日本文学全集12 国木田独歩・石川啄木集 |
集英社 |
1967(昭和42)年9月7日 |
1972(昭和47)年9月10日第9版 |
函館なる郁雨宮崎大四郎君
同国の友文学士花明金田一京助君
この集を両君に捧ぐ。予はすでに予のすべてを両君の前に示しつくしたるものの如し。従つて両君はここに歌はれたる歌の一一につきて最も多く知るの人なるを信ずればなり。
また一本をとりて亡児真一に手向く。この集の稿本を書肆の手に渡したるは汝の生れたる朝なりき。この集の稿料は汝の薬餌となりたり。而してこの集の見本刷を予の閲したるは汝の火葬の夜なりき。
著者
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明治四十一年夏以後の作一千余首中より五百五十一首を抜きてこの集に収む。集中五章、感興の来由するところ相邇きをたづねて仮にわかてるのみ。「秋風のこころよさに」は明治四十一年秋の紀念なり。
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我を愛する歌
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
頬につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず
大海にむかひて一人
七八日
泣きなむとすと家を出でにき
いたく錆びしピストル出でぬ
砂山の
砂を指もて掘りてありしに
ひと夜さに嵐来りて築きたる
この砂山は
何の墓ぞも
砂山の砂に腹這ひ
初恋の
いたみを遠くおもひ出づる日
砂山の裾によこたはる流木に
あたり見まはし
物言ひてみる
いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ
しっとりと
なみだを吸へる砂の玉
なみだは重きものにしあるかな
大という字を百あまり
砂に書き
死ぬことをやめて帰り来れり
目さまして猶起き出でぬ児の癖は
かなしき癖ぞ
母よ咎むな
ひと塊の土に涎し
泣く母の肖顔つくりぬ
かなしくもあるか
燈影なき室に我あり
父と母
壁のなかより杖つきて出づ
たはむれに母を背負ひて
そのあまり軽きに泣きて
三歩あゆまず
飄然と家を出でては
飄然と帰りし癖よ
友はわらへど
ふるさとの父の咳する度に斯く
咳の出づるや
病めばはかなし
わが泣くを少女等きかば
病犬の
月に吠ゆるに似たりといふらむ
何処やらむかすかに虫のなくごとき
こころ細さを
今日もおぼゆる
いと暗き
穴に心を吸はれゆくごとく思ひて
つかれて眠る
こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂げて死なむと思ふ
こみ合へる電車の隅に
ちぢこまる
ゆふべゆふべの我のいとしさ
浅草の夜のにぎはひに
まぎれ入り
まぎれ出で来しさびしき心
愛犬の耳斬りてみぬ
あはれこれも
物に倦みたる心にかあらむ
鏡とり
能ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ
泣き飽きし時
なみだなみだ
不思議なるかな
それをもて洗へば心戯けたくなれり
呆れたる母の言葉に
気がつけば
茶碗を箸もて敲きてありき
草に臥て
おもふことなし
わが額に糞して鳥は空に遊べり
わが髭の
下向く癖がいきどほろし
このごろ憎き男に似たれば
森の奥より銃声聞ゆ
あはれあはれ
自ら死ぬる音のよろしさ
大木の幹に耳あて
小半日
堅き皮をばむしりてありき
「さばかりの事に死ぬるや」
「さばかりの事に生くるや」
止せ止せ問答
まれにある
この平なる心には
時計の鳴るもおもしろく聴く
ふと深き怖れを覚え
ぢっとして
やがて静かに臍をまさぐる
高山のいただきに登り
なにがなしに帽子をふりて
下り来しかな
何処やらに沢山の人があらそひて
鬮引くごとし
われも引きたし
怒る時
かならずひとつ鉢を割り
九百九十九割りて死なまし
いつも逢ふ電車の中の小男の
稜ある眼
このごろ気になる
鏡屋の前に来て
ふと驚きぬ
見すぼらしげに歩むものかも
何となく汽車に乗りたく思ひしのみ
汽車を下りしに
ゆくところなし
空家に入り
煙草のみたることありき
あはれただ一人居たきばかりに
何がなしに
さびしくなれば出てあるく男となりて
三月にもなれり
やはらかに積れる雪に
熱てる頬を埋むるごとき
恋してみたし
かなしきは
飽くなき利己の一念を
持てあましたる男にありけり
手も足も
室いっぱいに投げ出して
やがて静かに起きかへるかな
百年の長き眠りの覚めしごと
呻してまし
思ふことなしに
腕拱みて
このごろ思ふ
大いなる敵目の前に躍り出でよと
手が白く
且つ大なりき
非凡なる人といはるる男に会ひしに
こころよく
人を讃めてみたくなりにけり
利己の心に倦めるさびしさ
雨降れば
わが家の人誰も誰も沈める顔す
雨霽れよかし
高きより飛びおりるごとき心もて
この一生を
終るすべなきか
この日頃
ひそかに胸にやどりたる悔あり
われを笑はしめざり
へつらひを聞けば
腹立つわがこころ
あまりに我を知るがかなしき
知らぬ家たたき起して
遁げ来るがおもしろかりし
昔の恋しさ
非凡なる人のごとくにふるまへる
後のさびしさは
何にかたぐへむ
大いなる彼の身体が
憎かりき
その前にゆきて物を言ふ時
実務には役に立たざるうた人と
我を見る人に
金借りにけり
遠くより笛の音きこゆ
うなだれてある故やらむ
なみだ流るる
それもよしこれもよしとてある人の
その気がるさを
欲しくなりたり
死ぬことを
持薬をのむがごとくにも我はおもへり
心いためば
路傍に犬ながながと呻しぬ
われも真似しぬ
うらやましさに
真剣になりて竹もて犬を撃つ
小児の顔を
よしと思へり
ダイナモの
重き唸りのここちよさよ
あはれこのごとく物を言はまし
剽軽の性なりし友の死顔の
青き疲れが
いまも目にあり
気の変る人に仕へて
つくづくと
わが世がいやになりにけるかな
龍のごとくむなしき空に躍り出でて
消えゆく煙
見れば飽かなく
こころよき疲れなるかな
息もつかず
仕事をしたる後のこの疲れ
空寝入生呻など
なぜするや
思ふこと人にさとらせぬため
箸止めてふっと思ひぬ
やうやくに
世のならはしに慣れにけるかな
朝はやく
婚期を過ぎし妹の
恋文めける文を読めりけり
しっとりと
水を吸ひたる海綿の
重さに似たる心地おぼゆる
死ね死ねと己を怒り
もだしたる
心の底の暗きむなしさ
けものめく顔あり口をあけたてす
とのみ見てゐぬ
人の語るを
親と子と
はなればなれの心もて静かに対ふ
気まづきや何ぞ
かの船の
かの航海の船客の一人にてありき
死にかねたるは
目の前の菓子皿などを
かりかりと噛みてみたくなりぬ
もどかしきかな
よく笑ふ若き男の
死にたらば
すこしはこの世さびしくもなれ
何がなしに
息きれるまで駆け出してみたくなりたり
草原などを
あたらしき背広など着て
旅をせむ
しかく今年も思ひ過ぎたる
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