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足跡(あしあと)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-21 15:51:07  点击:  切换到繁體中文


 孝子は氣の毒さに見ぬ振りをしながらも、健の其態度をそれとなく見てゐた。そして譯もなく胸が迫つて泣きたくなることがあつた。其※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)時は、孝子は用もない帳簿などをいぢくつて、人後ひとあとまでのこつた。月給を貰つた爲めに怡々いそ/\して早く歸るなどと、思はれたくなかつたのだ。
 孝子の目に映つてゐる健は、月給八圓の代用教員ではなかつた。孝子は或る時その同窓の女友達の一人へ遣つた手紙に、この若い教師のことを書いたことがある。若しや詰らぬ疑ひを起されてはといふ心配から、健には妻子のあることを詳しく記した上で、
『私の學校は、この千早先生一人の學校と言つても可い位よ。奧樣やお子樣のある人とは見えない程若い人ですが、男生でも女生でも千早先生の言ふことをきかぬ者は一人もありません。そら、小野田教諭がいつも言つたでせう――教育者には教育の精神を以て教へる人と、教育の形式で教へる人と、二種類ある。後者には何人でも成れぬことはないが、前者は百人に一人、千人に一人しか無いもので、學んで出來ることではない、謂はば生來の教育者である――ツて。千早先生はその百人に一人しかない方の組よ。教授法なんかから言つたら、先生は亂暴よ、隨分亂暴よ。今の時間は生徒と睨めツくらをして、敗けた奴を立たせることにして遊びましたよなどゝ言ふ時があります。(遊びました)といふのは嘘で、先生は其※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)事をして、生徒の心の散るのを御自分の一身に集めるのです。さうしてから授業に取り懸るのです。偶に先生が缺勤でもすると、私が掛持で尋常二年に出ますの。生徒は決して、私ばかりでなく誰のいふことも、聞きません。先生の組の生徒は、先生のいふことでなければ聞きません。私は其※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)時、「千早先生はさう騷いでも可いと教へましたか?」と言ひます。すると、直ぐ靜肅になつて了ひます。先生は又、教案を作りません。その事で何日だつたか、巡つて來た郡視學と二時間許り議論をしたのよ。その時の面白かつたこと! 結局視學の方が敗けて胡麻化して了つたの。
『先生は尋常二年の修身と體操を校長にやらして、その代り高等科(校長の受持)の綴方と歴史地理に出ます。今度は千早先生の時間だといふ時は、鐘が鳴つて控所に生徒が列んだ時、その高等科の生徒の顏色で分ります。
『尋常二年に由松といふ兒があります。それは生來の低腦者で、七歳になる時に燐寸を弄んで、自分の家に火をつけて、ドン/\燃え出すのを、手を打つて喜んでゐたといふ兒ですが、先生は御自分の一心で是非由松を普通の子供にすると言つて、暇さへあればその由松を膝の間に坐らせて、(先生は腰かけて、)上から昵と見下しながら肩に手をかけて色々なことを言つて聞かせてゐます。その時だけは由松も大人しくしてゐて、終ひには屹度メソ/\泣き出して了ひますの。時として先生は、然うしてゐて十分も二十分も默つて由松の顏を見てゐることがあります。二三日前でした、由松は先生と然うしてゐて、突然眼を瞑つて背後うしろに倒れました。先生は靜かに由松を抱いて小使室へ行つて、頭に水を掛けたので子供は蘇生しましたが、私共は一時喫驚びつくりしました。先生は、「私の精神と由松の精神と角力をとつて、私の方が勝つたのだ。」と言つて居られました。その由松は近頃では清書なんか人並に書く樣になりました。算術だけはいくら骨を折つても駄目ださうです。
