八 詩歌
日本の詩人たちは現世の人々にパルナスの外にゐると思はれてゐる。その理由の一半は現世の人々の鑑賞眼が詩歌に及ばないことも数へられるであらう。しかし又一つには詩歌は畢に散文のやうに僕等の全生活感情を盛り難いことにもよる訣である。(詩は――古い語彙を用ひるとすれば、新体詩は短歌や発句よりもかう云ふ点では自由である。プロレツトカルトの詩はあつても、プロレツトカルトの発句はない。)しかし詩人たちは、――たとへば現世の歌人たちもかう云ふ試みをしてゐないことはない。その最も著しい例は「悲しき玩具」の歌人石川啄木が僕等に残した仕事である。これは恐らくは今日では言ひ古されてゐることであらう。しかし「新詩社」は啄木の外にもこの「オデイツソイスの弓」を引いたもう一人の歌人を生み出してゐる。「酒ほがひ」の歌人吉井勇氏は正にかう云ふ仕事をした。「酒ほがひ」の歌にうたはれたものはいづれも小説の匂を帯びてゐる。(或は心理描写の影を帯びてゐる。)大川端の秋の夕暮に浪費を思つた吉井勇氏はかう云ふ点では石川啄木と、――貧苦と闘つた石川啄木と好個の対照を作るものであらう。(なほ又次手に一言すれば、「アララギ」の父正岡子規が「明星」の子北原白秋と僕等の散文を作り上げる上に力を合せたのも好対照である。)が、これは必しも「新詩社」にばかりあつたことではない。斎藤茂吉氏は「赤光」の中に「死に給ふ母」、「おひろ」等の連作を発表した。のみならず又十何年か前に石川啄木の残して行つた仕事を――或は所謂「生活派」の歌を今もなほ着々と完成してゐる。元来斎藤茂吉氏の仕事ほど、多岐多端に渡つてゐるものはない。同氏の歌集は一首ごとに倭琴やセロや三味線や工場の汽笛を鳴り渡らせてゐる。(僕の言ふのは「一首ごと」である。「一首の中に」と言ふのではない。)若しこのまま書きつづけるとすれば、僕は或はいつの間にか斎藤茂吉論に移つてしまふであらう。しかしそれは便宜上、歯止めをかけて置かなければならぬ。僕はまだこの次手に書きたいことを持ち合せてゐる。が、兎に角斎藤茂吉氏ほど、仕事の上に慾の多い歌人は前人の中にも少かつたであらう。
九 両大家の作品
勿論あらゆる作品はその作家の主観を離れることは出来ない。しかし仮に客観と云ふ便宜上の貼り札を用ひるとすれば、自然主義の作家たちの中でも最も客観的な作家は徳田秋声氏である。正宗白鳥氏はこの点では対蹠点に立つてゐると言つても善い。正宗白鳥氏の厭世主義は武者小路実篤氏の楽天主義と好箇の対照を作つてゐる。のみならず殆ど道徳的である。徳田氏の世界も暗いものかも知れない。しかしそれは小宇宙である。久米正雄氏の「徳田水」と呼んだ東洋詩的情緒のある小宇宙である。そこにはたとひ娑婆苦はあつても、地獄の業火は燃えてゐない。けれども正宗氏はこの地面の下に必ず地獄を覗かせてゐる。僕は確か一昨年の夏、正宗氏の作品を集めた本を手当り次第に読破して行つた。人生の表裏を知つてゐることは正宗氏も徳田氏に劣らないかも知れない。しかし僕の受けた感銘は――少くとも僕の受けた感銘中、最も僕に迫つたものは中世紀から僕等を動かしてゐた宗教的情緒に近いものである。
我を過ぎて汝は歎きの市に入り
我を過ぎて汝は永遠の苦しみに入る。……
(追記。この後二三日を経て正宗氏の「ダンテに就いて」を読んだ。感慨少からず。)
十 厭世主義
正宗白鳥氏の教へる所によれば、人生はいつも暗澹としてゐる。正宗氏はこの事実を教へる為に種々雑多の「話」を作つた。(尤も同氏の作品中には「話」らしい話のない小説も少くない。)しかもその「話」を運ぶ為にも種々雑多のテクニイクを用ひてゐる。才人の名はかう云ふ点でも当然正宗氏の上に与へらるべきであらう。しかし僕の言ひたいのは同氏の厭世主義的人生観である。
僕も亦正宗氏のやうに如何なる社会組織のもとにあつても、我々人間の苦しみは救ひ難いものと信じてゐる。あの古代のパンの神に似たアナトオル・フランスのユウトピア(「白い石の上で」)さへ仏陀の夢みた寂光土ではない。生老病死は哀別離苦と共に必ず僕等を苦しめるであらう。僕は確か去年の秋、ダスタエフスキイの子供か孫かの餓死した電報を読んだ時、特にかう思はずにはゐられなかつた。これは勿論コムミユニスト治下のロシアにあつた話である。しかしアナアキストの世界となつても、畢竟我々人間は我々人間であることにより、到底幸福に終始することは出来ない。
けれども「金が仇」とは封建時代以来の名言である。金の為に起る悲劇や喜劇は社会組織の変化と共に必ず多少は減ずるであらう。いや、僕等の精神的生活も幾分か変化を受ける筈である。若しかう云ふ点を力説すれば、我々人間の将来は或は明るいと言はれるであらう。しかし又金の為に起らずにゐる悲劇や喜劇もない訣ではない。のみならず金は必しも我々人間を飜弄する唯一の力ではないのである。
正宗白鳥氏がプロレタリアの作家たちと立ち場を異にするのは当然である。僕も亦、――僕は或は便宜上のコムミユニストか何かに変るかも知れない。が、本質的にはどこまで行つても、畢竟ジヤアナリスト兼詩人である。文芸上の作品もいつかは滅びるのに違ひない。現に僕の耳学問によれば、フランス語のリエゾンさへ失はれつつある以上、ボオドレエルの詩の響もおのづから明日異るであらう。(尤もそんなことはどうなつても我々日本人には差支へない。)しかし一行の詩の生命は僕等の生命よりも長いのである。僕は今日も亦明日のやうに「怠惰なる日の怠惰なる詩人」、――一人の夢想家であることを恥としない。
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