三十六 人生の従軍記者
僕は島崎藤村氏のみづから「人生の従軍記者」と呼んでゐたことを覚えてゐる。が、近頃又広津和郎氏の同じ言葉を正宗白鳥氏にも加へてゐると云ふことを仄聞した。僕は両氏の用ひられる「人生の従軍記者」と云ふ言葉をはつきり知つてゐない訣ではない。それは恐らくは近来の造語「生活者」に対する意味を持つてゐるのであらう。けれども若し厳密に言へば、苟くも娑婆界に生まれたからは何びとも「人生の従軍記者」になることは出来ない。人生は僕等に嫌応なしに「生活者」たることを強ひるのである。嫌応なしに生存競争を試みさせなければ措かないのである。或人びとは自ら進んで勝利を得ようとするであらう。それから又或人びとは冷笑や機智や詠嘆の中に防禦的態度をとるであらう。最後に或人びとはどちらも格別はつきりした意識を持たずに「世を渡る」であらう。しかしいづれも事実上はやむにやまれない「生活者」である。遺伝や境遇の支配を受けた人間喜劇の登場人物である。
彼等の或ものは勝ち誇るであらう。彼等の或ものは又敗北するであらう。但しどちらも寿命のある限りは、――僕等は皆ペエタアの言つたやうに確かに「いづれも皆執行猶予中の死刑囚である」。この執行猶予の間を何の為に使ふかは僕等自身の自由である。自由である?――しかしそこにもどの位の自由のあるかは疑はしいであらう。僕等は実に種々雑多の因縁を背負つて生まれてゐる。その又種々雑多の因縁は必しも僕等自身さへ悉く意識するとは定まつてゐない。古人はとうにこの事実を Karma の一語に説明した。あらゆる近代の理想主義者たちは大抵このカルマに挑戦してゐる。しかし彼等の旗や槍は畢に彼等のエネルギイを示したのにとどまるばかりだつた。彼等のエネルギイを示すことはそれ自身勿論意味を持つてゐる。単に近代の理想主義者たちばかりではない。僕等はカアネギイのエネルギイにも力丈夫に感ずることは確かである。若し力丈夫に感じないとすれば、誰も実業家や政治家の立志譚は読みたがりはしないであらう。しかしカルマはその為に少しも脅威を失つたのではない。カアネギイのエネルギイを生んだものはカアネギイの背負つて来たカルマである。僕等は皆僕等のカルマの為に頭を下げる外はないであらう。若し僕等に、――少くとも僕に「あきらめ」の天恵の下るとすれば、それは唯ここにだけある訣である。
僕等は皆多少の「生活者」である。従つて逞ましい「生活者」にはおのづから敬意を生ずるものである。即ち僕等の永遠の偶像は戦闘の神マルスに帰らざるを得ない。カアネギイは暫く問はず、ニイチエの「超人」も一皮剥いで見れば、実にこのマルスの転身だつた。ニイチエのセザアル・ボルヂアにも讃嘆の声を洩らしたのは偶然ではない。正宗白鳥氏は「光秀と紹巴」の中に「生活者」中の「生活者」だつた光秀に紹巴を嘲らせてゐる。(かう云ふ正宗白鳥氏の「人生の従軍記者」と呼ばれるのは正に逆説的であると云はなければならぬ。)これは一光秀の嘲笑ではない。僕等は何も考へずにいつもかう云ふ嘲笑を放つてゐるのである。
僕等の悲劇は、――或は喜劇はこの「人生の従軍記者」にとどまり難いことに潜んでゐる。しかも僕等「生活者」のカルマを背負つてゐることに潜んでゐる。けれども芸術は人生ではない。ヴイヨンは彼の抒情詩を残す為に「長い敗北」の一生を必要とした。敗るる者をして敗れしめよ。彼は社会的習慣即ち道徳に背くかも知れない。或は又法律にも背くことであらう。況や社会的礼節には人一倍余計に背く筈である。それ等の約束に背いた罰は勿論彼自身に背負はなければならぬ。社会主義者バアナアド・シヨウは彼の「医者のデイレンマ」の中に不徳義な天才を救ふよりも平凡な医者を救ひ上げることにした。シヨウの態度は少くとも合理的であると言はなければならぬ。僕等は博物館の硝子戸の中に剥製の鰐を見ることを愛してゐる。しかし一匹の鰐を救ふよりも一匹の驢馬を救ふことに全力を尽すのに不思議はない。動物愛護会も未だ嘗猛獣毒蛇を愛護するほど寛大ではないのはこの為であらう。が、それは人生に於ける、言はば Home Rule の問題である。もう一度ヴイヨンを例に引けば、彼は第一流の犯罪人だつたものの、やはり第一流の抒情詩人だつた。
