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雲は天才である(くもはてんさいである)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-21 16:02:21  点击:  切换到繁體中文

底本: 石川啄木作品集 第二巻
出版社: 昭和出版社
初版発行日: 1970(昭和45)年11月20日
入力に使用: 1970(昭和45)年11月20日発行
校正に使用: 1972(昭和47)年6月20日発行

 

     一

 六月三十日、S――村尋常高等小學校の職員室では、今しも壁の掛時計が平常いつもの如く極めて活氣のないものうげな悲鳴をあげて、――恐らく此時計までが學校教師の單調なる生活に感化されたのであらう、――午後の第三時を報じた。大方今ははや四時近いのであらうか。といふのは、田舍の小學校にはよく有勝ありがちな奴で、自分が此學校に勤める樣になつて既に三ヶ月にもなるが、いまだ嘗て此時計がK停車ぢやうの大時計と正確に合つて居たためしがない、といふ事である。少なくとも三十分、或時の如きは一時間と二十三分も遲れて居ましたと、土曜日毎にがい停車場から程遠くもあらぬ郷里へ歸省する女教師が云つた。これは、校長閣下自身の辯明によると、何分此校の生徒の大多數が農家の子弟していであるので、時間の正確を守らうとすれば、勢い始業時間迄に生徒の集りかねる恐れがあるから、といふ事であるが、實際は、勤勉なる此邊このへんの農家の朝飯は普通の家庭に比して餘程早い。然し同僚のたれ一人、敢て此時計の怠慢に對して、職務柄にも似合はず何等匡正きやうせいの手段を講ずるものはなかつた。誰しも朝の出勤時間の、遲くなるなら格別、一ぷんたりとも早くなるのを喜ぶ人は無いと見える。自分は? 自分と雖ども實は、幾年來の習慣で朝寢が第二の天性となって居るので……
 午後の三時、規定おきまりの授業は一時間前に悉皆すつかり終つた。平日いつもならば自分は今正に高等科の教壇に立つて、課外二時間の授業最中であるべきであるが、この日は校長から、お互月末の調査しらべもあるし、それに今日はさいが頭痛でヒドク弱つてるから可成なるべく早く生徒を歸らしたい、課外は休んで貰へまいかという話、といふのは、破格な次第ではあるが此校長の一家四人――妻と子供二人と――は、既に久しく學校の宿直室を自分等の家として居るので、村費で雇はれた小使が襁褓おしめの洗濯まで其職務中に加へられ、牝鷄ひんけい常に曉を報ずるといふ内情は、自分もよく知つて居る。何んでも妻君の顏色の曇つた日は、この一校の長たる人の生徒を遇する極めて酷だ、などいふ噂もある位、推して知るべしである。自分は舌の根まで込み上げて來た不快を辛くも噛み殺して、今日は餘儀なく課外を休んだ。一體自分は尋常科二年受持の代用教員で、月給は大枚金八圓也、毎月正に難有ありがたく頂戴して居る。それに受持以外に課外二時間づゝと來ては、他目よそめには勞力にともなはない報酬、否、報酬に伴はない勞力とも見えやうが、自分は露聊つゆいさゝかこれに不平は抱いて居ない。何故なれば、この課外教授といふのは、自分が抑々生れて初めて教鞭をとつて、此校の職員室に末席をけがすやうになつての一週間目、生徒の希望を容れて、といふよりは寧ろ自分の方が生徒以上に希望して開いたので、初等の英語と外國歴史の大體とを一時間宛とは表面だけの事、實際は、自分の有つて居る一切の知識、(知識といつても無論貧少なものであるが、自分は、然し、自ら日本一の代用教員を以て任じて居る。)一切の不平、一切の經驗、一切の思想――つまり一切の精神が、この二時間のうちに、機を覗ひ時を待つて、吾が舌端より火箭くわせんとなつて迸しる。まとなきにを放つのではない。