芥川龍之介全集3 |
ちくま文庫、筑摩書房 |
1986(昭和61)年12月1日 |
1996(平成8)年4月1日第8刷 |
1997(平成9)年4月15日第9刷 |
筑摩全集類聚版芥川龍之介全集 |
筑摩書房 |
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 |
一
宇治の大納言隆国「やれ、やれ、昼寝の夢が覚めて見れば、今日はまた一段と暑いようじゃ。あの松ヶ枝の藤の花さえ、ゆさりとさせるほどの風も吹かぬ。いつもは涼しゅう聞える泉の音も、どうやら油蝉の声にまぎれて、反って暑苦しゅうなってしもうた。どれ、また童部たちに煽いででも貰おうか。
「何、往来のものどもが集った? ではそちらへ参ると致そう。童部たちもその大団扇を忘れずに後からかついで参れ。
「やあ、皆のもの、予が隆国じゃ。大肌ぬぎの無礼は赦してくれい。
「さて今日はその方どもにちと頼みたい事があって、わざと、この宇治の亭へ足を止めて貰うたのじゃ。と申すはこの頃ふとここへ参って、予も人並に双紙を一つ綴ろうと思い立ったが、つらつら独り考えて見れば、生憎予はこれと云うて、筆にするほどの話も知らぬ。さりながらあだ面倒な趣向などを凝らすのも、予のような怠けものには、何より億劫千万じゃ。ついては今日から往来のその方どもに、今は昔の物語を一つずつ聞かせて貰うて、それを双紙に編みなそうと思う。さすれば内裡の内外ばかりうろついて居る予などには、思いもよらぬ逸事奇聞が、舟にも載せ車にも積むほど、四方から集って参るに相違あるまい。何と、皆のもの、迷惑ながらこの所望を叶えてくれる訳には行くまいか。
「何、叶えてくれる? それは重畳、では早速一同の話を順々にこれで聞くと致そう。
「こりゃ童部たち、一座へ風が通うように、その大団扇で煽いでくれい。それで少しは涼しくもなろうと申すものじゃ。鋳物師も陶器造も遠慮は入らぬ。二人ともずっとこの机のほとりへ参れ。鮓売の女も日が近くば、桶はその縁の隅へ置いたが好いぞ。わ法師も金鼓を外したらどうじゃ。そこな侍も山伏も簟を敷いたろうな。
「よいか、支度が整うたら、まず第一に年かさな陶器造の翁から、何なりとも話してくれい。」
二
翁「これは、これは、御叮嚀な御挨拶で、下賤な私どもの申し上げます話を、一々双紙へ書いてやろうと仰有います――そればかりでも、私の身にとりまして、どのくらい恐多いかわかりません。が、御辞退申しましては反って御意に逆う道理でございますから、御免を蒙って、一通り多曖もない昔話を申し上げると致しましょう。どうか御退屈でもしばらくの間、御耳を御借し下さいまし。
「私どものまだ年若な時分、奈良に蔵人得業恵印と申しまして、途方もなく鼻の大きい法師が一人居りました。しかもその鼻の先が、まるで蜂にでも刺されたかと思うくらい、年が年中恐しくまっ赤なのでございます。そこで奈良の町のものが、これに諢名をつけまして、鼻蔵――と申しますのは、元来大鼻の蔵人得業と呼ばれたのでございますが、それではちと長すぎると申しますので、やがて誰云うとなく鼻蔵人と申し囃しました。が、しばらく致しますと、それでもまだ長いと申しますので、さてこそ鼻蔵鼻蔵と、謡われるようになったのでございます。現に私も一両度、その頃奈良の興福寺の寺内で見かけた事がございますが、いかさま鼻蔵とでも譏られそうな、世にも見事な赤鼻の天狗鼻でございました。その鼻蔵の、鼻蔵人の、大鼻の蔵人得業の恵印法師が、ある夜の事、弟子もつれずにただ一人そっと猿沢の池のほとりへ参りまして、あの采女柳の前の堤へ、『三月三日この池より竜昇らんずるなり』と筆太に書いた建札を、高々と一本打ちました。けれども恵印は実の所、猿沢の池に竜などがほんとうに住んでいたかどうか、心得ていた訳ではございません。ましてその竜が三月三日に天上すると申す事は、全く口から出まかせの法螺なのでございます。いや、どちらかと申しましたら、天上しないと申す方がまだ確かだったのでございましょう。ではどうしてそんな入らざる真似を致したかと申しますと、恵印は日頃から奈良の僧俗が何かにつけて自分の鼻を笑いものにするのが不平なので、今度こそこの鼻蔵人がうまく一番かついだ挙句、さんざん笑い返してやろうと、こう云う魂胆で悪戯にとりかかったのでございます。御前などが御聞きになりましたら、さぞ笑止な事と思召しましょうが、何分今は昔の御話で、その頃はかような悪戯を致しますものが、とかくどこにもあり勝ちでございました。