或女人は「わたしの一家に天才のないことは仕合せです」と言つた。しかもその「天才」と云ふ言葉は少しも皮肉な意味を持つてゐなかつた。僕も亦僕の一家に天才のないことに安んじてゐる。(勿論僕のかう云ふのは天才の属性に背徳性を数へてゐる訣でも何でもない。)田園や市井の人々には古今の天才たちよりも「生活者」の美徳を具へてゐるものも多いであらう。紅毛人は「人として」の名のもとに度たび古今の天才たちの中にも「生活者」の美徳を数へてゐる。が、僕はこの新らしい偶像崇拝も信用してゐない。「芸術家として」のヴイヨンは暫く問はず、「芸術家として」のストリントベリイは僕等の愛読に価してゐる。しかし「人として」のストリントベリイは、――恐らくは僕の尊敬する批評家XYZ君よりもはるかにつき合ひ悪いことであらう。従つて僕等の文芸上の問題はいつも畢に「この人を見よ」ではない。寧ろ「これ等の作品を見よ」である。尤も「これ等の作品を見よ」と言つても、何世紀かは大河のやうにこれ等の作品を見る前に流れ去つてしまふであらう。しかもその又何世紀かは或は一本の藁のやうにこれ等の作品を忘却の中へずんずん押し流してしまふであらう。若し芸術至上主義を信じないとすれば、(かう云ふ信仰を持つてゐることは必ずしも食ふ為に書いてゐることと矛盾しない。少くとも食ふ為にばかり書いてゐない限りは。)詩を作るのは古人も言つたやうに田を作るのに越したことはない。
僕は島崎藤村氏は勿論、正宗白鳥氏も「人生の従軍記者」でないことを信じてゐる。如何に両大家の才力を以てしても、古来一人もゐなかつたものに忽ちなつてしまふ道理はない。僕等は皆僕等の中に「光秀と紹巴」とを持ち合せてゐる。少くとも僕は僕自身に関することには多少の紹巴になる代りに僕以外の人々に関することには多少の光秀になる傾向を持ち合せてゐる。従つて僕の中の光秀は必ずしも僕の中の紹巴を嘲笑しない。けれども幾分か嘲笑したい心もちのあることは確かである。
三十七 古典
「選ばれたる少数」とは必しも最高の美を見ることの出来る少数かどうかは疑はしい。寧ろ或作品に現れた或作者の心もちに触れることの出来る少数であらう。従つてどう云ふ作品も、――或は又どう云ふ作品の作者も「選ばれたる少数」以外に読者を得ることの出来るものではない。が、それは「選ばれざる多数の読者」を得ることと少しも矛盾してゐないのである。僕は「源氏物語」を褒める大勢の人々に遭遇した。が、実際読んでゐるのは(理解し、享楽してゐるのを問はないにもせよ)僕と交つてゐる小説家の中ではたつた二人、――谷崎潤一郎氏と明石敏夫氏とばかりだつた。すると古典と呼ばれるのは或は五千万人中滅多に読まれない作品かも知れない。
しかし万葉集は源氏物語よりもはるかに大勢に読まれてゐる。それは必しも万葉集の源氏物語を抜いてゐる所以ではない。のみならず又両者の間に散文と韻文と云ふ掘割りの横はつてゐる所以でもない。単に万葉集中の作品は一つ一つとり離して見れば、源氏物語よりもずつと短いからである。元来東西の古典のうち、大勢の読者を持つてゐるものは決して長いものではない。少くとも如何に長いにもせよ、事実上短いものの寄せ集めばかりである。ポオは詩の上にこの事実に依つた彼の原則を主張した。それからビイアス(Ambrose Bierce)は散文の上にもやはりこの事実に依つた彼の原則を主張した。僕等東洋人はかう云ふ点では理智よりも知慧に導かれ、おのづから彼等の先駆をなしてゐる。が、生憎彼等のやうに誰もかう云ふ事実に依つた理智的建築を築いたものはなかつた。若しこの建築を試みるとすれば、長篇源氏物語さへ少くとも声価を失はない点では丁度善い材料を与へたであらうに。(しかし東西両洋の差はポオの詩論にも見えないことはない。彼は彼是百行の詩を丁度善い長さに数へてゐる。十七音の発句などは勿論彼には「エピグラム的」の名のもとに排斥されることであらう。)