男といはず女といはず、既に十三、十四、十五、十六、といふ年齡の五十幾人のうら若い胸、それがすなはち火を待つばかりに紅血こうけつの油を盛つた青春の火盞ひざらではないか。火箭が飛ぶ、火が油に移る、嗚呼そのハッ/\と燃えむる人生の烽火のろしの煙の香ひ! 英語が話せれば世界中何處へでも行くに不便はない。ただこの平凡な一句でも自分には百萬の火箭を放つべき堅固なつるだ。昔希臘ギリシヤといふ國があつた。基督が磔刑はりつけにされた。人は生れた時何物をも持つて居ないが精神だけは持つて居る。羅馬は一都府の名で、また昔は世界の名であつた。ルーソーは歐羅巴中に響く喇叭を吹いた。コルシカ島はナポレオンの生れた處だ。バイロンといふ人があつた。トルストイは生きて居る。ゴルキーが以前放浪者ごろつきで、今肺病患者である。露西亞は日本より豪い。我々はまだ年が若い。血のない人間は何處に居るか。……ああ、一切の問題が皆火の種だ。自分も火だ。五十幾つの胸にも火事が始まる。四間に五間の教場は宛然さながら熱火の洪水だ。自分のほねあらはに痩せた拳がはた卓子テーブルを打つ。と、躍り上るものがある、手を振るものがある。萬歳と叫ぶものがある。まつたく一種の暴動だ。自分の眼瞼まぶたから感激の涙が一滴溢れるや最後、其處にも此處にも聲を擧げて泣く者、上氣して顏が火と燃え、聲もさで革命の神の石像の樣に突立つ者、さながら之れ一ぷく生命反亂の活畫圖くわつぐわづが現はれる。涙は水ではない、心の幹をしぼつた樹脂やにである、油である。火が愈々燃え擴がる許りだ。『千九百○六年……此年○月○日、S――村尋常高等小學校内の一教場に暴動起る』と後世の世界史が、よしやしるさぬまでも、この一場の恐るべき光景は、自分並びに五十幾人のジャコビン黨の胸板には、恐らく「時」の破壞の激浪も消し難き永久不磨の金字で描かれるであらう。疑ひもなく此二時間は、自分が一日二十四時間千四百四十分の内、最も得意な、愉快な、幸福な時間で、大方自分が日々この學校の門を出入する意義も、全くこの課外教授がある爲めであるらしい。然し乍ら此日六月三十日、完全なる『教育』の模型として、既に十幾年の間身を教育勅語の御前に捧げ、口に忠信孝悌の語を繰返す事正に一千萬遍、其思想や穩健にして中正、其風采や質樸無難にして具さに平凡の極致に達し、平和を愛し温順を尚ぶの美徳餘つて、妻君の尻の下に布かるゝをも敢て恥辱とせざる程の忍耐力あり、現に今このS――村に於ては、毎月十八圓といふ村内最高額の俸給を受け給ふ――田島校長閣下の一言によつて、自分は不本意乍ら其授業を休み、間接には馬鈴薯に目鼻よろしくといふマダム田島の御機嫌をとつた事になる不面目を施し、退いて職員室の一隅に、兒童出席簿と睨み合をし乍ら算盤そろばんの珠をさしたりいたり、過去一ヶ月間に於ける兒童各自の出缺席から、其總數、其歩合を計算して、明日は痩犬の樣な俗吏の手に渡さるべき所謂月表なるものを作らねばならぬ。それのみならだしも、成績の調査、缺席の事由、食料携帶の状況、學用品供給の模樣など、名目は立派でも殆んど無意義な仕事が少なからずあるのである。茲に於て自分は感じた、地獄極樂は決して宗教家の方便ではない、實際我等の此の世界に現存して居るものである、と。さうだ、この日の自分は明らかに校長閣下の一言によつて、極樂へ行く途中から、正確なるべき時間迄が娑婆の時計と一時間も相違のある此のあつき地獄におとされたのである。算盤の珠のパチ/\/\といふ音、これが乃ち取りも直さず、中世紀末の大冒險家、地極煉獄天國の三界をまたにかけたダンテ・アリギエリでさへ、聞いては流石にきもを冷した『パペ、サタン、パペ、サタン、アレッペ』といふ奈落の底の聲ではないか。自分は實際、この計算と來ると、吝嗇しみつたれな金持の爺が己の財産を勘定して見る時の樣に、ニコ/\ものではてもれないのである。極樂から地獄! この永劫の宣告を下したものは誰か、抑々誰か。