惜しみなく愛は奪う |
角川文庫、角川書店 |
1969(昭和44)年1月30日改版 |
1979(昭和54)年4月30日発行改版14版 |
A兄
近来出遇わなかったひどい寒さもやわらぎはじめたので、兄の蟄伏期も長いことなく終わるだろう。しかし今年の冬はたんと健康を痛めないで結構だった。兄のような健康には、春の来るのがどのくらい祝福であるかをお察しする。
僕の生活の長い蟄眠期もようやく終わりを告げようとしているかに見える。十年も昔僕らがまだ札幌にいたころ、打ち明け話に兄にいっておいたことを、このごろになってやっと実行しようというのだ。自分ながら持って生まれた怯懦と牛のような鈍重さとにあきれずにはいられない。けれども考えてみると、僕がここまで辿り着くのには、やはりこれだけの長い年月を費やす必要があったのだ。今から考えると、ようこそ中途半端で柄にもない飛び上がり方をしないで済んだと思う。あのころには僕にはどこかに無理があった。あのころといわずつい昨今まで僕には自分で自分を鞭つような不自然さがあった。しかし今はもうそんなものだけはなくなった。僕の心は水が低いところに流れて行くような自然さをもって僕のしようとするところを肯んじている。全く僕は蟄虫が春光に遇っておもむろに眼を開くような悦ばしい気持ちでいることができる。僕は今不眠症にも犯されていず、特別に神経質にもなっていない。これだけは自分に満足ができる。
ただし蟄眠期を終わった僕がどれだけ新しい生活に対してゆくことができるか、あるいはある予期をもって進められる生活が、その予期を思ったとおりに成就してくれるか、それらの点に行くとさらに見当がつかない。これらについても十分の研究なり覚悟なりをしておくのが、事の順序であり、必要であるかもしれないけれども、僕は実にそういう段になると合理的になりえない男だ。未来は未来の手の中にあるとしておこう。来たるべきものをして来たるべきものを処置させよう。
結局僕の今度の生活の展開なり退縮なりは、全く僕一個に係った問題で、これが周囲に対していいことになるか、悪いことになるかはよくわからない。だけれども僕の人生哲学としては、僕は僕自身を至当に処理していくほかに、周囲に対しての本当に親切なやり方というものを見いだすことができない。僕自身を離れたところに何事かを成就しうると考える軽業のような仕事はできない。僕の従来の経験から割り出されたこの人生哲学がどこまで立証されるかは、僕の経験をさらに続行することによってのみ立証されることで、そのほかには立証のしようがないのだから仕方がない。
さて僕の最近の消息を兄に報じたついでに、もう一つお知らせするのは、僕がこの一月の「改造」に投じた小さな感想についてである。兄は読まなかったことと思うが「宣言一つ」というものを投書した。ところがこの論理の不徹底な、矛盾に満ちた、そして椏者の言葉のように、言うべきものを言い残したり、言うべからざるものを言い加えたりした一文が、存外に人々の注意を牽いて、いろいろの批評や駁撃に遇うことになった。その僕の感想文というのは、階級意識の確在を肯定し、その意識が単に相異なった二階級間の反目的意識に止まらず、かかる傾向を生じた根柢に、各階級に特異な動向が働いているのを認め、そしてその動向は永年にわたる生活と習慣とが馴致したもので、両階級の間には、生活様式の上にも、それから醸される思想の上にも、容易に融通しがたい懸隔のあることを感じ、現在においてはそれがブルジョアとプロレタリアの二階級において顕著に現われているのを見るという前提を頭に描いて筆を執ったものだ。そして僕の感ずるところが間違っていなければ、プロレタリアの人々は、在来ブルジョアの或るものを自分らの指導者として仰いでいる習慣を打破しようとしている。これは最近に生活の表面に現われ出た事実のうち最も注意すべきことだ。ところが芸術にたずさわっているものとしての僕は、ブルジョアの生活に孕まれ、そこに学び、そこに行ない、そこに考えるような境遇にあって今日まで過ごしてきたので不幸にもプロレタリアの生活思想に同化することにほとんど絶望的な困難を感ずる。生活や思想にはある程度まで近づくことができるとしても、その感情にまで自分をし向けていくことは不可能といって差し支えない。しかも僕はブルジョアは必ず消滅して、プロレタリアの生活、したがって文化が新たに起こらねばならぬと考えているものだ。ここに至って僕は何処に立つべきであるかということを定める立場を選ばねばならぬ。僕は芸術家としてプロレタリアを代表する作品を製作するに適していない。だから当然消滅せねばならぬブルジョアの一人として、そうした覚悟をもってブルジョアに訴えることに自分を用いねばならぬ。これがだいたい僕の主張なのである。僕にとっては、これほど明白な簡単な宣言はないのだ。本当をいうと、僕がもう少し謙遜らしい言葉遣いであの宣言をしたならば、そしてことさら宣言などいうたいそうな表現を用いなかったら、あの一文はもう少し人の同情を牽いたかもしれない。しかし僕の気持ちとしては、あれ以上謙遜にも、あれ以上大胆にも物をいうことができなかったのだ。この点においては反感を買おうとも、憐れみを受けようとも、そこは僕がまだ至らないのだとして沈黙しているよりいたしかたがない。
