現代日本文学大系 43 芥川龍之介集 |
筑摩書房 |
1968(昭和43)年8月25日 |
1968(昭和43)年8月25日初版第1刷 |
上
友だち 処でね、一つ承りたい事があるんだが。
世之助 何だい。馬鹿に改まつて。
友だち それがさ。今日はふだんとちがつて、君が近々に伊豆の何とか云ふ港から船を出して、女護ヶ島へ渡らうと云ふ、その名残りの酒宴だらう。
世之助 さうさ。
友だち だから、こんな事を云ひ出すのは、何だか一座の興を殺ぐやうな気がして、太夫の手前も、聊恐縮なんだがね。
世之助 そんならよせばいいぢやないか。
友だち 処が、よせないね。よせる位なら、始から云ひ出しはしない。
世之助 ぢや話すさ。
友だち それがさ、さう中々簡単には行かない訳がある。
世之助 何故?
友だち 尋く方も、尋かれる方も、あんまり難有い事ぢやないからね。尤も君が愈いいと云へば、私も度胸を据ゑて、承る事にするが。
世之助 何だい、一体。
友だち まあさ、君は何だと思ふ。
世之助 ぢれつたい男だな。何だつて云へば。
友だち いやさう開き直られると、反つて云ひ出しにくいがね。つまり何さ。――この頃西鶴が書いた本で見ると、君は七つの時から女を知つて……、
世之助 おい、おい、まさか意見をする気ぢやあるまいね。
友だち 大丈夫、叔父さんがまだ若すぎる。――そこで、六十歳の今日まで、三千七百四十二人の女に戯れ……
世之助 こいつはちと手きびしいな。
友だち まあさ、三千七百四十二人の女に戯れ、七百二十五人の少人を弄んだと云ふ事だが、あれは君、ほんたうかい。
世之助 ほんたうだよ。ほんたうだが、精々お手柔かに願ひたいな。
友だち それが、どうも私には少し真にうけられないんだね。いくら何だつて君、三千七百四十二人は多すぎるよ。
世之助 成程ね。
友だち いくら君を尊敬した上でもだよ。
世之助 ぢや勝手に割引して置くさ。――太夫が笑つてゐるぜ。
友だち いくら太夫が笑つてゐても、この儘にはすまされない。白状すればよし、さもなければ、――
世之助 盛りつぶすか。そいつは御免を蒙らう。何もそんなにむづかしい事ぢやない。唯、私の算盤が、君のと少しちがつてゐるだけなんだ。
友だち ははあ、すると一桁狂つたと云ふ次第かい。
世之助 いいえ。
友だち ぢや――おい、どつちがぢれつたい男だつけ。
世之助 だが君も亦、つまらない事を気にしたもんだ。
友だち 気にするつて訳ぢやないが、私だつて男だらうぢやないか。何割引くか判然しない中は首を切られても、引きさがらない。
世之助 困つた男だな。それならお名残りに一つ、私の算盤のとり方を話さうか。――おい、加賀節はしばらく見合せだ。その祐善の絵のある扇をこつちへよこしてくれ。それから、誰か蝋燭の心を切つて貰ひたいな。
友だち いやに大袈裟だぜ――かう静になつて見ると、何だか桜もさむいやうだ。
世之助 ぢや、始めるがね。勿論唯一例を話すだけなんだから、どうかそのつもりに願ひたい。
中
もう彼是三十年ばかり昔の事だ。私が始めて、江戸へ下つた時に、たしか吉原のかへりだつたと思ふが、太鼓を二人ばかりつれて、角田川の渡しを渡つた事がある。どこの渡しだつたか、それも今では覚えてゐない。どこへ行くつもりだつたか、それももう忘れてしまつた。が、その時の容子だけは、かう云ふ中にも、朧げながら眼の前へ浮んで来る。……
何でも花曇りの午すぎで、川すぢ一帯、どこを見ても、煮え切らない、退屈な景色だつた。水も生ぬるさうに光つてゐれば、向う河岸の家並も、うつらうつら夢を見てゐるやうに思はれる。後をふり返ると、土手の松にまじつて、半開の桜が、べつたり泥絵具をなすつてゐた。その又やけに白いのが、何時になく重くるしい。その上少し時候はづれの暖さで、体さへ動かせば、すぐじつとりと汗がにじむ。勿論さう云ふ陽気だから、水の上にも、吐息程の風さへない。