曰く、校長だ。自分は此日程此校長の顏に表れて居る醜惡と缺點とを精密に見極めた事はない。第一に其鼻下の八字髯が極めて光澤が無い、これは其人物に一分一厘の活氣もない證據だ。そして其髯が鰻のそれの如く兩端遙かに※(「丿+臣+頁」、第4水準2-92-28)あごの方面に垂下して居る、恐らく向上といふ事を忘却した精神の象徴はこれであらう。亡國の髯だ、朝鮮人と昔の漢學の先生と今の學校教師にのみあるべき髯だ、黒子ほくろが總計三箇ある、就中大きいのが左の目の下に不吉の星の如く、如何にも目障めざはりだ。これは俗に泣黒子なきぼくろと云つて、幸にも自分の一族、乃至は平生畏敬して居る人々の顏立かほだちには、ついぞ見當らぬ道具である。むべなる哉、この男、どうせ將來好い目に逢ふ氣づかひが無いのだもの。……數へ來れば幾等もあるが、結句、田島校長=0[#「田島校長=0」は横書き]という結論に歸着した。詰り、一毫のと雖ども自分の氣に合ふ點がなかつたのである。
 この不法なるクーデターの顛末てんまつが、自分の口から、生徒控處の一隅で、殘りなく我がジャコビン黨全員の耳に達せられた時、一團の暗雲あつて忽ちに五十幾個の若々しき天眞の顏を覆うた。樂園の光明門を閉ざす鉛色の雲霧である。明らかに彼等は、自分と同じ不快、不平を一喫したのである。無論自分は、かの妻君の頭痛一件まで持ち出したのではない、が、自分の言葉の終るや否や、或者はドンと一つ床を蹴つて一喝した、『校長馬鹿ツ。』更に他の聲が續いた、『鰻ツ。』『蒲燒にするぞツ。』最後に『チェースト』と極めて陳腐な奇聲を放つて相和した奴もあつた。自分は一げいの微笑を彼等に注ぎかけて、靜かに歩みを地獄の門に向けた。軈て十五歩も歩んだ時、急にうしろの騷ぎがんだ、と思ふと、『ワン、ツー、スリー、泥鰻どろうなぎ――』と、校舍も爲めに動く許りの鬨の聲、中には絹裂く樣な鋭どい女生徒の聲も確かに交つて居る。餘りの事に振向いて見た、が、此時は既に此等革命の健兒の半數以上は生徒昇降口から風に狂ふ木の葉の如く戸外へ飛び出した所であつた。恐らく今日も門前に遊んで居る校長の子供の小さい頭には、時ならぬこぶしの雨の降つた事であらう。然し控處にはまだ空しく歸りかねて殘つた者がある。機會を見計つて自分に何か特にお話を請求しようといふ執心のてあひ、髮長き兒も二人三人見える、――總て十一二人。小使の次男なのと、女教師の下宿して居る家の兒と、(共に其縁故によつて、校長閣下から多少大目に見られて居る)この二人は自分の跡からいて來たまゝ、先刻さつきからこの地獄の入口に門番の如く立つて、中の樣子を看守して居る。
 入口といふのは、紙の破れた障子二枚によつて此室と生徒控處とを區別したもので、校門から眞直の玄關を上ると、すぐ左である。この入口から、我が當面の地獄、――天井の極く低い、十疊敷位の、汚點しみだらけな壁も、古風な小形の窓も、年代のせゐゆがんだ皮椅子も皆一種人生の倦怠を表はして居る職員室に這入ると、向つて凹字形に都合四脚の卓子テーブルが置かれてある。突當りの並んだ二脚の、右が校長閣下の席で、左は檢定試驗上りの古手の首座訓導、校長の傍が自分で、向ひ合つての一脚が女教師のである。吾校の職員と云へば唯この四人だけ、自分が其内最も末席なは云ふ迄もない。よし百人の職員があるにしても代用教員は常に末席を仰せ付かる性質のものであるのだ。御規則とは隨分陳腐な洒落しやれである。サテ、自分の後は直ちに障子一重で宿直室になつて居る。
 此職員室の、女教師の背なる壁の掛時計が懶うげなる悲鳴をあげて午後三時を報じた時、其時四人の職員は皆各自の卓子に相割據して居た。――卓子は互に密接して居るものの、此時の状態は確かに一の割據時代を現出して居たので。――二三十分も續いた『パペ、サタン、アレッペ』といふ苦しげなる聲は、三四分前に至つて、足音に驚いてにはかに啼き止む小田の蛙の歌の如く、礑と許り止んだ。と同時に、(老いたる尊とき導師はわななくダンテの手をひいて、更に他の修羅圈内に進んだのであらう。)新らしき一陣の殺氣さつおもてを打つて、別箇の光景をこの室内に描き出したのである。
