芥川龍之介全集5 |
ちくま文庫、筑摩書房 |
1987(昭和62)年2月24日 |
1995(平成7)年4月10日第6刷 |
1987(昭和62)年2月24日第1刷 |
筑摩全集類聚版芥川龍之介全集 |
筑摩書房 |
1971(昭和46)年3月~11月 |
一
森の中。三人の盗人が宝を争っている。宝とは一飛びに千里飛ぶ長靴、着れば姿の隠れるマントル、鉄でもまっ二つに切れる剣――ただしいずれも見たところは、古道具らしい物ばかりである。
第一の盗人 そのマントルをこっちへよこせ。
第二の盗人 余計な事を云うな。その剣こそこっちへよこせ。――おや、おれの長靴を盗んだな。
第三の盗人 この長靴はおれの物じゃないか? 貴様こそおれの物を盗んだのだ。
第一の盗人 よしよし、ではこのマントルはおれが貰って置こう。
第二の盗人 こん畜生! 貴様なぞに渡してたまるものか。
第一の盗人 よくもおれを撲ったな。――おや、またおれの剣も盗んだな?
第三の盗人 何だ、このマントル泥坊め!
三人の者が大喧嘩になる。そこへ馬に跨った王子が一人、森の中の路を通りかかる。
王子 おいおい、お前たちは何をしているのだ? (馬から下りる)
第一の盗人 何、こいつが悪いのです。わたしの剣を盗んだ上、マントルさえよこせと云うものですから、――
第三の盗人 いえ、そいつが悪いのです。マントルはわたしのを盗んだのです。
第二の盗人 いえ、こいつ等は二人とも大泥坊です。これは皆わたしのものなのですから、――
第一の盗人 嘘をつけ!
第二の盗人 この大法螺吹きめ!
三人また喧嘩をしようとする。
王子 待て待て。たかが古いマントルや、穴のあいた長靴ぐらい、誰がとっても好いじゃないか?
第二の盗人 いえ、そうは行きません。このマントルは着たと思うと、姿の隠れるマントルなのです。
第一の盗人 どんなまた鉄の兜でも、この剣で切れば切れるのです。
第三の盗人 この長靴もはきさえすれば、一飛びに千里飛べるのです。
王子 なるほど、そう云う宝なら、喧嘩をするのももっともな話だ。が、それならば欲張らずに、一つずつ分ければ好いじゃないか?
第二の盗人 そんな事をしてごらんなさい。わたしの首はいつ何時、あの剣に切られるかわかりはしません。
第一の盗人 いえ、それよりも困るのは、あのマントルを着られれば、何を盗まれるか知れますまい。
第二の盗人 いえ、何を盗んだ所が、あの長靴をはかなければ、思うようには逃げられない訣です。
王子 それもなるほど一理窟だな。では物は相談だが、わたしにみんな売ってくれないか? そうすれば心配も入らないはずだから。
第一の盗人 どうだい、この殿様に売ってしまうのは?
第三の盗人 なるほど、それも好いかも知れない。
第二の盗人 ただ値段次第だな。
王子 値段は――そうだ。そのマントルの代りには、この赤いマントルをやろう、これには刺繍の縁もついている。それからその長靴の代りには、この宝石のはいった靴をやろう。この黄金細工の剣をやれば、その剣をくれても損はあるまい。どうだ、この値段では?
第二の盗人 わたしはこのマントルの代りに、そのマントルを頂きましょう。
第一の盗人と第三の盗人 わたしたちも申し分はありません。
王子 そうか。では取り換えて貰おう。
王子はマントル、剣、長靴等を取り換えた後、また馬の上に跨りながら、森の中の路を行きかける。
王子 この先に宿屋はないか?
第一の盗人 森の外へ出さえすれば「黄金の角笛」という宿屋があります。では御大事にいらっしゃい。
王子 そうか。ではさようなら。(去る)
第三の盗人 うまい商売をしたな。おれはあの長靴が、こんな靴になろうとは思わなかった。見ろ。止め金には金剛石がついている。
第二の盗人 おれのマントルも立派な物じゃないか? これをこう着た所は、殿様のように見えるだろう。
第一の盗人 この剣も大した物だぜ。何しろ柄も鞘も黄金だからな。――しかしああやすやす欺されるとは、あの王子も大莫迦じゃないか?