乗合は三人で、一人は国姓爺の人形芝居からぬけ出して来たやうな、耳の垢取り、一人は廿七八の、眉をおとした町家の女房、もう一人はその伴らしい、洟をたらした丁稚だつた。それが互に膝をつき合せて凡まん中どころに蹲つたが、何分舟が小さいので、窮屈な事夥しい。そこへ又人が多すぎたせゐか、ともすれば、舷が水にひたりさうになる。が、船頭は一向平気なもので、無愛想な老爺の、竹の子笠をかぶつたのが、器用に右左へ棹を使ふ。おまけにその棹の雫が、時々乗合の袖にかかるが、船頭はこれにも頓着する容子がない。――いや、平気なのは、まだ外にもある。それは例の甘輝字は耳の垢とりで、怪しげな唐装束に鳥の羽毛のついた帽子をかぶりながら、言上げの幟を肩に、獅子ヶ城の櫓へ上つたと云ふ形で、舳の先へ陣どつたのが、船の出た時から、つけ髯をしごいては、しきりに鼻唄をうたつてゐる。眉のうすい、うけ唇の、高慢な顔を、仔細らしくしやくりながら、「さん谷土手下にぬしのない子がすててんある」と、そそるのだから、これには私ばかりか、太鼓たちも聊たじろいだらしい。
「唐人の『すててん節』は、はじめてでげす。」
一人が、扇をぱちつかせながら、情ない声を出して、かう云つた。すると、それが聞えたのだらう。私と向ひあつてゐた女房が、ちよいと耳の垢とりの方を見ると、すぐその眼を私にかへして、鉄漿をつけた歯を見せながら、愛想よく微笑した。黒い、つやつやした歯が、ちらりと唇を洩れたかと思ふと、右の頬にあさく靨が出来る。唇には紅がぬつてあるらしい。――それを見ると、私は妙にへどもどして、悪い事でも見つけられた時のやうな、一種の羞恥に襲はれてしまつた。
が、かう云つたばかりでは、唐突すぎる。曰くは、この舟へ乗つたそもそもからあつたのだから。――と云ふのは、最初、土手を下りて、あぶなつかしい杭を力に、やつと舟へ乗つたと思ふと、足のふみどころが悪かつたので、舷が水をあほると同時に、大きく一つぐらりとゆれる。その拍子に、伽羅の油のにほひが、ぷんと私の鼻を打つた。舟の中に、女がゐる――その位な事は、土手の上から川を見下した時に、知つてゐた。が、唯女がゐると云ふだけで、(廓のかへりではあるし)それが格別痛切にさう思つてゐた訳でも何でもない。だから、伽羅の油のにほひを嗅ぐと、私は、まづ意外な感じがした。さうしてその意外の感じの後には、すぐに一種の刺戟を感じた。
唯にほひだからと云つても、決して馬鹿にしたものではない。少くとも私にとつては、大抵な事が妙に嗅覚と関係を持つてゐる。早い話が子供の時の心もちだ。手習に行くと、よくいたづらつ子にいぢめられる。それも、師匠に云ひつければ、後の祟が恐ろしい。そこで、涙をのみこんで、一生懸命に又、草紙をよごしに行く。さう云ふ時のさびしい、たよりのない心もちは、成人になるにつれて、忘れてしまふ。或は思ひ出さうとしても、容易に思ひ出し悪い。それが腐つた灰墨のにほひを嗅ぐと、何時でも私には、そんな心もちがかへつて来る。さうして、子供の時の喜びと悲しみとが、もう一度私を甘やかしてくれる。――が、これは余事だ。私は唯、伽羅の油のにほひが、急にこの女房の方へ、私の注意を持つて行つた事さへ話せばよい。
さて、気がついて、相手を見ると、黒羽二重の小袖に裾取の紅うらをやさしく出した、小肥りな女だつた。が、唐織寄縞の帯を前でむすんだ所と云ひ、投島田に平元結をかけて対のさし櫛をした所と云ひ、素人とは思はれない位な、なまめかしさだ。顔はあの西鶴の、「当世の顔はすこしまろく、色はうすはな桜にて」と云ふやつだが、「面道具の四つ不足なく揃ひて」はちと覚束ない。白粉にかくれてはゐるが、雀斑も少々ある。口もとや鼻つきも、稍下品だつた。が、幸生際がいいので、さう云ふ難も、大して目に立たない。――私はまだ残つてゐた昨夜の酔が、急にさめたやうな心もちがして、その女の側へ腰を下した。その下した時に又、曰くがある。