僕の感想文に対してまっ先に抗議を与えられたのは広津和郎氏と中村星湖氏とであったと記憶する。中村氏に対しては格別答弁はしなかったが、広津氏に対してはすぐに答えておいた(東京朝日新聞)。その後になって現われた批評には堺利彦氏と片山伸氏とのがある。また三上於菟吉氏も書いておられたが僕はその一部分より読まなかった。平林初之輔氏も簡単ながら感想を発表した。そのほか西宮藤朝氏も意見を示したとのことだったが、僕はついにそれを見る機会を持たなかった。
そこでこれらの数氏の所説に対する僕の感じを兄に報ずることになるのだが、それは兄にはたいして興味のある問題ではないかもしれない。僕自身もこんなことは一度言っておけばいいことで、こんなことが議論になって反覆応酬されては、すなわち単なる議論としての議論になっては、問題が問題だけに、鼻持ちのならないものになると思っている。しかし兄に僕の近況を報ずるとなると、まずこんなことを報ずるよりほかに事件らしい事件を持ち合わさない僕のことだから、兄の方で忍耐してそれを読むほかに策はあるまい。
僕の言ったことに対してとにかく親切な批評を与えたのは堺氏と片山氏とだった。堺氏は社会主義者としての立場から、片山氏は文明批評家としての立場から、だいたいにおいて立論している。この二氏の内の意見についての僕の考えを兄に報ずるに先立って、しつこいようだけれども、もう一度繰り返しておかなければならないのは、あの宣言なるものは僕一個の芸術家としての立場を決めるための宣言であって、それをすべての他の人にまであてはめて言おうとしているのではない、ということだ。それなら、なぜクロポトキンやマルクスや露国の革命をまで引き合いに出して物をいうかとの詰問もあろうけれども、それは僕自身の気持ちからいうならば、前掲の人人または事件をああ考えねばならなくなるという例を示したにすぎない。気持ちで議論をするのはけしからんといわれれば、僕も理窟だけで議論するのはけしからんと答えるほかはない。
堺氏は「およそ社会の中堅をもってみずから任じ、社会救済の原動力、社会矯正の規矩標準をもってみずから任じていた中流知識階級の人道主義者」を三種類に分け、その第三の範囲に、僕を繰り入れている。その第三の範囲というのは「労働階級の立場を是認するけれども、自分としては中流階級の自分、知識階級の自分としては、労働階級の立場に立って、その運動に参加するわけにはいかない。そこで彼らは、別に自分の中流階級的立場から、自分のできるだけのことをする」人たちであるというのだ。ここで問題になるのは「立場に立つ」という言葉だ。立場に立つとは単に思いやりだけで労働者の立場に立っていればいいのか、それとも自分が労働者になるということなのか。もし前者だとすると堺氏はいかにも労働者の立場に立っているのであり、後者だとすると堺氏といえども労働者の立場に立っているとは僕には思われない(僕に思われないばかりでなく、堺氏自身後者にあるものではないと僕に言明した)。今度は「運動に参加する」という言葉だ。堺氏はこれまで長い間運動に参加した人である。誰でもその真剣な努力に対しての功績を疑う人はなかろう。しかしながら以前と違って、労働階級が純粋に自分自身の力をもって動こうとしだしてきた現在および将来において、思いやりだけの生活態度で、労働者の運動に参加しようとすることが、はたして労働階級の承認するところとなるであろうか。僕はここに疑問を插むものである。結局堺氏は、末座ながら氏が「中流階級の人道主義者」とある軽侮なしにではなく呼びかけたところの人々の中に繰り入れられることになるのではなかろうか。すなわち、「自分の中流階級的立場から、自分のできるだけのことをする」人々の一人となるのではなかろうか。もし僕の堺氏について考えているところが誤っていないとしたら、そして僕が堺氏の立場にいたら、労働者の労働運動は労働者の手に委ねて、僕は自分の運動の範囲を中流階級に向け、そこに全力を尽くそうとするだろうというまでだ。そういう覚悟を取ることがかえって経過の純粋性を保ち、事件の推移の自然を助けるだろうと信ずるのだ。かかる態度が直接に万が一にも労働階級のためになることがあるかもしれない。中流階級に訴える僕の仕事が労働階級によって利用される結果になるかもしれない。しかしそれは僕が甫めから期待していたものではないので、結果が偶然にそうなったのにすぎないのだ。ある人が部屋の中を照らそうとして電燈を買って来た時、路上の人がそれを奪って往来安全の街燈に用いてさらに便利を得たとしても、電燈を買った人はそれを自分の功績とすることはできない。その「することはできない」という覚悟をもって自分の態度にしたいものだと僕は思うのだ。ここが客観的に物を見る人(片山氏のごときはその一人だと思う)と、前提しておいたように、僕自身の問題として物を見ようとする人との相違である。ここに来ると議論ではない、気持ちだ。兄はこの気持ちを推察してくれることができるとおもう。ここまでいうと「有島氏が階級争闘を是認し、新興階級を尊重し、みずから『無縁の衆生』と称し、あるいは『新興階級者に……ならしてもらおうとも思わない』といったりする……女性的な厭味」と堺氏の言った言葉を僕自身としては返上したくなる。
次に堺氏が「ルソーとレーニン」および「労働者と知識階級」と題した二節の論旨を読むと、正直のところ、僕は自分の申し分が奇矯に過ぎていたのを感ずる。
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