一
潮かをる北の浜辺の
砂山のかの浜薔薇よ
今年も咲けるや
たのみつる年の若さを数へみて
指を見つめて
旅がいやになりき
三度ほど
汽車の窓よりながめたる町の名なども
したしかりけり
函館の床屋の弟子を
おもひ出でぬ
耳剃らせるがこころよかりし
わがあとを追ひ来て
知れる人もなき
辺土に住みし母と妻かな
船に酔ひてやさしくなれる
いもうとの眼見ゆ
津軽の海を思へば
目を閉ぢて
傷心の句を誦してゐし
友の手紙のおどけ悲しも
をさなき時
橋の欄干に糞塗りし
話も友はかなしみてしき
おそらくは生涯妻をむかへじと
わらひし友よ
今もめとらず
あはれかの
眼鏡の縁をさびしげに光らせてゐし
女教師よ
友われに飯を与へき
その友に背きし我の
性のかなしさ
函館の青柳町こそかなしけれ
友の恋歌
矢ぐるまの花
ふるさとの
麦のかをりを懐かしむ
女の眉にこころひかれき
あたらしき洋書の紙の
香をかぎて
一途に金を欲しと思ひしが
しらなみの寄せて騒げる
函館の大森浜に
思ひしことども
朝な朝な
支那の俗歌をうたひ出づる
まくら時計を愛でしかなしみ
漂泊の愁ひを叙して成らざりし
草稿の字の
読みがたさかな
いくたびか死なむとしては
死なざりし
わが来しかたのをかしく悲し
函館の臥牛の山の半腹の
碑の漢詩も
なかば忘れぬ
むやむやと
口の中にてたふとげの事を呟く
乞食もありき
とるに足らぬ男と思へと言ふごとく
山に入りにき
神のごとき友
巻煙草口にくはへて
浪あらき
磯の夜霧に立ちし女よ
演習のひまにわざわざ
汽車に乗りて
訪ひ来し友とのめる酒かな
大川の水の面を見るごとに
郁雨よ
君のなやみを思ふ
智慧とその深き慈悲とを
もちあぐみ
為すこともなく友は遊べり
こころざし得ぬ人人の
あつまりて酒のむ場所が
我が家なりしかな
かなしめば高く笑ひき
酒をもて
悶を解すといふ年上の友
若くして
数人の父となりし友
子なきがごとく酔へばうたひき
さりげなき高き笑ひが
酒とともに
我が腸に沁みにけらしな
呻噛み
夜汽車の窓に別れたる
別れが今は物足らぬかな
雨に濡れし夜汽車の窓に
映りたる
山間の町のともしびの色
雨つよく降る夜の汽車の
たえまなく雫流るる
窓硝子かな
真夜中の
倶知安駅に下りゆきし
女の鬢の古き痍あと
札幌に
かの秋われの持てゆきし
しかして今も持てるかなしみ
アカシヤの街にポプラに
秋の風
吹くがかなしと日記に残れり
しんとして幅広き街の
秋の夜の
玉蜀黍の焼くるにほひよ
わが宿の姉と妹のいさかひに
初夜過ぎゆきし
札幌の雨
石狩の美国といへる停車場の
柵に乾してありし
赤き布片かな
かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
泣くがごと首ふるはせて
手の相を見せよといひし
易者もありき
いささかの銭借りてゆきし
わが友の
後姿の肩の雪かな
世わたりの拙きことを
ひそかにも
誇りとしたる我にやはあらぬ
汝が痩せしからだはすべて
謀叛気のかたまりなりと
いはれてしこと
かの年のかの新聞の
初雪の記事を書きしは
我なりしかな
椅子をもて我を撃たむと身構へし
かの友の酔ひも
今は醒めつらむ
負けたるも我にてありき
あらそひの因も我なりしと
今は思へり
殴らむといふに
殴れとつめよせし
昔の我のいとほしきかな
汝三度
この咽喉に剣を擬したりと
彼告別の辞に言へりけり
あらそひて
いたく憎みて別れたる
友をなつかしく思ふ日も来ぬ
