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奉教人の死(ほうきょうにんのし)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-17 15:04:01  点击:  切换到繁體中文


 なれどあたりに居つた奉教人衆は、「ろおれんぞ」が健気けなげな振舞に驚きながらも、破戒の昔を忘れかねたのでもござらう。たちまち兎角の批判は風に乗つて、人どよめきの上を渡つて参つた。と申すは、「さすが親子の情あひは争はれぬものと見えた。己が身の罪を恥ぢて、このあたりへは影も見せなんだ『ろおれんぞ』が、今こそ一人子の命を救はうとて、火の中へはいつたぞよ」と、誰ともなく罵りかはしたのでござる。これにはおきなさへ同心と覚えて、「ろおれんぞ」の姿を眺めてからは、怪しい心の騒ぎを隠さうず為か、立ちつ居つ身を悶えて、何やらおろかしい事のみを、声高こわだかにひとりわめいて[#「わめいて」は底本では「わめいつて」]居つた。なれど当の娘ばかりは、狂ほしく大地にひざまづいて、両の手で顔をうづめながら、一心不乱に祈誓をらいて、身動きをする気色さへもござない。その空には火の粉が雨のやうに降りかかる。煙も地をはらつて、おもてを打つた。したが娘は黙然と頭を垂れて、身も世も忘れた祈り三昧ざんまいでござる。
 とかうする程に、ふたたび火の前に群つた人々が、一度にどつとどよめくかと見れば、髪をふり乱いた「ろおれんぞ」が、もろ手に幼子をかい抱いて、乱れとぶ焔の中から、あまくだるやうに姿をあらはいた。なれどその時、燃え尽きたうつばりの一つが、にはかに半ばから折れたのでござらう。凄じい音と共に、一なだれの煙焔えんえん半空なかぞらほとばしつたと思ふ間もなく、「ろおれんぞ」の姿ははたと見えずなつて、跡には唯火の柱が、珊瑚の如くそば立つたばかりでござる。
 あまりの凶事に心も消えて、「しめおん」をはじめ翁まで、居あはせた程の奉教人衆は、皆目のくらむ思ひがござつた。中にも娘はけたたましう泣き叫んで、一度は脛《はぎ》もあらはに躍り立つたが、やがていかづちに打たれた人のやうに、そのまま大地にひれふしたと申す。さもあらばあれ、ひれふした娘の手には、何時かあの幼い女の子が、生死不定しやうじふぢやうの姿ながら、ひしと抱かれて居つたをいかにしようぞ。ああ、広大無辺なる「でうす」の御知慧おんちゑ、御力は、何とたたへ奉ることばだにござない。燃え崩れる梁に打たれながら、「ろおれんぞ」が必死の力をしぼつて、こなたへ投げた幼子は、折よく娘の足もとへ、怪我もなくまろび落ちたのでござる。
 されば娘が大地にひれ伏して、嬉し涙にむせんだ声と共に、もろ手をさしあげて立つた翁の口からは、「でうす」の御慈悲をほめ奉る声が、自らおごそかに溢れて参つた。いや、まさに溢れようずけはひであつたとも申さうか。それより先に「しめおん」は、さかまく火の嵐の中へ、「ろおれんぞ」を救はうず一念から、真一文字に躍りこんだに由つて、翁の声はふたたび気づかはしげな、いたましい祈りのことばとなつて、夜空に高くあがつたのでござる。これは元より翁のみではござない。親子を囲んだ奉教人衆は、皆一同に声を揃へて、「御主、助け給へ」と、泣く泣く祈りを捧げたのぢや。して「びるぜん・まりや」の御子みこ、なべての人の苦しみと悲しみとをおのがものの如くに見そなはす、われらが御主「ぜす・きりしと」は、遂にこの祈りを聞き入れ給うた。見られい。むごたらしう焼けただれた「ろおれんぞ」は、「しめおん」が腕に抱かれて、早くも火と煙とのただ中から、救ひ出されて参つたではないか。
 なれどその夜の大変は、これのみではござなんだ。息も絶え絶えな「ろおれんぞ」が、とりあへず奉教人衆の手にかれて、風上にあつたあの「えけれしや」の門へ横へられた時の事ぢや。それまで幼子を胸に抱きしめて、涙にくれてゐた傘張の娘は、折から門へ出でられた伴天連の足もとにひざまづくと、並み居る人々の目前で、「この女子をなごは『ろおれんぞ』様の種ではおぢやらぬ。まことは妾が家隣の『ぜんちよ』の子と密通して、まうけた娘でおぢやるわいの」と思ひもよらぬ「こひさん」(懴悔)をつかまつた。その思ひつめた声ざまの震へと申し、その泣きぬれた双の眼のかがやきと申し、この「こひさん」には、露ばかりの偽さへ、あらうとは思はれ申さぬ。道理ことわりかな、肩を並べた奉教人衆は、天を焦がす猛火も忘れて、息さへつかぬやうに声を呑んだ。
