使 (小町を抱きながら)ほんとうですか?
小町 (半ば眼を閉じたまま)ほんとうならば?
使 こうするのです。(接吻しようとする)
小町 (突きのける)いけません。
使 では、……では嘘なのですか?
小町 いいえ、嘘ではありません。ただあなたが本気かどうか、それさえわかれば好いのです。
使 では何でも云いつけて下さい。あなたの欲しいものは何ですか? 火鼠の裘ですか、蓬莱の玉の枝ですか、それとも燕の子安貝ですか?
小町 まあ、お待ちなさい。わたしのお願はこれだけです。――どうかわたしを生かして下さい。その代りに小野の小町を、――あの憎らしい小野の小町を、わたしの代りにつれて行って下さい。
使 そんなことだけで好いのですか? よろしい。あなたの云う通りにします。
小町 きっとですね? まあ、嬉しい。きっとならば、……(使を引き寄せる)
使 ああ、わたしこそ死んでしまいそうです。
三
大勢の神将、あるいは戟を執り、あるいは剣を提げ、小野の小町の屋根を護っている。そこへ黄泉の使、蹌踉と空へ現れる。
神将 誰だ、貴様は?
使 わたしは黄泉の使です。どうかそこを通して下さい。
神将 通すことはならぬ。
使 わたしは小町をつれに来たのです。
神将 小町を渡すことはなおさらならぬ。
使 なおさらならぬ? あなたがたは一体何ものです?
神将 我々は天が下の陰陽師、安倍の晴明の加持により、小町を守護する三十番神じゃ。
使 三十番神! あなたがたはあの嘘つきを、――あの男たらしを守護するのですか?
神将 黙れ! か弱い女をいじめるばかりか、悪名を着せるとは怪しからぬやつじゃ。
使 何が悪名です? 小町はほんとうに、嘘つきの男たらしではありませんか?
神将 まだ云うな。よしよし、云うならば云って見ろ。その耳を二つとも削いでしまうぞ。
使 しかし小町は現にわたしを……
神将 (憤然と)この戟を食らって往生しろ! (使に飛びかかる)
使 助けてくれえ! (消え失せる)
四
数十年後、老いたる女乞食二人、枯芒の原に話している。一人は小野の小町、他の一人は玉造の小町。
小野の小町 苦しい日ばかり続きますね。
玉造の小町 こんな苦しい思いをするより、死んだ方がましかも知れません。
小野の小町 (独り語のように)あの時に死ねば好かったのです。黄泉の使に会った時に、……
玉造の小町 おや、あなたもお会いになったのですか?
小野の小町 (疑深そうに)あなたもと仰有るのは? あなたこそお会いになったのですか?
玉造の小町 (冷やかに)いいえ、わたしは会いません。
小野の小町 わたしの会ったのも唐の使です。
しばらくの間沈黙。黄泉の使、忙しそうに通りかかる。
玉造の小町 ┐
小野の小町 ┘黄泉の使! 黄泉の使![#「黄泉の使! 黄泉の使!」は2行の中央、括弧は2行にわたる波括弧]
黄泉の使 誰です、わたしを呼びとめたのは?
玉造の小町 (小野の小町に)あなたは黄泉の使を御存知ではありませんか?
小野の小町 (玉造の小町に)あなたも知らないとはおっしゃれますまい。(黄泉の使に)このかたは玉造の小町です。あなたはとうに御存知でしょう。
玉造の小町 このかたは小野の小町です。やっぱりあなたのお馴染でしょう。
使 何、玉造の小町に小野の小町! あなたがたが、――骨と皮ばかりの女乞食が!
小野の小町 どうせ骨と皮ばかりの女乞食ですよ。
玉造の小町 わたしに抱きついたのを忘れたのですか?
使 まあ、そう腹を立てずに下さい。あんまり変っていたものですから、つい口を辷らせたのです。……時にわたしを呼びとめたのは、何か用でもあるのですか?