 秀子さん、そら、あの寄宿舍の談話室ね、彼處の壁にペスタロッヂが子供を教へてゐる畫がけてあつたでせう。あのペスタロッヂは痩せて骨立つた老人でしたが、私、千早先生が由松に物を言つてるところを横から見てゐると、何といふことなくあの畫を思ひ出すことがありますの。それは先生は、無論一生を教育事業に獻げるお積りではなく、お家の事情で當分あゝして居られるのでせうが、私は※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)こんな人を長く教育界に留めて置かぬのが、何より殘念な事と思ひます。先生は何か人の知らぬ大きな事を考へて居られる樣ですが、私共には分りません。然しそのお話を聽いてゐると、常々私共の行きたい/\と思つてる處――何處ですか知りませんが――へ段々連れて行かれる樣な氣がします。そして先生は、自分は教育界の獅子身中の蟲だと言つて居られるの。又、今の社會を改造するには先づ小學教育を破壞しなければいけない、自分に若し二つ體があつたら、一つでは一生代用教員をしてゐたいと言つてます。奈何して小學教育を破壞するかと訊くと、何有なあにホンの少しの違ひです、人を生れた時の儘で大きくならせる方針を取れや可いんですと答へられました。
『然し秀子さん、千早先生は私にはまだ一つの謎です。何處か分らないところがあります。ですけれども、毎日同じ學校にゐて、毎日先生の爲さる事を見てゐると、どうしても敬服せずには居られませんの。先生は隨分苦しい生活をして居られます。それはお氣の毒な程です。そして、先生の奧樣といふ人は、矢張り好い人で、優しい、美しい(但し色は少し黒いけれど)親切な方です……。』
と書いたものだ。實際それは孝子の思つてゐる通りで、この若い女教師から見ると、健が月末の出席歩合ぶあひの調べを怠けるのさへ、コセ/\した他の教師共よりえらい樣に見えた。
 が、流石は女心で、例へば健が郡視學などと揶揄半分に議論をする時とか、父の目の前で手嚴しく忠一を叱る時などは、はたで見る目もハラ/\して、顏を擧げ得なかつた。
 今も、健が聲高に忠一を叱つたので、宿直室の話聲がはたと止んだ。孝子は耳敏くもそれを聞き附けて忠一が後退あとしざりに出て行くと、
『まア、先生は。』と低聲に言つて、口を窄めて微笑みながら健の顏を見た。
『ハハヽヽ。』と、渠は輕く笑つた。そして、眼を圓くして直ぐ前に立つてゐる新入生の一人に、
『可いか。お前も學校に入ると、不斷先生の斷りなしに入つては不可いけなといふ處へ入れば、今の人の樣に叱られるんだぞ。』
『ハ。』と言つて、其兒はピョコリと頭を下げた。火傷の痕の大きい禿が後頭部に光つた。
『忠一イ。忠一イ。』と、宿直室から校長の妻の呼ぶ聲が洩れた。健と孝子は目と目で笑ひ合つた。
 軈て、埃に染みた、黒の詰襟の洋服を着た校長の安藤が出て來て、健と代つて新入生を取扱つた。健は自分の卓に行つて、その受持の教務にかかつた。
 九時半頃、秋野教師が遲刻の辯疏いひわけを爲い/\入つて來て、何時も其室の柱に懸けて置く黒繻子の袴を穿いた時は、後から/\と來た新入生も大方來盡して、職員室の中は空いてゐた。健は卓の上から延び上つて、其處に垂れて居るなわを續け樣に強く引いた。壁の彼方では勇しく號鐘かねが鳴り出す。今か今かとそれを待ちあぐんでゐた生徒等は、一しきり春の潮の樣に騷いだ。
 五分とも經たぬうちに、今度は秋野がその鐘索を引いて、先づ控所へ出て行つた。と、健は校長の前へ行つて、半紙を八つに疊んだ一枚の紙を無造作に出した。
『これ書いて來ました。何卒宜しく願ひます。』
 笑ふ時目尻の皺の深くなる、口髯の下向いた、寒さうな、人の好さゝうな顏をした安藤は、臆病らしい眼附をして其紙と健の顏を見比べた。前夜訪ねて來て書式を聞いた行つたのだから、けて見なくても解職願な事は解つてゐる。
 そして、妙に喉に絡まつな聲で言つた。
『然うでごあんすか。』
『は。何卒どうぞ。』
 綴ぢ了へた許りの新しい出席簿を持つて、立ち上つた孝子は、チラリと其疊んだ紙を見た。そして、健が四月に罷めると言ふのは豫々聞いてゐた爲めであらう、それが若しや解職願ではあるまいかと思はれた。
『何と申して可いか……ナンですけれども、おめになつてあるのだば爲方がない譯でごあんす。』
何卒どうか宜しく、お取り計ひを願ひます。』
と言つて健は、輕く會釋して、職員室を出て了つた。その後から孝子も出た。
