芥川龍之介全集5 |
ちくま文庫、筑摩書房 |
1987(昭和62)年2月24日 |
1995(平成7)年4月10日第6刷 |
1996(平成8)年7月15日第7刷 |
筑摩全集類聚版芥川龍之介全集 |
筑摩書房 |
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 |
わん
ある冬の日の暮、保吉は薄汚いレストランの二階に脂臭い焼パンを齧っていた。彼のテエブルの前にあるのは亀裂の入った白壁だった。そこにはまた斜かいに、「ホット(あたたかい)サンドウィッチもあります」と書いた、細長い紙が貼りつけてあった。(これを彼の同僚の一人は「ほっと暖いサンドウィッチ」と読み、真面目に不思議がったものである。)それから左は下へ降りる階段、右は直に硝子窓だった。彼は焼パンを齧りながら、時々ぼんやり窓の外を眺めた。窓の外には往来の向うに亜鉛屋根の古着屋が一軒、職工用の青服だのカアキ色のマントだのをぶら下げていた。
その夜学校には六時半から、英語会が開かれるはずになっていた。それへ出席する義務のあった彼はこの町に住んでいない関係上、厭でも放課後六時半まではこんなところにいるより仕かたはなかった。確か土岐哀果氏の歌に、――間違ったならば御免なさい。――「遠く来てこの糞のよなビフテキをかじらねばならず妻よ妻よ恋し」と云うのがある。彼はここへ来る度に、必ずこの歌を思い出した。もっとも恋しがるはずの妻はまだ貰ってはいなかった。しかし古着屋の店を眺め、脂臭い焼パンをかじり、「ホット(あたたかい)サンドウィッチ」を見ると、「妻よ妻よ恋し」と云う言葉はおのずから唇に上って来るのだった。
保吉はこの間も彼の後ろに、若い海軍の武官が二人、麦酒を飲んでいるのに気がついていた。その中の一人は見覚えのある同じ学校の主計官だった。武官に馴染みの薄い彼はこの人の名前を知らなかった。いや、名前ばかりではない。少尉級か中尉級かも知らなかった。ただ彼の知っているのは月々の給金を貰う時に、この人の手を経ると云うことだけだった。もう一人は全然知らなかった。二人は麦酒の代りをする度に、「こら」とか「おい」とか云う言葉を使った。女中はそれでも厭な顔をせずに、両手にコップを持ちながら、まめに階段を上り下りした。その癖保吉のテエブルへは紅茶を一杯頼んでも容易に持って来てはくれなかった。これはここに限ったことではない。この町のカフェやレストランはどこへ行っても同じことだった。
二人は麦酒を飲みながら、何か大声に話していた。保吉は勿論その話に耳を貸していた訣ではなかった。が、ふと彼を驚かしたのは、「わんと云え」と云う言葉だった。彼は犬を好まなかった。犬を好まない文学者にゲエテとストリントベルグとを数えることを愉快に思っている一人だった。だからこの言葉を耳にした時、彼はこんなところに飼ってい勝ちな、大きい西洋犬を想像した。同時にそれが彼の後ろにうろついていそうな無気味さを感じた。
彼はそっと後ろを見た。が、そこには仕合せと犬らしいものは見えなかった。ただあの主計官が窓の外を見ながら、にやにや笑っているばかりだった。保吉は多分犬のいるのは窓の下だろうと推察した。しかし何だか変な気がした。すると主計官はもう一度、「わんと云え。おい、わんと云え」と云った。保吉は少し体をじ曲げ、向うの窓の下を覗いて見た。まず彼の目にはいったのは何とか正宗の広告を兼ねた、まだ火のともらない軒燈だった。それから巻いてある日除けだった。それから麦酒樽の天水桶の上に乾し忘れたままの爪革だった。それから、往来の水たまりだった。それから、――あとは何だったにせよ、どこにも犬の影は見なかった。その代りに十二三の乞食が一人、二階の窓を見上げながら、寒そうに立っている姿が見えた。
「わんと云え。わんと云わんか!」
主計官はまたこう呼びかけた。その言葉には何か乞食の心を支配する力があるらしかった。乞食はほとんど夢遊病者のように、目はやはり上を見たまま、一二歩窓の下へ歩み寄った。保吉はやっと人の悪い主計官の悪戯を発見した。悪戯?――あるいは悪戯ではなかったかも知れない。なかったとすれば実験である。人間はどこまで口腹のために、自己の尊厳を犠牲にするか?――と云うことに関する実験である。保吉自身の考えによると、これは何もいまさらのように実験などすべき問題ではない。エサウは焼肉のために長子権を抛ち、保吉はパンのために教師になった。こう云う事実を見れば足りることである。が、あの実験心理学者はなかなかこんなことぐらいでは研究心の満足を感ぜぬのであろう。それならば今日生徒に教えた、De gustibus non est Disputandum である。蓼食う虫も好き好きである。実験したければして見るが好い。――保吉はそう思いながら、窓の下の乞食を眺めていた。