第二の盗人 しっ! 壁に耳あり、徳利にも口だ。まあ、どこかへ行って一杯やろう。
三人の盗人は嘲笑いながら、王子とは反対の路へ行ってしまう。
二
「黄金の角笛」と云う宿屋の酒場。酒場の隅には王子がパンを噛じっている。王子のほかにも客が七八人、――これは皆村の農夫らしい。
宿屋の主人 いよいよ王女の御婚礼があるそうだね。
第一の農夫 そう云う話だ。なんでも御壻になる人は、黒ん坊の王様だと云うじゃないか?
第二の農夫 しかし王女はあの王様が大嫌いだと云う噂だぜ。
第一の農夫 嫌いなればお止しなされば好いのに。
主人 ところがその黒ん坊の王様は、三つの宝ものを持っている。第一が千里飛べる長靴、第二が鉄さえ切れる剣、第三が姿の隠れるマントル、――それを皆献上すると云うものだから、欲の深いこの国の王様は、王女をやるとおっしゃったのだそうだ。
第二の農夫 御可哀そうなのは王女御一人だな。
第一の農夫 誰か王女をお助け申すものはないだろうか?
主人 いや、いろいろの国の王子の中には、そう云う人もあるそうだが、何分あの黒ん坊の王様にはかなわないから、みんな指を啣えているのだとさ。
第二の農夫 おまけに欲の深い王様は、王女を人に盗まれないように、竜の番人を置いてあるそうだ。
主人 何、竜じゃない、兵隊だそうだ。
第一の農夫 わたしが魔法でも知っていれば、まっ先に御助け申すのだが、――
主人 当り前さ、わたしも魔法を知っていれば、お前さんなどに任せて置きはしない。(一同笑い出す)
王子 (突然一同の中へ飛び出しながら)よし心配するな! きっとわたしが助けて見せる。
一同 (驚いたように)あなたが
王子 そうだ、黒ん坊の王などは何人でも来い。(腕組をしたまま、一同を見まわす)わたしは片っ端から退治して見せる。
主人 ですがあの王様には、三つの宝があるそうです。第一には千里飛ぶ長靴、第二には、――
王子 鉄でも切れる剣か? そんな物はわたしも持っている。この長靴を見ろ。この剣を見ろ。この古いマントルを見ろ。黒ん坊の王が持っているのと、寸分も違わない宝ばかりだ。
一同 (再び驚いたように)その靴が
その剣が
そのマントルが
主人 (疑わしそうに)しかしその長靴には、穴があいているじゃありませんか?
王子 それは穴があいている。が、穴はあいていても、一飛びに千里飛ばれるのだ。
主人 ほんとうですか?
王子 (憐むように)お前には嘘だと思われるかも知れない。よし、それならば飛んで見せる。入口の戸をあけて置いてくれ。好いか。飛び上ったと思うと見えなくなるぞ。
主人 その前に御勘定を頂きましょうか?
王子 何、すぐに帰って来る。土産には何を持って来てやろう。イタリアの柘榴か、イスパニアの真桑瓜か、それともずっと遠いアラビアの無花果か?
主人 御土産ならば何でも結構です。まあ飛んで見せて下さい。
王子 では飛ぶぞ。一、二、三!
王子は勢好く飛び上る。が、戸口へも届かない内に、どたりと尻餅をついてしまう。
一同どっと笑い立てる。
主人 こんな事だろうと思ったよ。
第一の農夫 干里どころか、二三間も飛ばなかったぜ。
第二の農夫 何、千里飛んだのさ。一度千里飛んで置いて、また千里飛び返ったから、もとの所へ来てしまったのだろう。
第一の農夫 冗談じゃない。そんな莫迦な事があるものか。
一同大笑いになる。王子はすごすご起き上りながら、酒場の外へ行こうとする。
主人 もしもし御勘定を置いて行って下さい。