あはれかの眉の秀でし少年よ
弟と呼べば
はつかに笑みしが
わが妻に着物縫はせし友ありし
冬早く来る
植民地かな
平手もて
吹雪にぬれし顔を拭く
友共産を主義とせりけり
酒のめば鬼のごとくに青かりし
大いなる顔よ
かなしき顔よ
樺太に入りて
新しき宗教を創めむといふ
友なりしかな
治まれる世の事無さに
飽きたりといひし頃こそ
かなしかりけれ
共同の薬屋開き
儲けむといふ友なりき
詐欺せしといふ
あをじろき頬に涙を光らせて
死をば語りき
若き商人
子を負ひて
雪の吹き入る停車場に
われ見送りし妻の眉かな
敵として憎みし友と
やや長く手をば握りき
わかれといふに
ゆるぎ出づる汽車の窓より
人先に顔を引きしも
負けざらむため
みぞれ降る
石狩の野の汽車に読みし
ツルゲエネフの物語かな
わが去れる後の噂を
おもひやる旅出はかなし
死ににゆくごと
わかれ来てふと瞬けば
ゆくりなく
つめたきものの頬をつたへり
忘れ来し煙草を思ふ
ゆけどゆけど
山なほ遠き雪の野の汽車
うす紅く雪に流れて
入日影
曠野の汽車の窓を照せり
腹すこし痛み出でしを
しのびつつ
長路の汽車にのむ煙草かな
乗合の砲兵士官の
剣の鞘
がちゃりと鳴るに思ひやぶれき
名のみ知りて縁もゆかりもなき土地の
宿屋安けし
我が家のごと
伴なりしかの代議士の
口あける青き寐顔を
かなしと思ひき
今夜こそ思ふ存分泣いてみむと
泊りし宿屋の
茶のぬるさかな
水蒸気
列車の窓に花のごと凍てしを染むる
あかつきの色
ごおと鳴る凩のあと
乾きたる雪舞ひ立ちて
林を包めり
空知川雪に埋れて
鳥も見えず
岸辺の林に人ひとりゐき
寂莫を敵とし友とし
雪のなかに
長き一生を送る人もあり
いたく汽車に疲れて猶も
きれぎれに思ふは
我のいとしさなりき
うたふごと駅の名呼びし
柔和なる
若き駅夫の眼をも忘れず
雪のなか
処処に屋根見えて
煙突の煙うすくも空にまよへり
遠くより
笛ながながとひびかせて
汽車今とある森林に入る
何事も思ふことなく
日一日
汽車のひびきに心まかせぬ
さいはての駅に下り立ち
雪あかり
さびしき町にあゆみ入りにき
しらしらと氷かがやき
千鳥なく
釧路の海の冬の月かな
こほりたるインクの罎を
火に翳し
涙ながれぬともしびの下
顔とこゑ
それのみ昔に変らざる友にも会ひき
国の果にて
あはれかの国のはてにて
酒のみき
かなしみの滓を啜るごとくに
酒のめば悲しみ一時に湧き来るを
寐て夢みぬを
うれしとはせし
出しぬけの女の笑ひ
身に沁みき
厨に酒の凍る真夜中
わが酔ひに心いためて
うたはざる女ありしが
いかになれるや
小奴といひし女の
やはらかき
耳朶なども忘れがたかり
よりそひて
深夜の雪の中に立つ
女の右手のあたたかさかな
死にたくはないかと言へば
これ見よと
咽喉の痍を見せし女かな
芸事も顔も
かれより優れたる
女あしざまに我を言へりとか
舞へといへば立ちて舞ひにき
おのづから
悪酒の酔ひにたふるるまでも
死ぬばかり我が酔ふをまちて
いろいろの
かなしきことを囁きし人
いかにせしと言へば
あをじろき酔ひざめの
面に強ひて笑みをつくりき
かなしきは
かの白玉のごとくなる腕に残せし
キスの痕かな
酔ひてわがうつむく時も
水ほしと眼ひらく時も
呼びし名なりけり
火をしたふ虫のごとくに
ともしびの明るき家に
かよひ慣れにき
きしきしと寒さに踏めば板軋む
かへりの廊下の
不意のくちづけ
その膝に枕しつつも
我がこころ
思ひしはみな我のことなり
さらさらと氷の屑が
