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橋(はし)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-21 15:46:37  点击:  切换到繁體中文

底本: 日本文学全集88 名作集(三)昭和編
出版社: 集英社
入力に使用: 1970(昭和45)年1月25日発行

 

    1

 人と別れた瞳のように、水を含んだ灰色の空を、大きく環を描きながら、伝書鳩の群が新聞社の上空を散歩していた。煙が低く空を這って、生活の流れの上にけていた。

 黄昏たそがれが街の灯火に光りをえながら、露路の末まで浸みて行った。
 雪解けの日の夕暮。――都会は靄の底に沈み、高い建物の輪郭が空の中に消えたころ、上層の窓にともされた灯が、霧の夜の灯台のようにまたたいていた。
 果物屋の店の中は一面に曇った硝子ガラスの壁にとり囲まれ、彼が毛糸の襟巻えりまきの端で、何んの気なしにSと大きく頭文字を拭きとったら、ひょっこり靄の中から蜜柑みかんとポンカンが現われた。女の笑顔が蜜柑の後ろでねていた。彼が硝子の戸を押してはいって行くと、女はつんとして、ナプキンの紙でこしらえた人形に燐寸マッチの火をつけていた。人形は燃えながら、灰皿の中に崩れ落ちて行った。燐寸の箱が粉々に卓子テーブルの上に散らかっていた。

――遅かった。
――……
――どうかしたの?
――……
――クリイムがついていますよ、口の廻りに。
――そう?
――僕は窓を見ていると、あれが人間の感情を浪漫的にするうるわしい象徴だと思うのです。
――そう?
――今も人のうようよときだされる会社の門を、僕もその一人となって吐きだされてきたのです。無数の後姿が、僕の前をどんどん追い越して、重なり合って、妙に淋しい背中の形を僕の瞳に残しながら、皆んなすいすいと消えて行くのです。街はひどい霧でね、その中にけたたましい電車のベルです自動車の頭灯ヘッドライトです。光りが廻ると、その輪の中にうようよと音もなくうごめく、ちょうど海の底の魚群のように、人、人、人、人、……僕が眼を上げると、ほら、あすこのデパアトメントストオアね、もう店を閉じて灯火は消えているのです。建物の輪廓が靄の中に溶けこんで、まるで空との境が解らないのです。すると、ぽつんと思いがけない高い所に、たった一つ、灯がはいっているのです。あすこの事務室で、きっと残務をとっている人々なのでしょう。僕は、……
――まあ、お饒舌しゃべりね、あんたは。どうかしてるんじゃない、今日?
――どうしてです。
――だって、だって眼にいっぱい涙をためて。
――霧ですよ。霧が睫毛まつげにたまったのです。
――あなたは、もう私と会ってくださらないおつもりなの?
――だって君は、どうしても、橋の向うへ僕を連れていってくれないんですもの。だから、……
 女はきゅうに黙ってしまった。彼女の顔に青いメランコリヤが、湖の面を走る雲の影のように動いて行った。しばらくして、
――いらっしてもいいのよ。だけど、……いらっしゃらない方がいいわ。

 町のはずれに橋があった。橋の向うはいつでも霧がかかっていた。女はその橋のたもとへ来ると、きまって、さよなら、と言った。そうして振り返りもせずに、さっさと橋を渡って帰って行った。彼はぼんやりと橋の袂の街灯にりかかって、靄の中に消えて行く女の後姿を見送っている。女が口吟くちずさんで行く「マズルカ」の曲に耳を傾けている。それからくるりとくびすを返して、あの曲りくねった露路の中を野犬のようにしょんぼりと帰ってくるのだった。
 炭火のない暗い小部屋の中で、シャツをひっぱりながら、あの橋の向うの彼女を知ることが、最近の彼の憧憬になっていた。だけど、女が来いと言わないのに、彼がひとりで橋を渡って行くことは、彼にとって、負けた気がしてできなかった。女はいつも定った時間に、蜜柑の後ろで彼を待っていた。女はシイカと言っていた。それ以外の名も、またどう書くのかさえも、彼は知らなかった。どうして彼女と識り合ったのかさえ、もう彼には実感がなかった。