 詳しく説明すれば、實に詰らぬ話であるが、問題は斯うである。二三日以前、自分は不圖した轉機はずみから思附いて、このS――村小學校の生徒をして日常朗唱せしむべき、云はゞ校歌といつた樣な性質の一歌詞を作り、そして作曲した。作曲して見たのが此時、自分が呱々の聲をあげて以來二十一年、實際初めてゞあるに關らず、恥かし乍ら自白すると、出來上つたのを聲の透る我が妻に歌はせて聞いた時の感じでは、少々巧い、と思はれた。今でもさう思つて居るが……。妻からも賞められた。その夜遊びに來た二三の生徒に、自分でヰオリンを彈き乍ら教へたら、矢張賞めてくれた、然も非常に面白い、これからは毎日歌ひますと云つて。歌詞は六行一聯の六聯で、曲の方はハ調四分の二拍子、それが最後の二行が四分の三拍子に變る。斯う變るので一段と面白いのですよ、と我が妻は云ふ。イヤ、それはそれとして、兎も角も自分はこれに就いて一點やましい處のないのは明白な事實だ。作歌作曲は決して盜人、僞善者、乃至一切破廉恥漢の行爲と同一視さるべきではない。マサカ代用教員如きに作曲などをする資格がないといふ規定もない筈だ。して見ると、自分は不相變あひかはらず正々堂々たるものである、俯仰して天地に恥づる所なき大丈夫である。所が、あにいづくんぞ圖らんや、この堂々として赤裸々たる處が却つて敵をして矢を放たしむる的となつた所以であつたのだ。ト何も大袈裟に云ふ必要もないが、其歌を自分の教へてやつた生徒は其夜僅か三人(名前も明らかに記憶して居る)に過ぎなかつたが、何んでもジャコビン黨員の胸には皆同じ色――若き生命の淺緑と湧き立つ春の泉の血の色との火が燃えて居て、脣が皆一樣に乾いて居る爲めに野火の移りの早かつたものか、一日二日と見る/\うちに傳唱されて、今日は早や、多少調子の違つた處のないでもないが、高等科生徒の殆んど三分の二、イヤ五分の四迄は確かに知つて居る。晝休みの際などは、誰先立つとなく運動場に一のポロテージ行進が始つて居た。彼是かれこれ百人近くはあつたらう、尤も野次馬の一群も立交つて居たが、口々に歌つて居るのが乃ち斯く申す新田耕助先生新作の校友歌であつたのである。然し何も自分の作つたものが大勢に歌はれたからと云つて、決して恥でもない、罪でもない、寧ろ愉快なものだ、得意なものだ。現に其行進を見た時は、自分も何だか氣が浮立つて、身體中何處か斯う擽られる樣で、僅か五分間許りではあるが、自分も其行進列中の一人と迄なつて見た位である。……問題の鍵は以後これからである。
 午後三時前三――四分、今迄矢張り不器用な指を算盤の上に躍らせて、『パペ、サタン、パペ、サタン』を繰返して居た校長田島金藏氏は、今しも出席簿の方の計算を終つたと見えて、やをら頭を擡げて煙管きせるを手に持つた。ポンと卓子テーブルふちたたく、トタンに、何とも名状し難い、狸の難産の樣な、水道の栓から草鞋でも飛び出しさうな、――も少し適切に云ふと、隣家の豚が夏の眞中に感冒かぜをひいた樣な奇響――敢て、響といふ――が、恐らく仔細に分析して見たら出損なつた咳の一種でゞもあらうか、彼の巨大なる喉佛の邊から鳴つた。次いでまた幽かなのが一つ。もうこれ丈けかと思ひ乍ら自分は此時算盤の上に現はれた八四・七九という數を月表の出席歩合男の部へ記入しようと、筆の穗を一寸噛んだ。此刹那、沈痛なる事晝寢の夢の中で去年死んだ黒猫の幽靈の出た樣な聲あつて、
『新田さん。』
と呼んだ。校長閣下の御聲掛りである。

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