曰くといふのは、私の膝が、先方の膝にさはつたのだ。私は卵色縮緬の小袖を着てゐる。下は多分肌着に、隠し緋無垢だつたらう。それでも、私には、向ふの膝がわかつた。着物を着た膝ではない。体の膝がわかつたのだ。柔な円みの上に、かすかなくぼみが、うすく膚膩をためてゐる――その膝がわかつたのだ。
私は、膝と膝とを合せたまま、太鼓を相手に気のない冗談を云ひながら、何かを待設けるやうな心もちで、ぢつと身動きもしないでゐた。勿論その間も、伽羅の油のにほひと、京おしろいのにほひとは、絶えず私の鼻を襲つて来る。そこへ、少したつ中には、今度は向ふの体温が、こちらの膝へ伝はつて来た。それを感じた時のむづ痒いやうな一種の戦慄は、到底形容する語がない。私は唯、それを私自身の動作に飜訳する事が出来るだけだ。――私は、眼を軽くつぶりながら、鼻の穴を大きくして、深くゆるやかな呼吸をした。それで君に、すべてを察して貰ふより外はない。
が、さう云ふ感覚的な心もちは、すぐにもう少し智的な欲望をよび起した。先方も私と同じ心もちでゐるだらうか。同じ感覚的な快さを感じてゐるだらうか。――それはかう云ふ疑問だつた。そこで私は、顔をあげて、わざと、平気を装ひながら、ぢつと向ふの顔を見た。が、そのつけやきばの平気は、すぐに裏切られるやうな運命を持つてゐた。何故かと云ふと、相手の女房は、その稍汗ばんだ、顔の筋肉のゆるみ方と、吸ふものをさがしてゐるやうな、かすかな唇のふるへ方とで、私の疑問を明かに肯定してくれたから、さうして、その上に、私自身の心もちを知つてゐて、その知つてゐる事に、或満足を感じてゐる事さへも、わからせてくれたから――私は聊か恐縮しながら、てれがくしに太鼓の方をふりむいた。
「唐人の『すててん節』は始てでげす。」
太鼓がかう云つたのは、丁度その時だつた。耳の垢とりの鼻唄を笑つた女房と、私が思はず眼を見合せて、一種の羞恥を感じたのは、偶然でない。が、その羞恥は、当時、女房に対して感じた羞恥のやうな気がしてゐたが、後になつて考へて見ると、実は女房以外の人間に対して感じた羞恥だつた。いや、さう云つては、まだ語弊がある。人間がさう云ふ場合、一切の他人(この場合なら、女房も入れて)に対して感じる羞恥だつた。これは当時の私が、さう云ふ羞恥を感じながら、女房に対しては、次第により大胆になれたのも、わかりはしないだらうか。
私は全身のあらゆる感覚を出来る丈鋭くしながら、香を品する人のやうな態度で、相手の女房を「鑑賞した。」これは私が殆すべての女に対してする事だから、大方君にも以前に話した事があるだらう。――私は稍汗ばんだ女の顔の皮膚と、その皮膚の放散するにほひとを味つた。それから、感覚と感情との微妙な交錯に反応する、みづみづしい眼の使ひを味つた。それから、血色のいい頬の上で、かすかに動いてゐる睫毛の影を味つた。それから、膝へのせた手の、うるほひのある、しなやかな、指のくみ方を味つた。それから、膝と腰とにわたる、むつちりした、弾力のある、ゆたかな肉づきを味つた。それから――かう話して行けば、際限がないから、やめにするが、兎に角私はその女房の体を、あらゆる点から味つた。敢て、あらゆる点と云つても、差支へはない。私は感官の力の足りない所を、想像の働きで補つた。或は、その上に又、推理の裏打さへも施した。私の視覚、聴覚、嗅覚、触覚、温覚、圧覚、――どれ一つとして、この女房が満足させてくれなかつたものはない。いや実に、それ以上のものにさへ満足を与へてくれた。………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
「忘れものをおしでないよ。」