波に鳴る
磯の月夜のゆきかへりかな
死にしとかこのごろ聞きぬ
恋がたき
才あまりある男なりしが
十年まへに作りしといふ漢詩を
酔へば唱へき
旅に老いし友
吸ふごとに
鼻がぴたりと凍りつく
寒き空気を吸ひたくなりぬ
波もなき二月の湾に
白塗の
外国船が低く浮かべり
三味線の絃のきれしを
火事のごと騒ぐ子ありき
大雪の夜に
神のごと
遠く姿をあらはせる
阿寒の山の雪のあけぼの
郷里にゐて
身投げせしことありといふ
女の三味にうたへるゆふべ
葡萄色の
古き手帳にのこりたる
かの会合の時と処かな
よごれたる足袋穿く時の
気味わるき思ひに似たる
思出もあり
わが室に女泣きしを
小説のなかの事かと
おもひ出づる日
浪淘沙
ながくも声をふるはせて
うたふがごとき旅なりしかな
二
いつなりけむ
夢にふと聴きてうれしかりし
その声もあはれ長く聴かざり
頬の寒き
流離の旅の人として
路問ふほどのこと言ひしのみ
さりげなく言ひし言葉は
さりげなく君も聴きつらむ
それだけのこと
ひややかに清き大理石に
春の日の静かに照るは
かかる思ひならむ
世の中の明るさのみを吸ふごとき
黒き瞳の
今も目にあり
かの時に言ひそびれたる
大切の言葉は今も
胸にのこれど
真白なるラムプの笠の
瑕のごと
流離の記憶消しがたきかな
函館のかの焼跡を去りし夜の
こころ残りを
今も残しつ
人がいふ
鬢のほつれのめでたさを
物書く時の君に見たりし
馬鈴薯の花咲く頃と
なれりけり
君もこの花を好きたまふらむ
山の子の
山を思ふがごとくにも
かなしき時は君を思へり
忘れをれば
ひょっとした事が思ひ出の種にまたなる
忘れかねつも
病むと聞き
癒えしと聞きて
四百里のこなたに我はうつつなかりし
君に似し姿を街に見る時の
こころ躍りを
あはれと思へ
かの声を最一度聴かば
すっきりと
胸や霽れむと今朝も思へる
いそがしき生活のなかの
時折のこの物おもひ
誰のためぞも
しみじみと
物うち語る友もあれ
君のことなど語り出でなむ
死ぬまでに一度会はむと
言ひやらば
君もかすかにうなづくらむか
時として
君を思へば
安かりし心にはかに騒ぐかなしさ
わかれ来て年を重ねて
年ごとに恋しくなれる
君にしあるかな
石狩の都の外の
君が家
林檎の花の散りてやあらむ
長き文
三年のうちに三度来ぬ
我の書きしは四度にかあらむ
手套を脱ぐ時
手套を脱ぐ手ふと休む
何やらむ
こころかすめし思ひ出のあり
いつしかに
情をいつはること知りぬ
髭を立てしもその頃なりけむ
朝の湯の
湯槽のふちにうなじ載せ
ゆるく息する物思ひかな
夏来れば
うがひ薬の
病ある歯に沁む朝のうれしかりけり
つくづくと手をながめつつ
おもひ出でぬ
キスが上手の女なりしが
さびしきは
色にしたしまぬ目のゆゑと
赤き花など買はせけるかな
新しき本を買ひ来て読む夜半の
そのたのしさも
長くわすれぬ
旅七日
かへり来ぬれば
わが窓の赤きインクの染みもなつかし
古文書のなかに見いでし
よごれたる
吸取紙をなつかしむかな
手にためし雪の融くるが
ここちよく
わが寐飽きたる心には沁む
薄れゆく障子の日影
そを見つつ
こころいつしか暗くなりゆく
ひやひやと
夜は薬の香のにほふ
医者が住みたるあとの家かな
窓硝子
塵と雨とに曇りたる窓硝子にも
かなしみはあり
六年ほど日毎日毎にかぶりたる
古き帽子も
棄てられぬかな
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