 娘が涙ををさめて、申し次いだは、「妾は日頃『ろおれんぞ』様を恋ひ慕うて居つたなれど、御信心の堅固さからあまりにつれなくもてなされる故、つい怨む心も出て、腹の子を『ろおれんぞ』様の種と申し偽り、妾につらかつた口惜しさを思ひ知らさうと致いたのでおぢやる。なれど『ろおれんぞ』様のお心の気高さは、妾が大罪をも憎ませ給はいで、今宵は御身の危さをもうち忘れ、『いんへるの』(地獄)にもまがふ火焔の中から、妾娘の一命をかたじけなくも救はせ給うた。その御憐み、御計らひ、まことに御主『ぜす・きりしと』の再来かともをがまれ申す。さるにても妾が重々の極悪を思へば、この五体はたちまち『ぢやぼ』の爪にかかつて、寸々に裂かれようとも、中々怨む所はおぢやるまい。」娘は「こひさん」を致いも果てず、大地に身を投げて泣き伏した。
 二重三重ふたへみへに群つた奉教人衆の間から、「まるちり」(殉教)ぢや、「まるちり」ぢやと云ふ声が、波のやうに起つたのは、丁度この時の事でござる。殊勝にも「ろおれんぞ」は、罪人を憐む心から、御主「ぜす・きりしと」の御行跡を踏んで、乞食にまで身を落いた。して父と仰ぐ伴天連も、兄とたのむ「しめおん」も、皆その心を知らなんだ。これが「まるちり」でなうて、何でござらう。
 したが、当の「ろおれんぞ」は、娘の「こひさん」を聞きながらも、僅に二三度うなづいて見せたばかり、髪は焼け肌は焦げて、手も足も動かぬ上に、口をきかう気色けしきさへも今は全く尽きたげでござる。娘の「こひさん」に胸を破つた翁と「しめおん」とは、その枕がみにうづくまつて、何かと介抱を致いて居つたが、「ろおれんぞ」の息は、刻々に短うなつて、最期さいごももはや遠くはあるまじい。唯、日頃と変らぬのは、遙に天上を仰いで居る、星のやうな瞳の色ばかりぢや。
 やがて娘の「こひさん」に耳をすまされた伴天連は、吹きすさぶ夜風に白ひげをなびかせながら、「さんた・るちや」の門を後にして、おごそかに申されたは、「悔い改むるものは、さいはひぢや。何しにその幸なものを、人間の手に罰しようぞ。これよりますます、『でうす』の御戒おんいましめを身にしめて、心静に末期まつご御裁判おんさばきの日を待つたがよい。又『ろおれんぞ』がわが身の行儀を、御主『ぜす・きりしと』とひとしく奉らうず志は、この国の奉教人衆の中にあつても、たぐひ稀なる徳行でござる。別して少年の身とは云ひ――」ああ、これは又何とした事でござらうぞ。ここまで申された伴天連は、にはかにはたと口をつぐんで、あたかも「はらいそ」の光を望んだやうに、ぢつと足もとの「ろおれんぞ」の姿を見守られた。そのうやうやしげな容子ようすはどうぢや。その両の手のふるへざまも、尋常よのつねの事ではござるまい。おう、伴天連のからびた頬の上には、とめどなく涙が溢れ流れるぞよ。
 見られい。「しめおん」。見られい。傘張の翁。御主「ぜす・きりしと」の御血潮よりも赤い、火の光を一身に浴びて、声もなく「さんた・るちや」の門に横はつた、いみじくも美しい少年の胸には、焦げ破れたころものひまから、清らかな二つの乳房が、玉のやうにあらはれて居るではないか。今は焼けただれた面輪おもわにも、おのづからなやさしさは、隠れようすべもあるまじい。おう、「ろおれんぞ」は女ぢや。「ろおれんぞ」は女ぢや。見られい。猛火を後にして、垣のやうに佇んでゐる奉教人衆、邪淫の戒を破つたに由つて「さんた・るちや」をはれた「ろおれんぞ」は、傘張の娘と同じ、なざしのあでやかなこの国の女ぢや。
 まことにその刹那せつなの尊い恐しさは、あたかも「でうす」の御声が、星の光も見えぬ遠い空から、伝はつて来るやうであつたと申す。されば「さんた・るちや」の前に居並んだ奉教人衆は、風に吹かれる穂麦のやうに、誰からともなく頭を垂れて、ことごとく「ろおれんぞ」のまはりにひざまづいた。その中で聞えるものは、唯、空をどよもして燃えしきる、万丈の焔の響ばかりでござる。いや、誰やらのすすり泣く声も聞えたが、それは傘張の娘でござらうか。或は又自ら兄とも思うた、あの「いるまん」の「しめおん」でござらうか。やがてその寂寞じやくまくたるあたりをふるはせて、「ろおれんぞ」の上に高く手をかざしながら、伴天連の御経をせられる声が、おごそかに悲しく耳にはいつた。して御経の声がやんだ時、「ろおれんぞ」と呼ばれた、この国のうら若い女は、まだ暗い夜のあなたに、「はらいそ」の「ぐろおりや」を仰ぎ見て、安らかなほほ笑みを唇に止めたまま、静に息が絶えたのでござる。……
 その女の一生は、この外に何一つ、知られなんだげに聞き及んだ。なれどそれが、何事でござらうぞ。なべて人の世の尊さは、何ものにも換へ難い、刹那の感動に極るものぢや。暗夜の海にもたとへようず煩悩心ぼんなうしんの空に一波をあげて、いまだ出ぬ月の光を、水沫みなわの中に捕へてこそ、生きて甲斐ある命とも申さうず。されば「ろおれんぞ」が最期を知るものは、「ろおれんぞ」の一生を知るものではござるまいか。