「さてあくる日、第一にこの建札を見つけましたのは、毎朝興福寺の如来様を拝みに参ります婆さんで、これが珠数をかけた手に竹杖をせっせとつき立てながら、まだ靄のかかっている池のほとりへ来かかりますと、昨日までなかった建札が、采女柳の下に立って居ります。はて法会の建札にしては妙な所に立っているなと不審には思ったのでございますが、何分文字が読めませんので、そのまま通りすぎようと致しました時、折よく向うから偏衫を着た法師が一人、通りかかったものでございますから、頼んで読んで貰いますと、何しろ『三月三日この池より竜昇らんずるなり』で、――誰でもこれには驚いたでございましょう。その婆さんも呆気にとられて、曲った腰をのしながら、『この池に竜などが居りましょうかいな。』と、とぼんと法師の顔を見上げますと、法師は反って落ち着き払って、『昔、唐のある学者が眉の上に瘤が出来て、痒うてたまらなんだ事があるが、ある日一天俄に掻き曇って、雷雨車軸を流すがごとく降り注いだと見てあれば、たちまちその瘤がふっつと裂けて、中から一匹の黒竜が雲を捲いて一文字に昇天したと云う話もござる。瘤の中にさえ竜が居たなら、ましてこれほどの池の底には、何十匹となく蛟竜毒蛇が蟠って居ようも知れぬ道理じゃ。』と、説法したそうでございます。何しろ出家に妄語はないと日頃から思いこんだ婆さんの事でございますから、これを聞いて肝を消しますまい事か、『成程そう承りますれば、どうやらあの辺の水の色が怪しいように見えますわいな。』で、まだ三月三日にもなりませんのに、法師を独り後に残して、喘ぎ喘ぎ念仏を申しながら、竹杖をつく間もまだるこしそうに急いで逃げてしまいました。後で人目がございませんでしたら、腹を抱えたかったのはこの法師で――これはそうでございましょう。実はあの発頭人の得業恵印、諢名は鼻蔵が、もう昨夜建てた高札にひっかかった鳥がありそうだくらいな、はなはだ怪しからん量見で、容子を見ながら、池のほとりを、歩いて居ったのでございますから。が、婆さんの行った後には、もう早立ちの旅人と見えて、伴の下人に荷を負わせた虫の垂衣の女が一人、市女笠の下から建札を読んで居るのでございます。そこで恵印は大事をとって、一生懸命笑を噛み殺しながら、自分も建札の前に立って一応読むようなふりをすると、あの大鼻の赤鼻をさも不思議そうに鳴らして見せて、それからのそのそ興福寺の方へ引返して参りました。
「すると興福寺の南大門の前で、思いがけなく顔を合せましたのは、同じ坊に住んで居った恵門と申す法師でございます。それが恵印に出会いますと、ふだんから片意地なげじげじ眉をちょいとひそめて、『御坊には珍しい早起きでござるな。これは天気が変るかも知れませぬぞ。』と申しますから、こちらは得たり賢しと鼻を一ぱいににやつきながら、『いかにも天気ぐらいは変るかも知れませぬて。聞けばあの猿沢の池から三月三日には、竜が天上するとか申すではござらぬか。』と、したり顔に答えました。これを聞いた恵門は疑わしそうに、じろりと恵印の顔を睨めましたが、すぐに喉を鳴らしながらせせら笑って、『御坊は善い夢を見られたな。いやさ、竜の天上するなどと申す夢は吉兆じゃとか聞いた事がござる。』と、鉢の開いた頭を聳かせたまま、行きすぎようと致しましたが、恵印はまるで独り言のように、『はてさて、縁無き衆生は度し難しじゃ。』と、呟いた声でも聞えたのでございましょう。麻緒の足駄の歯をって、憎々しげにふり返りますと、まるで法論でもしかけそうな勢いで、『それとも竜が天上すると申す、しかとした証拠がござるかな。』