それから、かう云ふ声を聞いた。さうしてそれと同時に、今まで見えなかつた、女の細い喉が見えた。その蓮葉な、鼻にかかつた声と、白粉の少しむらになつた、肉のうすい喉とが、私に幾分の刺戟を与へるのは云ふまでもない。が、それよりも寧、私を動かしたのは、丁稚の方へふりむいた時の動作が、私の膝へ伝へてくれる、相手の膝の動き方であつた。私は前に、向ふの膝がわかつたと云つた。が、今はそれだけではない。向ふの膝のすべてが――それをつくつてゐる筋肉と関節とが、九年母の実と核とを舌の先にさぐるやうに、一つ一つ私には感じられた。黒羽二重の小袖は、私にとつてないにひとしかつたと云つても、過言ではない。これは、すぐ次に起つた最後の曰くを知つたなら、君も認めない訳には行かないだらう。
やがて、舟は桟橋についた。舳がとんと杭にあたると、耳の垢とりは、一番に向ふへとび上る。その途端に私は、わざと舟のあほりを食つたやうに装つて、(乗る時にも、さうだつたので、これは至極自然に見えるだらうと思つてゐた。)よろけながら、手を舷の上にある女房の手にかけた。さうして、太鼓に腰を支へられながら「これは失礼」と声をかけた。君はその時、私がどんな心もちだつたと思ふ? 私は、この接触から来る可也強い刺戟を予想してゐた。恐らく私の今までの経験は、最後の仕上げを受ける事だらうとさへも思つてゐた。が、この予想は見事に、外れてしまつたのではないか。私は勿論、滑な、寧つめたい皮膚の手ざはりと、柔かい、しかも力のある筋肉の抵抗とを感じた。しかし、それらは、結局今までの経験の反復にすぎない。同じ刺戟は、回数と共に力を減じて来る。ましてこの時は予想が大きい。私は索漠とした心もちで、静に私の手をはなさなければならなかつた。もし私の今までの経験が、完全にこの女房の体を鑑賞したのでなかつたなら、かう云ふ失望はどうして、説明する事が出来るだらう。私はこの女を、感覚的に知りつくした。――どうしても、かう考へるより外はない。
これは、またかう云ふ事から考へて見ても、わかるだらう。それは私が昨日なじんだ吉原の太夫と、今の女房とを、私の心もちの上でくらべて見るとする。成程一人は一夜中一しよに語りあかした。一人は僅の時間だけ、一つ舟に乗つてゐたのに過ぎない。が、その差別は、膚下一寸でなくなつてしまふ。どちらが私に、より多く満足を与へたか、それは殆どわからない。従つて、私が持つて居る愛惜も(もしさう云ふものがあるとすれば)全く同じやうなものである。私は右の耳に江戸清掻きの音を聞き、左の耳に角田川の水の音を聞いてゐるやうな心もちがした。さうしてそれが両方とも、同じ調子を出してゐるやうな心もちがした。
これは、私には兎も角も発見だつた。が、総じて、発見位、人間をさみしくするものはない。私は花曇りの下を、丁稚を伴につれて、その眉のあとの青い女房が、「ぬきあし中びねりのあるきかた」で、耳の垢とりの後から、桟橋を渡るのを見た時には、何とも云へずさびしかつた。勿論惚れた訳でも何でもない。唯向うでも大体私と同じやうな心もちでゐたと云ふ事は、私のさはつた手を動かさずにゐたのでも、わかるだらう。……
なに吉原の太夫? 太夫はまるでそれと反対な、小さい、人形のやうな、女だつた。
下
世之助 まづざつと、こんなものだつた。そこで、それ以来、その女のやうなものを関係した中へ勘定したから、合せて男女四干四百六十七人に戯れた事になると云ふ次第さ。
友だち 成程、さう聞けば尤もらしい。だが……
世之助 だが、何だい。
友だち だが、物騒な話ぢやないか。さうなると、女房や娘はうつかり外へも出されない訳だからね。
世之助 物騒でも、それがほんたうなのだから、仕方がない。
友だち して見ると、今にお上から、男女同席御法度の御布令でも出かねなからう。
世之助 この頃のやうぢや、その中に出るかも知れないね。が、出る時分には、私はもう女護ヶ島へ行つてゐる。
友だち 羨せるぜ。
世之助 なに女護ヶ島へ行つたつて、ここにゐたつて、大してかはりはしない。
友だち 今の算盤のとり方にすれば、さうだらう。
世之助 どうせ何でも泡沫夢幻だからね。さあ改めて、加賀節でも承らう。
(大正六年四月)
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