       二

 予が所蔵に関る、長崎耶蘇会出版の一書、題して「れげんだ・おうれあ」と云ふ。けだし、LEGENDA AUREA の意なり。されど内容は必しも、西欧の所謂いはゆる「黄金伝説」ならず。彼土かのどの使徒聖人が言行を録すると共に、あはせて本邦西教徒が勇猛精進の事蹟をも採録し、以て福音伝道の一助たらしめんとせしものの如し。
 体裁は上下二巻、美濃紙摺みのがみずり草体交さうたいまじり平仮名文にして、印刷甚しく鮮明を欠き、活字なりや否やを明にせず。上巻の扉には、羅甸ラテン字にて書名を横書し、その下に漢字にて「御出世以来千五百九十六年、慶長二年三月上旬鏤刻るこく也」の二行を縦書す。年代の左右には喇叭らつぱを吹ける天使の画像あり。技巧すこぶる幼稚なれども、亦きくす可き趣致なしとせず。下巻も扉に「五月中旬鏤刻也」の句あるを除いては、全く上巻と異同なし。
 両巻とも紙数は約六十頁にして、する所の黄金伝説は、上巻八章、下巻十章を数ふ。その他各巻の巻首に著者不明の序文及羅甸ラテン字を加へたる目次あり。序文は文章雅馴がじゆんならずして、間々まま欧文を直訳せる如き語法を交へ、一見その伴天連たる西人の手になりしやを疑はしむ。
 以上採録したる「奉教人の死」は、がい「れげんだ・おうれあ」下巻第二章に依るものにして、恐らくは当時長崎の一西教寺院に起りし、事実の忠実なる記録ならんか。但、記事中の大火なるものは、「長崎港草」以下諸書に徴するも、その有無をすら明にせざるを以て、事実の正確なる年代に至つては、全くこれを決定するを得ず。
 予は「奉教人の死」に於て、発表の必要上、多少の文飾をあへてしたり。もし原文の平易雅馴なる筆致にして、甚しく毀損きそんせらるる事なからんか、予の幸甚とする所なりと云爾しかいふ

(大正七年八月)





底本:「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房
   1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行
入力:j.utiyama
校正:八木正三
1998年6月14日公開
2004年3月16日修正
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