 控所には、級が新しくなつて列ぶべき場所の解らなくなつた生徒が、ワヤ/\と騷いでゐた。秋野は其間を縫つて歩いて、『先の場所へ列ぶのだ、先の場所へ。』と叫んでゐるが、生徒等は、自分達が皆及第して上の級に進んだのに、今迄の場所に列ぶのが不見識な樣にでも思はれるかして、仲々言ふことを聞かない。と見た健は、號令壇を兼ねてゐる階段の上に突立つて、『何を騷いでゐる。』と呶鳴つた。耳を聾する許りの騷擾さわぎが、夕立の霽れ上る樣にサッと收つて、三百近い男女の瞳はその顏に萃まつた。
一同みんな今迄の場所ところに今迄の通り列べ。』
 ゾロ/\と足音が亂れて、それが鎭まると、各級は皆規則正しい二列縱隊を作つてゐた。闃乎ひつそりとして話一つする者がない。新入生の父兄は、不思議相にしてそれを見てゐた。
 渠は緩りした歩調で階段を降りて、秋野と共に各級をその新しい場所に導いた。孝子は新入生を集めて列を作らしてゐた。
 校長が出て來て壇の上に立つた。密々ひそ/\と話聲が起りかけた。健は後ろの方から一つ咳拂ひをした。話聲はそれで又鎭まつた。
『えゝ、今日から明治四十年度の新しい學年が始まります……』と、校長は兩手を邪魔相に前で揉みながら、低い、怖々した樣な聲で語り出した。二分も經つか經たぬに、『三年一萬九百日。』と高等科の生徒の一人が、妙な聲色を使つて言つた。
ツ。』と秋野が制した。潜笑しのびわらひの聲は漣の樣に傳はつた。そして新しい密語ひそめきが其に交つた。
 それは丁度今の並木孝子の前の女教師が他村へ轉任した時――去年の十月であつた――安藤は告別の辭の中で「三年一萬九百日」と誤つて言つた。その女教師は三年の間この學校にゐたつたのだ。それ以來年長の生徒は何時もこの事を言つては、校長を輕蔑する種にしてゐる。丁度この時、健もその事を思ひ出してゐたので、も少しで渠も笑ひを洩らすところであつた。
 密語ひそめきの聲は漸々高まつた。中には聲に出して何やら笑ふのもある。と、孝子は草履の音を忍ばせて健の傍に寄つて來た。
『先生が前の方へ被入いらつしやるとうござんす。』
『然うですね。』と渠も囁いた。
 そして靜かに前の方へ出て、階段の最も低い段の端の方へ立つた。場内はまた水を打つた樣に闃乎ひつそりとした。
 不圖渠は、總有あらゆる生徒の目が、諄々くど/\と何やら話を續けてゐる校長を見てゐるのでなく、渠自身に注がれてゐるのに氣が附いた。いつもの事ながら、何となき滿足が渠の情を唆かした。そして、幽かに脣を歪めて微笑ほゝゑんだ。其處にも此處にも、幽かに微笑んだ生徒の顏が見えた。
 校長の話の濟んで了ふまでも、渠は其處から動かなかつた。
 それから生徒は、痩せた體の何處から出るかと許り高い渠の號令で、各々その新しい教室に導かれた。
 四人の職員が再び職員室に顏を合せたのは、もう十一時に間のない頃であつた。學年の初めは諸帳簿の綴變とぢかへやら、前年度の調べ物の殘りやらで、雜務が仲々多い。四人はこれといふ話もなく、十二時が打つまでも孜々せつせとそれを行つてゐた。
『安藤先生。』と孝子は呼んだ。
『ハ。』
『今日の新入生は合計で四十八名でございます。その内、七名は去年の學齡で、一昨年のが三名ございますから、今年の學齡で來たのは三十八名しかありません。』
『然うでごあんすか。總體で何名でごあんしたらう?』
『四十八名でございます。』
いゝえ、本年度の學齡兒童數は?』
『それは七十二名といふ通知でございます、役場からの。でございますから、今日だけの就學歩合では六十六、六六七にしか成りません。』
『少ないな。』と、校長は首を傾げた。
何有なあに、毎年今日はそれ位なもんでごあんす。』と、十年もこの學校にゐる土地者ところものの秋野が喙を容れた。
『授業の初まる日になれば、また二十人位ア來あんすでア。』
『少ないなア。』と、校長はまた同じ事を言ふ。
『奈何です。』と健は言つた。『今日來なかつたのへ、明日明後日の中に役場から又督促さして見ては?』
何有なあに明々後日やのあさつてにならば、二十人は屹度來あんすでア、保險附だ。』と、秋野は鉛筆を削つてゐる。
『二十人來るにしても、三十八名に二十……殘部あと十五名の不就學兒童があるぢやありませんか?』