主計官はしばらく黙っていた。すると乞食は落着かなそうに、往来の前後を見まわし始めた。犬の真似をすることには格別異存はないにしても、さすがにあたりの人目だけは憚っているのに違いなかった。が、その目の定まらない内に、主計官は窓の外へ赤い顔を出しながら、今度は何か振って見せた。
「わんと云え。わんと云えばこれをやるぞ。」
乞食の顔は一瞬間、物欲しさに燃え立つようだった。保吉は時々乞食と云うものにロマンティックな興味を感じていた。が、憐憫とか同情とかは一度も感じたことはなかった。もし感じたと云うものがあれば、莫迦か嘘つきかだとも信じていた。しかし今その子供の乞食が頸を少し反らせたまま、目を輝かせているのを見ると、ちょいといじらしい心もちがした。ただしこの「ちょいと」と云うのは懸け値のないちょいとである。保吉はいじらしいと思うよりも、むしろそう云う乞食の姿にレムブラント風の効果を愛していた。
「云わんか? おい、わんと云うんだ。」
乞食は顔をしかめるようにした。
「わん。」
声はいかにもかすかだった。
「もっと大きく。」
「わん。わん。」
乞食はとうとう二声鳴いた。と思うと窓の外へネエベル・オレンジが一つ落ちた。――その先はもう書かずとも好い。乞食は勿論オレンジに飛びつき、主計官は勿論笑ったのである。
それから一週間ばかりたった後、保吉はまた月給日に主計部へ月給を貰いに行った。あの主計官は忙しそうにあちらの帳簿を開いたり、こちらの書類を拡げたりしていた。それが彼の顔を見ると、「俸給ですね」と一言云った。彼も「そうです」と一言答えた。が、主計官は用が多いのか、容易に月給を渡さなかった。のみならずしまいには彼の前へ軍服の尻を向けたまま、いつまでも算盤を弾いていた。
「主計官。」
保吉はしばらく待たされた後、懇願するようにこう云った。主計官は肩越しにこちらを向いた。その唇には明らかに「直です」と云う言葉が出かかっていた。しかし彼はそれよりも先に、ちゃんと仕上げをした言葉を継いだ。
「主計官。わんと云いましょうか? え、主計官。」
保吉の信ずるところによれば、そう云った時の彼の声は天使よりも優しいくらいだった。
西洋人
この学校へは西洋人が二人、会話や英作文を教えに来ていた。一人はタウンゼンドと云う英吉利人、もう一人はスタアレットと云う亜米利加人だった。
タウンゼンド氏は頭の禿げた、日本語の旨い好々爺だった。由来西洋人の教師と云うものはいかなる俗物にも関らずシェクスピイアとかゲエテとかを喋々してやまないものである。しかし幸いにタウンゼンド氏は文芸の文の字もわかったとは云わない。いつかウワアズワアスの話が出たら、「詩と云うものは全然わからぬ。ウワアズワアスなどもどこが好いのだろう」と云った。
保吉はこのタウンゼンド氏と同じ避暑地に住んでいたから、学校の往復にも同じ汽車に乗った。汽車はかれこれ三十分ばかりかかる。二人はその汽車の中にグラスゴオのパイプを啣えながら、煙草の話だの学校の話だの幽霊の話だのを交換した。セオソフィストたるタウンゼンド氏はハムレットに興味を持たないにしても、ハムレットの親父の幽霊には興味を持っていたからである。しかし魔術とか錬金術とか、occult sciences の話になると、氏は必ずもの悲しそうに頭とパイプとを一しょに振りながら、「神秘の扉は俗人の思うほど、開き難いものではない。むしろその恐しい所以は容易に閉じ難いところにある。ああ云うものには手を触れぬが好い」と云った。
もう一人のスタアレット氏はずっと若い洒落者だった。冬は暗緑色のオオヴァ・コートに赤い襟巻などを巻きつけて来た。この人はタウンゼンド氏に比べると、時々は新刊書も覗いて見るらしい。現に学校の英語会に「最近の亜米利加の小説家」と云う大講演をやったこともある。もっともその講演によれば、最近の亜米利加の大小説家はロバアト・ルイズ・スティヴンソンかオオ・ヘンリイだと云うことだった!
スタアレット氏も同じ避暑地ではないが、やはり沿線のある町にいたから、汽車を共にすることは度たびあった。保吉は氏とどんな話をしたか、ほとんど記憶に残っていない。ただ一つ覚えているのは、待合室の煖炉の前に汽車を待っていた時のことである。保吉はその時欠伸まじりに、教師と云う職業の退屈さを話した。すると縁無しの眼鏡をかけた、男ぶりの好いスタアレット氏はちょいと妙な顔をしながら、
「教師になるのは職業ではない。むしろ天職と呼ぶべきだと思う。You know, Socrates and Plato are two great teachers …… Etc.」と云った。
ロバアト・ルイズ・スティヴンソンはヤンキイでも何でも差支えない。が、ソクラテスとプレトオをも教師だったなどと云うのは、――保吉は爾来スタアレット氏に慇懃なる友情を尽すことにした。
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