あらゆる詩人の虚栄心は言明すると否とを問はず、後代に残ることに執してゐる。いや、「あらゆる詩人の虚栄心は」ではない。「彼等の詩を発表した、あらゆる詩人の虚栄心は」である。一行の詩も作らずに彼自身の詩人であることを知つてゐる人々もないことはない。(彼等は大小は暫く問はず、彼等の詩的生涯の上に最も平和だつた詩人たちである。)しかし性格や境遇の為に兎に角韻文か散文かの詩を作つてしまつた人々だけに詩人の名を与へるとすれば、あらゆる詩人たちの問題は恐らくは「何を書き加へたか」よりも「何を書き加へなかつたか」にある訣であらう。それは勿論原稿料による詩人たちの生活に不便である。若し不便であるとすれば、――封建時代の詩人、石川六樹園は同時に又宿屋の主人だつた。僕等も売文と云ふことさへなければ、何か商売を見つけるかも知れない。僕等の経験や見聞もその為に或は広まるであらう。僕は時々売文だけでは活計を立てることの出来なかつた昔に多少の羨しさを感じてゐる。しかしかう云ふ現世も亦後代には古典を残してゐるであらう。勿論食ふ為に書いたものも古典にならないと限つた訣ではない。(若し或作家の姿勢として見れば、唯「食ふ為に書いてゐる」のは最も趣味の善い姿勢である。)唯アナトオル・フランスの言つたやうに後代へ飛んで行く為には身軽であることを条件としてゐる。すると古典と呼ばれるものは或はどう云ふ人々にも容易に読み通し易いものかも知れない。
三十八 通俗小説
所謂通俗小説とは詩的性格を持つた人々の生活を比較的に俗に書いたものであり、所謂芸術小説とは必しも詩的性格を持つてゐない人々の生活を比較的詩的に書いたものである。両者の差別は誰でも言ふやうにはつきりしてゐないのに違ひない。けれども所謂通俗小説中の人々は確かに詩的性格の持ち主である。これは決して逆説ではない。若し逆説的であるとすれば、かう云ふ事実そのものの逆説的に出来てゐる為である。唯何びとも青年時代には多少彼の性格の上に詩的陰影を落し易い。しかしそれは年をとるのにつれ、次第に失はれてしまふのである。(抒情詩人はこの点では実に永遠の少年である。)従つて所謂通俗小説中の人々は老人ほど滑稽に陥り易い。(但しこの所謂通俗小説は探偵小説や大衆文芸を含んでゐない。)
追記。この文章を草し終つた後、僕は新潮座談会に出席した為に鶴見祐輔氏の啓発を受け、所謂通俗小説と紅毛人の所謂 Popular novel との差別を考へ出した。僕は所謂通俗小説論はポピユラア・ノヴエルには通用しない。ベンネツト(Arnold Bennett)は彼のポピユラア・ノヴエルに Fantasies の名を与へてゐる。それは事実上あり得ない世界を読者の為に広げて見せるからであらう。かう云ふ意味は必しも幻怪の気のあると云ふ意味ではない。唯人物なり事件なりの上に文芸的に真の刻印を打つてゐない世界と云ふ意味であらう。
三十九 独創
現世は明治大正の芸術上の総決算をしてゐる。なぜかは僕の知る所ではない。何の為かも僕には不可解である。しかし現代日本文学全集と云ひ、明治大正文学全集と云ふ文芸上の総決算は勿論、明治大正名作展覧会も亦やはり絵画上の総決算である。僕はこれ等の総決算を見、如何に独創と云ふことの困難であるかと云ふことを感じた。古人の糟粕を嘗めないなどとは誰でも易々と放言し易い。が、彼等の仕事を見ると、(或は仕事を見てもかも知れない。)今更のやうに独創と云ふことの手軽に出来ないのを感じるのである。
僕等はたとひ意識しないにもせよ、いつか前人の蹤を追つてゐる。僕等の独創と呼ぶものは僅かに前人の蹤を脱したのに過ぎない。しかもほんの一歩位、――いや、一歩でも出てゐるとすれば、度たび一時代を震はせるのである。のみならず故意に叛逆すれば、愈前人の蹤を脱することは出来ない。僕は義理にも芸術上の叛逆に賛成したいと思ふ一人である。が、事実上叛逆者は決して珍らしいものではない。或は前人の蹤を追つたものよりも遙かに多いことであらう。彼等は成程叛逆した。しかし何に叛逆するかをはつきりと感じてゐなかつた。大抵彼等の叛逆は前人よりも前人の追従者に対する叛逆である。若し前人を感じてゐたとすれば、――彼等はそれでも反叛したかも知れない。けれどもそこには必然に前人の蹤を残してゐるであらう。伝説学者は海彼岸の伝説の中に多数の日本の伝説のプロトタイプを発見してゐる。芸術も亦穿鑿して見れば、やはり粉本に乏しくない。(僕は前にも言つたやうに必しも作家たちは彼等の粉本を用ひてゐないことを意識してゐなかつたことを信じてゐる。)芸術の進歩も――或は変化も如何に大人物を待つたにもせよ、一足飛びには面目を改めないのである。
