいた。その前に白い煙がパッと立つた――獵犬だ。蘆荻の中から鴫らしい鳥が二羽、横さまに飛んで行くのが見えた。其向ふには、灌木くわんぼくの林の前に茫然と立つて汽車を眺めてゐる農夫があつた。
 恁くして北海道の奧深く入つて行くのだ。恁くして、或者は自然と、或者は人間同志で、内地の人の知らぬ劇しい戰ひを戰つてゐる北海道の生活の、だん/\底へと入つて行くのだ――といふ感じが、その時私の心に湧いた。――その時はまだ私の心も單純であつた。既にその劇しい戰ひの中へ割込み、底から底と潜り拔けて、遂々敗けて歸つて來た私の今の心に較べると、實際その時の私は單純であつた。――
 小雨が音なく降り出した來た。氣が付くと、同車の人々は手廻りの物などを片付けてゐる。小娘に帶を締直して遣つてゐる母親もあつた。既う札幌に着くのかと思つて、時計を見ると一時を五分過ぎてゐた。窓から顏を出すと、行手に方つて蓊乎こんもりとして木立が見え、大きい白いペンキ塗の建物も見えた。間もなく其建物の前を過ぎて、汽車は札幌驛に着いた。
 乘客の大半は此處で降りた。私も小形の鞄一つを下げて乘降庭プラツトホームに立つと、二歳になる女の兒を抱いた、背の高い立見君の姿が直ぐ目についた。も一人の友人も迎へに來て呉れた。
『君の家は近いね?』
『近い? どうして知つてるね?』
『子供を抱いて來てるぢやないか。』
 改札口から廣場に出ると、私は一寸停つて見たい樣に思つた。道幅の莫迦に廣い停車場通りの、兩側のアカシアの※(「木+越」、第3水準1-86-11)なみきは、蕭條たる秋雨に遠く/\煙つてゐる。其下を往來する人の歩みは皆靜かだ。男も女もしめやかな戀を抱いて歩いてる樣に見える、蛇目の傘をさした若い女の紫の袴が、その周匝あたりの風物としつくり調和してゐた。傘をさす程の雨でもなかつた。
『このとほりは僕等がアカシヤがいと呼ぶのだ。彼處に大きい煉瓦造りが見える。あれは五番館といふのだ。………奈何どうだ、氣に入らないかね?』
『好い! 何時までも住んでゐたい――』
 實際私は然う思つた。
 立見君の宿は北七條の西何丁目かにあつた。古い洋風擬ひの建物の、素人下宿を營んでゐる林といふ寡婦やもめの家に室借りをしてゐた。立見君は其室を『猫箱』と呼んでゐた。臺所の後の、以前は物置だつたらしい四疊半で、屋根の傾斜なりに斜めに張られた天井は黒く、隅の方は頭が閊へて立てなかつた。其狹い室の中に机もあれば、夜具もある、行李もある。林務課の事業手といふ安腰辨の立見君は、細君と女兒と三人で※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)そんな室にゐ乍ら、時々藤村調の新體詩などを作つてゐた。机の上には英吉利人の古い詩集が二三册、舊新約全書、それから、今は忘れて讀めなくなったと言ふ獨逸文の宗教史――これらは皆、何かしら立見君の一生に忘れ難い記念があるのだらう――などが載つてゐた。
 私もその家に下宿する事になつた。尤も空間は無かつたから、停車場に迎へに來て呉れたも一人の方の友人――目形君――と同室する事にしたのだ。


 宿の内儀かみさんは既う四十位の、亡夫は道廳で可也かなりな役を勤めた人といふだけに、品のある、氣の確乎しつかりした、言葉に西國の訛りのある人であつた。娘が二人、妹の方はまだ十三で、背のヒョロ高い、愛嬌のない寂しい顏をしてゐる癖に、思ふ事は何でも言ふといつた樣な淡白きさくな質で、時々間違つた事を喋つてはみんなに笑はれて、ケロリとしてゐる兒であつた。
 姉は眞佐子と言つた。その年の春、さる外國人の建ててゐる女學校を卒業したとかで、體はまだ充分發育してゐない樣に見えた。妹とはても肖つかぬ丸顏の、色の白い、何處と言つて美しいところはないが、少し藪睨みの氣味なのと片笑靨のあるのとに人好きのする表情があつた。女學校出とは思はれぬ樣な温雅しとやかな娘で、絶え/″\な聲を出して讃美歌を歌つてゐる事などがあつた。學校では大分宗教的な教育を享けたらしい。母親は、妹の方をば時々お轉婆だ/\と言つてゐたが、姉には一言も小言を言はなかつた。