『督促しても、來るのは來るし、ないのは來なごあんすぜ。』
『ハハヽヽ。』と健は譯もなく笑つた。『可いぢやありませんか、私達が草鞋を穿いて歩くんぢやなし、役場の小使を歩かせるのですもの。』
『來ないのは來ないでせうなア。』と、校長は獨語の樣に意味のないことを言つて、卓の上の手焙てあぶりの火を、煙管で突ついてゐる。
『一學年は並木さんの受持だが、御意見は奈何ですか?』
 然う言ふ健の顏に、孝子は一寸薄目をれて、
『それア私の方は……』と言ひ出した時、入口の障子がガラリと開いて、淺黄がかつた縞の古袷に、羽織も着ず、足袋も穿かぬ小造りの男が、セカ/\と入つて來た。
『やア、誰かと思つたば東川さんか。』と、秋野は言つた。
※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)そんなに吃驚する事はねえさ。』
 然う言ひながら東川は、型の古い黒の中折を書類入の戸棚の上に載せて、
『やアお急しい樣でごあんすな。好いお天氣で。』と、一同に挨拶した。そして、手づから椅子を引き寄せて、遠慮もなく腰を掛け、校長や秋野と二言三言話してゐたが、何やら氣の急ぐ態度であつた。その横顏を健は昵と凝視みつめてゐた。齡は三十四五であるが、頭の頂邊が大分圓く禿げてゐて、左眼ひだりめが潰れた眼の上に度の強い近眼鏡をかけてゐる。小形の鼻が尖つて、見るから一癖あり相な、拔け目のない顏立ちである。
『時に。』と、東川は話の斷れ目を待ち構へてゐた樣に、椅子を健の卓に向けた。『千早先生。』
『何です?』
『實は其用で態々來たのだがなす、先生、もう出したすか? 未だすか?』
『何をです?』
『何をツて。※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)そんなに白ばくれなくてもごあんすべ。出したすか? 出さねえすか?』
『だから何をさ?』
『解らない人だなア。辭表をす。』
『あゝ、そのこつですか。』
『出したすか? 出さねえすか?』
何故なぜ?』
『何故ツて。用があるから訊くのす。』
 よくツケ/\と人を壓迫おしつける樣な物言ひをする癖があつて、多少の學識もあり、村で健が友人扱ひをするのは此男の外に無かつた。若い時は青雲の夢を見たもので、機會あらば宰相の位にも上らうといふ野心家であつたが、財産のなくなると共に徒らに村の物笑ひになつた。今では村會議員に學務委員を兼ねてゐる。
『出しましたよ。』と、健は平然として答へた。
眞箇ほんとですか?』と東川は力を入れる。
『ハハヽヽ。』
『だハンテ若い人は困る。人が※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)どんなに心配してるかも知らないで、氣ばかり早くてさ。』
『それ/\、煙草の火が膝に落ちた。』
『これだ!』と、呆れたやうな顏をしながら、それでも急いで吸殼を膝から拂ひ落して、『先生、出したつても今日の事だから、まだ校長の手許にあるベアハンテ、今のうちに戻してござれ。』
何故なぜ?』
『いやサ、詳しく話さねえば解らねえが、……實はなす。』
と穩かな調子になつて、『今日何も知らねえで役場さ來てみたのす。そすると種市助役が、一寸別室で呼ぶだハンテ、何だと思つて見だば先生の一件さ。昨日逢つた時、明日辭表を出すつてゐだつけが、何しろ村教育も漸々やう/\發展の緒に就いた許りの時だのに、千早先生に罷められては誠に困る。それがと言つて今は村長も留守で、正式に留任勸告をするにも都合が惡い。何れ二三日中には村長も歸るし、七日には村會も開かれるのだから、兎も角もそれまでは是非待つて貰ひたいと言ふのです。それで畢竟つまりは種市助役の代理になつて、今俺ア飛んで來たどごろす。解つたすか?』
『解るには解つたが、……奈何も御苦勞でした。』
『御苦勞も糞もえが、なす、先生、然う言ふ譯だハンテ、何卒どうか一先づ戻して貰つてござれ。』
 戻して貰へ、といふ、その「貰へ」といふ語が矜持心ほこりの強い健の耳に鋭く響いた。そして、適確きつぱりした調子で言つた。

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