しかしこの遅い歩みの中にも多少の変化を試みたものは僕等の尊敬に価してゐる。(菱田春草はこの一人だつた。)新時代の青年たちは独創の力を信じてゐるであらう。僕はそのいやが上にも信じることを望んでゐる。多少の変化はそこ以外にどこにも生じて来るものではない。昔から世界には前人の造つた大きな花束が一つあつた。その花束へ一本の花をし加へるだけでも大事業である。その為には新らしい花束を造る位の意気込みも必要であらう。この意気込みは或は錯覚かも知れない。が、錯覚と笑つてしまへば、古来の芸術的天才たちもやはり錯覚を追つてゐたのであらう。
唯この意気込みにもはつきりと錯覚を認めるものは不幸である。はつきりと錯覚を認めるものは?――しかし彼等も亦おのづから多少の錯覚を持つてゐるかも知れない。僕はかう云ふ問題には何とも言はれない一人である。けれども明治大正の芸術上の総決算を見、如何に独創と云ふことの容易に出来ないかを感じずにはゐられなかつた。明治大正名作展覧会を観た人々はいろいろの画の可否を論じてゐる。しかし少くとも僕一人は可否を論じてゐる余裕さへない。
四十 文芸上の極北
文芸上の極北は――或は最も文芸的な文芸は僕等を静かにするだけである。僕等はそれ等の作品に接した時には恍惚となるより外に仕かたはない。文芸は――或は芸術はそこに恐しい魅力を持つてゐる。若しあらゆる人生の実行的側面を主とするとすれば、どう云ふ芸術も根柢には多少僕等を去勢する力を持つてゐるとも言はれるであらう。
ハイネはゲエテの詩の前に正直に頭を垂れてゐる。が、円満具足したゲエテの僕等を行動に駆りやらないことに満腔の不平を洩らしてゐる。これは単にハイネの気もちと手軽に見て通ることの出来るものではない。ハイネはこの「ドイツ・ロマン主義運動」の一節の中に芸術の母胎へ肉迫してゐる。あらゆる芸術は芸術的になるほど、僕等の情熱(実行的な)を静まらせてしまふ。この力の支配を受けたが最後、容易にマルスの子になることは出来ない。そこに安住出来るものは――純一無雑の芸術家たちは勿論、阿呆たちもやはり幸福である。しかしハイネは不幸にもかう云ふ寂光土を得られなかつた。
僕はプロレタリアの戦士諸君の芸術を武器に選んでゐるのに可也興味を持つて眺めてゐる。諸君はいつもこの武器を自由自在に揮ふであらう。(勿論ハイネの下男ほども揮ふことの出来ないものは例外である。)しかし又この武器はいつの間にか諸君を静かに立たせるかも知れない。ハイネはこの武器に抑へられながら、しかもこの武器を揮つた一人である。ハイネの無言の呻吟は或はそこに潜んでゐたであらう。僕はこの武器の力を僕の全身に感じてゐる。従つて諸君のこの武器を揮ふのも人ごとのやうには眺めてゐない。就中僕の尊敬してゐる一人はかう云ふ芸術の去勢力を忘れずにこの武器を揮つて貰ひたいと思つてゐた。が、それは仕合せにも僕の期待通りになつたやうである。
他人は或はかう云ふことも一笑に附してしまふであらう。それは僕も覚悟の前である。僕の見る所は浅いかも知れない。よし又浅くなかつたにしろ、十年前の経験は一人の言葉の他人には容易にのみこまれないのを教へてゐる。しかし僕は兎も角も人並みに努力をつづけながら、やつとこの芸術の去勢力の大きいことに気づき出した。従つて唯これだけのことでも僕にはやはり一大事である。文芸の極北はハイネの言つたやうに古代の石人と変りはない。たとひ微笑は含んでゐても、いつも唯冷然として静かである。
(昭和二年二月―七月)
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