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第四の夫から(だいよんのおっとから)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-16 14:06:35  点击:  切换到繁體中文

底本: 芥川龍之介全集5
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1987(昭和62)年2月24日
入力に使用: 1995(平成7)年4月10日第6刷
校正に使用: 1996(平成8)年7月15日第7刷


底本の親本: 筑摩全集類聚版芥川龍之介全集
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月

 

この手紙は印度インドのダアジリンのラアマ・チャブズン氏へ出す手紙の中に封入し、氏から日本へ送って貰うはずである。無事に君の手へ渡るかどうか、多少の心配もないわけではない。しかし万一渡らなかったにしろ、君は格別僕の手紙を予想しているとも思われないからその点だけは甚だ安心している。が、もしこの手紙を受け取ったとすれば、君は必ず僕の運命に一驚いっきょうきっせずにはいられないであろう。第一に僕はチベットに住んでいる。第二に僕は支那人しなじんになっている。第三に僕は三人の夫と一人の妻を共有している。
 この前君へ手紙を出したのはダアジリンに住んでいた頃である。僕はもうあの頃から支那人にだけはなりすましていた。元来天下に国籍くらい、面倒臭いお荷物はない。ただ支那と云う国籍だけはほとんど有無うむわれないだけに、すこぶ好都合こうつごうに出来上っている。君はまだ高等学校にいた時、僕に「さまよえる猶太ユダヤ人」と云う渾名あだなをつけたのを覚えているであろう。実際僕は君のいった通り、「さまよえる猶太ユダヤ人」に生れついたらしい。が、このチベットのラッサだけは甚だ僕の気に入っている。というのは何も風景だの、気候だのに愛着のあるわけではない。実は怠惰たいだを悪徳としない美風を徳としているのである。
 博学なる君はパンデン・アアジシャのラッサに与えた名を知っているであろう。しかしラッサは必ずしも食糞餓鬼じきふんがきの都ではない。町はむしろ東京よりも住み心のいくらいである。ただラッサの市民の怠惰は天国の壮観といわなければならぬ。きょうも妻は不相変あいかわらず麦藁むぎわらの散らばった門口かどぐちにじっとひざをかかえたまま静かに午睡ごすいむさぼっている。これは僕の家ばかりではない。どの家の門口にも二三人ずつは必ずまた誰か居睡いねむりをしている。こういう平和に満ちた景色は世界のどこにも見られないであろう。しかも彼等の頭の上には、――ラマ教の寺院の塔の上にはかすかに蒼ざめた太陽が一つ、ラッサを取り巻いた峯々の雪をぼんやりかがやかせているのである。
 僕は少くとも数年はラッサに住もうと思っている。それには怠惰の美風のほかにも、多少は妻の容色ようしょくに心をかれているのかも知れない。妻は名はダアワといい、近隣でも美人と評されている。背は人並みよりは高いくらいであろう。顔はダアワという名前の通り、(ダアワは月の意味である。)あかの下にも色の白い、始終糸のように目を細めた、妙にもの優しい女である。夫の僕とも四人あることは前にもちょっと書いて置いた。第一の夫は行商人ぎょうしょうにん、第二の夫は歩兵ほへい伍長ごちょう、第三の夫はラマ教の仏画師ぶつがし、第四の夫は僕である。僕もまたこの頃は無職業ではない。とにかく器用を看板とした一かどの理髪師りはつしになりおおせている。
 謹厳なる君は僕のように、一妻多夫に甘んずるものを軽蔑けいべつせずにはいられないであろう。が、僕にいわせれば、あらゆる結婚の形式はただ便宜べんぎったものである。一夫一妻の基督キリスト教徒は必ずしも異教徒たる僕等よりも道徳の高い人間ではない。のみならず事実上の一妻多夫は事実上の一夫多妻と共に、いかなる国にもあるはずである。実際また一夫一妻はチベットにも全然ないわけではない。ただルクソオ・ミンズの名のもとに(ルクソオ・ミンズは破格の意味である。)軽蔑されているだけである。ちょうど僕等の一妻多夫も文明国の軽蔑を買っているように。
 僕は三人の夫と共に、一人の妻を共有することに少しも不便を感じていない。他の三人もまた同様であろう。妻はこの四人の夫をいずれも過不足なしに愛している。僕はまだ日本にいた時、やはり三人の檀那だんなと共に、一人の芸者を共有したことがあった。その芸者にくらべれば、ダアワは何という女菩薩にょぼさつであろう。現に仏画師はダアワのことを蓮華れんげ夫人と渾名あだなしている。実際川ばたの枝垂しだやなぎしたのみ児をいている妻の姿は円光えんこうを負っているといわなければならぬ。子供はもう六歳をかしらに、乳のみ児とも三人出来ている。勿論誰はどの夫を父にするなどということはない。第一の夫はお父さんと呼ばれ、僕等三人は同じように皆叔父おじさんと呼ばれている。
 しかしダアワも女である。まだ一度も過ちを犯さなかったというわけではない。もう今では二年ばかり前、珊瑚珠さんごじゅなどを売る商人の手代てだいと僕等をあざむいていたこともある。それを発見した第一の夫はダアワの耳へはいらないように僕等に善後策を相談した。すると一番いきどおったのは第二の夫の伍長である。彼は直ちに二人の鼻をぎ落してしまえと主張し出した。温厚なる君はこの言葉の残酷ざんこくとがめるのに違いない。が、鼻をぎ落すのはチベットの私刑の一つである。(たとえば文明国の新聞攻撃のように。)第三の夫の仏画師は、ただいかにも当惑したように涙を流しているばかりだった。僕はその時三人の夫に手代の鼻を削ぎ落したのち、ダアワの処置は悔恨かいこんの情のいかんにまかせるという提議をした。勿論誰もダアワの鼻を削ぎ落してしまいたいと思うものはない。第一の夫の行商人ぎょうしょうにんはたちまち僕の説に賛成した。仏画師は不幸なる手代てだいの鼻にも多少の憐憫れんびんを感じていたらしい。しかし伍長をいからせないためにやはり僕に同意を表した。伍長も――伍長はしばらく考えた揚げ句、太い息を一つすると「子供のためもあるものだから」と、しぶしぶ僕等に従うことにした。
 僕等四人はその翌日、容易に手代を縛り上げた。それから伍長は僕等の代理に、僕の剃刀かみそりを受け取るなり、無造作むぞうさに彼の鼻をぎ落した。手代は勿論悪態をついたり、伍長の手へみついたり、悲鳴を挙げたりしたのに違いない。しかし鼻を削ぎ落したのち、血止めの薬をつけてやった行商人や僕などには泣いて感謝したことも事実である。
 賢明なる君はそののこともおのずから推察出来るであろう。ダアワは爾来じらい貞淑ていしゅくに僕等四人を愛している。僕等も、――それは言わないでもい。現にきのうは伍長さえしみじみと僕にこう言っていた。――「今になって考えて見ると、ダアワの鼻を削ぎ落さなかったのは実際不幸中の幸福だったね。」
 ちょうど今午睡ごすいから覚めたダアワは僕を散歩につれ出そうとしている。では万里ばんり海彼かいひにいる君の幸福を祈ると共に、一まずこの手紙も終ることにしよう。ラッサは今家々の庭に桃の花のまっ盛りである。きょうは幸い埃風ほこりかぜも吹かない。僕等はこれから監獄かんごくの前へ、従兄妹同志いとこどうし結婚した不倫ふりんの男女のさらしものを見物に出かけるつもりである。……

(大正十三年三月)




 



底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
   1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月5日公開
2004年3月7日修正
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