小野の小町 ありますとも。ありますとも。どうか黄泉へつれて行って下さい。
玉造の小町 わたしも一しょにつれて行って下さい。
使 黄泉へつれて行け? 冗談を云ってはいけません。またわたしを欺すのでしょう。
玉造の小町 あら、欺しなどするものですか!
小野の小町 ほんとうにどうかつれて行って下さい。
使 あなたがたを! (首を振りながら)どうもわたしには受け合われません。またひどい目に会うのは嫌ですから、誰かほかのものにお頼みなさい。
小野の小町 どうかわたしを憐れんで下さい。あなたも情は知っているはずです。
玉造の小町 そんなことを云わずに、つれて行って下さい。きっとあなたの妻になりますから。
使 駄目です。駄目です。あなたがたにかかり合うと――いや、あなたがたばかりではない、女と云うやつにかかり合うと、どんな目に会うかわかりません。あなたがたは虎よりも強い。内心如夜叉の譬通りです。第一あなたがたの涙の前には、誰でも意気地がなくなってしまう。(小野の小町に)あなたの涙などは凄いものですよ。
小野の小町 嘘です。嘘です。あなたはわたしの涙などに動かされたことはありません。
使 (耳にもかけずに)第二にあなたがたは肌身さえ任せば、どんなことでも出来ないことはない。(玉造の小町に)あなたはその手を使ったのです。
玉造の小町 卑しいことを云うのはおよしなさい。あなたこそ恋を知らないのです。
使 (やはり無頓着に)第三に、――これが一番恐ろしいのですが、第三に世の中は神代以来、すっかり女に欺されている。女と云えばか弱いもの、優しいものと思いこんでいる。ひどい目に会わすのはいつも男、会わされるのはいつも女、――そうよりほかに考えない。その癖ほんとうは女のために、始終男が悩まされている。(小野の小町に)三十番神を御覧なさい。わたしばかり悪ものにしていたでしょう。
小野の小町 神仏の悪口はおよしなさい。
使 いや、わたしには神仏よりも、もっとあなたがたが恐ろしいのです。あなたがたは男の心も体も、自由自在に弄ぶことが出来る。その上万一手に余れば、世の中の加勢も借りることが出来る。このくらい強いものはありますまい。またほんとうにあなたがたは日本国中至るところに、あなたがたの餌食になった男の屍骸をまき散らしています。わたしはまず何よりも先へ、あなたがたの爪にかからないように、用心しなければなりません。
小野の小町 (玉造の小町に)まあ、何と云う人聞きの悪い、手前勝手な理窟でしょう。
玉造の小町 (小野の小町に)ほんとうに男のわがままには呆れ返ってしまいます。(黄泉の使に)女こそ男の餌食です。いいえ、あなたが何と云っても、男の餌食に違いありません。昔も男の餌食でした。今も男の餌食です。将来も男の、……
使 (急に晴れ晴れと)将来は男に有望です。女の太政大臣、女の検非違使、女の閻魔王、女の三十番神、――そういうものが出来るとすれば、男は少し助かるでしょう。第一に女は男狩りのほかにも、仕栄えのある仕事が出来ますから。第二に女の世の中は今の男の世の中ほど、女に甘いはずはありませんから。
小野の小町 あなたはそんなにわたしたちを憎いと思っているのですか?
玉造の小町 お憎みなさい。お憎みなさい。思い切ってお憎みなさい。
使 (憂鬱に)ところが憎み切れないのです。もし憎み切れるとすれば、もっと仕合せになっているでしょう。(突然また凱歌を挙げるように)しかし今は大丈夫です。あなたがたは昔のあなたがたではない。骨と皮ばかりの女乞食です。あなたがたの爪にはかかりません。
玉造の小町 ええ、もうどこへでも行ってしまえ!
小野の小町 まあ、そんなことを云わずに、……これ、この通り拝みますから。
使 いけません。ではさようなら。(枯芒の中に消える)
小野の小町 どうしましょう?
玉造の小町 どうしましょう?
二人ともそこへ泣き伏してしまう。
(大正十二年二月)
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