と問い詰るのでございます。そこで恵印はわざと悠々と、もう朝日の光がさし始めた池の方を指さしまして、『愚僧の申す事が疑わしければ、あの采女柳の前にある高札を読まれたがよろしゅうござろう。』と、見下すように答えました。これにはさすがに片意地な恵門も、少しは鋒を挫かれたのか、眩しそうな瞬きを一つすると、『ははあ、そのような高札が建ちましたか。』と気のない声で云い捨てながら、またてくてくと歩き出しましたが、今度は鉢の開いた頭を傾けて、何やら考えて行くらしいのでございます。その後姿を見送った鼻蔵人の可笑しさは、大抵御推察が参りましょう。恵印はどうやら赤鼻の奥がむず痒いような心もちがして、しかつめらしく南大門の石段を上って行く中にも、思わず吹き出さずには居られませんでした。
「その朝でさえ『三月三日この池より竜昇らんずるなり』の建札は、これほどの利き目がございましたから、まして一日二日と経って見ますと、奈良の町中どこへ行っても、この猿沢の池の竜の噂が出ない所はございません。元より中には『あの建札も誰かの悪戯であろう。』など申すものもございましたが、折から京では神泉苑の竜が天上致したなどと申す評判もございましたので、そう云うものさえ内心では半信半疑と申しましょうか、事によるとそんな大変があるかも知れないぐらいな気にはなって居ったのでございます。するとここにまた思いもよらない不思議が起ったと申しますのは、春日の御社に仕えて居りますある禰宜の一人娘で、とって九つになりますのが、その後十日と経たない中に、ある夜母の膝を枕にしてうとうとと致して居りますと、天から一匹の黒竜が雲のように降って来て、『わしはいよいよ三月三日に天上する事になったが、決してお前たち町のものに迷惑はかけない心算だから、どうか安心していてくれい。』と人語を放って申しました。そこで娘は目がさめるとすぐにこれこれこうこうと母親に話しましたので、さては猿沢の池の竜が夢枕に立ったのだと、たちまちまたそれが町中の大評判になったではございませんか。こうなると話にも尾鰭がついて、やれあすこの稚児にも竜が憑いて歌を詠んだの、やれここの巫女にも竜が現れて託宣をしたのと、まるでその猿沢の池の竜が今にもあの水の上へ、首でも出しそうな騒ぎでございます。いや、首までは出しも致しますまいが、その中に竜の正体を、目のあたりにしかと見とどけたと申す男さえ出て参りました。これは毎朝川魚を市へ売りに出ます老爺で、その日もまだうす暗いのに猿沢の池へかかりますと、あの采女柳の枝垂れたあたり、建札のある堤の下に漫々と湛えた夜明け前の水が、そこだけほんのりとうす明く見えたそうでございます。何分にも竜の噂がやかましい時分でございますから、『さては竜神の御出ましか。』と、嬉しいともつかず、恐しいともつかず、ただぶるぶる胴震いをしながら、川魚の荷をそこへ置くなり、ぬき足にそっと忍び寄ると、采女柳につかまって、透かすように、池を窺いました。するとそのほの明い水の底に、黒金の鎖を巻いたような何とも知れない怪しい物が、じっと蟠って居りましたが、たちまち人音に驚いたのか、ずるりとそのとぐろをほどきますと、見る見る池の面に水脈が立って、怪しい物の姿はどことも知れず消え失せてしまったそうでございます。が、これを見ました老爺は、やがて総身に汗をかいて、荷を下した所へ来て見ますと、いつの間にか鯉鮒合せて二十尾もいた商売物がなくなっていたそうでございますから、『大方劫を経た獺にでも欺されたのであろう。』などと哂うものもございました。けれども中には『竜王が鎮護遊ばすあの池に獺の棲もう筈もないから、それはきっと竜王が魚鱗の命を御憫みになって、御自分のいらっしゃる池の中へ御召し寄せなすったのに相違ない。』と申すものも、思いのほか多かったようでございます。
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