 その外に遠い親戚だという眇目すがめな男がゐた。警察の小使をした事があるとかで、夜分などは『現行警察法』といふ古い本を繙いてゐる事があつた。その男が内儀さんの片腕になつて家事萬端立働いてゐて、娘の眞佐子はチョイ/\手傳ふ位に過ぎなかつた。何でも母親の心にしては、末の手頼たよりにしてゐる娘を下宿屋の娘らしくは育てたくなかつたのであらう。素人屋によくある例で、我々も食事の時は一同茶の間に出て食卓を圍んで食ふことになつてゐたが、内儀はその時も成るべく娘には用をさせなかつた。
 或朝、私が何か搜す物があつて鞄の中を調べてゐると、まだ使はない繪葉書が一枚出た。青草の中に罌粟けしらしい花が澤山咲き亂れてゐる、油繪まがひの繪であつた。不圖、其處へ妹娘の民子が入つて來て、
『マア、綺麗な…………』
と言つて覗き込む。
『上げませうか?』
くつて?』
 手にとつて嬉しさうにして見てゐたが、
『これ、何の花?』
罌粟けし。』
※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)こんな花、いつか姉ちやんもいた事あつてよ。』
 すると、其日の晝飯の時だ。私は例の如く茶の間に行つて同宿の人と一緒に飯を食つてゐると、風邪の氣味だといつて學校を休んで、咽喉に眞綿を捲いてゐる民子が窓側で幅の廣い橄欖オリーブ色の飾紐リボンを弄つてゐる。それを見付けた母親は、
『民イちやん、貴女何ですそれ、また姉さんの飾紐を。』
『貰つたの。』とケロリとしてゐる。
『嘘ですよウ。其※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)色はまだ貴女に似合ひませんもの、何で姉さんが上げるものですか?』
眞箇ほんと。ホラ、今朝島田さんから戴いた綺麗な繪葉書ね、姉ちやんが、あれを取上げて奈何どうしても返さないから、代りに此を貰つたの。』
『そんなら可いけど、此間も眞佐アちやんの繪具を※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)あんなにして了うたぢやありませんか』
 私は列んでゐた農科大學生と話をし出した。
 それから、飯を濟まして便所に行つて來ると、眞佐子はいつも場所ところに座つて、(其處は私の室の前、玄關から續きの八疊間で、家中の人の始終通る室だが、眞佐子は外に室がないので其處の隅ッコに机や本箱を置いてゐた。)編物に倦きたといふふうで、片肘を机に突き、編物の針で小さい硝子の罎に插した花を突ついてゐた。豌豆の花の少し大きい樣な花であつた。
『何です、その花?』と私は何氣なく言つた。
『スヰイトピーです。』
 よく聞えなかつたので聞直すと、
『あの遊蝶花とか言ふさうで御座います。』
『さうですか、これですかスヰイトピーと言ふのは。』
『お好きで被入いらつしやいますか?』
『さう!可愛らしい花ですね。』
 見ると、耳の根をほんのり紅くしてゐる。私は其儘室に入らうとすると、何時の間にか民子が來て立つてゐて、
『島田さん、もう※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)あんな繪葉書無くつて?』
『ありません。その内にまた好いのを上げませう。』
『マア、お客樣に其※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)事言ふと、母さんに叱られますよ。』と、姉が妹をたしなめる。
『ハハヽヽヽ。』と輕く笑つて、私は室に入つて了つた。
『だつて、折角戴いたのは姉ちやんが取上げたんだもの…………』と、民子が不平顏をして言つてる樣子。
 眞佐子は、口を抑へる樣にして何か言つて慰めてゐた。
 私は毎日午後一時頃から社に行つて、暗くなる頃に歸つて來る。その日は歸途かへりに雨に會つて來て、食事に茶の間に行くと外の人は既う濟んで私一人きりだ。内儀は私に少し濡れた羽織を脱がせて、眞佐子に切爐の火でさせ乍ら、自分は私に飯をよそつて呉れてゐた。火に翳した羽織からは湯氣が立つてゐる。思つたよりは濡れてゐると見えて却々乾せない。好い事にして私は三十分の餘も内儀相手にお喋舌しやべりをしてゐた。

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