     2

 夜が都会を包んでいた。新聞社の屋上庭園には、夜風が葬式のように吹いていた。一つの黒い人影が、ぼんやりと欄干から下の街を見下していた。大通りに沿って、二条に続いた街灯の連りが、限りなく真直ぐに走って、自動車の頭灯ヘッドライトが、魚の動きにつれて光る、夜の海の夜光虫のように交錯していた。
 階下の工場で、一分間に数千枚の新聞紙をりだす、アルバート会社製の高速度輪転機が、附近二十余軒の住民を、不眠性神経衰弱におとしいれながら、轟々ごうごうと廻転をし続けていた。
 油と紙と汗の臭いが、新大臣のお孫さんの笑顔だとか、花嫁の悲しげな眼差まなざし、あるいはイブセン、蒋介石、心中、保険魔、寺尾文子、荒木又右衛門、モラトリアム、……等といっしょに、荒縄でくくられ、トラックに積みこまれて、この大都会を地方へつなぐいくつかの停車場へ向けて送りだされていた。だから彼が、まるで黒いゴム風船のように、飄然ひょうぜんとこの屋上庭園に上ってきたとて、誰もとがめる人などありはしない。彼はシイカの事を考えていた。モーニングを着たらきっとあなたはよくお似合になるわよ、と言ったシイカの笑顔を。
 彼はそっとポケットから、クララ・ボウのプロマイドを取りだして眺めた。屋上に高くそびえた塔の廻りを、さっきから廻転している探海灯が、長い光りの尾の先で、都会の空を撫でながら一閃いっせんするたびに、クララ・ボウの顔がさっと明るく微笑ほほえんだが、暗くなるとまた、むっつりと暗闇の中で物を想いだした。彼女にはそういうところがあった。シイカには。
 彼女はいつも、会えば陽気にはしゃいでいるのだったが、マズルカを口吟くちずさみながら、橋の向うへ消えて行く彼女の後姿は、――会っていない時の、彼の想い出の中にきている彼女は、シイカは、墓場へ向う路のように淋しく憂鬱ゆううつだった。
 カリフォルニヤの明るい空の下で、溌溂はつらつと動いている少女の姿が、世界じゅうの無数のスクリンの上で、果物と太陽の香りを発散した。東洋人独特のしとやかさはあり、それに髪はってはいなかったが、シイカの面影にはどこかそのクララに似たところがあった。とりわけ彼女が、忘れものよ、と言って、心持首をかしげながら、彼の唇を求める時。シイカはどうしても写真をくれないので、――彼女は、人間が過去というものの中に存在していたという、たしかな証拠を残しておくことを、なぜかひどく嫌やがった。彼女はそれほど、瞬間の今の自分以外の存在を考えることを恐れていた。――だから、しかたなく彼はそのアメリカの女優のプロマイドを買ってきて、鼻のところを薄墨で少し低く直したのであった。
 彼がシイカといつものように果物屋の店で話をしていた時、Sunkist という字が話題に上った。彼はきっと、それは太陽サン接吻キッスされたという意味だと主張した。カリフォルニヤはいつも明るい空の下に、果物がいっぱい実っている。あすこに君によく似たクララが、元気に、男の心の中に咲いた春の花片を散らしている。――貞操を置き忘れたカメレオンのように、陽気で憂鬱で、……
 すると、シイカがきゅうに、ちょうど食べていたネーブルを指さして、どうしてこれネーブルって言うか知ってて? といた。それは伊太利イタリーのナポリで、……と彼が言いかけると、いいえ違ってよ。これは英語の navel、おへそって字からなまってきたのよ。ほら、ここんとこが、お臍のようでしょう。英語の先生がそう言ったわよ、とシイカが笑った。アリストテレスが言ったじゃないの、万物は臍を有す、って。そして彼女の真紅な着物のあざみの模様が、ふっくらとした胸のところで、激しい匂いをき散らしながら、揺れて揺れて、……こんなことを想いだしていたとてしかたがなかった。彼は何をしにこんな夜更よふけ、新聞社の屋上に上ってきたのだったか。
 彼はプロマイドをしまうと、そっと歩きだした。鳩の家の扉を開けると、いきなり一羽の伝書鳩を捕えて、マントの下にかくした。

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